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第3章 カオスへようこそ(3日目)

3ー4 3日目会議

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「まずはタントラの『占い』結果から確認します」
 いつもの硬い話し方でラクシュミが口火を切った。
 今夜の会議への遅刻者は三名。アンビカとレイチェル、プラサット。ただし三分程度だ。「上」もアナウンス程度で収めた。
「ダルシカ、あなたが一番近い」
 との指図で隣の1番座席に手を伸ばしてタオルの下から紙を取り出す。
(……)
 両手で持った紙を透かすように遠ざけ、見つめてからダルシカは言った。
「両方に丸が付いてます……」
 ひっくり返し左から右へと用紙をかざす。遠いクリスティーナの席からは見えなかったが、昨夜の犠牲者が「人狼」か「村人」か、には双方とも丸で囲まれていたと告げられた。
「意味がないってわかった?」
 ここぞと嘲るラクシュミ。
「丸印じゃ筆跡は調べられねえだろうしなあ」
 ラジェーシュが呟く。目を見開く者、落胆隠さない者、そしてアビマニュは深刻な顔で視線を落としている。
「わかったのは、少なくともひとりは嘘を吐く人がいるってこと」
 場の空気に合わせクリスティーナの口調も硬くなる。この後に「議論」することを考えていたのもあるが。
「二人の可能性もある」
「え、何でですか?」
 アビマニュにプラサットが問う。
「実は『タントラ』はもういないか、占ってないと仮定する。で、例えば……『狼』が自分の知っている事実と反対の方に丸を付け、後から『象』が、または『漂泊者』が混乱させるために逆の方に丸を付けた、ってこともあるからね」
 タオルはふわりとかかっていただけで、浮かせて中を盗み見ることはいくらでも出来た。
「『子象』も『人狼』の一人を知っている。事実の方に丸を付けたのは『子象』で、『狼』陣営か他の『象』陣営が逆に印したってのも考えられるしね」
 アビマニュの声もいつもより暗い。
「何が何だかわかりません」
 イムラーンがいらだたし気に首を振り、
「結局、何にもわからないってことだよね」
 スンダルが呟く。その通りだ。
「どう? 『タントラ』さん、出てくる気ある? 少し待つけど」
 ラクシュミは今夜この場の主導権を握る意思を隠さない。カランカラと天井扇風機の回る音が鳴るだけで申し出はなかった。
 タントラはもういないのか。アイシャやセファ、初日に死んだ人たちの中だったのか。今も占いのやり方がわからないのか身を守るために沈黙しているのか。
(責められない。誰も殺されたくない)
 自分も「人狼ゲーム」の知識がなく、この役で掴む情報がどれほど大切か知らなかったなら占い師だと名乗り出た自信はない。

「クリスティーナ。皆知っているみたいだけど一応占いの結果を報告して」
 ラクシュミの求めに応じ彼女が「村人」と出たこと、占った理由は昨日票が集ったこと、「狼」なら手強い相手だからと伝える。
「アビマニュと同じで、この結果はラクシュミが『村人』陣営であることは保証しない』
 他陣営の「村人」か象陣営の可能性もあると付け加える。目を伏せたままイムラーンが何か口を動かしたが発言しようとはしなかった。


「事実関係の確認が終わったところで本日の投票はロハンに集中することを提案します」
 待っていたとばかりにラクシュミが伸ばした腕で指差した。
「だから俺は『狼』じゃねえよおおおっ!!」
 割れんばかりの叫びに、
「そんなことは関係ない」
 冷たい宣告が重なった。


 話は夕方にさかのぼる。
 ラディカの体調はかなり回復し、ドア近くのマットレス上に身を起こしてタブレットのルールブックを見直していた。と突然のノックから間髪を入れずロハンがドアを開いた。
『なあ、取引しないか』
 ドア横にしゃがんで声を潜める。
『「会議」で票が入るの嫌だろ? 恐いだろ?』
 条件を呑んだならラディカには絶対票を入れない。その代わり、


「自分にサービスしろと。『顔』の方で」
 ラクシュミは婉曲に言うと存分な蔑みをこめ、テーブル遠く対角線上のロハンを見た。


 他の女たちに内緒にすればラディカには悪い話ではないとロハンは嘯き、
『「協力」してくれなかったら票が入っちまうかも。俺は弟分の票もまとめられる。つまり二票あるんだぜ?』
 転がって部屋の奥に逃げようとしたラディカの腕をぐいと掴む。
『嫌あ……っ!』
 中に入ろうとする彼女と引き寄せるロハンの争いを目撃し声を上げたのがラクシュミだった。


