上 下
76 / 94

76.

しおりを挟む
 かくして、俺と綾崎先生は以前セッティングされたテーブル席に腰を下ろしていた。
 本番さながらの緊張感を演出できるよう、錦織と五十嵐は部屋の外で待機している。
 真白なテーブルクロスの先には高級ブランド服に身を包んだ綾崎先生がいて、採光に照らされた横顔が婉容な印象を与える。予想はしていたが綾崎先生もこの手のマナーには慣れている、というか慣れ過ぎているようにも見える。一旦一旦の動作が実に美しく、普段の振る舞いからは想像がつかないほど大人びた雰囲気を醸し出していた。
 どうやら、これがプロのスイッチらしい。
 五十嵐の思惑は今となって、至極正しいと言わざるを得ない。
 女性相手で緊張するのは当然と言えるが大人という人生経験を積んだ相手をするのは同級生と相手をするのとは訳が違う。
 まあ、壱琉同様に相手が相手という事もまた確か。おかげさまで開始早々、汗びっしょりだ。
 暫くして、給仕に扮した五十嵐が現れると籠から一つずつバゲットをそれぞれの皿へと乗せていく。俺が給仕に向かって軽い会釈をしたのに対して、綾崎先生は微笑を称えていた。
 続いてナプキンを膝に広げる。
 パンはちぎりながら食べるのが作法であると聞いた。中でもバゲットは硬いパンの部類であるのでパンくずが出やすい。これは注意しなくては。
「…」
 互いに沈黙のままパンを口へと運ぶ。
 ほどなく、食べ終えて気づいた。
 慎重に食べていたつもりではあったがやはりパンくずはそれなりに出てきてしまっている。一方の綾崎先生を一瞥してみると、驚くなかれ、パンくずは一切テーブルに落ちていなかった。
 なん…だと…。この綾崎お嬢、相当なやり手らしい。
 吐息も聞こえない沈黙が再び流れ始めた。
 すると、綾崎先生は仕方ないなぁとばかりに、笑みを含んだ表情のまま瞼を伏せた。すると、ふいに顔を上げて、問いかけるような声音と共に目を見開く。
「夜崎くんに今、足りないもの。何だと思う?」
 その表情は試すような面持ちだ。
「…過度な緊張感とかですかね」
 ポケットからハンカチを取り出しては噴き出る汗を吸収させた。
 視線を逸らしながら冷や汗をかいている俺を見て、綾崎先生は冗談めかして小さく笑う。
「それもそうだけど。うーん、そうね…足りないものは二つあります」
「さっぱり分かりません」
 思考する仕草さえ見せず、端的にそう答えた。
 だって、しょうがないじゃん。綾崎先生の美しい横顔を見るだけで勝手に頬を朱に染めてしまうし、何よりローズのようないい香りに惑わされないよう正気を保つのがやっとなんだもん!
 会話が一瞬途切れた隙に、今度は給仕の錦織がやってきて、スパークリングの葡萄ジュースを注いだ。流石、女スパイ(偏見)。様になり過ぎている。
 綾崎先生は給仕が退室したのを確認すると、続けて話した。
「一つは場の空気感をものにする事」
 綾崎先生はグラスを眼前へと持っていって、ワインレッドのフィルター越しに瞳を覗かせる。その仕草は不思議と見覚えがあるような気がした。
「空気感…ですか」
「そう。食事の席で交渉ごとをするなら、尚更の事ね。慣れれば相手の視線や仕草だけでこちらが優勢か分かるんだから」
 ええ…何それ…スタンド使いかなんかなの?
「もう一つは切り札。つまり、奥の手だよ」
「具体的には?」
「それは夜崎くん自身で考える事だよ。そうじゃないと、奥の手にならないじゃない。最終的には独自の手腕が未来を切り開くんだよ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない

亮亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。 不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。 そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。 帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。 そして邂逅する謎の組織。 萌の物語が始まる。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...