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9 緊張を超えた先の至福の時間が途切れた時 ~つくしがいつのまにか限界を超えた時

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とうとう、とうとう来た。

今日は金曜日。

いつもなら、普通の平日の日のはず。
明日は休みだから早起きしないでいい!という小さな喜びしかないような日。
そして仕事が終わると解放感があって・・・・ただ、一人部屋に帰る予定の日。

だけど、今日は違う。

今週月曜日、金子さんに本当に誘われてから、恐れおののきながらもこの日を待っていて、この日のために過ごしていたと言っても過言じゃないくらい。
そしてとうとうやってきた金曜日。

朝、起きてまず丁寧に顔を作り、吟味に吟味した服を手にして、下着まで気を遣い・・・・。そこまで必要ないのに・・・なんて笑いながら一人で呟いて。
既に疲れている。
結局さほど見た目は変わってないと思う。
あんまり変わってたら、それはそれでびっくりされそうだし、こっそり笑われるかも。

自分の努力はひたすら水面下で。
だってあの自爆からちょっとだけ食欲が落ちたし、決定した日の夜からは気を付けて。

あれから廊下や休憩室で友田さんとすれ違うことはなかった。
ホッとした。
どういう顔していいか分からない、もしかしたらお互いに。



ランチもひとりぼんやりと過ごして、注文したものはほとんど減ってなくて、我に帰るとそろそろ1時間たつ頃で。


ため息・・・本当はこれ以上ないくらいうれしいけど、ため息をついて仕事に戻る準備をする。


コールセンターの小さなブースで一人電話対応を繰り返す。
この間金子さんに言われたとおり淡々と仕事をして、今ではすっかり他の先輩とも同じくらいの件数をこなせるようになっている。
それは進歩に違いなく、うれしい。


回線をつなぐ時間がはっきりしているので残業も少ない。
既婚者、特に子供がいる人が多く配属されるここ。
その内違う課に異動になるのは当たり前だと思った方がいいと言われてる。
それでも製品の知識や電話とはいえ接客は、絶対次に生きるからと。
そう言いながら弥生さんは随分長くいるみたいだ。
そのまま結婚して出産までいてお局を目指すと言っていた。

結婚するのかな?

弥生さんの彼氏には偶然会ったことがある。
細い弥生さんに丸い彼氏。
なんだか・・・・丸い。そんな印象しかない。
ただ優しそうとか、穏やかそうとか、そう意味も含んでる。

出会いは・・・・カフェの席に隣に座ったことから始まったらしい。
落としたものを拾おうとして、飲み物をこぼしたらしい。
そしてその被害が隣の人に・・・・・。
テーブルにあったのは抹茶の飲み物。
抹茶の緑が隣の人の白いシャツに模様を描いて・・・・。

「結構鮮やかな色に発色するんですね。」

驚いただろうけど、相手の人は怒ることもなく、じっと被害を受けた自分の服を見つめていたらしい。
こぼした弥生さんも当然足元に、スカートに、緑の斑点が。

店員さんにキッチンペーパーを貰い、お互いに拭きながら、落ちる落ちないと話をして。
結局シャツの着替えを買って着替えた方がいいと説得して、一緒に店を出たらしい。

その辺は確信犯?

手には新しい抹茶の飲み物があったらしい。
新しく作り直してくれたお店の人にも過剰にお礼を言ったらしい。

やっぱり確信犯??


