昔の恋を忘れましょう

ひなた翠

文字の大きさ
上 下
14 / 31
エピソード2 萌

9

しおりを挟む
―陽太side―
 ガツンと鈍い音がして、ガタガタンと盛大な音がした。

 デスクに背中を打ち付けて、書類がハラハラと床に散らばっていくのを俺は、呆然と眺めた。
 自分の身に起きていることなのに、なぜか他人ごとに感じてしまうのはなぜだろう。

「……ってぇ」と俺は、痛みを訴え始めた頬に手をあてた。

 また殴られたし。
 しかもいきなりだし。

 俺の鞄がすこし遠くで、倒れているのが見えた。
 殴られた際に、手から離れて飛んでいったのだろう。

 ああ、頭がクラクラスする。

 視線をあげれば、怒りに震えている五十嵐が仁王立ちしていた。
 肩が大きく揺れているのは、俺を力任せで殴りつけたからだろう。

 すっかり油断していた俺は、背中をデスクに打ち付けるし、尻は床に強打するし、散々だ。

 あんたの愛人の後始末に、五十嵐の会社に来れば……思い切り殴られるって。
 最悪だ。

 五十嵐の愛人と話をしていた。差し替えが必要な書類もあったから、説明をしていたら肩を掴まれて思い切り殴られた。

 キャーという女子社員の叫び声と、「なんだ」という男たちの声が遠くで聞こえる。

「おい、五十嵐。何してんだ」と同僚と思しき男が、さらに殴りかかろうとするのを止めていた。

「よくここに顔が出せたな」とドスのきいた声をだしてきた。
「仕事なんでね」

 あんたとあんたの愛人のミスだろうが!
 外回りの前に書類を届けただけっての。

 俺は立ち上がると、ズボンのすそを払った。

 ああ、掴まれた肩も痛ぇし。
 馬鹿力だな、こいつ。

「五十嵐君、君はまた……武井課長に!?」とバーベキューのときに謝ってきた上司が室内に駆け込んできた。

 誰かが呼んできたのだろう。

 今回は、「酒の席ですから」という理由はきかないな。
 さて、どうしたものか。

 俺はジッと五十嵐に視線を送った。

 荒々しく鼻息を噴射した五十嵐が、「こいつのせいだ。こいつのせいで……」と睨み付けてきた。

「武井課長は何もしてないだろ」と同僚の男が口を開く。
「武井課長は、契約書類の差し替えを持ってきてくださっただけです」
 五十嵐の愛人が、床に散らばった書類をかき集めて、上司の男に書類を手渡した。

「これは?」と上司が問う。
「私が書類の数字を間違えてしまって。そのまま発注をかけてしまったのを、武井課長がすぐに気が付いてくださって。大事にならないように、と処理してくださっていたんです」
 愛人が、腰を折って頭をさげる。

「こちらが迷惑をかけているのに、いきなり殴ったと?」
 上司がじろっと、五十嵐に視線を送る。

「これは……別の問題で」

 五十嵐が言いにくそうに口ごもった。
 だんだんと冷静になってきたのか。それとも周りに味方がいないと焦っているのか。

 どっちにしろ。
 いきなり殴りかかったのは、まわりが見ている。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

蔑ろにされた王妃と見限られた国王

奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています 国王陛下には愛する女性がいた。 彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。 私は、そんな陛下と結婚した。 国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。 でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。 そしてもう一つ。 私も陛下も知らないことがあった。 彼女のことを。彼女の正体を。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

処理中です...