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第8章 大団円はリベンジの後で

8ー6 復讐2

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 復讐したいのはこちらの方じゃないか?
 思いがハリーの頭をよぎった。
 醜い跡の残る顔、落ちた視力。会社に来た悪い奴にやられたんだ、と言っても泣き止まず顔を撫で続けた母。故郷には帰れなくなって母にももう何年会っていないだろうか?
 大学卒業前に就職が決まったと知らせた時、母も父もとても喜んだ。
 大卒者の就職が厳しいことはもう長く世間の話題になっていたから。

『選ばれた者のみが見られる映像を配信する側に回らないか』

 ボスの口説き文句だった。
 アルバイト先のコールセンターでスーパーバイザーに抜擢されていた自分を彼は引き抜いた。その会社の実質的な経営者がまだ外交官だったミッタルだったとはその時知った。
 一から会社を立ち上げ、映像作品を作り配信にかけ販売する。
 リアル人狼ゲームは大掛かりなプロジェクトだった。
 一回目は三日目で潰れたが二回目は何とか一週間近くもった。
 そして三回目で初めてゲームを知っているという人間がプレイヤーに入っていた。
・カナダ国籍で、高校生の時「汝は人狼なりや」のカードゲームで遊んでいたアビマニュ
・日本留学時にリアル人狼の漫画や映画を知り、ネットやアプリでの人狼ゲーム観戦もしていたクリスティーナ
 彼らが進行を導きゲームは今までになく盛り上がった。
 知っている人間がいるとこれならインド国内に人狼ゲームを広めたらどうか、との議論がチーフ内でなされたほどだ。

 そのゲーム三日目夜の会議中、舞台とした昔ながらのインド式邸宅はプレイヤーが仕掛けた時限爆弾で破壊された。
 再度プレイヤーを薬で眠らせ、新しいプレイヤー11人を加え次回用にとってあった建物へ急遽移動し初日からやり直す羽目になった。

 至る所のカメラの映像を総勢20人の監視員と監督するチーフ数名で見ていながらこの体たらくとボスから手酷い叱責を受けた。彼の片腕として仕事をまとめていた自分と、監視センターの中心だったチャンドリカが詰め腹を切らされ、新たなゲームに投入された。
 不手際に対して見える形での顧客への謝罪でもあったらしい。
 通常の「誰が生き残るか」との賭けに加え、「新規投入プレイヤー中どのふたりが潜入者か」との新たな賭けで会社は損害額を回収にかかった。

 ハリーはたかをくくっていた。
 自分はリアル人狼ゲームの素人ではない。アビマニュやクリスティーナのように命のかからないゲームやフィクションばかりを知っているのでもない。
 監視カメラの位置もその他の仕掛けも全員の配役も知らされている。
 まして自分たちは夜には殺されない「人狼」だ。
 なのに功を焦った。
・ふたり存在する「武士」を早く減らす
・新しいプレイヤーから殺害して彼らの恐怖を煽り、新旧プレイヤー間に対立をもたらす
 そのためにターゲットとなるのは1人。
 配役を知らないプレイヤー人狼たちを説得する手間を惜しみハリーは力づくで人狼の仕事にかかった。与えられた武器の中には銃もあったから楽勝だと思い込んだ。
 後ほどボスへの報告書(兼反省文)に記したように、自分は甘かった。
 相手を観察することを怠った。
 新プレイヤーの武士役サラージは無口な若い男で警備員だと自称した。実は裏社会系会社の警備員で、彼らから抜擢されるほどの「実践経験」があった。おとなしそうな見た目とは裏腹にいざとなれば人を殺すことも躊躇しない男だったのだ。

 部屋を襲撃したハリーは銃を奪われ、何度も顔を殴られた挙句に指を目に突き刺された。激痛に逃げ出してくるのがやっとでその後はただ耐えるだけ、翌朝にはもうゲームから降りることを決めた。
 この回のゲームでは火葬・水葬・縊死の三つのユニットがあり処刑対象となったプレイヤーが自由に選べた。ハリーとチャンドリカについては前二つのユニットを選べば雇いの現地作業員が救出する手筈も整えてある。
 ハリーはとにかく早く病院にかかりたかった。このまま視力を失ってしまうのではと怯え、怪我を言い繕うことも避けその日の会議で票を集め退場することを第一目標にして成功した。

