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第7章 旅立ち

7ー12 別れ

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 最後にナラヤンは明日、事件後初めてアッバースに会いチェックしてもらった上でこの録画を渡すと説明した。
『楽しみなのと同時に緊張もしている』
 合掌してマントラを唱え一度動画は終わった。
 青い壁、同じ自宅らしい映像がすぐに続く。画角が少し違い全体に赤みを帯びて明るい。正面に映るナラヤンは先ほどの録画の翌日だと言った。


『アッバースと会った。この動画は奴に撮ってもらっている。ぼくは変わってしまったけれどこいつは全く変わっていなかった』
 邪気なく微笑む。
 そこはいい男になったって言えよと照れ隠しめいて本人が画面へ文句を言う。
 久々の時間にふたりは長く話しこんだという。


『シャキーラ。結婚が決まるかもしれないんだってね。上手くまとまることを祈っている。アメリカは物騒だから守ってくれる人がそばにいれば安心だ……ってぼくが言うことじゃないけどね』
 そこはまだわからないってとシャキーラが頬を赤らめる。


『それからルチアーノ』
「!」
 名を呼ばれどくんと心臓が鳴った。
『アッバースと仲良くしているんだってな』
 氷を胸に差し込まれたようになった。
 かつて彼がいた場所、友人を取ったように思われてもおかしくない。自分が悪いのとは違うが苦しくなる。


『こいつ押しは強いし、駄々っ子だし、あちこち引っ張り回すし結構大変だろう? だけどいい奴だ。前に、去年のディワリの後くらいだったかな、スティーブンがぼくに言ったことがある』


「あのふたり馬が合うと思うな。もっと話せばいいのに」
「アッバースはわりと話しかけてるよ。ルチアーノが乗らないんだ」
 スティーブンは首を傾げた。
「なんでだろうね。もったいない」


 アッバースは成績がいい正規奨学生だが自分は修道会絡みにすぎないとの引け目からだった。新しいクラスでも一緒になって親しくなれば全く意味がないこだわりだったとわかる。本当に
 隣でアッバースが俺は知らなかったとつぶやく。
「かなわないね、スティーブンには」
 目の裏から悲しみが滲み出てくる。
「本当にな」


『アッバースはプネー、君はムンバイの大学に行くんだってな。これからも仲良くしてやってくれ。……少年院で君と同じ孤児院にいたという子と知り合った。クラスメートだったと知ってからは仲間と一緒にぼくを守ってくれるようになった』
 とその名前を出す。
『先に出所したからルチアーノによろしくと言ったら断られた』

「やだよ」
 ふたつ年下の少年はにべもなかった。
「ルチアーノ兄さんバーイは何を言われても耐えろ、悪い方に走ったって自分が損だって教えてくれたんだ。なのにこんな罪状でここに放り込まれたなんて顔が合わせられないよ!」
「ぼくが言ってもあまり響かないかもれないけど、これからはルチアーノ兄さんバーイに顔向け出来る人生を目指したらいいんじゃないか」
「そうだね」
 代わりにナラヤンからよろしく言ってくれと頼まれたそうだ。
 確かそいつはチンピラに使われ企業絡みでかなり多量の窃盗をこなして捕まったとルチアーノは思い出した。


『彼には恩がある。そういうのもあってルチアーノ、ぼくはもう君を恨んではいない』
(……)
『君はぼくとは違う人生経験を積んできて世の中のことも様々に知っているだろう』
 もうそうは言えないのではとナラヤンの頬と口元の傷を見る。
『ただの子どもの同級生よりは見えることもあると思うけど、教えるのはこっそりにしてやってくれ』
 苦い思いとともに頷く。ぼんとアッバースが背を叩く。
 その後ナラヤンはヴィノードへ利用したことへの詫びを告げ今度こそ動画は終了となった。


「スティーブンの話が出たところだけどこれはお母様から預かってきた」
 アッバースがノートを取り出す。彼が人生の最後に2階の部屋で書き残したノートだ。
「よければ読んでくださいって」

