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5 大人になること
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夜、一人でぼんやりと窓を開けて、ベランダに出て空を見ていた。
開けた窓から少し音楽が漏れてたらしい。
隣のベランダ越しに女の人に話しかけられた。
「お隣の真田さん。こんにちは。」
顔を出すと、向こうのベランダで同じように顔を出す人がいた。
廊下で会って挨拶はしたことがある。
入居した時に、お母さんと挨拶にも行ってお菓子を差し出した。
多分引っ越ししてないまま、あの時の人だと思う。
「こんにちは。えっと・・・・・、すみません、名前が。」
「ああ、そうね。『左』と言うんだけど、みんな『ひらり』って呼んでるから『ひらり』って呼んでね。」
にっこりと笑顔で言われた。
「ひらりさん」
サラリとした美人のひらりさん、ぴったり。
「ねえ、ちょっと美味しいおせんべいがあるの。1人だと太るから、もし暇だったらどうかなって思ったんだけど。忙しい?」
「いいえ、今日はバイトもないし。暇でボケッとしてました。」
「そう、じゃあ、どっちがいいかな?」
指で部屋を指された。
「どっちでもいいですよ。」
「じゃあ、そっちに行っていい?」
「はい、どうぞ。」
私はゆっくり玄関に行ってひらりさんを待った。
ちょっと時間がかかったけど、大きな袋を抱えてやってきたひらりさん。
「ありがとう。ごめんね、突然見知らぬ女が上りこんで。」
たくさんのお茶とお菓子を手にしていた。
とりあえずお湯を沸かした。
「実家がね、下町のせんべい屋なの。壊れて売り物にならないものを時々送ってくるの。美味しいからどうぞ。緑茶も持ってきたんだけど。良かったら。あと、いろいろ。」
お湯が沸く間に、すっかり小さい一人用テーブルはお茶会の準備が整って、ぎっしりと言う感じだった。
私は久しぶりの緑茶をもらい、せんべいをかじった。
なかなか歯ごたえがある。
いろんな味がミックスされて大きな袋に入っていた。
話し上手らしく自己紹介から始まり仕事の事や恋愛の話、芸能ゴシップから大家
さんの話まで。
左 紗枝さん ひらりさん 28歳。
もっと若く見える。外資系化粧品会社のOLさん。
なるほど美人。今はスッピンよと言われたけど、きれい。
使ったことのないブランドだけど、今度試供品を持ってくると言われた。
感想を教えて欲しいと。
もちろん、喜んで。
「しおりちゃんは大学生でカフェでバイトね。カレシは?」
「いません。残念ながら。」
「ええ・・・すごくかわいいのに。でもカフェじゃあ男の人一人客なんていないでしょう?」
「はい。」
まったく恋愛する気もない。まだ。
「ひらりさんは?」
「う~ん、実は今、微妙な時期。ダメかも。ね、私振られたらここで愚痴言っていい?」
「もちろんです。休日前だったらずっとお付き合いできます。」
「う~ん、いい子。でもそこは絶対大丈夫ですって言って欲しい。」
「あ、すみません。」
「冗談よ。」
多分、予定はね・・・・と失恋の予定日を聞かされる。
「明かりがついてたらコンコンってノックする。でも面倒だったら断ってね、なんて。」
まさか本当になるとは思わず、気軽に引き受けた。
隣に素敵なお姉さんの友達が出来てうれしい日だった。
少しずつ、一人でも寂しくないって言えるようになってきた。
本当にやってきたのは数日後。
予定日その日だった。すっかり忘れてた。
夜、どんどんといきなりノックの音がした。
びっくりした。
こっそりのぞくと見覚えのある髪型。
顔はうつ向いて分からない。
「ひらりさんですか?」
私の声に顔を上げてくれた。
ひらりさんだった。
泣いていたのが分かり、すぐに鍵を開けて部屋に入ってもらう。
「ごめんね、急に。明日休みだよね、大丈夫だよね。」
確認するように言われた。確かに明日は休みだし。大丈夫。
もしかして・・・と思ったらお酒のぎっちり詰まった重たい袋を渡された。
受け取って部屋にあがってもらう。
グラスを出して、作りかけだったサラダと肉巻きを並べた。
あとはごそごそと冷蔵庫からチーズとナッツとサラミのおつまみセット。
大人しくひらりさんの前に座る。
何と声をかけていいか分からない。
「あ~、やっぱりだめだった。」
ひらりさんが顔を上げて天井を向いて泣く。
「やっぱり敵わない、奥さんと子供には敵わない。」
びっくりした。不倫でしたか?