 このことは別方向にも後を引いた。
 サラージは下っ端にも入らない、組織に使われるだけのチンピラだったが姿を消せば話は別だ。裏社会同士で疑いあって殺し合えばいいとこちらは思い実際そうなった。
 だが組織の頭目はもう少し頭が良かった。
 サラージの不明を他の組織のせいだと言い募って攻撃を加え、結果ムンバイの一地区を支配することに成功したが、裏ではそれが事実でないことを理解し警察にも手を回して真相を探っていた。

 ゲームの話に戻れば、自分がリタイアした後もチャンドリカは奮闘した。
 罠を張ってクリスティーナを処刑させ、アビマニュは自ら処刑を希望した。ゲームを知るふたりが退場してプレイヤーたちはまとまりに欠け出し後は殺伐と敵対し合うだけー
 チーフたちは思ったそうだ。
 だが裏ではこの爆弾魔スンダルと職業詐称女ことラクシュミが暗躍し、こちらに偽情報を流しつつ計画を進め、6日目の処刑でチャンドリカを絞首にかけると全員が逃亡した。途中ふたりが死亡したものの7人がサバイバーとなり既定の賞金を手にした。

 この情報をサラージを使っていた裏社会の親玉も手に入れ、自力でミッタル周辺にまでたどり着いた。三年ぶりのインドでのゲームにてミッションスクールの高校生たちが行方不明になると彼はミッタルを脅してきた。
『前にうちの若い者を殺しただろ。落とし前を着けろ』
 さもなければ警察に情報を渡す。
 プレイヤーの遺体処理を依頼し金を握らせると彼は黙った。裏社会の人間など結局は金だ。
 だが事件が明るみに出るや否や彼は真っ先に遺体処理請負を自ら警察に注進した。高校生の遺体がザクザク出てきてしまったらもう事件の握り潰しは出来ない。手下に責任を被せ自分は逃げ切りつつも復讐といえば見事な復讐だった。


「復讐? したいのは僕の方だ」
 ハリーはようやく口にした。
「この顔はお前たちのゲームでやられた。視力も完全には戻らない。最後のゲームが隠せなかったのはラクシュミとロハンが動いたせいだともわかっている。もう長いこと母の顔を見ていない。大事な同僚だったウルヴァシはお前らに殺された」
 入院中だったハリーはリアルタイムでは見ていないが、男共を中心によってたかってチャンドリカを吊ったそうだ。潜入に使った偽名でないとわからないだろうと「ウルヴァシ」を殺したことを非難する。
 彼女を慕う監視員たちも阿鼻叫喚の悲鳴を上げ室内は大混乱だったそうだ。
 チャンドリカはよく目配りが効き、積極的で意欲的ないい同僚だった。
 彼女だけではない。皆現状に満足せず常にもっと良いショーを作ろうと意見を交わし切磋琢磨した。あのオフィスの空気が懐かしい。
 今も尊敬する上司であるミッタルとは離れず商社の真似事のように武器を含む品物を左右に流して生計を立てているが、あの暖かい場所はもう失われてしまった。
 友人でありライバルでもある得難い仲間たちは今はインドの監獄の中だ。
 怒りの炎が冷たい水に対抗して体内に沸き上がる。
「この状況を作った爆弾魔と、その共犯者にー」
 マーダヴァンはゲーム中には人畜無害な男だった。
「復讐される筋合いはない!」