 あの日ヴィノードを助け出した後4号室の住人でぱらぱらと見たが時間に余裕がなくまともには読んでいなかった。
「終わりの方にはプライベートなことが書いてあるからしおりが挟んであるページまでにしてくれ」
 ヴィノードは同じ部屋に閉じ込められた時脱出のヒントがないか目を皿にして繰り返し読んだのでいいと言った。全く目にしなかったシャキーラを中心に、アディティも含めめくった程度の人間が後ろからノートを読む。
 スティーブンらしく緻密で、事実と主観を綺麗に分けた読みやすいノートだった。実際警察の捜査にもかなり役立ったと報道されたのを覚えている。
 ルチアーノが指摘した無意識での差別的行動についても真摯に受け止め傷みをもって考えを廻らせていた。眼前で語られたように伝わりこちらの胸も痛くなる。

 終わるとアッバースはしおりの先の最後のページを開き、
「ここはお前が読んでやってくれ」
 アディティに差し出す。
「前に見たから何が書いてあるかは知ってる」
「もう一度、ちゃんと読んでやってくれ」
 困ったように目をしばだたせたが彼女はノートを受け取った。
 まさかそういうことが書いてあるとは思わなかったから当時ルチアーノたちは読んでしまっている。


『僕はアディティが好きになった』
『誰もが苦しみ余裕がなくなる中でどうしてそこまで冷静でいられるのだろう。聖母様のようだ』
『彼女が僕を何とも思っていないことはわかっている』
『何をどうするというのではない。ここから無事に戻れたならまずはもっとアディティと話したい』


 長い文章ではない。
 アディティはしばらく目をやって、そしてノートを遠ざけた。
「あの時もそうだったけど、悲しくなる」
 卒業した今もきっちり編んだ三つ編みが揺れる。
「うちのクラスの何人が彼を好きだったと思う? そうでなくてもほとんどの女子が憧れていた。わたしも、特別な気持ちはなかったけれど格好いいとは思っていた」
 いつもの淡々とした語りだ。
「その彼が何でわたしなんかにって。多分あそこでは多少は使える、協力出来たってことだったろうけど……余程苦しかったんだろうって。こんなことを書き残して殺されたなんてスティーブンが可哀想過ぎて……っ!」
「お前そりゃねえよ」
 とはアッバース。
「だってわたしは不器量で、あの時わかったと思うけど料理がからっきし駄目で、スティーブンはいつだって太陽みたいな人で……おかしいでしょう?」
「俺の友人を見損なうな。あいつが薄っぺらい見た目だの何が出来る出来ないとかで人間を評価すると思うか……っと」
 頷いていたルチアーノだが、当のアッバースはアディティの容姿を貶めたことにならないかと口をつぐんだようだ。

「おれに言わせればな、見た目は好みの問題だぜ。例えばこういう顔が好きな奴はー」
 ヴィノードがテーブルの上の丸い皿を指差す。
「プラバースに口説かれたら舞い上がってもグリークゴッドがあの顔で至近距離から愛をささやいても気持ちは動かねえ。少なくともスティーブンにはお前の見た目は趣味の外ではなかったってこった」
 軽い口調で続ける。
「それにな……おれはスティーブンみたいないい奴じゃねえから美人でスタイルもいい女が好きだが、あっ! て惚れこむ時って意外と何かの仕草が目に止まったり、話したことが耳に残って離れなくなったり、そんなもんだぜ」
 元遊び人だけあって説得力がある。

「わたしはスティーブンに勝ちたかったの!」
 パン!
 アディティが部厚いテーブルを手のひらで叩いた。
「一度でいいからトップを撮りたかった」
「化学のパーフェクトで同点一位取ってただろ?」
「あれは満点だもの。あの時は問題が易しかった。先生お具合でも悪かったんじゃないかと思う」
 聞いて喉が詰まったような顔をしているのはルチアーノたち化学が得意ではない人間たちだ。
「幾何が中心の出題の時だったらチャンスはあるかもしれないと思ってた。一度でいいからトップにわたしの名前が載って、次がスティーブンで、そうしたらきっと彼はすごいねとかそんな風に言ってくれたと思う。同点一位の時だって、
『同じだね! 第三問の化学式に自信なかったんだけどアディティどう解いた?』
 だったから」
「そこは二位に俺の名前があるとかも想像してくれよ。俺だって勝ちたかったぞ」
 アッバースがジョークを飛ばす。とはいえ彼は諦め気味だったそうだが、
「わたしは諦められなかった。……死んじゃったらもう勝てない。わたしはこういうことを言われるより試験で勝てた方がうれしかった。……自分でも可愛げがないとは思う」
「勲章だと思っとけ。少なくともあいつに認められたってことなんだから」


「ねえ。聞いていい? アッバースの切り札ってつまり何だったの」
「ああ、あれは『天井裏使用権』」
「!」
 シャキーラにアッバースがこともなく答えた。
 アッバースのベッドには収納引き出しが付いていて中には脚立、上に掛ける縄ばしご、ヘッドライトに手袋に這い回るための膝当てと至れり尽くせりだった。天井の所々にあるアルミ枠で囲まれた点検口は天井材が枠の上から乗せられただけで、下から道具で突き上げれば簡単に開く。
 隙を見て何ヶ所か上がり、他の人間に言っても使えなくなるものではないと判断してルチアーノたち同室者にシェアした。次の4日目と5日目の夜、0時から3時の人狼時間には4人全員天井裏に避難した。
 ナラヤンとナイナが忍び込んだ5日目の夜、ルチアーノたちはライトひとつの暗闇で息を詰めていた。咳が出そうになると、また落ち着かず耐えられなくなる度に中央でアッバースが握ったミネラルウォーターに代わる代わる手を伸ばした。

「ヴィノードの声は広間の時計近くの点検口から上がったところで最初にイジャイが声を聞き取ったんだ」
 だが彼はベジタリアンですぐラジューたちと同行動となる。その後上がったスディープが途切れ途切れの声を聞きこちらの意を伝達した。通った配管を声が伝ったと警察官から聞いたが、
「俺とルチアーノには聞こえなかったくらいキリギリだったんだ。声が下に漏れても困るからわざと音を立てて椅子を動かしたり、イジャイにラップ歌ってもらったりってカバーしてな」
「本当に助かった。あのスティーブンが出られなかったんだ、おれじゃもう駄目じゃねえかって何度も思った」
 ヴィノードはしんみりする。

 ルチアーノたち同室者は知っている。
 スティーブンが姿を消した時、アッバースは男子棟や中央棟でも火葬室横の点検口より上がって様子を探ったが広間からは上がらなかった。当時はまだ人が多く目につくことは出来なかったのだがアッバースは、
『もしあの時広間から上がっていたらスティーブンは助けられたかもしれない』
 ずっとその責を自らに課している。
(……)


 最後にヴィノードが一騒動起こした。
「マダム! たってのお願いがあります! 俺を投げ飛ばしてくださいっ」
「!」
「はあっ?」
「何言って……」
 あ然とする回りに構わず、
「わたくしはマダムのあの素晴らしい投げが忘れられません!」
 やたら折目正しく背を伸ばして訴える。
「ラジューなんかにゃもったいないです。ぜひわたくしにもあの至高の投げをー」
 ラクシュミはすぐ切り捨てたがヴィノードは喰い下がりラジューを制圧した投げの美しさや力強さをどこの詩人かと恥ずかしくなる美文で讃え始めた。


