70 / 170
第4章 いつまで耐えねばならないのか(4日目)
4ー7 熟考
しおりを挟む
「わたしがラジューのボディーガードだって」
乾燥機から取り出した衣服を畳むラジューのところにマリアがやってきてちょこんと座り込んだ。マラヤラム語での語りかけに思わず手が止まる。
「わたしじゃ頼りない?」
曇りのない笑顔。
「イジャイには言われたよ」
「いえ、女の方は守るものだと思っていますので……」
服から目を離さずに手を動かす。
「もしあなたが誰かに狙われているのだとしても、他の人の目があれば防げるからってアッバースが」
そばについているよう言われたと歌うように語る。
「わたしは狙われているんでしょうか?」
首を振って彼女を見る。とくるりと目を回し、
「あの場所を使うのはラジューだけでしょ」
そこに仕掛けたのだからと説く。
サルワール、サルワール、ドゥパター
これらを着ていた女性たちの姿を思い出しながら手を動かす。これらは7号室ーナイナのいる部屋の住人のものだ。使用人に厳しい彼女がいるなら最新の注意で仕上げる必要がある。
「しゃべっていたら迷惑かな?」
「そんなことはありません」
これくらいは問題ない。
「……手伝えなくてごめんね」
軽くかごの中を覗き込む。
「滅相もないです。わたしは仕事ですので」
「ルチアーノはやってたじゃない」
「かなりやっていただいてしまってー」
違うの! とマリアは手を横に振った。
「ラジューを責めてるんじゃないの。……これ、内緒にしてくれる」
「はい」
何か話したいようだ。
「今朝ね、ノンベジの台所にはアディティとルチアーノとアッバースしか入らなかった。わたしもだけど、皆スティーブンのことがショックで動けなかった」
「仕方がないことだと思います。お三方は凄いですね」
「そうなの!」
マリアは自分が褒められたかのように喜ぶ。
「でもね、ヴィノードは手を付けずにレトルトを温めてくれって言ってた」
「……」
「わたしはこちらの料理が作れないからお芋の皮を剥いたりカトリを配ったりしか出来ないけど……止めた方がいいのかなって」
身を乗り出してこちらを見た。
「ラジューは、もしわたしがベジだったらお料理食べてくれる?」
「……勿体な過ぎるので」
マリアは悲しそうな顔をした。失敗だ。
「でももしマリア様に失礼でない存在に生まれ変われたなら、その時にはぜひいただきたいと思います」
マリアが微笑むと片頬に控えめなエクボが凹んだ。目からはまだ哀しさが去らない。何を言ってあげればいいのだろう。
「ラジューは大丈夫だよ。寮でもチャイを配っているんでしょ」
「はい」
村の寺院で僧侶を務めるのはラジューの大叔父の家だ。そういうことだろう。ルチアーノとアッバースは異教徒、アディティはヒンドゥーだがヴィノードが食べる料理を作るにはふさわしくない、と判断されたと言うことか。
どう反応していいのかわからない。
「わたしが触れたら着たくない人もいるかもしれないから。ごめんね」
(……)
「ご飯食べたいですね」
笑い含みで話題を変える。マリアはくくと肩を揺らした。
「ほんと。ご飯食べたい。ごめんねナイナの説得失敗して」
「それは、そういうものですので。ノンベジの方では食べられそうですか?」
「あるとしたらビリヤニだけど手間かかるからなあ」
上を仰いでため息を吐き、
「朝はイドゥリ! トーレンもサンバルもラッサムも」
「もう長く食べてないです」
「学校のそばにケララ料理屋さんあるよ」
「仕事が詰まっていますので。時間がないんですよ」
学校の給金では外食もままならない。
「……ここから解放されたら一度家に帰りたいです。今は、いなくなったって心配をかけてしまっていると思います。無事に戻りましたって顔を見せて、ヤシの木が並ぶ畑の畦道を駆け回って」
田んぼの向こうの山々の陰に濃いオレンジに染まった太陽が沈むのを見届け、
「母のサンバルを食べたいです。……マリア様もお母様のご飯食べたいでしょう?」
「うん。わたしもお母さんのサンバル食べたい!」
共に笑い、見つめ合う。
「マリア様、」
「様付けは止めてって言ったでしょ」