「そういうの興味ないから」
 スンダルは流した。
「オレたちを誘拐しなきゃよかっただけだろ。オレはお前らが死ぬ前に苦しめばそれでいいんだ」
 ハリーは正確な情報を持っていないことを暴露してしまっている。学院高校生たちのゲームについて警察官だったラクシュミは暗躍したがロハンは何も知らない。あえて外に置いて彼の父から知事へ、デリー中枢へと工作をした。
(この分だと奴にはあまり期待出来ないかな)
「とにかく『ゲーム』のルールを説明するよ。よく聞かないと危ねえのは知っているだろ、プレイヤーさんたち?」
 皮肉を効かせる。
「この水はタンクから流れて中央で左右に分かれて背中側の窪みを通ってそれぞれのガラスの中に溜まる」
 指でたどる。
「タンクだから量は限られている。全ての水を貯めるとこの位置になる。測ったんだ」
 ガラスに引かれた黒い横線はハリーの目の上あたり、ミッタルは少し背が高いのか鼻の付け根の高さとなる。
「つまり普通に全部水を落とせばお前らは両方溺れ死ぬ。ところで、左右分岐した先にバルブがついていて水を止めることが出来る」
 それぞれの肩上あたりでパイプは金属の板で遮られ中央には丸いバルブが見える。
 パチっとスンダルがノートパソコンのキーを叩けば双方への水が止まった。
 絶え間なく続いていたしゃばしゃばとした水音が消え、暗い部屋は静まり返る。
 もう一度押せばまた水は流れ出し、各人の背骨の裏横十センチ、深さ五センチほどの窪みを水は流れ落ちて足元に溜まった中に落ちてささやかな音を立てる。
「これからお前たちに質問をする。オレたちが満足する回答をした時にはバルブを閉めて水を止める。総量は決まっているから長くバルブが閉まっていた方のみは溺れ死ななくて済む」
「……」
 ハリーは横の容器内のミッタルを見ることも出来なかった。
「どちらも死ぬか、片方だけは生き残るか。結果はそれだけしかない。これがゲームだ。人狼と村人、どちらがどちらになって食い殺すのか。楽しみにしているよ」


 腹のあたりまではふたりとも答えなかった。
 そこからミッタルがあたりさわりないと思われる問いには答え出しハリーもそれに習った。水位は同じように上がり首元まで来るとふたりは争うように答え出した。
「ラクシュミの職場を脅した理由は?」
「詮索をやめさせたかったからだ。飯が食えなくなれば口は噤む!」
「あの学院を選んだ理由は?」
「バスの運転手が金に困っているって話を聞いたんだ」
「誰から?」
「裏社会の奴で、いつも仕事を手伝ってー」
「顧客を覚えている限り言え」
 ハリーは顧客名は知らない。ミッタルも押し黙る。
 いや、連絡の関係で知っている相手が数人、
「◯◯王国の皇太子、××国外務大臣、macojin会長ー」
「△△社CEO、デザイナーのー」
 ハリーの言葉を遮るようにミッタルの口から名前が迸る。水はもう顎まで届いて時折口や鼻に飛沫が跳ねる。
「うちの前外務大臣は知っていましたよ。ゲームは見なかったけど便宜をー」
「待て! 待て! 学院のあのクラスを選んだ理由は私しか知らない! あのクラスには裏社会に殺害依頼が出ている少年がいて、オーダー主を脅してこちらが殺害を請け負ー」
「サラージの件でムンバイマフィアに喰い物にされることを恐れてロシアンマフィアに手を伸ばした。あれで愛国者とは言い難くー」


 水草のようにY・K・ミッタルの頭が水中で左右に揺れ動く。
 ハリーの水位はそれでも鼻の下だ。ずっと上を向いていないとやり過ごせない。
(生き残った!)
 VIP顧客の名前を出し渋り少しずつしか告白しなかったのが彼の敗因だろう。
 最後言葉が水の中に消え、ごぼごぼと空しい音がマイクで拡散される中彼は沈み、身悶え、容器そのものの揺れは恐ろしいほどこちらにも伝わってきた。
 水音が静まったとき彼は鑑賞魚のように綺麗にガラスの中に収まっていた。


「Congratulations!」
 スンダルが祝いを述べる。
 奥のテーブルで何やら片付けながらこちらに目を遣る。
「水は朝6時に下から抜ける。あと4時間くらいかな。救助が8時頃に到着するように手配もしてある。彼らのために注意書きを貼っておかないとね」
 スンダルはわざとらしく仰向け気味のハリーの目の前に白い紙をかざした。