でもすぐに顔を戻し、普通の顔をする。
「聞きます、何でも。それでひらりさんがすっきりするなら。」
そう言ってお酒の一本をあけてグラスに注いだ。
「ひらりさん、飲みましょう。ご飯食べてください。モリモリと食べていいですから。」
ひらりさんが話しだす。
グラスを口に運びながら、お肉を食べながら。
初めて見た時に好きになったの。向こうも気がついたと思う。
でもすぐに指輪をしてるのに気がついた。
だって机の上に写真もあったし。でもずっと一緒に仕事してたの。
ずっとそばにいたいと思った。
ちょっと酔った勢いで告白して、お願いしてホテルに行ったの。
多分それが最後だと思ったから・・・・。
結構無茶苦茶甘えたりして、ベッドの上で。
でも本当はずるい男だったみたい。
それからも時々連絡が来てご飯食べて、ホテルに行って。
でも絶対泊まらない、家に帰るし。もちろん旅行もしない。
会社では奥さんや子供の話を普通にしてるの。
いい夫で父親ですみたいに。許せなくて、好きだから余計に。
何度も何度もお願いしたのに、絶対朝まで一緒にいてくれることはなくて。
その度にもう会うのは止めようと思うのに。
ずるい男なのに・・・・離れられなくて。
でも、やめたの。
今頃いつものホテルで待ってると思う。
部屋に伝言を残してきた。もう二人では会わないって。
やっと、一人で帰ってこれたの。
でも部屋にいたら携帯が気になるし。
だから電源を落として、ここに逃げてきたの。
ごめんね。
何度も鼻をすすり、渡したタオルを顔に当てて、声もくぐもって。
いつものきれいなお姉さんじゃない。
ひどく傷ついた女性。
家庭のある人を誘惑した女性。
でも自分でちゃんとさよならが言えたって。
・・・・・。
「飲む。」と言って顔を上げたひらりさんが、私を見て驚いた顔をした。
「やだ、何でそんなに泣いてるの?」
自分でも気がつかない内に顔が濡れていた。
「優しいね。しおりちゃん、いい子ね。」
・・・・・。違う。
私は今、ちょっとだけしょうがないじゃないって思ってる。
だって大切なものを持ってる人から取り上げるのは・・・いけない。
初めからこうなるのは分かってたのにって、冷静に見てる自分もいる。
優しいとかじゃない。私は、そんないい人じゃない、けど。
今正直には言えない。
話を聞きながらタスクの事を考えてた自分。
さよならも満足に言えない子供だった自分。
だから今でも、時々分からない悲しみに心が襲われて、悲しくなる。
ひらりさんが手に出来ないと諦めた未来。
私は夢見る時間ももらえなかった。
ひらりさんには幸せな時間があったじゃない。
好きな人と過ごす時間、見つめ合って食事をする時間。2人で体を合わせる時間。それでいいじゃない。
もともと人からの借りものだったんだから。
心で八つ当たりの様に思いながらも顔も見れずに、下を向いて涙が流れる顔を隠した。
「ごめんね、変な話して。でもしおりちゃんが私の分も泣いてくれて、私はその分早く立ち直れそう。ありがとう。」
ひらりさんは勘違いのまま私にお礼を言って、頭を撫でてくれた。
私は涙が止まるまで顔を上げられなかった。
今さら『さよなら』なんて言ってもおかしい。
でもきれいに離れないと忘れられない、私一人が前に進めない。
その日以降、ひらりさんは元気になったように見えた。
次の日美味しいお菓子を持って、お詫びに来てくれた。
泣いたあとにお腹空いたと言って、私が作った夕飯をバクバクと食べていった。
二回分作ったのにすっかりなくなった肉巻き。
そのお礼にお菓子はもらった。
それからも時々、お互いの部屋で飲むことがあった。
あれから特に新しい恋の話は聞いてない。もちろんその彼の事も。
それでもすごくきれいな顔で笑うひらりさんを見てると安心していた。