聖母マリアから取った名前だから丁寧に呼ばれ過ぎると聖母と同じになり畏れ多いと言う。
「ラジューだってバガヴァーンって呼ばれたら困るでしょ」
「困ります」
「あ、でもナイナは婚約者のことそう呼んでるって。ご本人に言ってるんじゃなくて」
『私のバガヴァーン』
「ってそれはもう大事そうに呼ぶの」
マリアは頬を染めた。
「ラーダみたいです」
クリシュナ神を一心に思うその姿。
「マリア様、いえマリアさん」
言い直す。
「わたしを疑う方もいらっしゃるんですよね」
「少しだけだよ。気にしなくていいって」
ラジューが使うトイレ側の蛇口にだけ何も仕掛けられていなかった。他の人を誘い込んで罠にかけるためだと主張したのはナイナだそうだ。
今は眠っているダウドは一度目を覚ました時に考え事をしていたとは言ったそうだが、ラジューとの会話までは話していないようだ。だからダウドの方から頼んだのかラジューが誘ったのか他の人たちからはわからない。
「思い出しました」
そのことを伝えるとマリアはまず鳥のように目を丸くし、次に脅えた。
また失敗しただろうか。
「あの場所……。他に使っている人、います」
<注>
・サルワール サルワール・カミーズ 南アジアの女性の民族衣装。上着のサルワール、ボトムのカミーズとショールのドゥパタの三点セット。
・ビリヤニ インドの炊き込みご飯
・ラーダ クリシュナ神の忠実な恋人
※以下、主にインド南部で食べられるメニュー
・イドゥリ 米と豆を挽いた生地で作る白い蒸しパン
・トーレン 野菜とココナツの炒め蒸し
・サンバル 野菜と豆の煮込み
・ラッサム 酸味のあるスープ
乾燥機から取り出した衣服を畳むラジューのところにマリアがやってきてちょこんと座り込んだ。マラヤラム語での語りかけに思わず手が止まる。
「わたしじゃ頼りない?」
曇りのない笑顔。
「イジャイには言われたよ」
「いえ、女の方は守るものだと思っていますので……」
服から目を離さずに手を動かす。
「もしあなたが誰かに狙われているのだとしても、他の人の目があれば防げるからってアッバースが」
そばについているよう言われたと歌うように語る。
「わたしは狙われているんでしょうか?」
首を振って彼女を見る。とくるりと目を回し、
「あの場所を使うのはラジューだけでしょ」
そこに仕掛けたのだからと説く。
サルワール、サルワール、ドゥパター
これらを着ていた女性たちの姿を思い出しながら手を動かす。これらは7号室ーナイナのいる部屋の住人のものだ。使用人に厳しい彼女がいるなら最新の注意で仕上げる必要がある。
「しゃべっていたら迷惑かな?」
「そんなことはありません」
これくらいは問題ない。
「……手伝えなくてごめんね」
軽くかごの中を覗き込む。
「滅相もないです。わたしは仕事ですので」
「ルチアーノはやってたじゃない」
「かなりやっていただいてしまってー」
違うの! とマリアは手を横に振った。
「ラジューを責めてるんじゃないの。……これ、内緒にしてくれる」
「はい」
何か話したいようだ。
「今朝ね、ノンベジの台所にはアディティとルチアーノとアッバースしか入らなかった。わたしもだけど、皆スティーブンのことがショックで動けなかった」
「仕方がないことだと思います。お三方は凄いですね」
「そうなの!」
マリアは自分が褒められたかのように喜ぶ。
「でもね、ヴィノードは手を付けずにレトルトを温めてくれって言ってた」
「……」
「わたしはこちらの料理が作れないからお芋の皮を剥いたりカトリを配ったりしか出来ないけど……止めた方がいいのかなって」
身を乗り出してこちらを見た。
「ラジューは、もしわたしがベジだったらお料理食べてくれる?」
「……勿体な過ぎるので」
マリアは悲しそうな顔をした。失敗だ。
「でももしマリア様に失礼でない存在に生まれ変われたなら、その時にはぜひいただきたいと思います」
マリアが微笑むと片頬に控えめなエクボが凹んだ。目からはまだ哀しさが去らない。何を言ってあげればいいのだろう。
「ラジューは大丈夫だよ。寮でもチャイを配っているんでしょ」
「はい」
