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22 今いる場所はしっかりと温度をもってある。
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大きく寝がえりをうった拍子だろう、布団を捲られて自分の顔の上を滑った。
それは起きるでしょう。
すっぽりと体を丸めて収まった彼女。
背中を撫でるとすり寄ってくる。
今日帰って夕飯の支度をした。
早起きして電車に乗って仕事をして夜遅くに帰る。
たいていの男性が送っているであろう毎日のリズム。
結局自分には予想以上に合わなかったのかもしれない。
自分で時間を組み立てながら仕事をする今の方が確かに楽なのだ。
もう少し副業を頑張っていけば今のペースでもいけると思う。
空いた時間に料理をして、掃除をして。そんなことが全く苦にならないのだから。
なにより彼女に合わせて月曜日に時間を空けることも可能だから。
ぜひそうしたい。
食事は二人分、自分よりは少なめに皿に盛り少し冷ます。
メモにメッセージを書いてテーブルに置いておく。
パソコンを開いて仕事の記録をつける。
今日は良平さんにうれしい報告が出来た。さすがに目と口を丸くして驚いていた。
老体には衝撃だったかもしれないが本当に喜んできてくれた。
「まだまだ知り合って間もないって聞いてたっけな?」
うっすらと、いぶかしさをのぞかせて聞いてくる。
「そうですが、最初から決めてましたから。そんなこともあるみたいです、お互いに。あ、もしかしておめでたとかそういう方向を考えましたか?それはないですから。ちゃんと彼女と自分の両親にも紹介してからです。でも報告できて良かったです。喜んでくれると思ったんです。」
「おめでとう、真奈ちゃんにも伝えてな。」
「はい。また二人できますから。」
「待っとるわい。」
実家にも久しぶりに電話した。母親が出た。
「変わりない?仕事ちゃんとやれてるの?」
「仕事はやれてるよ。でも大きな変化があって、昨日彼女にプロポーズしてOKもらったんだ。今度会ってくれる?」
「はぁ?本当の事?何、誰?」
「知らない人だよ、勿論。結婚反対しないでしょう?年下の素直な子だよ。」
「もちろん、そんな反対なんてしないから。早く会いたいから連れて来て。お父さんにも報告しとくから。」
「うん、その子の仕事が月曜日休みだから月曜日になってもいいかな?」
「いつでもいいわよ。ちゃんと前もって予定を知らせてね。もう、うれしくてドキドキしてきた。光司も随分帰ってきてないでしょう?」
「そうだね、ごめん。今週末は師匠のところに一緒に行くんだ。後になってごめん。」
「いいから、そんなの。お世話になった人にちゃんと報告してからでもいいし。」
「彼女のご家族は?」
「まだまだ。向こうがびっくりするかも。」
「そう。じゃあ、とりあえず早く予定を決めて教えてね。」
「うん。また連絡するから。」
「ありがとう、待ってるから。」
「うん、父さんによろしく。」
「はいはい。」
「じゃ。」
ふう、やっぱり自分の親でもちょっと緊張する。
反対するはずないって思ってるけど。
彼女の両親はどうだろうか?
便利屋家業の10歳も上の男。不安だらけだと思う。きちんと安心してもらいたい。
まずは師匠に。
時計のアラームを止めて仕事に出かける。
子供の送り迎えを続けて入れた。
送り、送り、送り、引き取り、引き取り、引き取り。
三人を時間差で送り迎えする。多少の前後は子供たちも慣れたもので待っていてくれる。
合間に今日子さんと務さんにメールで報告する。
すぐに電話がかかってきた。
向こうから大きな声でおめでとうと、さやかちゃんの声も聞こえる。
『真奈ちゃんはそんなそぶりなど一切見せなかった。』とガッカリしていた今日子さん。
商店街の面々にもまとめて挨拶できるまで内緒にとお願いした。
合間に直樹にメールする。
子供に報告するようなことじゃないかもしれないけど、本当にお世話になったから。
すぐにびっくりしたというコメントとおめでとうが帰ってきた。
仕事を終えて部屋に戻る。
鍵を開けてドアを開くと明かりがついていて。玄関に彼女が立っていた。
想像していた満面の笑顔じゃない。
でも待っていましたと顔に書いてあるような。
1人で食事も済ませたらしいけど全くリラックスとは程遠い状況。
すごく気をつかってるのがわかる。そんな事を最初から考えてたら疲れるのに。
ちょっと話をしてシャワーを浴びる。
上半身は裸のまま、ペットボトルを持ってソファにいる彼女のところへ。
ソファの上でも足を抱えて借り物の様で落ち着かないらしい様子の彼女。
隣に座って話をする。彼女に実家の場所を聞かれた。
そういえばあんまり家族の話をしてない。自分も彼女の家族の話は少ししか知らない。
ついでじゃないけど実家に電話してプロポーズしたことを報告したと伝えた。
今度両親に会ってほしいと。
ビックリしていた。
彼女もまだ全然自分の事を親に言ったりはしていないようだ。
ついでに良平さんと今日子さん、務さんに報告したことも言った。
やり直しをさせられてまでOKの返事はしてくれても実際の話をすると自信のない事を言う彼女。だから待つって言ったんだけどね。でも、もう遅いよ。
ゆっくりだけど前に進んでその内ジワジワと実感して欲しい。
自分が決めた覚悟の大きさを。
今日こそは・・・そう思ってゆっくり横にいる彼女の髪を撫でながらお休みという。
このところゆっくりした夜を過ごしてない、しかも昨日も仕事を手伝ってもらい休みなしの状態で、夜は夜で。
だから今日こそはゆっくりしてもらおうと。
額を胸に寄せて軽くパジャマを握った手が静かな寝息とともに緩んでくる。
規則的に頭を撫でていた手を放す。
自分は全く眠気を覚えず。
ひたすら隣の温かさを感じ寝息を聞いてると逆に目がさえてきた。
目を閉じても無理だと諦めてゆっくりと起きだし寝室を後にする。
リビングでソファに沈み込みパソコンを手にする。
アジアを出て新しい市場を開拓すべく情報を流し見る。
ひたすら文字を読み数字を見ていてもなかなか情報が頭に入ってこない。
眼鏡をかけて光を見つめる。部屋の中でここだけ時間が流れてるようだ。