「あんたは慌てて逃げようとした。ズボンのジッパーの中に『汚らしい物』を仕舞って」
(見てしまったことには思いっきり同情する)
 踵を返したロハンは上がってきた女性たちに行く手をふさがれ、反対に逃げようとするもそちら側の階段からも駆け付けた女たちに取り囲まれて肩を落とした。


 人狼漫画でも似たようなネタを読んだことがあるが本当に、
(男って奴は!)
 いや、女を守ろうとする男たちもたくさんいる。自分も彼らのお陰で無事に過ごしてきた。悪いのはこの、親の威光をひけらかすだけの獣野郎だ。
「私たちは身の安全と貞操を守りたい。なのでロハンに票を入れます。今夜は全員、彼に票を集中して」
「ちょっ、ちょっと待ってくださいよ!」
 アビマニュが身を乗り出した。
「こいつがやろうとしたことは信じられないし、許してはならないと僕も思う。だけど投票は別だ!」
 叫び上げる。
「ロハンが『狼』だとの証拠は何もない。むしろ、卑劣な取引の持ちかけ方からは『人狼』でも役ありの『村人』でもないように僕には思える」
 ロハンはうんうんと頷き、二つの空席を挟んだラディカは深く顔を伏せたままだ。
「ラクシュミさん、僕が作った資料見ましたか?」
 夕食後にアビマニュが共用ノートにまとめたのは現在の状況整理だ。必要なら書き写し、わからないところは聞いてくれと言われていた。自分のノートに写したそれに目を落とす。

<明日(4日目)朝>
●村人 最小7 最大14
●象 最大3 最小0
●狼 最大3 最小2

※村人最小は「聖者」の「祝福」が前提
・3日目会議で「村人」処刑
・夜「狼」は2人襲撃成功
・「村人」→「狼」の変成でひとりマイナス

「昨夜はおそらく『狼』による被害はなかった。だけどそれが『聖者』の『祝福』によるものだった場合、今夜以降の状況はかなり深刻になります。最悪明日の朝には『村人』が四人消える可能性もあるんです!」
 変成で明日には「人狼」と「武士」がそれぞれひとりずつ増える。「村人」カウントはまずここでひとり減る。おまけに「狼」がふたりの襲撃に成功したらー
「無駄な投票をしている暇はありません」
 畳みかける。
「お姉さん、女の人たち。十六人もいるから余裕があるとか思っていませんか? 『人狼』は多くてもふたりだから、同じ人数になんて当分ならないとたかをくくっていませんか?! 違います。あさって以降のシミュレーションを出します」
 とペンを持ってすぐぱっとこちらを向く。
「クリスティーナさん。あなたならわかるはずです」
「日本では『縄の数』って言ってたけど、説明は理解している。だけどアビマニュ」
 途端に彼の表情が陰った。お互い様だと立ち上がる。
「私たちがここで、強制されたゲームとやらに乗っかって動いているのは何のため? 生き残るためだよね」
 時間を取って全員の顔を見渡す。
「『ゲーム』が進むにつれて人数は減っていく」
「それって……」
 アンビカが脅えた表情で口元に手を当てるのに頷く。
「一票はますます重くなる。アビマニュが指摘したように『村人』は危機に追い込まれる。おまけに数以上に『狼』陣営は有利。理由はわかる?」
「……票をまとめられる」
 答えたのはアビマニュだった。
「そう。ラクシュミ?」
「わからない。説明して」
 苛立った様子で返す。彼女が理解していないのなら全員駄目だろう。
「『狼』は夜のうちに顔を合わせている。仲間で相談して票を集めることが出来るんです」
「!」
「……?」
 飲み込んだ者とまだピンと来ない者がいるようだ。
「初日の夜は一票差。昨日は二票。わずかな票の差で結果が決まる。まして後半になれば二票または三票集められることはより大きな武器になる。同じ陣営の『漂泊者』を見つけられればまた一票。最後には誰が『狼』かはわかっていても数で押し切られて『村人』が負けることだってある」
「そう、そうなんですよ。だから今夜ロハンを『処刑』してしまう訳にはいかないんです!」
 アビマニュは力説し、ロハンはびくりと肩をふるわせる。
「私の意見は逆」
 一票二票が生死の分かれ目になる可能性はますます高まり、脅迫はより切迫して響く。
「……」
「こいつの『狼』の可能性については実はアビマニュと同意見。奴は多分『人狼』じゃないと私も思う。こいつの根性なら別の脅し方をしたでしょうからね」
 余計なことをとの顔をラクシュミがするが、可能性を拾い上げるのは必要だと無視する。
「脅しに乗るか乗らないかが問題じゃない。この『ゲーム』とやらを勝ち抜いて普通の生活に戻ったとする。その後のいつか、このクソ野郎に、

『あの時、ああいうことをやったよな』

 と脅迫されたら? だからまたと要求されたら?」
「!」
 書き物の手を止めたアビマニュが虚を突かれた顔をした。
 女たちの表情は硬く沈む。こちらは皆理解している。
「死ぬよりはと涙を飲んだとしても、拒否したにしても、こいつは何でもでっち上げられる」
 2000万ルピーの山分けが実行されるかはともかく幾らかの金銭と力の押しつけでここで起こった事実は隠蔽される。捜査資料などで証明することはまず無理だ。
「この野郎の親のことは多分本当だろう。私たちは誰も州知事閣下の威光にかなう力を持たない。女性のうち一番社会的力を持っているのはラクシュミだと思うけど、それでも無理だって」
 いつまでも立って演説することもないと着席する。
「州知事閣下は無理だわ」
 ラクシュミは両手を広げる。
「ボスに頼めばつてを紹介くらいはしてもらえるかもしれない。だけど閣下に反旗を翻すこととみなされたら直ちに引き戻されて、左遷でしょうね」
「何年経っても、結婚しても、私たちはずっと脅え続けることになる」
 夫を持った身で卑劣な脅迫をかけられるなど想像するだにおぞましい。
「つまり、私たちはこの野郎にずっと『殺される』」
 複雑な表情を浮かべるアビマニュに返す。
「私たちはこの後ずっと生き残るためにそいつを潰しておかなくてはならない。アビマニュ、あなた女性の兄弟はいる?」
「姉がひとり」
 頷く。
「私たちがあなたのお姉さんだったら。妹だったら、お母さんだったらと考えてみて」
 また見渡してから口を閉じた。
「覚えておいて、男の人たち」
 ラクシュミが半眼で宣告する。
「同じようなことをやらかす男が出たら、これからも私たちが総力を持って殺す」


「……本当ごめん。悪かったって。そんなことしねえよ。家に帰れば女くらいいるしー」
「お前は黙ってろって!」
 アビマニュがロハンに言葉を叩き付ける。それから口調を整え、
「『村人』にとって最悪の進行を書きました。今から回します。夕方の『資料』の続きとして見てください。クリスティーナさん、確認して違うところがあったら教えてください」
 頷くと彼は紙を回し始める。
「早ければ五日目の夜には村人敗北でゲームが終わる可能性があります。今はもう三日目の夜、あさっての夜には僕たちが……僕たちの人生が終わらされるかもしれない。そんなこと我慢出来ないだろ?! 男だって女の人だって家に帰りたい! お母さんやお父さん、兄さんや姉さんに会いたい。僕はそうだ。皆さんもそうだろう?」
 眉を寄せアビマニュは珍しく弱い顔を見せた。
「結婚している人たちならお子さんと伴侶に」
 ジョージとアンビカに目を遣る。
「学校で友達と話したり、仕事を持っている方は職場に戻って。そういう日常に戻りたいでしょうが! そのためにはまず『汝は人狼なりや』、このゲームに勝つことが必要なんです!」
 アビマニュの叫びが悲痛に響いた。
(家族の元に、か)
 生き延びるために戦っているのは男性も同じだ。
 今夜ロハンを処刑することは「人狼ゲーム」としての村人の勝利から一回分回り道になる。同意されないのは仕方がない。ひとりふたりは理解してくれるかと思っていたがそれだけだ。

「反省はしてる。もうそんなこと絶対言わねえ。だけど女にはわからないだろうけど、男には本能ってのがあるんだよお!」
(!)
 ロハンは情けない口調だけでも怒りをかき立てる。まして、
「女なしで三日とか俺なかったし……カーマを追求するのはダルマにかなうことだってリシも言ってるだろ?!」
 ラディカは机に突っ伏し、ドゥパタをぐるぐると被って隠れるように首を縮める。
 ラクシュミを始め女たちが既に視線で殺しかかっているのに気付かないのか。温厚なアンビカですら包丁でマトンをチョップするような目でロハンを見ている。
「君は結婚しているのか」
 ジョージが聞けば、
「彼女くらい『いつも』いるよ」
 と嘯く。取っ替え引っ替え遊んでいる訳だ。
「それで学生なら君は『学住期』だ。まだカーマを追求する時期じゃない。きちんと育っているならわかっているだろうが……。『カーマ』が汚れるからカの字も言って欲しくないないな」
 マーダヴァンが言い切る。続いてジョージが、
「……おれも三晩、妻と離れたことはなかった。思うのは、あいつはどんな心細い思いをしているだろう、泣いてないか、少なくとも今おれはこうやってちゃんと生きているから大丈夫だって涙を拭ってやりたい。それだけだ」
 浮いた視線が焦点を戻し、
「……男の本能っていうならこっちもだと、おれは思うが」
 男性唯一の既婚者、ジョージは淡々と述べる。
「てめえの言い分を正当化するものは何もないよ」
 アビマニュの口調もかなり荒くなった。
「女の人たちを守るのは大事なことだ。対策を提案する。ロハンは部屋に閉じ込めて、最低二人が交替で部屋前に貼り付く。……力はありそうだからひとりじゃ不安だからね。食事と投票だけ降りるのを許すがその時も必ず男が付き添う」
 食事はラクシュミのように上に持っていってもいい、と言うと一緒にして欲しくないとでもいうのか彼女は顔をしかめる。
「廊下にも見張りを置いたらどうだ」
 ラジェーシュは提案し、
「三階にいつも男がいるのも落ち着かないかもしれないし、女の人たちが良ければですね。他にも要求があったら何でも言ってください。その代わり今夜ロハンには投票するのはあきらめてください。皆が生きて帰ることがゴール、そこから論理的に考えてほしい」
 アビマニュは言う。
 ようやく手元に紙が回ってきた。

ーーーーー
※村人最小からの敗北最短ルート
<5日目朝> 4日目会議で村人処刑→夜狼が村人殺害
●村人 5
●象 3
●狼 3

5日目会議で村人処刑→夜狼が村人殺害成功すると、
●村人 3
●象 3
●狼 3
「村人」「狼」同数で「狼」勝利だが、「象」がいるので最終勝者は「象陣営」となる
・勝者 象陣営3
・敗者 村人・狼 計6
ーーーーー

「アビマニュ、計算は合っていると思う」
 エクジョットにゆっくりと説明しながら確認した。終わるとふたつ空けた先のジョージに手を延ばす。彼も腕を伸ばし頷いて受け取った。
 全員にメモが回った後にも、多少動揺は見られたものの女たちから投票先を変える声は出なかった。
 アビマニュは急いた様子で指示を出す。
「男の中で誰かに票を集めよう。女性は七人。ロハンに七票入るから七人分……人に回すことはないや、僕に投票してもらえればいい」
(いやそれは……)
「それは止めて! 万一、実際の投票で考えを変える人が出てロハンの票が減ったら、あなたが今夜の『対象』になってしまう。白が……占い結果が出ているあなたがここでいなくなったら洒落にならない」
 村人陣営には彼とラクシュミは貴重な存在だ。
「あなたたちがやっているのも同じことですよ! ロハンは最低野郎だけどかなりの割合で『人狼』じゃない」
「違うでしょ。あなたと私は『占星術師』が掴んだ正確な情報。ロハンは『人狼』じゃないらしいというだけ。私はそもそも、その推論に根拠があると思っていない」
 ラクシュミが斬りアビマニュが唇を噛む。
「今回のことはわたしが悪かったんだ」
(マーダヴァンさん?)
「そんな卑劣なことを考える奴がいるとかまさか思わなくて、皆の前で病人がどこで休んでいるかしゃべってしまった。女の人のことにはもっと配慮してものを話すべきだった」
「あなたは悪くない」
 自分とラクシュミの言葉が重なった。まるで仲良しさんのようだ。
(……)
 先に続けたのはラクシュミだった。
「ここでのルールを考えたら、体調が良くない人間がどこで休むかは想像つくわよ」
 プージャの例もあり、私室に他人が入れないなら、万一を考え助け出せる入口付近に休ませるのは自然だ。
「あなたが言わなくても結果は変わらなかったでしょうね」
(悪かったって言うなら、私たち女だって部屋の前で見張るくらいは出来た)
 考えが足りなかったのは同じだ。
「いいや。本当に申し訳なかった、ラディカ」
 テーブルに付くまで頭を下げる。ドゥパタからこそりと顔を覗かせラディカが首を横に振る。
「クリスティーナさんがおっしゃったようにアビマニュに票を集めるのはまずい。だけど、女の人たちには悪いけどわたしたちも生き残りたい。だから男はわたしに投票してください」
「残りの二票が問題だね」
 スンダルが指摘する。
 同数投票でロハンを救済するつもりなら、九人いる男性のうち二人は別に投票先を決めなくてはならない。
(またノンベジから選ばれるの?)
「それは考えなくていいよ。わたしがロハンに票を入れるから」
 静かに言ったマーダヴァンがロハンに向けた目の激しさに息を飲む。
(ああ)
 彼は本当に、凄まじく怒っている。
「アビマニュが教えてくれたように、ゲームの進行とこれからの皆の生き残りを考えたら、君を今日殺すことは出来ない。だけどわたしは君に票を投じたい。バガヴァーンに恥じることのない投票がしたい」
 狼狽したロハンが目を泳がせる。
「女の人の分と合わせてロハンに八票。わたしを除いた男は八人で票は同数。で合ってるかい?」
 問われたアビマニュがOKを出す。
「だけど、もし誰か考えを変えて票が一票でも変わったら君が選ばれてしまうこともある」
「わかっている。それも含めて、わたしが責任を取る」
 引き結んだ唇から一転、穏やかな笑みでラディカを見た。アビマニュは少し考えた後、
「なら決まりだ。男はこれでいく」
 感情の見えない声で言った。

「なあそれって! 男が一票でも変えたり初日の女みたいに間違ったりしたら、俺もヤバいってこと、か?」
「そうなるな」
 ロハンの訴えにだるくアビマニュが答える。
「そりゃねーよ。なんでそんなことになるんだよ! 俺は本当に『狼』なんかじゃねえ。ただの『村人』だ! なあプラサット、俺、お前にもいい思いしてもらおうと思ったんだけど、テーブル囲んでて手振っても気付かなくてよー」
「オイ!」
「てめえいい加減に!」
「止めなさい」
 ラジェーシュの怒号とアビマニュの叫び、マーダヴァンの制止。そこに、
兄貴バーイ
 プラサットの低い返しが重なった。
「……父ちゃんは、女の人は女神さまだっていつも言ってるんだ。おれが文句言ったり反抗すると、母ちゃんは女神さまの化身だからって怒られた」
 顔を動かすプラサットの視線が一瞬自分にも止まってまた動いていく。
「この間姉ちゃんが嫁に行った。旦那さんに聞いたらやっぱり姉ちゃんも女神さまだって。だからバーイ……女の人をいじめちゃ駄目なんだ」
「どこが神様だよ! 弱くてわーきゃー騒ぐだけなのに……。いえ、そうでない方もいらっしゃいますが……」
 ラクシュミと自分を見て頭を下げたが睨むのすら嫌だ。
『いい加減にしろこの腐れ野郎。タマ抜いて口にぶち込んでやろうか!』
「今の、ふぁっきゅーみたいなこと、ですか?」
「そっちが百倍マシ」
 日本語の罵り言葉をあまり覚えてこなかったのが悔やまれる。なぜこの害虫を今すぐ潰せないのか。年下の女の子たちを確実に守りたい。そのためなら、一応人の皮を被った獣を殺す罪くらい引き受ける。
 怒りが涙となって目の奥を押す。ここで絶対泣いたりしないとこめかみに力を入れた、
 ドオオオオオンンンンン! 
 バシッ、ガラガラ……。
「キャーーーーーッッ!」
「ひゃああっ!」
 大音響。とっさにテーブルの下に体を縮め耳を押さえた。
「どこだ?」
 アビマニュの声。
「見てくる!」
 男性がふたり玄関方面に駆け出すのを、
「駄目っ!」
 制止するが彼らは去り、何人かが続く。
(「上」が止めない?!)
 会議中なのに離席を許すのか?
 空気をかき回すだけの天井扇風機。沈黙する黒いスピーカー。
 テーブルの端を両手で握って下から這い出す。漂ってきた臭いはなんだろう。
(シャンデリアは落ちてない)
 高い天井を見上げる。
 壁の時計は十時二十分を過ぎている。アビマニュが走り出そうとして、
「お前も来い!」
 ロハンを引っ立てる。見張るつもりだろう。彼は彼で考えてくれている。
「ファルハさん来て下さい!」
 戻って来たスンダルが叫んだ。
「建物に大きな穴がー」



<注>
・カーマ 欲望、特に男女の愛情
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 カーマを追求し、子孫を残し、仕事をするのは家長期。
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