私は相変わらず逃げ続けていた。
思い出ばかりがつまった部屋には帰れなくて、実家にも帰らずにいた。
代わりにお父さんとお母さんが何度か来てくれた。
大学生活は本当に静かに過ぎた。
思い出の中には友達の姿ばかり。
時々タスクの顔が浮かんで、勝手に思い出が映像になって、リプレイされる。
少し懐かしく思った後、また小さく小さくして奥に隠す。
あっという間だった。淡々と過ごしても、真面目に大学は通ったから。
後はバイトにも。
一応、盆栽は小さいものが二つ、可愛らしく育っていた。
就職活動と卒業試験。
人並みに苦労をして、でも希望通りの結果を手にして終わった。
カフェのバイトも終わりになった。
最終日の夜は皆で食事をしてプレゼントまでもらって、また泣いた。
「また来ます。今度はお客さんとして。」
「もちろん、いつでも大歓迎。」
暖かく見送られた。
また来よう。
それでも就職して通勤が始まると、本当に疲れてしまって。
研修中でもぐったり。
本当にちゃんと働けるのかしら・・・。
一緒に研修を受けた子と友達になり、愚痴を言い合いながら何とか乗り切った。
配属されたのは、大きな駅の老舗有名デパートの売り場。
新人はほとんど売り場から始めるらしい。
目まぐるしい一日。
お客様対応は多くなくても覚えることは一杯。
売り場の商品は、男性向けのネクタイやハンカチや傘や靴下や・・・いろいろ。
ブランドの事も勉強したし、色合わせの本を見たり、冠婚葬祭のマナーも覚えたり、いろんな知識が必要と言われて勉強した。
それに売り場だけじゃなくてデパート全体の事も覚えないといけない。
だって聞かれたら答えなきゃ。
必死な日々で一か月が過ぎて。
お給料が出てやっと慣れてきたころ、実家に帰った。
お店で社割だけど、お父さんとお母さんにプレゼントも買った。
そしてバッグに手紙を入れた。
すれ違ってしまったけど大事な幼馴染。
結局お守りのお礼も言えてなかったのだ。
さすがに今更って思われる?
でもこれが最後かもと思ったから。
きちんと全部って思った。
あんまり長く書くと、本当の気持ちが勝手に文字になりそうで。
短い文章になった。
最後に名刺を入れた。近くに来たら寄ってください。と。
少し他人口調になったけど。
封筒にタスクの名前を書いた。私の字に気がついてくれると思う。
でもちゃんと名前も書いて封もして。
1人暮らししてるって聞いてたから。
偶然会うことはないと思ってた。
だから帰りにポストにいれようと思ってた。
部屋にはちょっとだけ寄った。
大学生の間も帰らなかったから、久しぶりだった。
だから今更自分の部屋に、必要な荷物があると言うこともなく。
やっぱり、ただただ懐かしい思い出が詰まった部屋だった。
目を閉じて背を向けたのは、部屋に詰まった思い出と、カーテンと窓の向こうに見ていた懐かしいタスクの笑顔。
すぐに一階におりてリビングにいるようにした。
いないと知ってても、知ってるからなおさら、寂しい部屋に向き合えない。
懐かしいお母さんのご飯。
プレゼントを渡していろいろな話をする。
大学の頃のバイト先にも来てもらったこともある。
今度は働いてるところにも来てほしい。
もっと店員さんらしく振舞えるようになったら。
プレゼントを二人が喜んでくれた。
心を整理できた気がして、すこし大人になれた気がした。
開けた窓から少し音楽が漏れてたらしい。
隣のベランダ越しに女の人に話しかけられた。
「お隣の真田さん。こんにちは。」
顔を出すと、向こうのベランダで同じように顔を出す人がいた。
廊下で会って挨拶はしたことがある。
入居した時に、お母さんと挨拶にも行ってお菓子を差し出した。
多分引っ越ししてないまま、あの時の人だと思う。