昨日とは違い甘い響きもないこの部屋は一人で過ごすモノクロで無音の世界のようだ。
液晶の光だけがリビングを照らす。
ふと暗がりから音がして彼女が姿を見せた。
一気に部屋の温度が上がったような気がする。
「佐野さん。」
「真奈、どうしたの?眠れない?」
「目が覚めたら、隣にいないから。」
「うん、眠れなかったから諦めて起きだしたんだ。」
「仕事中ですか?」
「まあ、そんな感じだけど。いつでも終わりに出来るようなものだよ。」
パタンと閉じたパソコンをテーブルに置く。
「邪魔じゃないですか?」
「勿論邪魔じゃないよ、眠れないならどうぞ。」
彼女が隣に来る。
「ごめんなさい、昨日も結局仕事すすまなかったですよね。」
「そんなことないよ、朝やったから。気にしないで。」
彼女が顔を見つめてくる。手を出して頬に触れてくる。
「さっき、知らない人みたいでした。眼鏡に光が反射して半分が影になっていて。」
「忘れてた。」
眼鏡を外そうと手にしたら彼女の手に抑えられた。
相変わらずこっちを見つめたまま。ゆっくり眼鏡をはずされた。
彼女から眼鏡を引き取りテーブルに乗せる。
「そんなに変わるかな?」
「そうやって笑顔でいるとやっぱりいつもの佐野さんです。でも眼鏡してる時、パソコンに向かって仕事してる時はとっても難しそうな顔してます。」
まあ、そりゃそうだろう。
「さっき帰ってきたときに真奈がすっごく不安そうな顔で出てきてびっくりした。今もそう。一人ぼっちみたいな顔してるよ。どうして?」
「広すぎて遠いみたい。ここにいても佐野さんのかけらが見えない。サノマルがあそこにいるだけ。」
「じゃあ、真奈が好きに荷物を持ってきていいよ。自分で落ち着くようにすればいい。それに今度写真撮るんでしょう?飾ろうね。」
泣き笑いのような顔をしてうなずく。
ソファの上で腰を引き寄せる。
「私、わがまま言ってますか?」
「言ってないよ、ぜんぜん。」
「うん。」
「それに今日こそはゆっくり寝かせようと思って。真奈はすぐに寝たからやっぱり毎日疲れされてたかなって反省してこっちに来て離れたんだ。仕事なんて睡眠薬代わり。」
彼女の体が離れて顔を見上げてくる。
「佐野さんは?疲れてない?」
「言ったでしょう、可愛い啼き声聞けば疲れも吹き飛ぶって。」
ゴン。胸に額をぶつけて止まる。
そのまま掌を胸に当てる。パジャマの生地越しにも掌の熱が伝わる。
それより自分の鼓動を掌で聞いてる?
彼女の顎をあげて頬を両手で挟む。
潤んだように熱を伝える目。
ゆっくり目を閉じる彼女。
でも待たれてるキスはあげない。ゆっくり指で唇を触る。
彼女の目が開き、唇も少し開く。
「まな、ちょっとエロいよ。その顔。そそる。」
唇をなぞりながら鼻をくっつけて顔を近づける。
下唇の真ん中、開いた場所をちょっと押して指を入れる。
下の歯をゆっくり触り上の歯へ。大きく開いた唇から熱い息が漏れる。
自分の指にゆっくり舌が絡まってくる。
目を閉じて自分の人差し指に吸い付いてくる彼女。
ゆっくり指を動かしながら頭ごと胸に引き寄せる。
「まな、何してるの?」
指を抜いてキスをする。
彼女を膝に乗せてソファの上で抱きしめる。
「まだ眠くない?」
「う、ん。」
「ベッドに行く?」
「うん、行く。」
彼女の手をそのまま首に回して抱き上げて、ベッドへ。
結局今日もゆっくり眠らせてあげられなかった。
朝腕の中でビクッと震えた彼女。
こっちもびっくりしてしまった。
うっすら目を開けて自分を見る。まだぼんやりしてる。起きるかな?
「まな、大丈夫?」
「うん。」
隙間を埋める様にくっついてくる彼女。
髪を撫でて寝かす。
思いついて頭の上の携帯をとる。動画モードにしてこちらに向ける。
ほとんど暗闇で画像は黒い影だけ。
髪を撫でながら顔を引き寄せる。
寝起きに甘えてくれたら今日子さんに病欠の電話をしたくなるだろう。
髪を撫でながら自分も目を閉じる。
それでも時は容赦なく流れ大人は仕事に行く時間になる。
「真奈、起きて、朝だよ。」
「嫌だ、まだ起きない。」
「遅刻するよ。今日寝坊すると今日子さんに揶揄われるよ。ほら、昨日言ったって言ったじゃない。」
「どうする、かわいい婚約者は夜の頑張りでまだまだ起きれませんので遅刻しますって僕が言う?」
「うううっ。起きる起きる、その内起きる。」
「今起きて、コーヒー冷めるよ。」
「佐野さん、何でそんなにしゃっきり寝起きいいの?」
「また言わせたいの?だ、か、ら、思いっきり可愛い啼き声をぉっ。」
いきなり布団をかぶせられた。飛び起きたらしい。横を足音が駆けていく。
服を拾う隙を与えてしばらくして布団をベッドに戻して立ち上がる。
毎回毎回起こす技術が磨けそうだ。
リビングに戻って朝の準備をする。
今日で良平さんの家の仕事はお終い、明日はついでに顔を出すだけだ。
金曜日は今日子さんのところに顔を出そう。
きちんと二人に挨拶をして、報告して。
彼女が支度をして出てきた。
「真奈、少しやせたんじゃないかな?」
「ちょっとこの辺りが。」
腰のあたりをさする。
心当たりがあり過ぎて。
「今まで運動してなかったから引き締まったんだね。」
そういうことだろう。
「あ、えっ。」
やっと思い当たったらしい。普通すぐにそう思いつくよね。
「まあ、あんまり分かんないよ。ご飯にしよう。倒れないように食べないとね。今日まで良平さんのところの仕事だから。またお昼過ぎに帰ってきて何か作るけど。何がいい?」
「佐野さんが作ってくれるんですか?」
「うん、いいよ。リクエストは?」
「佐野さん、その余裕の発言。何でも作れるんですか?」
「作り方調べれば何とかなるよね。」
「・・・・なりません、少なくとも私は。・・・何でもいいです、楽しみにしてます。」
「そう、じゃあスーパーに行って考えるよ。今日は今のところ何もないから一緒に食べれるかも。急に仕事になったらメールするから。」
「はい、そっちも楽しみにしてます。」
先に部屋を出る彼女を見送る。
昨日作った鳥の餌台を今日は設置する。
後は少しの剪定のみ。切り落とした枝をまとめてゴミの日に出せる様にする。
道具の手入れをして明日回収に行っておしまい。
さて夕飯は何が食べたいかなあ?
ゆっくりとした朝、携帯が鳴った。時々お世話になってるの調査会社から。
仕事の依頼かな?