その後はデートのように過ごして、連絡先を交換して、そしてめでたく今に至る。

そんな話を聞いて羨ましいと思った。
そんなアクシデントの出会いから始まる恋愛話は読んでなかった。
思いつかなかった・・・・・。


きっと結婚も何もかも弥生さんのいいように進むんだろう。
そして、本当にお局コースになりそう。


半分づつズレる休憩時間。
時間には席について対応を始める。
光る番号を押して残りの半日がスタートする。

そうして休憩もはさみながら仕事は終わり。


喜び半分、不安半分の時間がやってきました。
手早くまとめてパソコンを閉じて席の周りをきれいにして終わり。


隣の隣で弥生さんも終わり。
弥生さんがひらひらと紙を振る。

「さあ、つくしちゃん、先に行こうか。」

「待ってください・・トイレに行ってきます。」

「はいはい、どうぞ。」

化粧ポーチを持ってトイレに行き、丁寧に顔を見る。
ちょっとだけメイクを直して、トイレを済ませて、深呼吸して席に戻る。

弥生さんは楽しそうに金子さんと話をしていた。

「戻りました。」

小さく声をかける。

「つくしちゃんと先に行ってるね。」

「ああ、よろしく。友田が終わったら行くよ。」

や、やっぱり…来る?
ドキドキが加速します。

そりゃあ来るよね。断らないよね?
来てください。

「お先に失礼します。」

さり気なく言いながらも金子さんの顔も見れず。

「いってらっしゃ~い。後でね。」

大きな返事だけを受けて先に出た。

「つくしちゃん、リラックス。」

「無理です。」

エレベーターに乗りながら下を向く。

「でも、知らなったなあ~、まさかね・・・・・。」

まだエレベーターは地上に到着しない。
弥生さん、せめてここでは、その先は言わないでくださいね。
人がいますから・・・・・。

ちん。

エレベーターが地上についてホッとした。
手にした一枚の紙。
それを見て一緒に歩く。

お店の地図らしい。
手書きだった。

細い道を入り、二度ほど折れて到着。
近いけど、分かりにくいかも。遠回りするところだった。
だから手書きだったのかもしれない。

「いい店じゃない。入ろう。いろいろと聞きたいこともあるし。」

席に案内されて荷物を下ろし、ちょっとだけ覚悟を決めて。

「いつから?」

「5月くらいには・・・・。金子さんが声をかけてくれる時に横にいることが多くて。」

「喋ってないんだよね。一目惚れ?」

「はい。」

「う~ん、普通よりはちょっとかっこいい?イケメンランキングには入ってなかったね。」

「いいんです。誰にも気が付かれない方が、ライバルは少ない方がいいんです。」

「うん、ライバルはいそうな気配も感じないけど。開発は特殊だよね。外に出てこないから。ほとんど会わない。つくしちゃん、入社一カ月で良く見つけたよね。」

「だから、金子さんが・・・・。何度も見かけました。」

「それでこの間は白衣にときめいて、上司の金子君無視で見つめ合ったと。」

「違います。見つめ合ってないです。いつも、金子さんの隣にいても最後にうっすら視線が合うくらいです。白衣は・・・・珍しくて見てましたが、あの、全然違う方を見てたので遠慮なく見てられたんです。」

「でも街中でね。すごいよね。勇気ある、行動的、グイグイ行く方なの?ってびっくり。でも過去の事件簿を聞いてたから納得もするかな。」

事件簿・・・・。そんな分厚いファイルに綴じられるくらいないですから。
大きくはほんの三つくらいです。あとはちょいちょいです。


「・・・・でも、本当にうれしかったんです。普通の服で偶然向こうから歩いてきてくれて。1人みたいで。私も1人だったから。それなのに、最悪の結果でしたし。」

「最悪かどうかは。まあ体調悪かったらしいし、眼鏡もかけてなかったらしいから。」


あの時の怖い目が・・・・。そのせいだと思いたい。


「金子君がセッティングしてくれるのを待てなかった?」

「だって、そんな本当にしてくれるなんて思ってなかったから。すみません。」

「いいの、いいの。おかげで楽しみが増えた。そのためにもうまくいってもらいたいなあ。同期だけど、本当に何も知らない。ごめんね、役に立たないけど。結構無口なほうかも。一緒に飲みに行っても女の人と話をしてたのを見たことがないかも。あっ・・・・・。」