「こんにちは。えっと・・・・・、すみません、名前が。」
「ああ、そうね。『左』と言うんだけど、みんな『ひらり』って呼んでるから『ひらり』って呼んでね。」
にっこりと笑顔で言われた。
「ひらりさん」
サラリとした美人のひらりさん、ぴったり。
「ねえ、ちょっと美味しいおせんべいがあるの。1人だと太るから、もし暇だったらどうかなって思ったんだけど。忙しい?」
「いいえ、今日はバイトもないし。暇でボケッとしてました。」
「そう、じゃあ、どっちがいいかな?」
指で部屋を指された。
「どっちでもいいですよ。」
「じゃあ、そっちに行っていい?」
「はい、どうぞ。」
私はゆっくり玄関に行ってひらりさんを待った。
ちょっと時間がかかったけど、大きな袋を抱えてやってきたひらりさん。
「ありがとう。ごめんね、突然見知らぬ女が上りこんで。」
たくさんのお茶とお菓子を手にしていた。
とりあえずお湯を沸かした。
「実家がね、下町のせんべい屋なの。壊れて売り物にならないものを時々送ってくるの。美味しいからどうぞ。緑茶も持ってきたんだけど。良かったら。あと、いろいろ。」
お湯が沸く間に、すっかり小さい一人用テーブルはお茶会の準備が整って、ぎっしりと言う感じだった。
私は久しぶりの緑茶をもらい、せんべいをかじった。
なかなか歯ごたえがある。
いろんな味がミックスされて大きな袋に入っていた。
話し上手らしく自己紹介から始まり仕事の事や恋愛の話、芸能ゴシップから大家
さんの話まで。
左 紗枝さん ひらりさん 28歳。
もっと若く見える。外資系化粧品会社のOLさん。
なるほど美人。今はスッピンよと言われたけど、きれい。
使ったことのないブランドだけど、今度試供品を持ってくると言われた。
感想を教えて欲しいと。
もちろん、喜んで。
「しおりちゃんは大学生でカフェでバイトね。カレシは?」
「いません。残念ながら。」
「ええ・・・すごくかわいいのに。でもカフェじゃあ男の人一人客なんていないでしょう?」
「はい。」
まったく恋愛する気もない。まだ。
「ひらりさんは?」
「う~ん、実は今、微妙な時期。ダメかも。ね、私振られたらここで愚痴言っていい?」
「もちろんです。休日前だったらずっとお付き合いできます。」
「う~ん、いい子。でもそこは絶対大丈夫ですって言って欲しい。」
「あ、すみません。」
「冗談よ。」
多分、予定はね・・・・と失恋の予定日を聞かされる。
「明かりがついてたらコンコンってノックする。でも面倒だったら断ってね、なんて。」
まさか本当になるとは思わず、気軽に引き受けた。
隣に素敵なお姉さんの友達が出来てうれしい日だった。
少しずつ、一人でも寂しくないって言えるようになってきた。
本当にやってきたのは数日後。
予定日その日だった。すっかり忘れてた。
夜、どんどんといきなりノックの音がした。
びっくりした。
こっそりのぞくと見覚えのある髪型。
顔はうつ向いて分からない。
「ひらりさんですか?」
私の声に顔を上げてくれた。
ひらりさんだった。
泣いていたのが分かり、すぐに鍵を開けて部屋に入ってもらう。
「ごめんね、急に。明日休みだよね、大丈夫だよね。」
確認するように言われた。確かに明日は休みだし。大丈夫。
もしかして・・・と思ったらお酒のぎっちり詰まった重たい袋を渡された。
受け取って部屋にあがってもらう。
グラスを出して、作りかけだったサラダと肉巻きを並べた。
あとはごそごそと冷蔵庫からチーズとナッツとサラミのおつまみセット。
大人しくひらりさんの前に座る。
何と声をかけていいか分からない。
「あ~、やっぱりだめだった。」
ひらりさんが顔を上げて天井を向いて泣く。
「やっぱり敵わない、奥さんと子供には敵わない。」
びっくりした。不倫でしたか?