「もしもし、おはようございます。佐野です。」
「おはよう、矢萩だけど。朝から急で申し訳ないんだけど今日の予定は?」
「一応お昼を挟んで庭仕事が入ってますがある程度はスライドできますよ。ヘルプですか?」
「ああ、ちょっと事故った奴がいて穴埋めが大変なんだよ。」
結局調査仕事を夕方から夜シフトで手伝うことに。
しばらくはいくつかの仕事を引き受けた。
夜仕事はとりあえず今日だけだった。
早速彼女にメールしておく。食事は作れるだろう。
事務所に早めに顔を出しうっすらと婚約したことを報告した。
まだどちらの両親にも許可をもらってないので一応婚約と大きく言えない、『うっすらと婚約』という状態。
「彼女が出来たって報告も聞いてないのに、いきなりか?」
「はい、まあ。今度機会があれば紹介させてください。」
深く突っ込まれる前に言い、話を終える。
早速ですが・・・と切り出し仕事の話に入る。
今日は浮気調査一件、明日からは書類仕事メイン。あとは火曜日からは予定が未定と。昼の時間は空いてるので喜んで手伝うと言っておく。
夕方相棒となる調査員と一緒に出掛ける。
江田さんというベテランだった。
昔からいる人で指導もしてもらったことがあるので幾分気も楽だ。
どうやら新人調査員が趣味のサーフィン中の事故で入院したらしい。
大したことはないらしいので良かった。
そんな話をしながら対象者の会社に向かう。
最近は便利なもので依頼人の奥さんが携帯に位置情報を知らせるアプリを仕込んでくれてるらしい。尾行もゆっくりできる。
つまるところの浮気調査だった。
会社から出た対象者、一緒に同僚らしき数人と居酒屋へ行く様子。
さすがに今日はないだろう、とのんびりと離れた席で食事をとる。
そのまま店の前で解散した一団を見送るように店の外に出る。
伸びをしてゆっくりと後をついていく。
駅に向かうかと思いきや会社へ。何故?忘れ物?
そう待つほどもなく一人で出てきた。そのままゆっくり駅に向かう。
電車を見逃すこと5本。後ろから女性が近づくと並んで次の電車に乗り込む。
そうと聞いてないと分からないが微妙な距離で、こっそりと二人の手が触れ合ってるのにも気がついた。
携帯を見るふりで動画を撮る。手元もアップで。
何とか撮影できたのは不自然に見える動きだけ。
そのまま距離を保ち二人を尾行する。
同じマンションに消えていく直前まで普通の知り合いくらいの距離をとり、会話も少ない位の2人だった。
そうすると逆に確信犯だと言える。
向かいのマンションに走り二人が玄関から仲良く入るところ、閉められたカーテンの向こうに映る二人の影を撮影。
あとはしばらく待ち出てくるところをとって終わり。
今回一切家庭状況など聞いていない。調査も方向がある。
離婚前提の証拠集めか、慰謝料請求のための材料か、疑惑に白黒つけるための男性不貞の証拠か。
それによって選ぶ素材も変わる。とりあえずいずれも必要な瞬間は切り取る。
追加依頼などあればさらに契約を見直して継続する、そうなると金額も変わる。
結局求める素材のみを報告して、継続依頼や証拠集めにはまたお金がかかるのだ。
駆け引きの世界。探る方も、きっと探られる方も、依頼する方も。
今日みたいにうまく素材が集まる日ばかりとは限らない、やはり決定的なものは難しい。
ため息を飲み込みぼんやりと2人が消えたドアを見ている。
少なくとも2時間ぐらいは滞在するだろう。
調査を依頼するまでの女性の気持ちも思うとつらい。
強い女性なら自力で何とかする人もいるくらいだ。
それでも他人を当てにしてまで確かめたいことがある、仕返ししたい気持ちもある。
対象男性が若い事を考えると結婚生活が長い訳ではないかもしれない。
いたたまれない。
「そんなに辛そうな顔をするなよ。いつもそんな顔してたよな。」
江田さんにそう言われてハッと表情を戻す。
「すみません。つい。」
「まあ、人にはいろんな理由があるからなって思うしかないよ。」
「はい。」
「で、所長にいい報告したんだって。」
「はっ、はあぁ。えっと、最近婚約しました。」
「まじかっ、おめでとう。婚約って、結婚はいつ?」
「えっとまだ、プロポーズした段階でどっちの両親にも挨拶に行ってない状態で。」
「へえ、どのくらい付き合ってたんだ、そんな相手がいたなんて初耳だよ。」
「それが数か月で・・・。」
「数か月って言ってもざっくり2カ月から11カ月まであるけどな。言い淀むところを見ると電光石火だよな。」
「はい。えっと知り合って2カ月くらいで、告白してからは一週間くらい。」
「はぁ?」さすがに驚く江田さん。声が大きい。仕事中ですよ。
「だからけじめとしてそういう覚悟だからって指輪を渡して、今すぐじゃなくていいから考えて欲しいと、それまで預かっててもらいたいって言ったら・・・。」
「言ったら、OK即決?」
「突き返されて、レストランからそのまま部屋に戻ってやり直しをさせられて。ちゃんと指にはめて自分の返事を聞いて欲しいと。で、そこでやっとOKの返事をもらえました。」
「結局、即決じゃん。今のは惚気か?」
「いえ、本当に箱から出しもしないで怖い顔で睨んでて、選んだそれがよっぽど気に入らなかったのかと思ってたんです。まさか突き返されるとは思ってなくて、僕の方が泣いて逃げ帰っても不思議じゃなかったですよ。よく部屋まで一緒に歩いたと自分でも思います、半分以上心は空っぽでしたよ。」
「凄い覚悟だな・・・・大丈夫か?」
「はい、今お試し期間で両方の家に泊り合ってますが、仲良くしてます。」
「お前、襟の際に痣をつけて言うセリフじゃねえぞ。」
「えっ!」キスマーク?