『ンゴペタ川の水に浸った寄生虫患者です。扱い要注意!』

(!)
「救助にあたる方に二次被害があっては困るからね」
 つぶやくマーダヴァンが今も病院に勤めているのは知っていたがー
「嘘吐き!」
 思わず叫んだ!
「しゃべったら殺さないって言ったじゃないか!」
「言ってないよ。しゃべったら水を止めるから『溺れ死なない』とは約束した。はお前ら得意だっただろ」
 スンダルはちらりと水中のミッタルの遺体を見る。
「あ、あ……」
 喉につかえた声がマイクで無様に部屋へ広がる。
「10分浸かったら確実に寄生虫に侵食される。30分ではもう対処療法しか手段がなくなる。明日の朝までなら8時間以上……医療従事者が出来ることは痛みを緩和することのみだ」
 マーダヴァンが専門家らしく解説する。
 この国の役人たちが10分浸かったら終わりだ、絶対に川に入るなと盛んに宣伝していたのはハリーも知っている。
「つっ!」
 突き刺す痛みが手首足首に走る。頭が揺れ、視界が白くなって一瞬これで楽になれるかと思った。
 気がつくと水位が少し下がっている。
 何かトラブルか。自分は助かるのか。いやしかし既に不治の病の原因の虫に侵されー
赤・2ラールドー
 スンダルが告げる。
「全く同じ成分とはいかなかったよ。でも作用は似ているから」
 とはマーダヴァン。
「手錠と足枷に針を埋め込んである。そちらの設計を参考にさせてもらったよ。これから朝6時までの間、不規則に薬は注入される」
「待てっ!」
 それは酷すぎる。頭に残る鈍い痛みと吐き気。だがここで吐いたら水が汚れるだけだ。
「五分おきに注入する時間もプログラムしてあるよ。そうやって脅迫したんだろ? 高校生の人狼たちを」
 あの薬は麻薬同等のものだ。五分おきになど注入したら正気は保てなくなる。だがすぐには死なない。
「薬でイッちまって溺れ死んだら困るからね、水は少し抜いておくよ。お前には長く苦しんでもらいたいから」
「よほどのことがない限り朝8時までちゃんと生き残れるから病院には運んでもらえる。安心して」
 蝋燭の炎を写しマーダヴァンの目は木の実のように無機的だ。
「あぁ……」
(ああううっ!)
 胃を逆流する何か、急激に血の気が引き意識が拡散する。
 気が付くと暗い部屋の中、汚い水に自分が吐き戻した物が浮かんでいる。
 赤いのはチキンティッカマサラか。もったいない、美味しかったのに。
 その考えすら今では能天気だとハリーは自分を叱る。

「……何のために、こんな」
 寄生虫から生じる病気は進行したら止める術はない。内臓も脳も食い破られ全身激痛のうちに死んでいく。この国のテレビで何度も見た。どうせ死ぬなら生き延びても意味はないのに。
「こんなもんじゃ足りない。オレたちリアル人狼ゲームに拐かされた人間の総意は」
 ろうそくの光にスンダルの姿がゆらめく。
「オレたちの時だけで30人ほど死んだ。ラクシュミが保護した高校生は7人で校外学習は38人、先生も含めて同じく30人ほどが殺されている。お前らの『ゲーム』は我が国だけでも四回、外国ではもっと山ほど繰り返してきたんだってね。明るみに出そうとした人間も殺してきただろ? あのジャーナリストとか……」
 横にマーダヴァンが寄り添って立ち、共にこちらへ顔を向けた。
 二つの敵意の向こうに多くの憎悪が連なるのがハリーにもわかった。
 ぞろ、ぞろぞろぞろ。
 暗いレンガの壁の手前に無数の死者が音なき呪詛を述べ立てる。
「約束したことは守る。オレのメカニックとしての腕は知ってるだろ? あの時はまだ学生だったけど今は給料もらってるプロだから腕はもっと上がっている。時間には必ず解放されるからそこは安心していい。じゃあな、永遠に」
 右。左。
 ろうそくの炎が消され、最後に電球の頼りない光も消えハリーは真っ暗闇に取り残された。左からの物音は上司だった男の抜け殻が水に揺れガラスにぶつかる音、その筈だ。
 この闇と音だけでも狂える。
 早く狂いたい。8時までなど持ちそうもない。
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