でもすぐに顔を戻し、普通の顔をする。
「聞きます、何でも。それでひらりさんがすっきりするなら。」
そう言ってお酒の一本をあけてグラスに注いだ。
「ひらりさん、飲みましょう。ご飯食べてください。モリモリと食べていいですから。」
ひらりさんが話しだす。
グラスを口に運びながら、お肉を食べながら。
初めて見た時に好きになったの。向こうも気がついたと思う。
でもすぐに指輪をしてるのに気がついた。
だって机の上に写真もあったし。でもずっと一緒に仕事してたの。
ずっとそばにいたいと思った。
ちょっと酔った勢いで告白して、お願いしてホテルに行ったの。
多分それが最後だと思ったから・・・・。
結構無茶苦茶甘えたりして、ベッドの上で。
でも本当はずるい男だったみたい。
それからも時々連絡が来てご飯食べて、ホテルに行って。
でも絶対泊まらない、家に帰るし。もちろん旅行もしない。
会社では奥さんや子供の話を普通にしてるの。
いい夫で父親ですみたいに。許せなくて、好きだから余計に。
何度も何度もお願いしたのに、絶対朝まで一緒にいてくれることはなくて。
その度にもう会うのは止めようと思うのに。
ずるい男なのに・・・・離れられなくて。
でも、やめたの。
今頃いつものホテルで待ってると思う。
部屋に伝言を残してきた。もう二人では会わないって。
やっと、一人で帰ってこれたの。
でも部屋にいたら携帯が気になるし。
だから電源を落として、ここに逃げてきたの。
ごめんね。
何度も鼻をすすり、渡したタオルを顔に当てて、声もくぐもって。
いつものきれいなお姉さんじゃない。
ひどく傷ついた女性。
家庭のある人を誘惑した女性。
でも自分でちゃんとさよならが言えたって。
・・・・・。
「飲む。」と言って顔を上げたひらりさんが、私を見て驚いた顔をした。
「やだ、何でそんなに泣いてるの?」
自分でも気がつかない内に顔が濡れていた。
「優しいね。しおりちゃん、いい子ね。」
・・・・・。違う。
私は今、ちょっとだけしょうがないじゃないって思ってる。
だって大切なものを持ってる人から取り上げるのは・・・いけない。
初めからこうなるのは分かってたのにって、冷静に見てる自分もいる。
優しいとかじゃない。私は、そんないい人じゃない、けど。
今正直には言えない。
話を聞きながらタスクの事を考えてた自分。
さよならも満足に言えない子供だった自分。
だから今でも、時々分からない悲しみに心が襲われて、悲しくなる。
ひらりさんが手に出来ないと諦めた未来。
私は夢見る時間ももらえなかった。
ひらりさんには幸せな時間があったじゃない。
好きな人と過ごす時間、見つめ合って食事をする時間。2人で体を合わせる時間。それでいいじゃない。
もともと人からの借りものだったんだから。
心で八つ当たりの様に思いながらも顔も見れずに、下を向いて涙が流れる顔を隠した。
「ごめんね、変な話して。でもしおりちゃんが私の分も泣いてくれて、私はその分早く立ち直れそう。ありがとう。」
ひらりさんは勘違いのまま私にお礼を言って、頭を撫でてくれた。
私は涙が止まるまで顔を上げられなかった。
今さら『さよなら』なんて言ってもおかしい。
でもきれいに離れないと忘れられない、私一人が前に進めない。
その日以降、ひらりさんは元気になったように見えた。
次の日美味しいお菓子を持って、お詫びに来てくれた。
泣いたあとにお腹空いたと言って、私が作った夕飯をバクバクと食べていった。
二回分作ったのにすっかりなくなった肉巻き。
そのお礼にお菓子はもらった。
それからも時々、お互いの部屋で飲むことがあった。
