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第6章 狼はすぐそこに(6日目)

6ー25 矜持

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 ラクナウに出発する前、ムンバイ警察からの引率者となる警部にふたり揃って釘を刺された。
『感情的な暴走は許さない』
 高校生たちの無事の解放が第一だ、だとの言葉をクリシュナンとラクシュミは神妙に拝聴した。

 だがその警部も含め、今回の合同捜査ーという名の押し込み強盗だとラクナウ警察側からは言われたー十数人のうち半数は三年前の「リアル人狼ゲーム事件」捜査員だ。
 その他は気骨のある若手、実力派のベテランなど背中を預けるに足る捜査員を警部とクリシュナンで選んだ。子のない夫婦や病気の親を養っている者は除いた。
 最悪命に関わり、上層部に睨まれ出世の道は消えるかクビの可能性もある。クリシュナンも家を出る時胸の内で妻と子どもたちに別れを告げた。
 覚悟のある人間だけがここUP州ウッタル・プラデーシュに来ている。

 どの仕事もそうだろうが理想の業務ばかりではない。
 市民を警棒で叩き伏せながらクリシュナンは時々気持ちのどこかが揺らぐ。
 三年前、未来ある多くの若者が咎なく巻き込まれた事件に正義は下されなかった。今度こそ高校生たちを助ける!
 市民の安全を守り、社会の秩序と安寧を守る警察官として誇りある仕事を成し遂げたい。
 

 ラクナウ警察での会議には警部のみ出席した。公用車使用も彼の一台だけだ。
 誘拐から6日目の本日夕方。逃亡してきた生徒2人を州内で保護したとの一報を警部はすぐ宿で控えていたクリシュナンたちへ電話で知らせた。
『先行して動け。ただし現地突入はラクナウ側の許可を待て。これは建前ではない』
 内部で今現在生徒に危機が迫っている場合はその限りではないー

『言われなかったら、どういう言葉で現地急行を説得しようか悩むところだった』
 ラクシュミ警部補のセリフだ。
 クリシュナンたちはムンバイから分散乗車してきた自家用車を連ねラクナウを出発した。これも自由に動くための工夫だった。
 
 ラクシュミは10時半までに現地へと強く主張した。
 前と同じならその時刻を過ぎればひとり犠牲が増えるという。
 協力者として同行してくれた友人、元ムンバイ勤務のラクナウ警察官に寄れば現地までは数時間、タイムリミットまで余裕はない。
 9時過ぎに最寄り村の警察署に飛び込み、女子生徒の供述から監禁の舞台が某エンジニア組合が放置した研修所だと情報を仕入れ資料をかっさらってまた夜道を走る。

 監視カメラの存在もラクシュミが警告した。
 10時半に間に合わなかったのは、まず敷地の至る所にある監視カメラを無力化して進んだことと、敷地内の車道に空いた穴に車がはまったのが第一。屋根へ上がり2階の窓から侵入したのはちょうど全館の監視モニターがある部屋だった。ところが降りた先は図面にない改装でふさがれ生徒が集っていると思われる1階へ出られず手間取ったのが第二だ。
 再度外を回りドアから侵入、玄関入ってすぐの広間にいたライフル持ちの自称警備員を捕縛、連れていた男子生徒を保護した。そのスディープという生徒に教えられた方法で2階への隠し扉を開けて固定、会議室から出てくる犯人側と思われる黒コートを捕縛しているうちに中は銃を撃つ撃たないの緊迫状況に陥っていた。
 人を撃ち殺さんばかりの子息に頭が沸騰したラクナウ警察の警官が、技師が整備したばかりの放送設備から怒鳴ったお陰でこちらは至急の突入を強いられた。
(ぼやぼやしていていい状況ではなかった)
 結果は正解だ。

『あの、警部補殿がおふたりですが指揮系統はー』
 ムンバイでの顔合わせで遠慮がちに若手が聞いた。席次通り、
『わたしが現場責任者だ。マダムの頭脳が作戦を立てわたしが実行に落とし込む。疑義はまずこちらに聞いてくれ』
 ラクシュミも頷いた。
 明らかに経験が浅い女性エリートに戸惑っていた彼らも、自分が信頼の姿勢を示せば飲み込んでくる。三年前被害者だった時を知る捜査員はまた別の、娘に対するような心配を抱いたようだが、最早彼女は守られるだけの「ご婦人」ではない。市民を守る司法職員だ。
 
 美しく整えられた奇妙な精神病院でクリシュナンは思いつきに近いことをラクシュミに述べた。
 彼女の経歴ならカーキ色の制服を着るのではなくスーツ勤務の上級警察官にでも、いっそCBIになってもおかしくはない。だが幹部候補生とはいえムンバイ警察で泥にまみれる道をラクシュミは選んだ。

 今回のミッションスクール高校生誘拐事件を、三年前ムンバイで誘拐された若者たちの「リアル人狼ゲーム」事件と類似のものとして捜査するのは「上」からの圧力だと聞いている。警部はムンバイ警察の上層部へ、ラクシュミも一緒に誘拐された州知事側近の息子やその他人脈に頼み込んだ結果らしい。
 クリシュナンにはそこまでの力はない。警察で働いてきて信用に足る同僚、特技や知識のある仲間などを知っているだけの凡人だ。ボリウッド映画なら1シーン取り上げられば恩の字のモブである。


(油断したか)
 銃を取り上げられたならもう武器はないと思ってしまったのか。
 誘拐犯側の指導者と思われる鳥面の男がナイフを振るい、足をやられた若い警官が崩れ落ちるがすぐ立ちあがろうとしている。傷は深くなさそうだ。
 誘拐されていた学校雑役夫で犯人側、との男子生徒の指摘はまだよく咀嚼出来ていない。ラジューという名の、生徒と同年代の少年ということか。
 とラクシュミが自分から鳥面ーを外された男ーに踏み込んだ。



〈注〉
・CBI   Central Bureau of Investigation
 インド中央捜査局。重大事件の捜査などを州の範囲を越えて行う最高機関。
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