8 / 11
8 言葉はとても有効な意思伝達の手段です。※たまに間違って伝わる場合もあります。
しおりを挟む
それからも仕事は普通で、接触は今までと同じくらいで一日二回だし、付箋でやり取りなんてせずに、夜に部屋でやり取りをしてる。
本当に普通の同僚、最初の頃よりは少しお互いに馴染みましたってそのくらい。
金曜日は時々誘われて、懐かしいメンバーと飲んでる。
週末に会う予定を立てたら、金曜日は誘われていいかなって思うから。
そして同期の誰も私の変化に気がついてない。
あれ以降安西さんの話題が出ないんだから。
映画もお互いの見たいものは公開前から話をして、何本かあると一、二本は見たいねって言い合える。
そんな気安い映画友達、食事友達。
今のところそんな感じからは出てないかもしれない。
ゆっくりだけど穏やかな安西さんの雰囲気にじんわりと浸み込むような感じで安西さんの側にいることにも馴染んできたと思っていた私。
そんなある時、ドリップコーヒーのフィルターを買いに付き合ってもらった。
安いものは水分が早く流れてしまうから、もっといいのを買いたいと思った。
一人分、一杯しかいれないからコーヒーサーバーは邪魔になるから。
マグカップに置けて一回分が作れればいい。
いろんな雑貨やおしゃれな調理器具のあるお店を見ていた。
隣にいた安西さんに気に入ったのを教えたくて腕を掴もうと手を伸ばした。
確かにそこに腕はあったのに。
よくは見てなかったけど、私の手がその腕に触れる瞬間のちょっと前に腕を引かれた気がした。
気のせい?
中途半端に伸びた腕を戻しながら、顔を向けた。
真剣に何かを見ているような横顔があった。
「安西さん、これ、良さそうです。」
ペーパーを使わなくてもいいらしい。
粉を捨てるのが面倒だろうか?
そんな事を聞きたかったのに、指さして、そのまま止まった。
「じんわりと落ちるのかな?粉が隙間には入らないんだろうね?」
「そうですね・・・・。」
「なかなか決められないなあ。やっぱりこっちがいいかなあ。」
先を進んだところにあるものを手にして見る。
気になって買い物に集中できない。
何の感想も待たずに買うことに決めた。
「ちょっと買ってきます。」
そう言って距離をとった。
レジに置いてお金を払う。
箱に入れてもらって包んでもらう間も考えてる。
何で???
商品を受け取りお店を出た。
ゆっくりエレベーターに戻り下に降りる。
食事も終わって、いつもならコーヒー屋さんでのんびりしたりするけど・・・・もう、いいかな。
何かを諦めた私。
それが何なのか考えたくないけど、考えない振りもできないと思う。
さり気なくもなく駅に向かい、改札で振り返った。
「買い物にも付き合ってもらえてありがとうございました。美味しいコーヒーが飲めそうです。」
そう言って商品を指さして。
「じゃあ、今日は帰ります。」
突然だったかもしれない。
食事の間、来週に行きたいところの話をしていた。
後で調べてみようかって、そんな話にもなってたのに。
覚えてるだろうか?
どう思っただろうか?
それは私だってそう思ってる。
気のせいじゃなかったよね?
あの噂がまた頭をよぎった。
結局聞けてない、確かめてない、あの話。
必要ないって思ってたのに。
笑顔はすごく安心できる。無理はしてないと思う。
告白してくれたように特別に思ってくれてるって思ってた。
なのに、あれだけの接触の雰囲気を敏感に察知して、避けたの?
確かに今のところ全く手をつなぐことも、背中に手を当てられたりすることもなかった。
他人よりはちょっとだけ近い距離にいるけど、まだまだ壁はうっすらとあった。
部屋に帰り、さっそく水洗いしてコーヒーをいれてみた。
ゆっくりとコーヒーが落ちていくのを見ていた。
今までよりは時間がかかってゆっくりだった。
せっかくの一杯目をちゃんと味わえたのか分からない。
ぼんやりとマグカップを口に運びながら、携帯も見ずにいた。
月曜日、自分に手渡された仕事は手元に残ってて、そのまま続きをやっていた。
人の想いのバランスは難しい。
告白されて、じゃあ友達のようにと一緒に週末を過ごすことになったのに、いつの間にか一緒にいるのを当然と思ってる。いつの間にか自分の方がそれを当然だと思い込んでいたらしい。
安西さんには途中で考える隙があったのかもしれない。
だって三年間も全く私とは接点もなかったんだから、四年目に近くに来たからと言って、三年間うっすらと想像していた私とは違ってたなあって思うことがあっても当然で、それをお互い責めることはできない。私は私で、安西さんの感じ方は安西さんのもので。
数回手が止まってぼんやりすることがあった。
気が付いたら俯いてため息をついて気分を変える。
遅れを取り戻すように指を動かす。
何かに気が付いたら、見ないふりで先には進めないこともあるのに。
安西さんも何も言ってこない、違和感をもったままじゃあどうにもならないのに。
また、私から言った方がいいのだろうか?