「先生にやたらなつきだしたのって、マリアのことで思いっきり叱られてからだったよね」
「そういう趣味?」
 シャキーラとアディティがささやき合う。
「M?」
 スディープが呟きレストランの駐車場にうわあっというダレた空気が広がった。
「いいんじゃない。逆ならともかく」
 呆れかえりを隠さずアディティが投げる。
「女をいたぶらないと気が済まないとかならともかく、逆なら。こちら女性に迷惑はかからない」
「なるほど」
 感心する。と、
「ルチアーノは今どこにいるの?」
 卒業して寮を出た自分が、ということだろう。
「友だちのところ渡り歩いてて実は今、こいつのところ」
 指せばアッバースはにこにこと頷く。
「明日ムンバイに発って修道会の施設ーお年寄りの施設に新学期まで住み込みのボランティアに入る」
 住むところと食べるものには困らない。
「ボランティアじゃお金入らないよね」
 スディープは心配を声に滲ませた。少々面倒臭い。
「施設を卒業する時にちょっとだけど独立支度金が出るんだ。学院からの『見舞金』もとってあるし」
 校外学習中の事件だから学院には責任が問われた。
 まず一律の見舞金が配られ、後は保護者と弁護士で示談したり裁判になったりしたようだがルチアーノにはそれだけだ。
「見舞金は大した額じゃなかったぞ。店のペンキ塗り替えて棚を丸ごと新しくしたらそれで終わりだ」
「アッバース、自分へのお金なのにお店に使われちゃったの?」
 シャキーラが問えば、
「うちは店と家が同じ建物だ。それに俺が継ぐんだから俺のためだ」
 と反論する。

 施設を卒業する時には、規定の支度金の他に職員が持ち寄る私的な祝金も贈られる。ルチアーノに対しては異例の高額だった。リアル人狼ゲーム事件の被害者だからだろう。
 それらで新学期最初の教科書などの出費や万一の貯えにはなる。

『成人した君には選択することが出来るー』

 施設長の重い声が蘇り胸に強い痛みが走ったのを振り払う。
「ヴィノード執念だね」
 しつこいヴィノードにとうとうイジャイの父親の巡査部長が、
「あまりマダムに失礼なことを言い続けると公務執行妨害を取るぞ」
 と脅し出した。
「真面目な話をしましょうか」
 カツン、と靴音を響かせてラクシュミが一歩進み出た。
「あれは君が思っているような警官の訓練でのものではなくて、前からやっていた古典舞踊の前段階で習った武術にすぎない。だから実戦用には洗練されていなくて君のように身長も体重も勝る人間を投げるのはかなり体に負担がかかる。……警察に入る前に私は肩と腕を痛めた。前の『ゲーム』から逃げる時に彼らが雇った男に襲撃されて」
 はっと場が静まりかえる。
 そうだった。この人たちはリアル人狼ゲームの「会場」から力づくで脱出したのだ。

「撃たれたと聞きましたが」
 アディティが小さく尋ねる。
「掠っただけでそちらは残っていない」
 鷹揚に返すと、
「後遺症があるのは大力で腕を強く捻じられたから。もう少し酷かったら警察官にはなれなかったでしょう。……この仕事に就く以上制圧出来る力を保つ必要がある。あの時は任務だから使ったけれど、無駄に披露して仕事に差し障りが出るなんて冗談じゃない。同じゲームのサバイバーに古武術師範がいるからもしアメリカに行く時は言いなさい。彼に紹介する」
「男じゃ意味ないですし……」
 項垂れていたにも関わらず言い放ったヴィノードにイジャイの父とラクシュミからさらに説教が雨のように降り注いだ。
 情けない顔のヴィノード、宥めるイジャイ、呆れ顔で囲む元クラスメートひとりひとりを眺めこれでもう彼らと会うことはないだろうとルチアーノは思った。

(アッバース以外は、かな)
 ナラヤンの言う通り彼は押しが強い。進学先が決まった時、
『近くてよかった!』
 と言われたが同じマハーラーシュトラ州内とはいえ電車で数時間、飛行機1時間の距離を自分なら「近い」とは表現しない。
 彼とはしばらくは付き合いが続くかもしれない。



〈注〉
・ディワリ 秋に行われる光の祝祭
・プラバース テルグ語映画での大スター。『バーフバリ』のヒットで全インドから世界的なスターとなる。
・グリークゴッド ボリウッドの大スター、リティク・ローシャンのこと。有数の整った顔立ちと鍛え上げた肉体によりGreek  Godとの呼び名がある。(彫刻のようだということだろう)
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