村の寺院で僧侶を務めるのはラジューの大叔父の家だ。そういうことだろう。ルチアーノとアッバースは異教徒、アディティはヒンドゥーだがヴィノードが食べる料理を作るにはふさわしくない、と判断されたと言うことか。
どう反応していいのかわからない。
「わたしが触れたら着たくない人もいるかもしれないから。ごめんね」
(……)
「ご飯食べたいですね」
笑い含みで話題を変える。マリアはくくと肩を揺らした。
「ほんと。ご飯食べたい。ごめんねナイナの説得失敗して」
「それは、そういうものですので。ノンベジの方では食べられそうですか?」
「あるとしたらビリヤニだけど手間かかるからなあ」
上を仰いでため息を吐き、
「朝はイドゥリ! トーレンもサンバルもラッサムも」
「もう長く食べてないです」
「学校のそばにケララ料理屋さんあるよ」
「仕事が詰まっていますので。時間がないんですよ」
学校の給金では外食もままならない。
「……ここから解放されたら一度家に帰りたいです。今は、いなくなったって心配をかけてしまっていると思います。無事に戻りましたって顔を見せて、ヤシの木が並ぶ畑の畦道を駆け回って」
田んぼの向こうの山々の陰に濃いオレンジに染まった太陽が沈むのを見届け、
「母のサンバルを食べたいです。……マリア様もお母様のご飯食べたいでしょう?」
「うん。わたしもお母さんのサンバル食べたい!」
共に笑い、見つめ合う。
「マリア様、」
「様付けは止めてって言ったでしょ」
聖母マリアから取った名前だから丁寧に呼ばれ過ぎると聖母と同じになり畏れ多いと言う。
「ラジューだってバガヴァーンって呼ばれたら困るでしょ」
「困ります」
「あ、でもナイナは婚約者のことそう呼んでるって。ご本人に言ってるんじゃなくて」
『私のバガヴァーン』
「ってそれはもう大事そうに呼ぶの」
マリアは頬を染めた。
「ラーダみたいです」
クリシュナ神を一心に思うその姿。
「マリア様、いえマリアさん」
言い直す。
「わたしを疑う方もいらっしゃるんですよね」
「少しだけだよ。気にしなくていいって」
ラジューが使うトイレ側の蛇口にだけ何も仕掛けられていなかった。他の人を誘い込んで罠にかけるためだと主張したのはナイナだそうだ。
今は眠っているダウドは一度目を覚ました時に考え事をしていたとは言ったそうだが、ラジューとの会話までは話していないようだ。だからダウドの方から頼んだのかラジューが誘ったのか他の人たちからはわからない。
「思い出しました」
そのことを伝えるとマリアはまず鳥のように目を丸くし、次に脅えた。
また失敗しただろうか。
「あの場所……。他に使っている人、います」
<注>
・サルワール サルワール・カミーズ 南アジアの女性の民族衣装。上着のサルワール、ボトムのカミーズとショールのドゥパタの三点セット。
・ビリヤニ インドの炊き込みご飯
・ラーダ クリシュナ神の忠実な恋人
※以下、主にインド南部で食べられるメニュー
・イドゥリ 米と豆を挽いた生地で作る白い蒸しパン
・トーレン 野菜とココナツの炒め蒸し
・サンバル 野菜と豆の煮込み
・ラッサム 酸味のあるスープ
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
眼異探偵
知人さん
ミステリー
両目で色が違うオッドアイの名探偵が
眼に備わっている特殊な能力を使って
親友を救うために難事件を
解決していく物語。
だが、1番の難事件である助手の謎を
解決しようとするが、助手の運命は...
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
怪物どもが蠢く島
湖城マコト
ホラー
大学生の綿上黎一は謎の組織に拉致され、絶海の孤島でのデスゲームに参加させられる。
クリア条件は至ってシンプル。この島で二十四時間生き残ることのみ。しかしこの島には、組織が放った大量のゾンビが蠢いていた。
黎一ら十七名の参加者は果たして、このデスゲームをクリアすることが出来るのか?
次第に明らかになっていく参加者達の秘密。この島で蠢く怪物は、決してゾンビだけではない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる