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第1章 リアル人狼ゲームへようこそ(1日目)

1ー4 1日目会議

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『本日は初回ですので警告しました。明日からは警告なしで排除するかもしれません。今後、毎晩二十二時には必ず席に着いていてください。「人狼ゲーム」において夜の会議は一番重要なイベントです』
 ゆっくりと空気をかき回す天井扇風機の向こう、黒いスピーカから流れる天上の声も微妙にいらだち交じりと感じられた。
 泣きはらした目で直行した広間の大テーブル、定刻に揃ったのはわずか八名。台所にいたらしいアンビカはじめ半数以上が首輪の脅しでようやく広間に現れた。全員が揃った時、時計の針は十時七分を指していた。
『二十二時三十分から当方の合図で今夜の処刑者を決める投票を行います。有意義な話し合いをしてください』
 ブチッ。
 アナウンスが切れて最初に24番、知事後援者の息子が言った。
「本当なら何も話し合うことなんてなかったのによお。タミルの『狼』を逃がしやがって」
 体格に比例してか声がよく響く。
「元はと言えばあの女が訳したのが悪い。黙ってればわからなかったのに」
 人差し指で差された。
(!)
「クリスティーナさんはこのゲームを良く知っている一人です。日本語もわかる。この状況でゲームについて知識がある人を追い出してどうするの? 冗談じゃない!」
 9番、設計士のファルハが直ぐさまかばった。彼女も用意の服には着替えず赤いサルワール・カミーズのままだ。
「じゃあ誰に投票すりゃいいんだよ。あの女に責任を取らせりゃいいじゃないか」
「ちょっと待ってください。ぼくに提案があります。投票で処刑者を出す必要がない方法です」
 2番が立ち上がった。強い眉が印象的な少年だ。
「ルールの範囲で、処刑も狼役の人も手を下さなくて済む方法を思いついたんです」
(人狼も?)
「その前にいいか?」
 アビマニュが挙手して口を挟んだ。
「話し合いの前に伝えておきたい。時間がないから簡単に言うよ」
 6番、人狼を知っている彼に真剣な目が集中する。
「最初に、人狼のカードゲームでは全員が役のない村人だということ前提で会話するのが普通なんだ。役ありの人も、実際には『狼』や『象』の人も同じ。理由は単純で、それ以外だと知られると色々な意味で危ないから。……タミル・ボーイのことを考えたらわかるだろう?」
(……)
「だから僕たちもそれで会議を進めたい。ゲームが進んだら、『村人』陣営の役持ちは場合によっては役を明かしてもいいかもしれない」
「えー、何でだ?」
「場合によってって、具体的には?」
「例えば夜の会議で自分に処刑の投票が集まりそうだと思った時」
 口を挟んだ。
「役の持つ能力は他の『村人』にも利用価値があるから処刑を避けられる、かもしれない。その代わり、夜には『狼』に噛まれー襲撃されるかもしれないけど」
「ならどうすりゃいいんだ」
「単純じゃないから『場合によって』って言ってるんだよ」
 アビマニュが後を引き取る。
「それから二つ目。えーと、2番の君、」
「シドって呼んでください」
「シド、提案は区切りながら話してくれるかい? 訳が重なると聞き取り難い」
 パンジャーブ語にベンガル語、テルグ語とそれぞれわかる者が訳して伝えているが、席が近いわけでもないので確かに話が聞き取りにくい。人が集まり始めた頃同じ言語の者でまとまり席を変えようとしたが、
『席は最初のままです。移動しないでください!』
 と直ちに声が降ってきた。細かいことこの上ない。

「三つ目で最後。まず自己紹介が必要だと思う。人数いるし時間が限られているから、呼び名と使える言語、特技がある人は付け加えて。例えば看護師の人とか」
 さっと視線を流す。
「最初に僕はアビマニュ。使用言語は英語にヒンディー語、カナダのケベックに住んでいるからフランス語も使える。人狼はカードゲームを友人と遊んでいるけど、僕が知っているのとここのルールはかなり違う。じゃあ時計回りに行こうか。7番の君! 今訳入っているから終わったらしゃべり出して」
 さくさく流す手際が見事だ。
「レイチェル、です。十年生です。話せるのは、マラーティー語とヒンディー語。英語は上手くないので進学するかはわかりません」
 緊張がありありと見える様子で、テーブルに目を落としながらやっと言った。
 通訳が飛び交うのを聞きながら思う。
(タミル語の訳はもう要らないんだ)

 自分を鼓舞して、クリスティーナは彼らひとりひとりを広げたノートに記録した。人狼では誰が誰に投票したかなど事実の確認が大事、とは人狼アプリにはまっていた友人のセリフだ。
 三人ほど回った時、
「お前、何でノート持っている?」
 3番の男に咎められた。鉄工関係の加工職人で名前はラジェーシュ。頬がこけて目の細い、実直な感じの男だ。
「最初に部屋に入った時モニターに出ていた暗証番号で、テーブル下の金庫を開けたら入っていました。開けませんでしたか?」
 一センチほどとかなり厚さがある方眼目のノート三冊とペン三本が小さな金庫に収まっていた。
「おれのところはテープだ。セロハンテープとガムテープの幅や色が違うのが袋に入っていた」
「こちらは実用品じゃなくて化粧品! 棚に並んでいるアメニティーと同じシリーズで美容液やフェイシャル・マスクの類いだったよ」
 あのブランドの高級ラインなら是非使ってみたい! 一瞬考えたが今はそれどころではない。
「俺はクレヨンとスケッチブックで、絵は描けないから困っちまって」
 金庫の中が人によって違うとは意外だった。明日持ち寄ろう、今は紹介を続けてとアビマニュが先を促す。全員に回るとシドがひとつ目の提案を説明た。
「ルールブックには投票同数が二回続けばその日は終了だとあります。ですからー」
 全員が隣に二回投票すればいい。
「同じ人に二回は駄目だって言われたら?」
「それはルールに書いてないです。あの人たちは」
 と上を見て、
「ぼくたちに厳しく守らせる代わりに自分たちもルールを守るように思います」
「見て楽しんでいる金持ち野郎がいるんだろ? だったら、守ったり守らなかったりでぐたぐたになることは望まねえよ」
 ひとりがシドに同意する。
「そうかな。力を持った人ほど都合よくルールを変えるんじゃ?」
 と10番、看護師のマーダヴァン。
「ルールは守るんじゃねえか。多分カケもしているだろうから」
 クリスティーナの左隣、15番が口をはさんだ。雑貨屋の店員サミルだ。
「その方が顧客とやらから多く巻き上げられますものね」
 シドは大きく頷く。俺たちは博打のコマかよと誰かが吐いた。

「投票は左に二回で行きませんか?」
 シドが言うと、
「続けて同じ人は駄目って言われた時のために、最初は左、次は右にしたら?」
 26番、ショートカットの女はインド工科大学の学生、名はマートゥリーが反論した。
「そこまで煩く言うかな?」
「その方法だとややこしくなる気がします。もし上から文句言ってきたらその時の二回目は右に変えて、何もなければ左二回。これが一番簡単じゃないでしょうか」
 同数二回の投票で処刑者を出さずやり過ごすことは、自分とアビマニュも考えていた。ノンベジ食堂でナチュラルスピードのヒンディー語がわかる者も聞いていただろう。
 これをルールブックと音声の説明だけで気付いたシドは素直に凄い。

 クリスティーナの研究対象はバトル文学だ。
 クルクシェートラか壇ノ浦か、大地主の別邸あたりだったと思われるこの豪勢な館はバトルフィールドだ。「人狼ゲーム」の、ではない。
 誘拐した人間を見世物に金儲けをする連中と、自分たち被害者との戦いだ。
 役が付きルールブックを示され、破れば死をもって制裁されると思い知らされる。すると「人狼ゲーム」のプレイヤーとして敵を粉砕すべし! と思い違いしかねない。とりわけ「人狼ゲーム」を知っていた者は、だ。
 クリスティーナは度々自分を戒めた。

 『あなたは殺されれば天界を得、勝利すれば地上を享受するであろう。
  それ故、アルジュナ、立ち上れ。戦う決意をして。』

 ヒンドゥー教徒ではないが祖国が生んだ世界的な名著『バガヴァッド・ギーター』くらいは知っている。クルクシェートラの地で大戦争が始まろうとするまさにその時、勇将アルジュナは膝を着いた。大切な師や親戚がいる敵軍とは戦えない。対してクリシュナが語った内容がこの本だ。
 異教徒の自分が理解するところでは、アルジュナが戦うべきは敵軍ではなくあれは嫌、これはしたくないとより好みする自らのエゴだ。
 今自分たちが戦う相手は『狼』陣営や『象』陣営、『村人』陣営等ではなく、誘拐犯で人殺しの犯罪者連中だ。ゲームに勝つことではない。 

 リアル人狼の映画や漫画でもそこがわからなかった。ほとんどの物語で登場人物は犯罪者と戦う姿勢を取るよりゲームに没頭する。疑問を口にしたところ、
『だって仕方ないじゃない。従わないと殺されちゃうんだよ? インドだと、強盗にナイフ突きつけられても抵抗しなきゃいけないの?』
 と返された。
 そんなことはない。むしろこの国の方がよりヤバい武器が出てくる可能性が高いから、速やかにかつ明確に従順な姿勢を見せないと危険だ。

 『あなたの職務は行為そのものにある』

 「RRR」でのラーマのセリフ元であろう2章47節。
 自分の信仰で考えるなら、神様はひとりひとりを違う人間として造られた。それぞれに出来ること、やれることが必ずある。
 この場にいる人狼ゲームを知る自分には大きな仕事ー「職務」がある。
 と鼻息を荒くして他の人たちからズレていなかっただろうか。
 ホラーもどきの殺戮の連続と人間性崩壊がたまらなく恐くて、集団の流れが悪い方に行かないようにとばかり考えて、訳がわからず不安なひとりひとりに寄り添う姿勢を失っていたかもしれない。
『最初に、人狼のカードゲームでは全員が役のない村人だということを前提にして会話します』
 アビマニュは周知した。天上の声野郎だってむやみに役を明かさないのが「おすすめ」だと警告したではないか。
 何故一番最初にタミル語に訳さなかったのか。役を明かさないことを真っ先にシヴァムに教えなかったのか。
 彼には知る権利があったのに。


 二番目のシドの提案に今度こそクリスティーナは驚愕した。
「ここに居る『人狼』の人にお願いします。どういうやり方になるのかはわからないけど、今日襲撃するのはぼくにしてください。で『武士』の人も、今夜僕を守ってください」
 「武士」の守りで襲撃出来なかったなら「人狼」が殺されることもない。とタブレットでルールブックを確認しながら語った。
「お前が守って欲しいだけじゃねえのか」
 悪口を飛ばすのはお決まりの知事後援者の息子。名はロハン、カレッジの学生だが会社経営者でもあるそうだ。おおかた親が子会社の役員にでもつけたのだろうとクリスティーナは勝手に決めつけた。
「でしたらロハンさんがこの役をやってくれても構いません。ただ、曖昧では困ります。守られる人と襲撃される人は確実に一致しないと」
 ロハンはもごもごと辞退した。

「なら僕が今夜襲撃され、守られるということでいいですね」
「待って!」
 ざっと挙手した。
「『武士』がいない可能性もあるけれど、それでいいの?」
「『配役表』に武士は1人って書いてありますが」
 不思議そうに問いかける。
「最初の三人の中に『武士』役の人がいたかもしれない」
「!」
「シヴァムー11番の彼が『狼』だったのはほぼ確実だと私も思う。例えばその前にもうひとり『狼』がいなくなっていたかもしれない」
「『狼』が三人ともいなくなっている可能性は?」
「それはない。『狼』がいなくなればゲームは終わる」
 素早く切る。
「『象』と『子象』がいなくなって象陣営が崩壊している可能性も、逆に『村人』陣営の中で使える『占星術師』『タントラ』『武士』の全員がまとめて消えている可能性もある」
(さすがにこの確率は低いか)
「シド。あなたは『武士』がいないとしてもその提案が出来る?」
 目が左右上下に大きく泳ぐ。
「余り時間はない。提案を撤回するなら、『狼』役の人のためにも会議の間にはっきりさせた方がいいよ」
「撤回しません!」
 間髪を入れずシドは宣言した。
「もし『武士』がいなくて、『狼』役の人が僕を襲いに来たらーどういう風にするのか今一想像出来ないけどー話し合います。僕らにも『狼』の人にも一番いい方法を探します」
 とにっこり唇をカーブさせ、
「襲撃可能時間はずっと起きているつもりです。タブレットの時計アプリでアラームを使えば目を覚ましていられそうですし」
 シドは明るく笑った。

