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第10章 ムンバイへの道(新7日目)

10ー3 サラーム(新7日目)

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 何ということもなかった。
 子どもと女の人のお守りかよ! と気が滅入ったが助手席がトラウマになったアンビカはイムラーンと共に荷台に回り、スンダルはひとり軽トラの座席を謳歌することとなった。
 荷台にはまだ使える道具が残っている。自分が一番スムーズに使えるが、イムラーンには説明済みで女性でも人手はあった方がいい。
 今のところ襲撃もなく万事上手くいっている。

 ひとりで逃げ出してきたらこうはいかなかった。自分の甘さは認めざるを得ない。
 銃器でも道具でも運転しながらの反撃は難しい。
 走行中の風を受けながらの運転でも汗が流れる。水をかついで歩くのはかなりきついだろう。昼間はましてだ。
 火傷のことでのマーダヴァンの指摘もその通りだと思う。学生の自分はまだ社会の厳しさを知らない。
 もっとも、彼は遠慮したようだが先ほど自分でやってみたところシャツは剥がれた。素肌に水を流してみたが他の箇所と同じ水ぶくれでそこまで酷くはない。
 火がついた部分はわずかでも炎が高くあがり視界全面が火で覆われたことで大慌てしたというだけだった。
 あの時、死を意識した。

 ーああやっぱり、と思った。

 打ち据えられた記憶が自分は敗残者だ、その程度のものだと納得させてくる。
 ぞっとするほどの考え違いや足りなさに気付けばまた、
『ほら見ろ』『お前は全くなっていない』
 親の声が自分を叱る。
(冗談じゃねえよ!)
 生き延びる。それが自分を叩きのめした奴らへの復讐だ。

 とはいえ「機械屋稼業」の方では誤りというほどのものはなかった気がする。
 奴らのファイヤーウォールを破って積極的に情報を取り攪乱まで出来れば最高だったが、監視カメラから隠れることに命がかかる状況下、チャレンジしない判断こそが正解だったと自負している。
 チャットは「ゲーム」崩壊まで連中に見つからず、綱渡りだった首輪の無効化も発動した。火傷は負ったが「キャサリン」自体は見事な攻撃力を発揮している。
 人間とは違いメカは裏切らない。
(可愛い奴らだぜ♡)



 アンビカは荷台の一番奥で身を縮めていた。
 イムラーンが前と横に木箱を二段ずつ並べ隠れるように言ってくれたが気休めだ。合流した時と比べてかなり減った箱や荷物では完全に姿を隠すことは出来ない。それに銃弾は木箱を貫通する。軽トラ前方にいくつも穴を開けるほどの威力だ。
 思えば恐くなるが、
(私がこちらを選んだんだもの)


 ロハンたちと逃げ込む予定の警察署が近づくにつれて青くなった。
(小さすぎる!)
 この町の規模は、結婚前に義祖母への挨拶に行った「村」とそう変わらない気がする。昼間なら視界が効いて意外と広いのかもしれないがそれでも中心街がこの程度などあり得ない。

『恐い』

 嘘ではなかった。
 車から降りることではなく、あの町に自分の命をかけることを躊躇した。

 レイチェルやプラサットの身も考えたならこれは伝えるべきだった。
 だがまた揉めて時間を取るのも無理だった。疲れ切り、待つ気力すら尽きた。
 何よりも、スンダルとロハンは銃を向け合っている。
 再度となった場合彼らを抑え説得する自信はアンビカにはなかった。
(ラクシュミだったら出来たかも)
 思い付き自己嫌悪に陥る。

(ごめんね。レイチェル、プラサット)
 心は伸びきったゴムのようになってしまった。今は誰にも優しくなれない。
 もし死ぬのならどこかわからない小さな町ではなくて少しでもムンバイの、家族の近くで死にたい。国道で死んだなら亡骸くらいは家に帰してもらえるだろうか。
 自宅の祭壇に並ぶ神々を思い浮かべる。
(ごめんなさい。今はお祈りすら出来ません)


 イムラーンはやり切れなかった。
(なんでこんなにバラバラになってしまったんだろう)
 アンビカには奥で休んでもらい、荷台後方に座りライフルを脇で構え左、右とゆっくり警戒する。

 どう考えても人数がまとまっている方が有利だ。
 水や武器は分け合え、車が複数台あれば一方が駄目になってももう片方が使える。
 学校の催しで収拾が付かないほど多くの意見が出てぶつかることもあったが、最後には何とかまとまった。ディベート大会の実行委員をやった時、と一緒に準備したクラスメートの顔を思い出した。
『また明日な』
 と別れた友人たちに会いたい衝動が猛烈に突き上げる。

(ここは学校とは違う)
 立場が違う人たちの集まりだ。
 自分のような学生と大人の人たち。
 何不自由なく暮らしている普通の人の自分と、二千万ルピーに「程度」を付けて話せるロハンのような金持ち。働きながら学校に行っていたセファや、織物工場勤めのラディカ、住み込みメイドのアイシャ。タミル・ボーイと呼ばれたシヴァムも同世代だがもう働いていた。彼らは生活が厳しい家の人たちだろう。
 名前ではなくただ「タミル・ボーイ」と呼ぶのは失礼だ、とマーダヴァンが主張したのを思い出す。言われるまで自分は気が付かなかった。

 平和サラーム
 人が暮らす中で一番大切なこと。だが、
(これじゃ戦いがなくならない訳だ)
 まとまらなかった理由の二つ目は命がかかっていたからだ。
(正に戦争じゃないか)
 選択肢のどれが正解かはわからない。どのリスクを取るかの自己責任で、
(ラクシュミさんやアビマニュさんはずっとそういう話をしていた気がする)
 それなのに100%自分の思うことを通そうとしたのがロハンだ。
 これこそテロリストの考えじゃないのか。

 インドはいい国だとイムラーンは思う。
 理想とは決して言わないが、問題のない国や社会はない。
 ダルシカが言ったように世界最大の民主主義国家だ。
 意見も色々あって当然なのに、正当な手続を待つことも出来ず100%自分に都合のよい結果を要求する連中がテロリストだ。

 ニュースにはしばしば父と同じ制服の人々の犠牲が流れ、棺に取り縋って悲嘆に暮れる女たちを見ると、自分もいつ父に会えなくなってしまうのか、その時は泣き崩れる母を支え兄弟たちと並ばなくてはならないのかと毎度血の気が引いた。

 皆同じ誘拐の被害者なのにー
(ってクリスティーナお姉さんアッカがよく言っていた)
 ぎゅっと胸が痛む。
 自分は選択を間違った。クリスティーナに票を入れて殺した。
 ウルヴァシが脅しの類いでディヴィアに「占星術師」を名乗らせ、そのディヴィアを「人狼」の仕事で殺して本当の「占星術師」だったクリスティーナを投票で処刑させる。
 誘拐犯一味だったウルヴァシの罠に見事に引っかかってしまった。
(アッラー)
 許しを冀うのも苦しい。
  
 平和サラームのために闘う。
 それがどれほど困難かと思い巡らせば、父が歩んで来た道に圧倒される。
 自分は何も出来ず、この大きな軽トラックに残るのはたった三人。
 通り過ぎる外灯が規則的に荷台の中に光を落としては影になる。
 対向車線からは大きなトラック。こちらに近すぎる気がして少し緊張する。
(大丈夫だ)
 何事もなくデコトラが過ぎると代わりのように後ろからバイクが追い抜きをー
(ん?)
 黒いアーマー?
「て、敵襲!」
 ダダダ!
 ダン!
 撃つ前に荷台横から射撃を受けた。転がって逃げたところでやっと一発。
 相手はー
 ダンダン!
 ドスッ!
(バイク、三台?)
「敵襲です!」
 うとうとしているアンビカの肩を揺すり、木箱を回って出て
 ドン!
 また一発。
(まずい)
 彼らは前方へー
 ドン、ドン!
(スンダルさん?!)
 運転席から銃撃音が?


「荷台っ!」
 窓からライフルを撃ってすぐ左手をハンドルに戻す。
 直線コースで手を離しても大丈夫そうなのでこちらから撃った。反撃の道具はほとんど後方にある。前に回られるのは不利だ。
 ドン!
 二発撃とうとしたところ一発で弾切れになった。
(ちきしょう)
 弾の補充は小用休憩の時に試してはみたが今運転しながら出来るかー
(おっと)
 後方が攻撃を開始したようだ。

 アンビカがマッチを擦り木箱に火を付ける。
 併走を始めたバイクから銃口、そこに向かい木箱、続けて瓶に小分けしたガソリンを投げた。スンダルが自分の失敗を元に人かタイミングを分けるよう伝えていたのだ。
 一瞬マスク向こうの目と目が合った。
 自分は今人を殺しているー
 殺さなきゃ自分たちが死ぬ。スンダルもアンビカも。
 男には当たらなかった。彼は車体を斜めに傾けすり抜けると方向転換をー
 ドスンッ!
 逃げた所に後方からの仲間の一台が衝突し、バイクは双方反対車線へすっ飛ぶ。前方で燃えていた小箱の炎がそこに、
「うわっ」
 爆風に顔を背ける。
(やった!)
 ダダダ!
「っっ!」
 残り一台からの攻撃。
「逃げてくださいっ!」
「って……」
 狭い荷台でも場所を変えることは意味があるはず。
 ドン、ドンドン。
 前からは軽い銃撃音、ピストルの方か。ライフルは?
(そうだ)
 後の仕掛けは敵が後方に来ないと使えない。スンダルの意図に気付きイムラーンは前方に背を付け二回撃ち、転がる暇もなく座ったところでまた二発。
 向こうは続けて三発。
「うっ」
 腕かどこかをかすったか? ラクシュミが言っていたような熱い痛み。
(アンビカさんが無事ならいいけど、っと!)
 車はがくりと路肩に近づく、と
 ダン! ダンダン!
 運転席から今度はライフルで連射され、バイクがわずか後ろに、
「手伝ってください」
 言えばアンビカがゆるりと伏せていた身を起こす。
 カバーを外し、後部ぎりぎりまでふたりで引きずると、
 ドン!
 首を縮めて後部側板の留め金を外し後ろに落とす。
「今っ!」
 ダン! ダン!
 右後方に付いてくるバイクに向かい、こちらのバイクを叩き落とした。
 ハア、ハア……
 逃げ回って息が切れている。だがもう少し。
 敵バイクは頭上を越えて高く跳ね上がりアーマーの男は降り落とされる。反対車線に転がりだがすぐに立ち上がったところに、
 ガシャッ!
 最後のガソリンを小瓶ごと投げつけ、アンビカが横から擦ったマッチを投げ入れると道路にちろちろと炎がー
(あ!)

 アンビカは何も気付かなかった。
 突然重いものが上から押し潰してきて、次に強い衝撃が来て意識を失った。
 気が付くとまだ重く腹や胸が痛い。
「アンビカさん、ご無事ですか」
 上から降る声。なら乗っかっているのはイムラーンなのか。
「うん。大丈夫だから降りて」
 重みが去らない。何をしているのかと腕で押すと彼はごろりと転がった。
「ひぃーーーーーーーッ!」
 悲鳴が声にならなかった。
 右半身を下に横たわったイムラーンの背中には棒のようなものが刺さっていた。
 確か、こういうものは抜いてはいけなかったと思う。出血がひどくなる。
「どこか痛い? イムラーン?」
「背中……とその周り一帯……って思ってたんですけど、今はそうでもなくなったかな。アンビカさんはご無事なんですか」
「うん、ほら……」
 言いかけてはっとした。
 イムラーンの目には直接外灯の光があたっては影になることが繰り返されるがまぶしがる素振りを見せない。
「イムラーン、私のこと見えてる?」
「いえ。真っ暗です……何故だろう…………ああそうか…………」
 彼はうめきの間に二回アンビカは無事かと尋ねた。二度目の時、彼の手を両手で包み少し強く上下に振ってやった。
「ほら! 私は無事だよ。だからイムラーンも頑張って」
 彼は夜の荷台でもわかるほどはっきりと表情を緩めた。
(そんなに私のことが心配だったの?)
 涙ぐむ自分も彼には見えないのだろう。
 次に意味がある言葉を発するまでに少し間が空いた。
「……アンビカさん」
「うん、私は元気。ピンピンしてるよ」
 小さく手を動かしてやる。
「ご飯美味しかったです」
「うん」
「……Amma……」
 おそらく彼の言葉タミル語で「お母さん」と言ってから唇は言葉を発さなくなった。そのまま彼の体が動きを止め、温かさを失っていくのをアンビカは両手の内で感じ続けた。



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