「何ですか?どうしたんですか?」

「う、ううん、ちょっとダーリンにメールする。忘れてた事、今、思い出した。ちょっとごめんね。」

そう言って携帯を取り出して操作する弥生さん。

無口かあ・・・、話が続くのかな。うるさいのは嫌かなあ。

弥生さんの彼みたいに言いなりだと楽そうだなあ。いいなあ。

携帯をバッグにいれそうになった弥生さんがそのまま動きを止める。

「あ、もうすぐ来るみたい。」

そう教えてくれた。

「弥生さん、緊張して・・・吐きそうです。」

「美味しいご飯が待ってるんだから、楽しもう。」

「あの、話が弾むようにお願いします。」

「大丈夫よ。金子君がうまくやるって。だって私もほとんど話したことないし。」


「お待たせしました。」

「お疲れ様、金子君、友田君。」

「お疲れ様です。」

私は金子さんを見て、ちらりと友田さんを見て頭を下げる、視線を外すために。

無理だよ~、恥ずかしいいよ~。
だって好きだってバレてるのに・・・・。
なんだか一人さらし者?恥かき者?

「注文はまだなんだ。つくしちゃん何にする?」

適当に見覚えのある名前のカクテルを指さす。
私は金子さんに『つくしちゃん』と呼ばれてますが・・・・・。
何だか本当に・・・・いろいろと・・・・。

「決まり?」

手をあげて金子さんがさっさと店員さんを呼ぶ。
その間にメニューも好きなものを選んでばらばらと注文する。
声はほとんど弥生さんと金子さんの物。
私は指で指すくらい、友田さんはぼんやりメニューを見てるくらい。

大丈夫ですか?やっぱり、気が進まないですか?

「友田、つくしちゃんが心配そうにしてるだろう。起きろ、声を出せ!」

「あ?」
友田さんの第一声…ってくらいの声が・・・それ・・・・。

「ほら、とりあえずつくしちゃんに謝るか?」

「い、いえ、いいんです。私がいきなりだったので。」

お願い、蒸し返さないでください、忘れてください。

「あの時は悪かったね。本当にひどい二日酔いで、裸眼で何も見えてなくて。」

「いえ、大丈夫です。ちょっと自分でも呆れる行動でしたので。忘れてください。」

「うん、わかった。」

そう答えた友田さんの後頭部を思いっきり殴った金子さん。

「違うだろう、お前が忘れたら、つくしちゃんのなけなしの行動が可哀想じゃないか。」

「忘れたってことにしないと、忘れてくださいって言われたんだから。」

「・・・一理はあるが。つくしちゃん、やっぱり忘れられないみたい。まあ、この話はあとでね。お酒もきたし、乾杯しよう!」

乾杯、その声ははっきり四人分聞こえた。

あっという間に飲んだ一杯目。
さっきの優しい声で満足。話し方も優しい。
初めてちゃんと話ができてうれしくて。
私の中ではすごく『ちゃんとした話』が出来たから。
だって、あの時とは大違い。

「つくしちゃん、飲めるんだね。」

まさか、今私に聞いてくれました?
つくしちゃんって・・・・・。

「はい。」

声を出してうなずいた。
いきなり名前。弥生さんには呼ばれ慣れてるけど、金子さんだっていつも『羽柴さん』なのに『つくしちゃん』って呼んでるから。
そしてそのまま友田さんも、そのまま・・・。
うれしい。