「君が『狼』で、襲撃される心配がないからそんなこと言えるんじゃないの」
 醒めた言葉を投げたのは12番のラクシュミ。水道関係の会社での事務マネージャー。肩上の髪は自分と違ってしっかりセットされているし、白地に小花が散った国内有名ブランドの上着を着ている彼女には、個室のクローゼットに掛かっている衣装のような服も気に入らないだろう。

「違う! そんな……。僕はただの『村人』ですっ!」
 刺さる視線にシドは顔色を失った。
「『人狼ゲーム』では出来るだけ多くの可能性を考えに入れる必要がある。ラクシュミさんの指摘は必要なことだよ」
 穏やかに伝える。
 シドが「狼」の可能性は自分も少し考えた。都合の良い流れを作っているのかもしれないし、ただいい奴ってだけかもしれない。
「ですが……」
「ただ、『狼』だったら悪い提案だとも思う。夜の間に殺されないにしても、」
(終盤になって自分を守るためにドジを踏んだ『狼』を内輪もめで死なせる話はあったな)
「別に犠牲者が出る。明日の朝その結果が出たら説明がつかないでしょう?」
「話し合いで襲撃を止めることが出来るなら、『狼』たちだけの間で襲撃を止めることも出来るんじゃない?」
 皮肉は効いているがラクシュミは鋭い。
 同数投票と違いこちらの提案は確実性に欠ける。博奕に近い。

「日本のリアル人狼ものから想像するなら、」
 「武士」は夜、タブレットまたは自室モニターの表示に従って守る人を指名する。
 「人狼」が選んだ部屋は解錠されるが、「武士」が守った部屋だけは施錠されたままなのではないか。塗装は新しいものの年季が入っていそうな木の扉にいかにも後付けな電子錠が使われていたのを自室で見ている。
「『狼』同士の策で襲撃を止められるなら私たち皆にとって大成功。襲撃対象の『村人』と『狼』で話して止められるならそれもいい。ルールに従って『武士』が守り『狼』は何事もなく朝を迎えるのも素晴らしい。シドが『村人』でも、もしかしたら『狼』でも今回の提案には関係ないんじゃない?」
 人狼ゲームを知り、リアル人狼の血まみれ描写を見ている身には持てない発想だ。殺しの矢を自分に向けるなど出来ない。
「この提案にのっていいと思う。明日の結果でまた話し合って次の方針を決めればいいよ」
 その明日が自分に来るか、ここにいる誰もに訪れるかはわからないのだけれど。
 シドは呆然としたままただ何度か瞬いた。
「僕もいいと思う。君は勇者だ、凄い。称賛しか出来ないよ」
 アビマニュは席から乗り出した。
(彼はシドが白であることを前提に話した)
 シドーアビマニュのラインだ。これは白か黒か?
 

「シド君の言うことが成功したらその後はどうなるの?」
 27番、十年生のダルシカが聞いた。
「どの役に当たった人もいなくならない。……難点は、ゲームが終わらないことかな」
 アビマニュの答えに、各言語の訳が流れ終わった後も少しの間沈黙した。
「それじゃいつまで経っても解放されない!」
「早めに言っておくけど、長く続いたら食糧が持ちません」
 アンビカが切り出した。
「ノンベジ食堂の話ですが米と豆と塩、冷凍ですがお肉には余裕があります。ですが野菜類はどんどん傷むでしょうし思いの外スパイスが少ないです。ギーとアタにも不安があります。出来合いの食品、MTRやGitsのレトルトに瓶詰めアチャールはかなりの量が保管されているから、そっちを最大限利用して何とか1ヶ月、というところでしょうか」
 と目を細める。
「食料の追加はあるんですか!」
 シドが天上に向かって叫んだが答えはなかった。
「ところでベジの方は?」
「聞かないでください。結構大変だったので」
 振ったアビマニュにシドは苦笑いした。何かもめたのだろう。