「冗談だよ。」
はぁ?びっくりした。
「あの、所長には内緒で。」
「当たり前だよ、こんな話本人以外に語らせてどうする。直接語って笑わせろ、あきれさせろ、ののしられてしまえ。あっ、待てよ、相手はいくつだ?」
「えっと23歳、10歳ほど下です。」
「マジかよお前囲ったな、犯罪者め。」
「何ですか、それ?それに大人ですよ。」
「大人とか、今お前の口から言われるとエロにしか聞こえねえ。」
「そんな、普通に聞いてくださいよ。」
「まあ、良かったな。うれしいよ。」
「ありがとうございます。」
うっかり仕事中だということを忘れそうになる。
ゆっくり視線をドアに戻し、また一時間ほど。
その間いろいろと恥ずかしい話を掘り返された。
しゃべる度に隠したところをつつかれてボロを出しながら気がつくと大暴露。
ごめん真奈。プロの調査員には敵わない。
「出てきた、出てきた。」
ゆっくり立ち上がり動画を撮りつつ移動。後を追う。後は自宅に帰るんだろう。自宅の最寄り駅に降り立ち自宅に帰るまでを見届け仕事終了。
自分の部屋に帰る前に彼女に電話してみる。
特に欲しいものはないということでまっすぐ帰る。
「ただいま、真奈?」
鍵の音がしただろうが迎えがない。トイレかな?
少し遅れて出てきた彼女。
「あ、佐野さん、スーツ。」
わざわざ少し離れて自分を見る。
「あ、お帰りなさい、すみません、ちょっと絵の具で汚れた手を洗ってたので出遅れました。」
「絵を描いてたの?」
昨日と違って明るい表情に安心する。
「い、いいえ、ちょっとキャンペーンのものを・・・・・。」
「そう、お風呂入るし、まだゆっくり続けててもいいよ。」
バスルームに向かう。背後からは足音もせず。彼女の視線を感じる。
後で言われることも想像できそうな気がしてきた。
振り返ってもやっぱり同じ位置にいる彼女。
また近寄って行ってハグする。
「ただいま、真奈。」
「お帰りなさい。」
何故かジャケットの中に手を入れられてシャツの上から触られる。
そのまま離れない。
「何してるの?」
頭の上から聞いた。
「だって見たことないから、びっくりして。」
「でも見えないじゃない、くっつきすぎてるよね。」
「佐野さん、すごく大人みたい。かっこいいです。似合います。」
複雑だ。いつもの楽な格好の方が好きなんだけど。
「真奈、一緒にシャワー浴びたい?僕シャワー浴びたいんだけど。」
「すみません。異常に感動してしまいました。」
手を放して離れる。
「じゃあ、私片づけしなきゃ。」
そそくさとリビングに戻っていった。
揶揄い甲斐があって面白い。
さてと明日も着るのでこのままハンガーにかけておこう。
シャワーを浴びてさっぱりしてリビングに行くと作業をしていた形跡は全くなかった。
すっかり片付けたらしい。隠したいのかな?
もしかしてキャンペーンの主役のかこちゃんの事を知られてないって思ってるとか?
そういえば自分からは言ってないけど今日子さん達も言ってないのかな?
「この部屋、少しは慣れた?」
「はい、自分の作業をしてたので、むしろ広くていいです。」
「お仕事大変でしたか?」
「まあまあね。しばらくは手伝いに行くことになったから。明日も良平さんのところに顔を出して挨拶して道具を回収してくる。いったん帰ってきてまた出かけるけど、帰ってくるのは予定では六時くらい。時間があるようだったら迎えに行くから一緒に帰ろう。途中メール入れるね。」
「はい。」
本当にさっきまで楽しく図画工作をしてたんだろう。昨日とは全く表情が違う。
一気に自分を取り巻く現実に浸れる。
「はぁ~。真奈、ちょっとごめん、足りない。」
ソファの上で体を包み込んでハグ。思いっきり彼女にもたれる。自分の隣のリアルに触れる。
ここにいる彼女、こうしている自分。見えないけど確かにある安定した形。
調査は見えない心の探り合いでどうしても心が引っ張られて疲れる。
わかり易い暖かい温度に触れると安心する。
「どうしたんですか?ため息。やっぱり疲れてましたか?」
「だって着慣れないもの着て、今日は浮気調査の現場写真撮った。やっぱり気分が滅入るんだよね。」
「はあぁ、なるほど。」
「だって・・・やっぱり誰もが不幸になるような仕事だよね。」
「でも疑いながら一緒に過ごすのもつらいと思います。もしきっぱり心が決まったんだったら仕切り直しは何度でもできます。大きな山でも乗り越えて離れてみると小さく見えるんです、なんて偉そうですけど私は何度も自分に言い聞かせるようにしてました。時間がかかりますけど。」
「そうかもね。」
新しい一歩に手を貸すくらいの楽な気持ちで割り切れるといいんだろうなあ。
「あと、対象者が恋人の家に行ってる間、相棒とひたすら部屋のドアを見つめてて、すっかりいろいろと白状させられたんだ。ごめんね、真奈。ちょっと詳しくこの数か月のいろいろを、本当に根掘り葉掘り掘り返して聞いてきて、調査員だけにすごいレポートが出来そうなくらいの語りを暴露してしまって。誰よりも詳しいと思う。」
「いっ。何を・・・?」
「23歳だって、10歳下って言ったら犯罪者扱いされた上に、うらやましがられた。」
「今日みたいなスーツ着てると本当に大人感出てます。いつもはそんなに感じないです、10歳の差。」
「それはそれでどうなんだろう?スーツ、あり?」
「ありです。すごく。虫取り網からスーツまで、何でも似合いますね。」
「そういう真奈も来月のコスプレ楽しみにしてるね。頭にさやかちゃんとおんなじカエルをつけるんでしょう?名前はかこちゃん。」
「げえ、な、なんで知ってるの?今日子さんに聞いたんですか?」
「ふふふふっ、何でもお見通し。絵も見せてもらった、お話も。」
腕の中でバタバタと取り乱す。
「ねえ、あれ、初めて会った日の日にちが書いてあったけど。あの日に描いたの?」
「はい。あの日なんだかすごく、変なテンションで。公園から帰って絵を描いたら話までついてきて。」
「でも、いつ見たんですか、絵も話も。」
「二度目に公園で会った日の朝。商店街の掃除の後、務さんに見せられたんだ。ねえ、真奈。かこちゃんだけが衝撃だったんじゃないよね。そこには僕がちゃんといたよね。」
「勿論です。だって本当にいろいろ衝撃的なシーンがいっぱいで。」
彼女の手が胸に当てられた。
「その割には何度もおでこで殴られてる気がするけどね。」
今度はグーで殴られた。児戯だ。