あれから特に新しい恋の話は聞いてない。もちろんその彼の事も。
それでもすごくきれいな顔で笑うひらりさんを見てると安心していた。
私は相変わらず逃げ続けていた。
思い出ばかりがつまった部屋には帰れなくて、実家にも帰らずにいた。
代わりにお父さんとお母さんが何度か来てくれた。
大学生活は本当に静かに過ぎた。
思い出の中には友達の姿ばかり。
時々タスクの顔が浮かんで、勝手に思い出が映像になって、リプレイされる。
少し懐かしく思った後、また小さく小さくして奥に隠す。
あっという間だった。淡々と過ごしても、真面目に大学は通ったから。
後はバイトにも。
一応、盆栽は小さいものが二つ、可愛らしく育っていた。
就職活動と卒業試験。
人並みに苦労をして、でも希望通りの結果を手にして終わった。
カフェのバイトも終わりになった。
最終日の夜は皆で食事をしてプレゼントまでもらって、また泣いた。
「また来ます。今度はお客さんとして。」
「もちろん、いつでも大歓迎。」
暖かく見送られた。
また来よう。
それでも就職して通勤が始まると、本当に疲れてしまって。
研修中でもぐったり。
本当にちゃんと働けるのかしら・・・。
一緒に研修を受けた子と友達になり、愚痴を言い合いながら何とか乗り切った。
配属されたのは、大きな駅の老舗有名デパートの売り場。
新人はほとんど売り場から始めるらしい。
目まぐるしい一日。
お客様対応は多くなくても覚えることは一杯。
売り場の商品は、男性向けのネクタイやハンカチや傘や靴下や・・・いろいろ。
ブランドの事も勉強したし、色合わせの本を見たり、冠婚葬祭のマナーも覚えたり、いろんな知識が必要と言われて勉強した。
それに売り場だけじゃなくてデパート全体の事も覚えないといけない。
だって聞かれたら答えなきゃ。
必死な日々で一か月が過ぎて。
お給料が出てやっと慣れてきたころ、実家に帰った。
お店で社割だけど、お父さんとお母さんにプレゼントも買った。
そしてバッグに手紙を入れた。
すれ違ってしまったけど大事な幼馴染。
結局お守りのお礼も言えてなかったのだ。
さすがに今更って思われる?
でもこれが最後かもと思ったから。
きちんと全部って思った。
あんまり長く書くと、本当の気持ちが勝手に文字になりそうで。
短い文章になった。
最後に名刺を入れた。近くに来たら寄ってください。と。
少し他人口調になったけど。
封筒にタスクの名前を書いた。私の字に気がついてくれると思う。
でもちゃんと名前も書いて封もして。
1人暮らししてるって聞いてたから。
偶然会うことはないと思ってた。
だから帰りにポストにいれようと思ってた。
部屋にはちょっとだけ寄った。
大学生の間も帰らなかったから、久しぶりだった。
だから今更自分の部屋に、必要な荷物があると言うこともなく。
やっぱり、ただただ懐かしい思い出が詰まった部屋だった。
目を閉じて背を向けたのは、部屋に詰まった思い出と、カーテンと窓の向こうに見ていた懐かしいタスクの笑顔。
すぐに一階におりてリビングにいるようにした。
いないと知ってても、知ってるからなおさら、寂しい部屋に向き合えない。
懐かしいお母さんのご飯。
プレゼントを渡していろいろな話をする。
大学の頃のバイト先にも来てもらったこともある。
今度は働いてるところにも来てほしい。
もっと店員さんらしく振舞えるようになったら。
プレゼントを二人が喜んでくれた。
心を整理できた気がして、すこし大人になれた気がした。
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