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かくして、俺と綾崎先生は以前セッティングされたテーブル席に腰を下ろしていた。
本番さながらの緊張感を演出できるよう、錦織と五十嵐は部屋の外で待機している。
真白なテーブルクロスの先には高級ブランド服に身を包んだ綾崎先生がいて、採光に照らされた横顔が婉容な印象を与える。予想はしていたが綾崎先生もこの手のマナーには慣れている、というか慣れ過ぎているようにも見える。一旦一旦の動作が実に美しく、普段の振る舞いからは想像がつかないほど大人びた雰囲気を醸し出していた。
どうやら、これがプロのスイッチらしい。
五十嵐の思惑は今となって、至極正しいと言わざるを得ない。
女性相手で緊張するのは当然と言えるが大人という人生経験を積んだ相手をするのは同級生と相手をするのとは訳が違う。
まあ、壱琉同様に相手が相手という事もまた確か。おかげさまで開始早々、汗びっしょりだ。
暫くして、給仕に扮した五十嵐が現れると籠から一つずつバゲットをそれぞれの皿へと乗せていく。俺が給仕に向かって軽い会釈をしたのに対して、綾崎先生は微笑を称えていた。
続いてナプキンを膝に広げる。
パンはちぎりながら食べるのが作法であると聞いた。中でもバゲットは硬いパンの部類であるのでパンくずが出やすい。これは注意しなくては。
「…」
互いに沈黙のままパンを口へと運ぶ。
ほどなく、食べ終えて気づいた。
慎重に食べていたつもりではあったがやはりパンくずはそれなりに出てきてしまっている。一方の綾崎先生を一瞥してみると、驚くなかれ、パンくずは一切テーブルに落ちていなかった。
なん…だと…。この綾崎お嬢、相当なやり手らしい。
吐息も聞こえない沈黙が再び流れ始めた。
すると、綾崎先生は仕方ないなぁとばかりに、笑みを含んだ表情のまま瞼を伏せた。すると、ふいに顔を上げて、問いかけるような声音と共に目を見開く。
「夜崎くんに今、足りないもの。何だと思う?」
その表情は試すような面持ちだ。
「…過度な緊張感とかですかね」
ポケットからハンカチを取り出しては噴き出る汗を吸収させた。
視線を逸らしながら冷や汗をかいている俺を見て、綾崎先生は冗談めかして小さく笑う。
「それもそうだけど。うーん、そうね…足りないものは二つあります」
「さっぱり分かりません」
思考する仕草さえ見せず、端的にそう答えた。
だって、しょうがないじゃん。綾崎先生の美しい横顔を見るだけで勝手に頬を朱に染めてしまうし、何よりローズのようないい香りに惑わされないよう正気を保つのがやっとなんだもん!
会話が一瞬途切れた隙に、今度は給仕の錦織がやってきて、スパークリングの葡萄ジュースを注いだ。流石、女スパイ(偏見)。様になり過ぎている。
綾崎先生は給仕が退室したのを確認すると、続けて話した。
「一つは場の空気感をものにする事」
綾崎先生はグラスを眼前へと持っていって、ワインレッドのフィルター越しに瞳を覗かせる。その仕草は不思議と見覚えがあるような気がした。
「空気感…ですか」
「そう。食事の席で交渉ごとをするなら、尚更の事ね。慣れれば相手の視線や仕草だけでこちらが優勢か分かるんだから」
ええ…何それ…スタンド使いかなんかなの?
「もう一つは切り札。つまり、奥の手だよ」
「具体的には?」
「それは夜崎くん自身で考える事だよ。そうじゃないと、奥の手にならないじゃない。最終的には独自の手腕が未来を切り開くんだよ」
本番さながらの緊張感を演出できるよう、錦織と五十嵐は部屋の外で待機している。
真白なテーブルクロスの先には高級ブランド服に身を包んだ綾崎先生がいて、採光に照らされた横顔が婉容な印象を与える。予想はしていたが綾崎先生もこの手のマナーには慣れている、というか慣れ過ぎているようにも見える。一旦一旦の動作が実に美しく、普段の振る舞いからは想像がつかないほど大人びた雰囲気を醸し出していた。
どうやら、これがプロのスイッチらしい。
五十嵐の思惑は今となって、至極正しいと言わざるを得ない。
女性相手で緊張するのは当然と言えるが大人という人生経験を積んだ相手をするのは同級生と相手をするのとは訳が違う。
まあ、壱琉同様に相手が相手という事もまた確か。おかげさまで開始早々、汗びっしょりだ。
暫くして、給仕に扮した五十嵐が現れると籠から一つずつバゲットをそれぞれの皿へと乗せていく。俺が給仕に向かって軽い会釈をしたのに対して、綾崎先生は微笑を称えていた。
続いてナプキンを膝に広げる。
パンはちぎりながら食べるのが作法であると聞いた。中でもバゲットは硬いパンの部類であるのでパンくずが出やすい。これは注意しなくては。
「…」
互いに沈黙のままパンを口へと運ぶ。
ほどなく、食べ終えて気づいた。
慎重に食べていたつもりではあったがやはりパンくずはそれなりに出てきてしまっている。一方の綾崎先生を一瞥してみると、驚くなかれ、パンくずは一切テーブルに落ちていなかった。
なん…だと…。この綾崎お嬢、相当なやり手らしい。
吐息も聞こえない沈黙が再び流れ始めた。
すると、綾崎先生は仕方ないなぁとばかりに、笑みを含んだ表情のまま瞼を伏せた。すると、ふいに顔を上げて、問いかけるような声音と共に目を見開く。
「夜崎くんに今、足りないもの。何だと思う?」
その表情は試すような面持ちだ。
「…過度な緊張感とかですかね」
ポケットからハンカチを取り出しては噴き出る汗を吸収させた。
視線を逸らしながら冷や汗をかいている俺を見て、綾崎先生は冗談めかして小さく笑う。
「それもそうだけど。うーん、そうね…足りないものは二つあります」
「さっぱり分かりません」
思考する仕草さえ見せず、端的にそう答えた。
だって、しょうがないじゃん。綾崎先生の美しい横顔を見るだけで勝手に頬を朱に染めてしまうし、何よりローズのようないい香りに惑わされないよう正気を保つのがやっとなんだもん!
会話が一瞬途切れた隙に、今度は給仕の錦織がやってきて、スパークリングの葡萄ジュースを注いだ。流石、女スパイ(偏見)。様になり過ぎている。
綾崎先生は給仕が退室したのを確認すると、続けて話した。
「一つは場の空気感をものにする事」
綾崎先生はグラスを眼前へと持っていって、ワインレッドのフィルター越しに瞳を覗かせる。その仕草は不思議と見覚えがあるような気がした。
「空気感…ですか」
「そう。食事の席で交渉ごとをするなら、尚更の事ね。慣れれば相手の視線や仕草だけでこちらが優勢か分かるんだから」
ええ…何それ…スタンド使いかなんかなの?
「もう一つは切り札。つまり、奥の手だよ」
「具体的には?」
「それは夜崎くん自身で考える事だよ。そうじゃないと、奥の手にならないじゃない。最終的には独自の手腕が未来を切り開くんだよ」
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