二人でいる時の戯れではこの距離感が心地いい。
「まな、今日はすごく消耗してるからさあ。」
「はい、大人しくしてます。」
「なんで?逆だよ。」
驚く彼女の顔を見て聞いてみたくなった自分。
「ね、どのサラリーマンが一番?」
「どの?」
「4回だけと、パン屋でナンパとさっきのスーツの俺。」
「わざわざ言わせたいんですよね、佐野さんって。」
「うん。言って、本当にそう?」」
「当たり前です、もう顔も思い出せないくらい・・・。全部塗り替えられてます、思い出が全部。」
それは起きるでしょう。
すっぽりと体を丸めて収まった彼女。
背中を撫でるとすり寄ってくる。
今日帰って夕飯の支度をした。
早起きして電車に乗って仕事をして夜遅くに帰る。
たいていの男性が送っているであろう毎日のリズム。
結局自分には予想以上に合わなかったのかもしれない。
自分で時間を組み立てながら仕事をする今の方が確かに楽なのだ。
もう少し副業を頑張っていけば今のペースでもいけると思う。
空いた時間に料理をして、掃除をして。そんなことが全く苦にならないのだから。
なにより彼女に合わせて月曜日に時間を空けることも可能だから。
ぜひそうしたい。
食事は二人分、自分よりは少なめに皿に盛り少し冷ます。
メモにメッセージを書いてテーブルに置いておく。
パソコンを開いて仕事の記録をつける。
今日は良平さんにうれしい報告が出来た。さすがに目と口を丸くして驚いていた。
老体には衝撃だったかもしれないが本当に喜んできてくれた。
「まだまだ知り合って間もないって聞いてたっけな?」
うっすらと、いぶかしさをのぞかせて聞いてくる。
「そうですが、最初から決めてましたから。そんなこともあるみたいです、お互いに。あ、もしかしておめでたとかそういう方向を考えましたか?それはないですから。ちゃんと彼女と自分の両親にも紹介してからです。でも報告できて良かったです。喜んでくれると思ったんです。」
「おめでとう、真奈ちゃんにも伝えてな。」
「はい。また二人できますから。」
「待っとるわい。」
実家にも久しぶりに電話した。母親が出た。
「変わりない?仕事ちゃんとやれてるの?」
「仕事はやれてるよ。でも大きな変化があって、昨日彼女にプロポーズしてOKもらったんだ。今度会ってくれる?」
「はぁ?本当の事?何、誰?」
「知らない人だよ、勿論。結婚反対しないでしょう?年下の素直な子だよ。」
「もちろん、そんな反対なんてしないから。早く会いたいから連れて来て。お父さんにも報告しとくから。」
「うん、その子の仕事が月曜日休みだから月曜日になってもいいかな?」
「いつでもいいわよ。ちゃんと前もって予定を知らせてね。もう、うれしくてドキドキしてきた。光司も随分帰ってきてないでしょう?」
「そうだね、ごめん。今週末は師匠のところに一緒に行くんだ。後になってごめん。」
「いいから、そんなの。お世話になった人にちゃんと報告してからでもいいし。」
「彼女のご家族は?」
「まだまだ。向こうがびっくりするかも。」
「そう。じゃあ、とりあえず早く予定を決めて教えてね。」
「うん。また連絡するから。」
「ありがとう、待ってるから。」
「うん、父さんによろしく。」
「はいはい。」
「じゃ。」
ふう、やっぱり自分の親でもちょっと緊張する。
反対するはずないって思ってるけど。
彼女の両親はどうだろうか?
便利屋家業の10歳も上の男。不安だらけだと思う。きちんと安心してもらいたい。
まずは師匠に。
時計のアラームを止めて仕事に出かける。
子供の送り迎えを続けて入れた。
送り、送り、送り、引き取り、引き取り、引き取り。
三人を時間差で送り迎えする。多少の前後は子供たちも慣れたもので待っていてくれる。
合間に今日子さんと務さんにメールで報告する。
すぐに電話がかかってきた。
向こうから大きな声でおめでとうと、さやかちゃんの声も聞こえる。
『真奈ちゃんはそんなそぶりなど一切見せなかった。』とガッカリしていた今日子さん。
商店街の面々にもまとめて挨拶できるまで内緒にとお願いした。
合間に直樹にメールする。
子供に報告するようなことじゃないかもしれないけど、本当にお世話になったから。
すぐにびっくりしたというコメントとおめでとうが帰ってきた。
仕事を終えて部屋に戻る。
鍵を開けてドアを開くと明かりがついていて。玄関に彼女が立っていた。
想像していた満面の笑顔じゃない。
でも待っていましたと顔に書いてあるような。
1人で食事も済ませたらしいけど全くリラックスとは程遠い状況。
すごく気をつかってるのがわかる。そんな事を最初から考えてたら疲れるのに。
ちょっと話をしてシャワーを浴びる。
上半身は裸のまま、ペットボトルを持ってソファにいる彼女のところへ。
ソファの上でも足を抱えて借り物の様で落ち着かないらしい様子の彼女。
隣に座って話をする。彼女に実家の場所を聞かれた。
そういえばあんまり家族の話をしてない。自分も彼女の家族の話は少ししか知らない。
ついでじゃないけど実家に電話してプロポーズしたことを報告したと伝えた。
今度両親に会ってほしいと。
ビックリしていた。
彼女もまだ全然自分の事を親に言ったりはしていないようだ。
ついでに良平さんと今日子さん、務さんに報告したことも言った。
やり直しをさせられてまでOKの返事はしてくれても実際の話をすると自信のない事を言う彼女。だから待つって言ったんだけどね。でも、もう遅いよ。
ゆっくりだけど前に進んでその内ジワジワと実感して欲しい。
自分が決めた覚悟の大きさを。
今日こそは・・・そう思ってゆっくり横にいる彼女の髪を撫でながらお休みという。
このところゆっくりした夜を過ごしてない、しかも昨日も仕事を手伝ってもらい休みなしの状態で、夜は夜で。
だから今日こそはゆっくりしてもらおうと。
額を胸に寄せて軽くパジャマを握った手が静かな寝息とともに緩んでくる。
規則的に頭を撫でていた手を放す。
自分は全く眠気を覚えず。
ひたすら隣の温かさを感じ寝息を聞いてると逆に目がさえてきた。
目を閉じても無理だと諦めてゆっくりと起きだし寝室を後にする。
リビングでソファに沈み込みパソコンを手にする。
アジアを出て新しい市場を開拓すべく情報を流し見る。
ひたすら文字を読み数字を見ていてもなかなか情報が頭に入ってこない。
