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運命のメモ帳

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 栗原瑛士(くりはらえいじ)は急いでいた。

 残業続きでヘトヘトな体にムチ打ちながら、必要なものを街で補給するためにいつもより早足で廊下を歩いていた。若干駆け足といっても過言ではないかもしれない。

 とにかく急いでいる瑛士に向かって、正面からやって来た人物が急に進行方向へ割り込んできたのを疲れきっていた瑛士は気付くのがおくれ、ドンと、肩がぶつかって鞄が衝撃で落下して荷物がばら蒔かれた。

 幸いにも書類ばかりだったから破損品はない。
 またか、と瑛士は思った。そう、こういったことは始めてではなかった。

「おい、ドンクサヌハワ!ちゃんと前見て歩け!」
「ははは!いじめたら可哀想だろ?泣いたら保護者が飛んでくるぜ?」

 笑いながらチンピラめいた男二人が謝罪もなしに去っていった。
 格好は騎士団の二軍、三軍くらいといったところか。
 第一、第二、と正規な団員は分かりやすく色分けされているけれど、訓練兵上がりたてで正式な所属が決まってない団員は同じ色なので区別がつかない。しかも数が多いから顔が覚えきれないときた。

 はぁ、とため息を吐きながら瑛士は書類に手を伸ばす。

 あの事件のあと、魔法士団副団長に昇格しはしたが、何故昇格したのかを伏せられた状態だからか、こうやって喧嘩を売ってくる輩がちょこちょこいる。
 名前も何処の所属かも知らないが、あの二人は特に多い。
 どこかの貴族らしく、平民の瑛士の存在がとにかく気にくわないらしいのだ。
 もともと魔法士団は下にみられがちなのも要因だろうな。
 その中でも瑛士は開発専門だから更にだろう。どこの世界でもインドアはバカにされる。

 とはいえ、そんなみみっちい嫌がらせくらいで落ち込んだりする瑛士ではない。
 今はすごく忙しいのだ。

 地面に散らばった書類等をかき集め、鞄に詰め込み駆け出した。




 会計を済ませ、買ったものを鞄へと押し込む。

「これで揃った。あとは微調整するだけか」

 メモにあるものを買い揃え終えて、店を出れば日がだいぶ傾いていた。
 街を赤く染めている夕日は日本以上にこのアスコアニには映える。空気が乾燥しているからだろうか。

「ダレクが心配する前に帰らないと」

 赤く染まる街はいつもよりも活気だっている。それは、タニル国からの使者を迎えるパレードが近付いているからだ。そのタニルを迎えるパレードで盛り上げ役をするのが、魔法士団の役目。言ってしまえば、国の第一印象を決定する大事な役目だ。失敗するわけにはいかない。

 明日の予定を確認しながら瑛士が足早に帰路についた。






 雑に詰め込んだ鞄からポロリと落ちたメモ帳が地面へと転がったが、持ち主はそれに気付かずに去っていってしまった。

 日が落ち、それを拾い上げる手がある。
 その人は埃を叩いてまじまと手帳を見つめ、ペラリと無造作にメモ帳を開いた。









 □□□運命のメモ帳□□□











 夕飯に間に合ったと、ほっと息を吐くと、先に帰宅していたダレクがやって来た。

「ずいぶん遅かったな」
「買うものが多くて…」
「魔法陣用のペンか。経費で落とせるんじゃないのか?」
「もちろん落とせますけど、申請すると来るのが遅いので」
「確かに」

 どこにいってもこの問題は大きい。
 なんとかならないかなとは思うものの、なかなか難しい。

「ん」

 額に軽くキスされる。

「先にお湯を浴びてこい」
「了解であります」

 一旦部屋に戻り、鞄から荷物を出す。
 会社のものと自分のモノと机に置いていくと、一つ足りない。

「あれ?」

 鞄をひっくり返すが何も出ず、出した荷物も見直してみたが目的のものは見当たらない。ついでに机の下や廊下、果ては玄関までくまなく探したが、やはり見付からずに瑛士は顔色悪く部屋へと戻る。

「ネタ帳が…ない…」

 昇任祝いでシンシアに貰ったメモ帳を、こっそりと自作小説のネタ帳にしていた。
 日本にいた頃にも同人誌を出すなどして活動していた瑛士、ここに来てしばらくは仕事を忙しくしていたけれど、クリエイターの性は止められない。
 それを失くして落ち込む。
 見付かるかわからないけど、明日も探してみようと思いながら、着替えを手に風呂へと向かった。






「エージ、何かあったのか??」

 夕食時、いつもよりも口数が少なかった為かダレクが心配して声をかけてきた。

 大好きなチーズ乗せハンバーグを切る手を止めた。瑛士はダレクにヲタクなのを言ってない。というか、ヲタクとは何かから説明する必要があるので、話してなかったが、シンシアに貰ったメモ帳を失くしたと説明した。

 すると、ダレクは同情の眼差しを向けてきた。

「あの手帳か。お前が何かと持ち歩いて、色々と書き記していたやつ」
「それです…」

 シンシアはダレクと並んで命の恩人であり、この世界での大親友。その人からのプレゼントを失くしたとなれば、酷く落ち込むのも納得した。
 再びハンバーグを切り、口へと運ぶ。美味しいはずなのに、落ち込みすぎて味がしない。

「私も明日探してみる。館と、街か。何処を歩いた?」
「ありがたいですけれど、諦めます。明日は、ほら、タニルからの使者が来ますし」

 そうなると街は人でごった返すし、ダレクも瑛士も明日はその使者関係で忙しい。こんな事のために更に仕事を増やしちゃいけない。

「…そうか。力になれなくてすまないな」
「いや、ダレクが謝らなくても良いですよ。もしかしたら、職場で失くしたのかもしれないですし」

 脳裏に資料でごちゃごちゃになって、雪崩れる寸前の部屋が思い浮かぶ。
 どうやったって見付かるイメージがわかないけれど、少しずつ探せば大丈夫だと言い聞かせた。
 それに片付ける切っ掛けにもなるだろう。