久しぶりに付箋で、時間を下さいと。
いつもの夜の連絡じゃなくて、そうやって、前と同じ方法で。
本当に夜の連絡もなくて、伝えることもできなかった。
私からもしないまま。
水曜日、書類の提出のタイミングでお願いした。
「安西さん、これ大丈夫ですか?」
何だか本当に前と同じセリフ。
今日仕事終わりに時間を下さいとお願いした。
「大丈夫です。」
返事も同じだった。
だけどそう答えられた顔はよく見なかった。
誰にもバレないうちにひっそりと終わる恋人もどきの関係。
元に戻ると言ってもただの同期に戻るだけ。
週末の予定がお互いに空くだけ。
映画は一人でも見に行くことはできる、食事だってお酒だって一人でも楽しんでいた。
それでも寂しいって思うんだろう。
待ち合わせの場所で先にコーヒーの小さいサイズを買って座っていた。
どうせまた外に出るだろう。
今日はどうなるだろう。
『とりあえず食事』のパターンはないかもしれない。
さすがに安西さんも私が気がついたと分かっただろう。
むしろ本当のところを言えると、少しは安心してるだろうか?
安西さんが言ってくれないと、結局あの噂は判定不能のまま終わる。
誰もががっかりする気がするけど、聞ける関係じゃないってわかってくれるだろう。
少なくとも社内同期のメンバーは許してくれるだろう。
他にもそんなタイプの人はいるんだろうか?
そんな人同士だとお互いに分かるんだろう。
それは友達とは違うんだろうか?
男女の異性間でも相性ぴったりな相手を見つけるのは難しいのに、同性だともっと困難なんだろう・・・・なんていらぬ心配をしてしまう。
「お疲れ様、お待たせ、菊池さん。」
顔をあげて見た。
手にはコーヒーはなかった。
ゆっくり立ち上がって、またしても一口も減ってない自分のコーヒーを手にして外に出る。
ゆっくり歩きだす二人。
「とりあえず話ができるところに。」
そう言われた。
話がメイン、今日の要件、そんな感じだ。
先に歩く後姿を見る。
すくっと伸びた背中、迷いない足取り、事故の影響はどこなんだろう。
腕もよくわからず、足もよく分からない。
二度の手術と言ってたから傷跡はあるはずだ。
かばう様なしぐさもない。
そんな事を思って見ていた。
静かな場所にたどり着いて、立ち止まられた。
お互いが相手の一言を待ってる状態。
一歩近寄って私が手をゆっくり安西さんの方へ伸ばす。
立ち止まったまま、そのまま動かない安西さん。
腕を引くこともしない。
この間が気のせいだったのだろうか?
あと少しというところで手を止めて、顔を見上げたら。
明らかに私の手を見ていた、そしてゆっくり顔が動いて視線が合った。
「事故の影響ですか?それとも他の理由ですか?」
「最初から無理を押しての誘いだったのか、それとも途中で無理だと思うことに気がつきましたか?」
私の質問にピンと来てないらしい。
それでも最近の微妙な雰囲気の理由には思い当たったみたいだから、あの時はやっぱり腕をわざと引いたんだろう。
そしてその理由は分からない。
「二度目に飲みに行く少し前でした、友達から噂を聞きました。後輩の女の子に告白されて断りましたよね。」
私からその話がでてびっくりした顔をした安西さん。
でもまだ・・・・びっくりはこの後なのに。
「安西さんが女性を相手にしないって噂が流れてきました。それは異性を相手にしないという意味です。」
もしそれが真実だとしたら、私がとやかく言うことでもない・・・・こともないか。
少しは言ってもいいよね。
驚いた顔のまま、何の言葉もない。
どの部分を否定して、どの部分を認める?