眼鏡をかけて光を見つめる。部屋の中でここだけ時間が流れてるようだ。
昨日とは違い甘い響きもないこの部屋は一人で過ごすモノクロで無音の世界のようだ。
液晶の光だけがリビングを照らす。
ふと暗がりから音がして彼女が姿を見せた。
一気に部屋の温度が上がったような気がする。
「佐野さん。」
「真奈、どうしたの?眠れない?」
「目が覚めたら、隣にいないから。」
「うん、眠れなかったから諦めて起きだしたんだ。」
「仕事中ですか?」
「まあ、そんな感じだけど。いつでも終わりに出来るようなものだよ。」
パタンと閉じたパソコンをテーブルに置く。
「邪魔じゃないですか?」
「勿論邪魔じゃないよ、眠れないならどうぞ。」
彼女が隣に来る。
「ごめんなさい、昨日も結局仕事すすまなかったですよね。」
「そんなことないよ、朝やったから。気にしないで。」
彼女が顔を見つめてくる。手を出して頬に触れてくる。
「さっき、知らない人みたいでした。眼鏡に光が反射して半分が影になっていて。」
「忘れてた。」
眼鏡を外そうと手にしたら彼女の手に抑えられた。
相変わらずこっちを見つめたまま。ゆっくり眼鏡をはずされた。
彼女から眼鏡を引き取りテーブルに乗せる。
「そんなに変わるかな?」
「そうやって笑顔でいるとやっぱりいつもの佐野さんです。でも眼鏡してる時、パソコンに向かって仕事してる時はとっても難しそうな顔してます。」
まあ、そりゃそうだろう。
「さっき帰ってきたときに真奈がすっごく不安そうな顔で出てきてびっくりした。今もそう。一人ぼっちみたいな顔してるよ。どうして?」
「広すぎて遠いみたい。ここにいても佐野さんのかけらが見えない。サノマルがあそこにいるだけ。」
「じゃあ、真奈が好きに荷物を持ってきていいよ。自分で落ち着くようにすればいい。それに今度写真撮るんでしょう?飾ろうね。」
泣き笑いのような顔をしてうなずく。
ソファの上で腰を引き寄せる。
「私、わがまま言ってますか?」
「言ってないよ、ぜんぜん。」
「うん。」
「それに今日こそはゆっくり寝かせようと思って。真奈はすぐに寝たからやっぱり毎日疲れされてたかなって反省してこっちに来て離れたんだ。仕事なんて睡眠薬代わり。」
彼女の体が離れて顔を見上げてくる。
「佐野さんは?疲れてない?」
「言ったでしょう、可愛い啼き声聞けば疲れも吹き飛ぶって。」
ゴン。胸に額をぶつけて止まる。
そのまま掌を胸に当てる。パジャマの生地越しにも掌の熱が伝わる。
それより自分の鼓動を掌で聞いてる?
彼女の顎をあげて頬を両手で挟む。
潤んだように熱を伝える目。
ゆっくり目を閉じる彼女。
でも待たれてるキスはあげない。ゆっくり指で唇を触る。
彼女の目が開き、唇も少し開く。
「まな、ちょっとエロいよ。その顔。そそる。」
唇をなぞりながら鼻をくっつけて顔を近づける。
下唇の真ん中、開いた場所をちょっと押して指を入れる。
下の歯をゆっくり触り上の歯へ。大きく開いた唇から熱い息が漏れる。
自分の指にゆっくり舌が絡まってくる。
目を閉じて自分の人差し指に吸い付いてくる彼女。
ゆっくり指を動かしながら頭ごと胸に引き寄せる。
「まな、何してるの?」
指を抜いてキスをする。
彼女を膝に乗せてソファの上で抱きしめる。
「まだ眠くない?」
「う、ん。」
「ベッドに行く?」
「うん、行く。」
彼女の手をそのまま首に回して抱き上げて、ベッドへ。
結局今日もゆっくり眠らせてあげられなかった。
朝腕の中でビクッと震えた彼女。
こっちもびっくりしてしまった。
うっすら目を開けて自分を見る。まだぼんやりしてる。起きるかな?
「まな、大丈夫?」
「うん。」
隙間を埋める様にくっついてくる彼女。
髪を撫でて寝かす。
思いついて頭の上の携帯をとる。動画モードにしてこちらに向ける。
ほとんど暗闇で画像は黒い影だけ。
髪を撫でながら顔を引き寄せる。
寝起きに甘えてくれたら今日子さんに病欠の電話をしたくなるだろう。
髪を撫でながら自分も目を閉じる。
それでも時は容赦なく流れ大人は仕事に行く時間になる。
「真奈、起きて、朝だよ。」
「嫌だ、まだ起きない。」
「遅刻するよ。今日寝坊すると今日子さんに揶揄われるよ。ほら、昨日言ったって言ったじゃない。」
「どうする、かわいい婚約者は夜の頑張りでまだまだ起きれませんので遅刻しますって僕が言う?」
「うううっ。起きる起きる、その内起きる。」
「今起きて、コーヒー冷めるよ。」
「佐野さん、何でそんなにしゃっきり寝起きいいの?」
「また言わせたいの?だ、か、ら、思いっきり可愛い啼き声をぉっ。」
いきなり布団をかぶせられた。飛び起きたらしい。横を足音が駆けていく。
服を拾う隙を与えてしばらくして布団をベッドに戻して立ち上がる。
毎回毎回起こす技術が磨けそうだ。
リビングに戻って朝の準備をする。
今日で良平さんの家の仕事はお終い、明日はついでに顔を出すだけだ。
金曜日は今日子さんのところに顔を出そう。
きちんと二人に挨拶をして、報告して。
彼女が支度をして出てきた。
「真奈、少しやせたんじゃないかな?」
「ちょっとこの辺りが。」
腰のあたりをさする。
心当たりがあり過ぎて。
「今まで運動してなかったから引き締まったんだね。」
そういうことだろう。
「あ、えっ。」
やっと思い当たったらしい。普通すぐにそう思いつくよね。
「まあ、あんまり分かんないよ。ご飯にしよう。倒れないように食べないとね。今日まで良平さんのところの仕事だから。またお昼過ぎに帰ってきて何か作るけど。何がいい?」
「佐野さんが作ってくれるんですか?」
「うん、いいよ。リクエストは?」
「佐野さん、その余裕の発言。何でも作れるんですか?」
「作り方調べれば何とかなるよね。」
「・・・・なりません、少なくとも私は。・・・何でもいいです、楽しみにしてます。」
「そう、じゃあスーパーに行って考えるよ。今日は今のところ何もないから一緒に食べれるかも。急に仕事になったらメールするから。」
「はい、そっちも楽しみにしてます。」
先に部屋を出る彼女を見送る。
昨日作った鳥の餌台を今日は設置する。
後は少しの剪定のみ。切り落とした枝をまとめてゴミの日に出せる様にする。
道具の手入れをして明日回収に行っておしまい。
さて夕飯は何が食べたいかなあ?
ゆっくりとした朝、携帯が鳴った。時々お世話になってるの調査会社から。
仕事の依頼かな?
