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第7章 旅立ち

7ー7 故郷

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 隠れた「武士」が守っていたのか。
 または人狼に襲われない「象」だったのか。

 それはラジューか。5号室の他の住人ヴィノードまたはスレーシュか。
 ふたりで話しても何も解決はしなかった。
 モニターに表示が出たにも関わらずまだカードキーの故障ではと疑いナイナを女子棟に送るついでに10号室へ寄ろうかと指差すと、首を振った激しい拒絶にあった。
 翌日のナイナの説明によればアディティはドアを開けて外の様子を窺ったことがある。姿を見られる可能性のある行動はしたくなかったとのことだ。
 ナイナを送り届けた後ひとり10号室を開錠しようと試みたがランプは赤いままだった。


『ぼくの中には「殺せ、殺せ」との言葉が大きく渦巻いていた。
 初日や2日目だったら殺さなくて済むと安心しただろう。4日目のぼくはもうそうではなかった。悪しき性向ヴァーサナーに絡め取られていることに自分では気づいてもいなかった』


「そういやルチアーノは『ラジュー』の家に行ったんだよな」
 アッバースが振ると学院残留組以外から驚きの声が上がった。
「うん。ご家族から招待されたんだ」


 更生施設からラジューが親に手紙で依頼した。
『仕事の立場では相容れなかったのですが、ルチアーノさんはいい人で、僕にも優しかったです。帰る時にぜひ一緒にと誘ったのですが』
 当分帰れそうもないので、自分が戻ったら出すのと同じ食事でもてなしてもらいたい。施設育ちで「お母さんのご飯」を知らないとのことなのでお願いします、と。


「率直に言って地獄だった」
 正直に吐く。
「ラジュー、って本当の名前じゃないけどとりあえずそう呼ぶね。ご家族はとても親切だったよ。ただ寄ってたかって泣いて謝られても困るだろ?」

 
 警察から施設を通して話が来て応じるとケララ州までの航空券が手配されてきた。
 ルチアーノは初めてウッタル・プラデーシュ州の外に出た。
 飛行機に乗るのも初めてだった。コーチンの空港から電車とボートを乗り継いで目的の村に着く。乾いたラクナウから旅したルチアーノには水の豊かさが印象的に映った。
 青々とした田んぼが延々と続く中に椰子の木が並ぶ道が縦に走る。
 ラジューが言った通りの広々とした農村の風景がそこにはあった。

 監視のため家の中には地元の警官がひとり仁王立ちしており、両親は、
『うちの子がとんでもないことを』
 と滂沱の涙で謝りルチアーノはいたたまれなかった。
 片言のヒンディー語で昼食を勧めてきた母親に、
『どの順番で食べるとかこれとこれは混ぜないとか決まりはありますか』
 うっかり聞いてしまって母親は号泣し出した。
『ご存知のように私は施設育ちです。「家庭」についてはよく知りませんので、友人の家でわからないことがあれば失礼がないようにいつも尋ねることにしています。ご無礼がありましたら申し訳ありません』
 ここからルチアーノと父親の謝罪合戦となった。
 息子が帰ってきた時にと作っても、実際には食べ方も知らない遠方から訪問してきた他人だ。子の不在を強く感じてしまったのだろうと父親が英語で済まなそうに説明する。逃げるように去った母親に代わり兄嫁が英語で料理を説明しサーブしてくれた。兄と同じ大学に在学していたが事件以降休学しているという。

 南部の料理を食べるのも初めてだった。
 本とネットで予習しておいたにも関わらずケララの料理は見た目からの想像と味が違って戸惑ったが、慣れると美味しさを感じられるようになった。
『家で取れた野菜を料理上手のお母様が調理するから美味しいと言っていました。それがよくわかりました』
 彼が戻ってきた時にはお礼と共に伝えてくれと兄夫婦に告げる。
 散々なことをしてくれた首謀者側の彼だがこのもてなしには礼をすべきだ。
 お母さんの特別な料理、には泣くほどの思いがこもっていると忘れられない味と共にルチアーノは学んだ。

 
「俺だって偏見があった。ラジューの家はかなり豊かな感じだったよ」


 家が大きいのは農村ならではかもしれないが、中もラクナウの電気店のショーウインドー以上に最新の家電が揃っていた。
 兄ふたりと話して意外だったのは小学校では本当に成績が良くなかったことだ。少し成績が悪いだけで進学を諦めさせられたと思い込んでいたが、本人の希望と能力があれば末っ子でも高校どころか大学進学すら可能なようだった。
 逆に彼らは、弟がヒンディー語でルチアーノたちと普通に会話したというのが信じられなかったようだ。
 体を動かすのが好きな元気で気のいい弟という認識で、だからこそ国中で報道される大事件の加害者側であったことに戸惑い苦しんでいるのが伝わってきた。
 村に教会があると聞いたので行ってみたいー申し出たのは本当に「マリア」と似た聖母像があるのかとの興味だけだったがルチアーノが祈りたいのだと思われたらしい。門の向こうには両手を開いた白い聖母像があったがあの場で死んだマリアとは全く似つかない容貌だった。ラジューが彼女を利用しただけなのがよくわかる気がした。
 神父と話すことが出来たのには救われた。まだ人生の残酷さを知らない時期だったから。



「彼ももう出所しているのよね」
 アディティが見回して聞く。
「だね。ご家族はあの後村から引き上げてどこかへ越したって」
 未成年のラジューは写真や本名が報道されていない。知らない場所でひっそりと新しい人生を歩んでいるのだろうか。お母さんが泣きながらケララのご飯を作る時美味しい野菜は手に入るのか。
 取り調べの最後まで全く反省の様子を見せなかったと報道された彼に思いを馳せた。



 5日目、ナラヤンはさらに追い込まれた。
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