「友田さんは?」

「僕も、普通。この間は金子が無茶苦茶に頼んだから記憶はないし、部屋はすごい状態だし、二日酔いで頭は痛いし、眼鏡は踏んづけて壊すし。散々だったけど。」

「だってこの会を開くにあたって確認すべきことを確認して、それとなく友田に話をしたら、ニコニコしてたし。2人で頼んだんだぞ。俺のせいだけじゃないからな。」

「良かったね、無事に部屋までたどり着いて。」

弥生さんが言う。

「うん、記憶がなくても何とかなるみたい。」

「寝たから記憶がなくなったんじゃないか?会計もきれいに半分にしたし、普通に話してたぞ。」

「あの二日酔いの頭痛は酷かった。もう飲み過ぎないと心に決めた。一度で懲りた。」

「つくしちゃんは?二日の経験酔いある?」

「そんなに飲んだことないです。」

「じゃあ、酔うとどうなるの?」

「大人しく寝ます。」

「え~、それはつまんない、なあ?」

金子さんが友田さんに言う。

「お前、何を期待してんだよ。」

「え~バレた?なんだか面白くなったら楽しいなあって。」

「今まで普通だったよね。今日、限界超えてみる?」

「弥生さん、そんな無責任な事言わないでください。本当に寝ますよ。」

「まあ、そうなったらその時は何とかするし。心置きなく飲み過ぎていいよ。」

「嫌です。ちゃんと眠くなったら止めます。」

これ以上印象を悪くは出来ない。

「金子さんと友田さんは最初から仲良しだったんですか?」

大分、緊張もとれて今度こそ、もっと普通に話が出来てきた。
金子さんのおかげだと思う。
それにしても、うれしい。
友田さんも会社で見るより表情がゆるい気がする。
思わずそれだけでお酒が進みそうです。
ごちそうさまです。

それでも運ばれてくる食事に手をつけながら話をする。




「最初から目立たないよね、友田君。言い方はなんだけど。」

弥生さん、ちょっと正直すぎる。

「そうなんだよね、地味だよな。」

「なんだよ、失礼な奴らだな。俺は普通だ。」

「金子はともかく、そういう露木さんはどうさ。」

「私は普通だから。」

「じゃあ、俺も普通でいいよね。」

「まあ、ふたりとも普通。ただつくしちゃんにとっては特別だったらしいけど。」

「ぐっ。」
油断し過ぎて鼻に洋風肉じゃがの欠片が入るところでした。

同期で繰り広げられる何とも羨ましい話を、聞き役に徹して聞いてたのに。
いきなりこっちですか?

「金子君と一緒のところを初めて見てかららしいよ。」

さっき聞きだされたことを、さっさと披露する弥生さん。

「弥生さん、ちょっと秘密とか言ってないですが、少しは内緒にしてくれてもいいじゃないですか・・・・。」

「なんか目に浮かぶ、その瞬間。この間の白衣ほどのインパクトあったのかなあ。なんか、本当に可愛いんだよね、横にこいつがいると明らかに反応が変わって。」

皆、どうしてそう後輩で遊べるんですか?
もっと見守ろうとか、そっとしておいてあげようという気遣いはないんですか?

「見たかったなあ。白衣に見とれて上司ガン無視のシーンと街中突撃のシーン。再現頼みたいくらい。」

やはり二人だけで会話が続けられている。

巻き込まれた形の友田さん。

すみません、心で謝る。

「まあ、飲んで飲んで。友田も次、何飲む?」

私も友田さんに聞かれて、差し出されたメニューを見て、一緒に次を注文してもらう。
ああ、もう至福。


どうやら隠せないらしい・・・・。

背中を向けて友田さんが注文してるときに、こっそり弥生さんが耳元で囁く。


「つくしちゃん、うれしそうな顔してる。可愛い。」

金子さんを見ると満足そうな顔。
お役目ご苦労様です。ありがとうございました。
素晴らしい機会を与えていただき。

えっと、この後私はどうすればいいんでしょうか?
永遠に続いてほしい時間。


お酒と食事、しばらくダイエットしてた分を取り戻すように楽しんで。
楽しみ過ぎて、あんなに言ったのに、やっぱり油断していた。
かつてない至福の時間に、空間に・・・・・・そして言った通り、寝た。


他に変な癖はなかったと思いたい。

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