「もしもし、おはようございます。佐野です。」
「おはよう、矢萩だけど。朝から急で申し訳ないんだけど今日の予定は?」
「一応お昼を挟んで庭仕事が入ってますがある程度はスライドできますよ。ヘルプですか?」
「ああ、ちょっと事故った奴がいて穴埋めが大変なんだよ。」
結局調査仕事を夕方から夜シフトで手伝うことに。
しばらくはいくつかの仕事を引き受けた。
夜仕事はとりあえず今日だけだった。
早速彼女にメールしておく。食事は作れるだろう。
事務所に早めに顔を出しうっすらと婚約したことを報告した。
まだどちらの両親にも許可をもらってないので一応婚約と大きく言えない、『うっすらと婚約』という状態。
「彼女が出来たって報告も聞いてないのに、いきなりか?」
「はい、まあ。今度機会があれば紹介させてください。」
深く突っ込まれる前に言い、話を終える。
早速ですが・・・と切り出し仕事の話に入る。
今日は浮気調査一件、明日からは書類仕事メイン。あとは火曜日からは予定が未定と。昼の時間は空いてるので喜んで手伝うと言っておく。
夕方相棒となる調査員と一緒に出掛ける。
江田さんというベテランだった。
昔からいる人で指導もしてもらったことがあるので幾分気も楽だ。
どうやら新人調査員が趣味のサーフィン中の事故で入院したらしい。
大したことはないらしいので良かった。
そんな話をしながら対象者の会社に向かう。
最近は便利なもので依頼人の奥さんが携帯に位置情報を知らせるアプリを仕込んでくれてるらしい。尾行もゆっくりできる。
つまるところの浮気調査だった。
会社から出た対象者、一緒に同僚らしき数人と居酒屋へ行く様子。
さすがに今日はないだろう、とのんびりと離れた席で食事をとる。
そのまま店の前で解散した一団を見送るように店の外に出る。
伸びをしてゆっくりと後をついていく。
駅に向かうかと思いきや会社へ。何故?忘れ物?
そう待つほどもなく一人で出てきた。そのままゆっくり駅に向かう。
電車を見逃すこと5本。後ろから女性が近づくと並んで次の電車に乗り込む。
そうと聞いてないと分からないが微妙な距離で、こっそりと二人の手が触れ合ってるのにも気がついた。
携帯を見るふりで動画を撮る。手元もアップで。
何とか撮影できたのは不自然に見える動きだけ。
そのまま距離を保ち二人を尾行する。
同じマンションに消えていく直前まで普通の知り合いくらいの距離をとり、会話も少ない位の2人だった。
そうすると逆に確信犯だと言える。
向かいのマンションに走り二人が玄関から仲良く入るところ、閉められたカーテンの向こうに映る二人の影を撮影。
あとはしばらく待ち出てくるところをとって終わり。
今回一切家庭状況など聞いていない。調査も方向がある。
離婚前提の証拠集めか、慰謝料請求のための材料か、疑惑に白黒つけるための男性不貞の証拠か。
それによって選ぶ素材も変わる。とりあえずいずれも必要な瞬間は切り取る。
追加依頼などあればさらに契約を見直して継続する、そうなると金額も変わる。
結局求める素材のみを報告して、継続依頼や証拠集めにはまたお金がかかるのだ。
駆け引きの世界。探る方も、きっと探られる方も、依頼する方も。
今日みたいにうまく素材が集まる日ばかりとは限らない、やはり決定的なものは難しい。
ため息を飲み込みぼんやりと2人が消えたドアを見ている。
少なくとも2時間ぐらいは滞在するだろう。
調査を依頼するまでの女性の気持ちも思うとつらい。
強い女性なら自力で何とかする人もいるくらいだ。
それでも他人を当てにしてまで確かめたいことがある、仕返ししたい気持ちもある。
対象男性が若い事を考えると結婚生活が長い訳ではないかもしれない。
いたたまれない。
「そんなに辛そうな顔をするなよ。いつもそんな顔してたよな。」
江田さんにそう言われてハッと表情を戻す。
「すみません。つい。」
「まあ、人にはいろんな理由があるからなって思うしかないよ。」
「はい。」
「で、所長にいい報告したんだって。」
「はっ、はあぁ。えっと、最近婚約しました。」
「まじかっ、おめでとう。婚約って、結婚はいつ?」
「えっとまだ、プロポーズした段階でどっちの両親にも挨拶に行ってない状態で。」
「へえ、どのくらい付き合ってたんだ、そんな相手がいたなんて初耳だよ。」
「それが数か月で・・・。」
「数か月って言ってもざっくり2カ月から11カ月まであるけどな。言い淀むところを見ると電光石火だよな。」
「はい。えっと知り合って2カ月くらいで、告白してからは一週間くらい。」
「はぁ?」さすがに驚く江田さん。声が大きい。仕事中ですよ。
「だからけじめとしてそういう覚悟だからって指輪を渡して、今すぐじゃなくていいから考えて欲しいと、それまで預かっててもらいたいって言ったら・・・。」
「言ったら、OK即決?」
「突き返されて、レストランからそのまま部屋に戻ってやり直しをさせられて。ちゃんと指にはめて自分の返事を聞いて欲しいと。で、そこでやっとOKの返事をもらえました。」
「結局、即決じゃん。今のは惚気か?」
「いえ、本当に箱から出しもしないで怖い顔で睨んでて、選んだそれがよっぽど気に入らなかったのかと思ってたんです。まさか突き返されるとは思ってなくて、僕の方が泣いて逃げ帰っても不思議じゃなかったですよ。よく部屋まで一緒に歩いたと自分でも思います、半分以上心は空っぽでしたよ。」
「凄い覚悟だな・・・・大丈夫か?」
「はい、今お試し期間で両方の家に泊り合ってますが、仲良くしてます。」
「お前、襟の際に痣をつけて言うセリフじゃねえぞ。」
「えっ!」キスマーク?
「冗談だよ。」
はぁ?びっくりした。
「あの、所長には内緒で。」
「当たり前だよ、こんな話本人以外に語らせてどうする。直接語って笑わせろ、あきれさせろ、ののしられてしまえ。あっ、待てよ、相手はいくつだ?」
「えっと23歳、10歳ほど下です。」
「マジかよお前囲ったな、犯罪者め。」
「何ですか、それ?それに大人ですよ。」
「大人とか、今お前の口から言われるとエロにしか聞こえねえ。」
「そんな、普通に聞いてくださいよ。」
「まあ、良かったな。うれしいよ。」
「ありがとうございます。」
うっかり仕事中だということを忘れそうになる。
ゆっくり視線をドアに戻し、また一時間ほど。
その間いろいろと恥ずかしい話を掘り返された。
しゃべる度に隠したところをつつかれてボロを出しながら気がつくと大暴露。
ごめん真奈。プロの調査員には敵わない。
「出てきた、出てきた。」
ゆっくり立ち上がり動画を撮りつつ移動。後を追う。後は自宅に帰るんだろう。自宅の最寄り駅に降り立ち自宅に帰るまでを見届け仕事終了。
自分の部屋に帰る前に彼女に電話してみる。
特に欲しいものはないということでまっすぐ帰る。
「ただいま、真奈?」
鍵の音がしただろうが迎えがない。トイレかな?