「食料だけじゃない。電気と水道は引かれていてガスはプロパンでしょ?」
 設計士のファルハがしゃべりだす。
 台所のコンロ下にはプロパンのガスボンベが設置されていて、前庭の窓からは電柱が見える。
「ってことは町はそこまで遠くないと思う」
 とはいえ歩ける距離ではないだろう。仮に塀を越えて逃げ出したとしても命の保証はない。
「プロパンは交換がなければ約1ヶ月。それ以前に電気や水道は外から好きに止められる。兵糧攻めは簡単に出来ることを忘れないで」
「光熱関係はルールに無い分何をされてもおかしくないってのか……」
 シドが顎に手を当てて唸る。
 照明は無くても何とかなり水も大量のペットボトルでしのげる。だが締め切った建物内で空調を切られたら熱さで簡単に死ねる。
(私たちの首を締め上げる材料はいくらでもあるってか)
 奥歯を噛む。
「彼らは用心深い。自家発電もあるよ。私さっきタミル・ボーイが……ってなった時ブレーカーを探したんだ。少しでも助かる見込みがあるかと思って」
 ファルハは玄関裏の上部、黒い箱に覆われたブレーカーを見つけて即座に切った。
(あの一瞬!)
 短い間に判断しよく行動したと胸が熱くなる。
「電気はすぐ点いたでしょう。あそこで自家発電に切り替わったんだと思う。で、私は警告を受けた。建物の設備をいじるのは破壊とみなしますって」
 肝が冷えたわ、と輪の嵌まった首を傾けて薄く笑う。
「発電装置はおそらく地下、ノンベジ食堂に近い方か、またはベランダ方面に別棟があるかだと思う」
「地下の可能性の方が高いと思うな」
 返した8番のスンダルは機械工学専攻の学生だ。


「僕はカナダ国籍だ。失踪を知ったら親はカナダ大使館を通して探すだろう。カナダは喧嘩するには大きすぎる国だぜ」
 家族を思い出してかアビマニュの視線は少し頼りなげで、クリスティーナの胸は傷む。
「他に外国籍は……君ですか」
 シドが19番、青いブレザーの学生を見る。
「僕はパキスタンですから。駄目でしょうね」
 親戚の出版物が受賞したのを一族集まって祝うため、家族でムンバイに来ていたという。
 隣国パキスタンとは問題山積みでおそらく第一の仮想敵国だ。
「確かにそちらさんとは上手くいっていないが、その分効くんじゃねえか? 学生の行方不明事件も殴る材料にはなる」
 3番のラジェーシュが軽く言う。

「ロハンさんの州知事閣下絡みも何も配慮しないみたいだから。どれだけバックが強いのかわからないわね」
 呟いたのはラクシュミ。
 当のロハンはどうなっても本当知らねえぞと相も変わらず毒づく。
 もしかしたら、彼はこの中で一番普段通りなのではないか。この状況下ではかなり度胸が据わった奴かもしれない。場に協力的でないのは全く厄介だが。

『投票の五分前になりました。皆さん、考えは決まりましたか。投票の五分前ー』
「もう一度説明を繰り返します。全員左隣に入れてください。自分の番号にひとつ足した数字です。間が空いているところは今確認しますね。10番は12番に、21番は24番に、27番は僕、2番に投票お願いします」
 シドは席を手のひらで指しながら具体的に指摘してみせた。21番のラディカへのテルグ語訳はテーブル反対側から9番のファルハが懸命に行っている。
 鼓動は体内に響き手のひらには汗が滲んできた。
(落ち着いて。落ち着いてクリスティーナ。ああ神様)
『二十二時半、投票の時刻になりました。今から一分間の間に今夜処刑したいと思う人の番号を入力してください』



<注>
・マラーティー語 ムンバイを州都とするマハーラーシュトラ州の公用語。
・インド工科大学 とりわけIT関係で著名なレベルの高い国立大学。彼女が通うのはムンバイ校。
・ギー 澄ましバター。日常的に使われる。
・アタ インドの全粒粉。チャパティやパロータの元。
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