「シンシアにはちゃんと謝って、また書き直せば良いだけです」

 一応設定や流れもろもろは全部頭のなかにある。だから、最悪書き直せば良いだけ。
 そう思いはするけれど、細かいところまでは怪しい。
 やっぱり明日隙を見て探そうと、瑛士は一人頷いた。





 ◆◆◆




 翌日、早朝から最終確認のために日の上る前から出社し、準備を終えた瑛士とその部下たちはあらかじめ計画していた配置についてその時を待っていた。
 街は使者の行列を見ようと人が押し掛け、それを眼下に眺めながら瑛士達は屋根の上で待機していた。

 空は快晴。風は微風。湿度は低め。雲はなし。
 それぞれが時計を見ながら、合図を待っている。

 太陽が真上へと位置したとき、ようやく正門から到着したという空砲が鳴った。
 すぐさま正門へと目を移すと、使者の行列がやって来た。

「今!」

 魔法士団一斉に仕掛けてあった魔法陣を完成させ、発動。
 街中に配置された砲晶柱から一斉に魔法が空に向かって解き放たれ、空で物質が固まると、キラキラとした光の結晶が雪のように舞い降りた。

 一斉に舞った光の結晶は、日の光を浴びて美しく煌めく。
 さながらダイアモンドダストの様である。
 街の人達は空を見上げて歓声を上げ、それを見て瑛士はホッと安堵の息を吐いた。

 うまくいって良かった。

 腕を伸ばすと掌に光の結晶が落ちて溶けていく。
 雪をイメージしたこの光の結晶は、暑いこの地でひんやりとした空気をもたらし、地面や物につけばたちまち気化して消えていく。
 雪のように水にならないから使者のお召し物を汚さない精一杯の配慮と共に、技術の高さを見せ付ける。

 アスコアニ国はこの大陸での魔法陣開発の先行国だ。だからこそ魔王を撃退する神子を呼び出せたし、呪いも封印できた。
 この事実だけでも周辺国との格の違いを見せ付けることが出来るのだが、今回やってくる使者は、アスコアニの次に魔法陣が盛んな国で、前回の戦争の敵国。しかも魔法大戦と呼ばれる程に両国が独自の魔法技術で対立したという歴史がある。
 ちなみに今は終戦して、お互い魔法陣大国として合流を持っているけれど、実はこうして様々な魔法陣み見せ付けて、技術力をアピールしているのだとシンシアに教えられた。

 何処の世界でも同じだな、マウント合戦。

 内心ため息を吐きながら使者の行列を眺める。
 瑛士から見ればタニルの使者達は親近感があった。なにせ様式がアジアにどことなく似ているから、なんとなくテーマパークのイベントの様に感じていた。
 もちろんアスコアニもアジア要素はあるけれども、どちらかといえば乾燥が強いので西アジア、やや中東寄りという印象が強い。
 もちろん宗教等は全然知らないもので、ライトメア(鉱物信仰)とかいう未だに謎宗教だけど、わりとロマンの塊の宗教だから馴染むのは早かった。
 タニルはタニルで違う宗派らしいのだが、この世界には一体どのくらいの信仰があるのか、興味はある。

 行列の後方まで見送り、王宮の門の中へと入っていく。

 これでパレードは終わりだ。
 あとは使者達が帰るまで街の天候を出来るだけ晴れさせるのと、王宮で快適に過ごせるように諸々の魔法陣調整のみ。

 伝令鳩に魔法陣を持たせ、各場所で頑張ってくれた部下達に移動指示を飛ばした。





 王宮に着き、それぞれが宛がわれた持ち場の魔法陣調整に向かう。
 こういった細かい気遣いで、国の印象が大きく変わるのだ。

「とは言え、完全によろず屋扱いの部隊だよな…」

 普段は使用人も総動員するのだが、今回ばかりは繊細な作業が多いために、団員しか動けない。それは勿論団長であろうと例外ではない。

 今回もっとも大切な王宮内部の温度調整の為の水路に氷を発生させる作業をしながら思わずぼやいた。
 よろず屋でなければ総務課といった方がしっくり来るかもしれない。
 管理しているのは魔法陣だし、研究開発もするけど。

 そのぼやきが聞こえたようで、目の前のシンシアが話し掛けてきた。

「お前の旦那は護衛だっけか?」

 旦那というのは、ダレクの事である。
 結婚は未だだが、ペアリングもしているし、何より心身ともにラブラブなので旦那というのは間違いではない。

 詰まらないように氷をシャーベット状に形状変化させる魔法陣を追加で配置しながら答えた。

「そう。向こうにも護衛はいるんだけど、何せダレクはうちの国で最強だからね。それもアピールしてんでしょ。この男を敵にはしたくないだろって」
「さっすが、旦那様の事わかってるー!」
「茶化すなって」

 とはいえ旦那は自慢したくなるもの。
 特にダレクの事をよく知っているシンシアに褒められればなお嬉しい、

「団長!副団長!」と、下の方から声がかけられる。
 部下がこちらを見上げていた。

「そろそろ時間です!」

 腕時計を見る。確かに、そろそろ時間だ。

「最終チェックも終わったし、みんなは通常業務に戻って下さい。みんな、お疲れ様」
「おやつを机の上に置いているからそれを摘まんで良いからな」

 シンシアのおやつの単語に部下が顔を輝かせ、「はい!」と元気に返事をすると他の団員に知らせにいく。
 さて、次の仕事だ。



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