少し遅れて出てきた彼女。
「あ、佐野さん、スーツ。」
わざわざ少し離れて自分を見る。
「あ、お帰りなさい、すみません、ちょっと絵の具で汚れた手を洗ってたので出遅れました。」
「絵を描いてたの?」
昨日と違って明るい表情に安心する。
「い、いいえ、ちょっとキャンペーンのものを・・・・・。」
「そう、お風呂入るし、まだゆっくり続けててもいいよ。」
バスルームに向かう。背後からは足音もせず。彼女の視線を感じる。
後で言われることも想像できそうな気がしてきた。
振り返ってもやっぱり同じ位置にいる彼女。
また近寄って行ってハグする。
「ただいま、真奈。」
「お帰りなさい。」
何故かジャケットの中に手を入れられてシャツの上から触られる。
そのまま離れない。
「何してるの?」
頭の上から聞いた。
「だって見たことないから、びっくりして。」
「でも見えないじゃない、くっつきすぎてるよね。」
「佐野さん、すごく大人みたい。かっこいいです。似合います。」
複雑だ。いつもの楽な格好の方が好きなんだけど。
「真奈、一緒にシャワー浴びたい?僕シャワー浴びたいんだけど。」
「すみません。異常に感動してしまいました。」
手を放して離れる。
「じゃあ、私片づけしなきゃ。」
そそくさとリビングに戻っていった。
揶揄い甲斐があって面白い。
さてと明日も着るのでこのままハンガーにかけておこう。
シャワーを浴びてさっぱりしてリビングに行くと作業をしていた形跡は全くなかった。
すっかり片付けたらしい。隠したいのかな?
もしかしてキャンペーンの主役のかこちゃんの事を知られてないって思ってるとか?
そういえば自分からは言ってないけど今日子さん達も言ってないのかな?
「この部屋、少しは慣れた?」
「はい、自分の作業をしてたので、むしろ広くていいです。」
「お仕事大変でしたか?」
「まあまあね。しばらくは手伝いに行くことになったから。明日も良平さんのところに顔を出して挨拶して道具を回収してくる。いったん帰ってきてまた出かけるけど、帰ってくるのは予定では六時くらい。時間があるようだったら迎えに行くから一緒に帰ろう。途中メール入れるね。」
「はい。」
本当にさっきまで楽しく図画工作をしてたんだろう。昨日とは全く表情が違う。
一気に自分を取り巻く現実に浸れる。
「はぁ~。真奈、ちょっとごめん、足りない。」
ソファの上で体を包み込んでハグ。思いっきり彼女にもたれる。自分の隣のリアルに触れる。
ここにいる彼女、こうしている自分。見えないけど確かにある安定した形。
調査は見えない心の探り合いでどうしても心が引っ張られて疲れる。
わかり易い暖かい温度に触れると安心する。
「どうしたんですか?ため息。やっぱり疲れてましたか?」
「だって着慣れないもの着て、今日は浮気調査の現場写真撮った。やっぱり気分が滅入るんだよね。」
「はあぁ、なるほど。」
「だって・・・やっぱり誰もが不幸になるような仕事だよね。」
「でも疑いながら一緒に過ごすのもつらいと思います。もしきっぱり心が決まったんだったら仕切り直しは何度でもできます。大きな山でも乗り越えて離れてみると小さく見えるんです、なんて偉そうですけど私は何度も自分に言い聞かせるようにしてました。時間がかかりますけど。」
「そうかもね。」
新しい一歩に手を貸すくらいの楽な気持ちで割り切れるといいんだろうなあ。
「あと、対象者が恋人の家に行ってる間、相棒とひたすら部屋のドアを見つめてて、すっかりいろいろと白状させられたんだ。ごめんね、真奈。ちょっと詳しくこの数か月のいろいろを、本当に根掘り葉掘り掘り返して聞いてきて、調査員だけにすごいレポートが出来そうなくらいの語りを暴露してしまって。誰よりも詳しいと思う。」
「いっ。何を・・・?」
「23歳だって、10歳下って言ったら犯罪者扱いされた上に、うらやましがられた。」
「今日みたいなスーツ着てると本当に大人感出てます。いつもはそんなに感じないです、10歳の差。」
「それはそれでどうなんだろう?スーツ、あり?」
「ありです。すごく。虫取り網からスーツまで、何でも似合いますね。」
「そういう真奈も来月のコスプレ楽しみにしてるね。頭にさやかちゃんとおんなじカエルをつけるんでしょう?名前はかこちゃん。」
「げえ、な、なんで知ってるの?今日子さんに聞いたんですか?」
「ふふふふっ、何でもお見通し。絵も見せてもらった、お話も。」
腕の中でバタバタと取り乱す。
「ねえ、あれ、初めて会った日の日にちが書いてあったけど。あの日に描いたの?」
「はい。あの日なんだかすごく、変なテンションで。公園から帰って絵を描いたら話までついてきて。」
「でも、いつ見たんですか、絵も話も。」
「二度目に公園で会った日の朝。商店街の掃除の後、務さんに見せられたんだ。ねえ、真奈。かこちゃんだけが衝撃だったんじゃないよね。そこには僕がちゃんといたよね。」
「勿論です。だって本当にいろいろ衝撃的なシーンがいっぱいで。」
彼女の手が胸に当てられた。
「その割には何度もおでこで殴られてる気がするけどね。」
今度はグーで殴られた。児戯だ。
二人でいる時の戯れではこの距離感が心地いい。
「まな、今日はすごく消耗してるからさあ。」
「はい、大人しくしてます。」
「なんで?逆だよ。」
驚く彼女の顔を見て聞いてみたくなった自分。
「ね、どのサラリーマンが一番?」
「どの?」
「4回だけと、パン屋でナンパとさっきのスーツの俺。」
「わざわざ言わせたいんですよね、佐野さんって。」
「うん。言って、本当にそう?」」
「当たり前です、もう顔も思い出せないくらい・・・。全部塗り替えられてます、思い出が全部。」
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