「今の本当の思うところを教えてください。」
そう言った。
「前に言ったことと少しも変わりはない。そんな話になってるのは本当にびっくりだし、事実じゃない。ただあの時の人は自分が向き合いたい相手じゃないから断っただけだし、突然で今でも誰だったのか分からないくらいだったし。」
噂は否定された。
皆ががっかり半分の気持ちで聞くだろう真実。
そして・・・・。
「この間、確かに、気がついたんだ。普通に友達の様に週末を過ごし始めたのに、うっかり誤解しそうで自分では抑えてるのに、あの時菊池さんから伸びてくる腕がとても・・・・軽く思えて・・・・ちょっといい言い方が思いつかないけど・・・・まだ止めてほしいと思って、わざと腕を動かした。それは謝りたい。」
「別に謝罪はいいです。ただよく分かりません。私だって最初は普通の同僚で映画友達でって思ってました。でもずいぶんと距離は近くなったと思ってたんです。それは自然にそう思えて、自分もそうなって。なのに急にそんな風によけられたら分からなくなります。」
「・・・・申し訳ない。」
「さっきも逃げたかったんですか?」
「心では望んでるけど、何でだろうって思って逃げたい気持ちもあったかもしれない。」
「そんなに簡単には触りません。酔ってもそういうタイプにはなりません。だから私だって心から望んだことです。それがあの時も自然だと思えるくらいだったからです。」
「菊池さん、最初の頃と気持ちは変わらないって言ったけど、もっとずっと近くにいて、前よりもっと好きになってる。だからそろそろ返事を聞きたい。」
何で伝わらないんだろう・・・というか今こそはっきり伝わったはずだと思うのに。
それなのに、ありきたりでも『言葉』が必要なタイプらしい。
確かにそれは全然言ってない。
でも、ここで言うの?
でも、ここでさっき言われた。
顔をあげた。
安心してる表情でもない、何でだろう?
そんなに不安にさせるようなことは何もないはずなのに。
「好きです。安西さん、これからも、もっと深く、私とお付き合いしてください。」
ちょっとだけ近寄った。
手は伸ばさない。
体が向き合って、近くにいるくらい。
さすがに逃げられなかった。
「ありがとう。その言葉が凄く聞きたかった、ずっと聞きたかった。」
やっぱりすごく大切な言葉だったらしい。
態度だけじゃ安心できないタイプらしい。
「安西さん、ここに傷があるんですか?」
右の腕にそっと触れた。
それでもシャツの上から、ほとんど体温は感じないくらい、軽く。
「そうだね。でも腕はそんな大した傷じゃないよ。二度手術をしたのは足だから。」
「気になる?」
急いで首を振った。
「いえ、ただ、あんまり触れられたくないんじゃないかって、ずっと考えたりしてたので聞いてみただけです。」
「別に・・・そんな理由はないよ。本当に傷痕の事は気にしないで。」
「はい。」
そのままゆっくり指先を滑らすようにして手の平に触れた。
大きな手の平が開いて、ゆっくりと私の指先を包んでくれた。
手がつながれた。初めてだった。
「食事に行こうか?」
「はい。」
「安心して、すごくお腹が空いたんだ。ずっと不安だったから。いい予感はしなかったんだ。」
「すみません、どうしても・・・・。」
「あ、いや、別に責めてないよ。自分が悪かったんだし。」
そう言って申し訳なさそうな顔をした後、手に力がこもった。
同じように力を入れて握り返した。
そのまま駅を離れて適当なお店に入った。
私だって安心した。
同じようにお腹が空いて、同じように楽しく食事ができたと思う。
小さなテーブルで向き合って食べる。
時々顔を寄せ合って内緒話をするように、でもそんな秘密の話なんてしてない。
ちょっとだけにぎやかな周りに負けないように話をしてるだけだった。
時々膝がぶつかるけど、二度目からは気にしない。
腕に触れられるのをあんなに気にしてたのに・・・・。
はっきりさせたかった安西さんと、すっかり馴染んでそうなってると思い込んでた私と。
やっぱり言葉は意思を伝える一番分かりやすい手段みたい。
それだけで気がかりなことも気にしないでいられてるし。
ただ、安西さん、後輩の子には変な風に伝わったんだから、気を付けた方がいいですよ・・・なんてそのうちに言いたい。
きっと冷静になって思い直してまたびっくりするだろう。
そんな困り顔も見たいと思った。
今膝は明らかにくっついてる。
テーブルの下で見えないけど、片方にずっと体温を感じてる。
私もずらすこともせず、あえて気がつかない振りで。
注文したメニューをどんどん食べて、お皿が下げられた後のテーブルが寂しくなった。
小さいテーブルだから、肘をついてるその大きな手はすぐそこにあって。
ゆっくり手を伸ばして触れた。
軽く作られていたこぶしが開かれて、指が絡み合う。
二人の視線はそこにあって、ふざけ合う指を見てる感じだった。
そのうちに覆いかぶさるように包まれて、テーブルに押し付けられるように止められた。
「週末はどうする?」
全く予定を立ててなかった今週。
重なった二人の週末は白いままで。
手がギュッと力を込めてくる。
その表情を見る。
「何も決めてないです。どう過ごしますか?」
「・・・どっちでも大丈夫?」
「大丈夫です。」
「じゃあ・・・・そろそろ帰ろうか。」
予定は決まらないまま。
大きな手が離れて、私の手は自由になった。
ゆっくり手を引いて、荷物を持った。
会計はお願いした。
今度私が払えばいいだろう。そう伝えるつもりだ。
「じゃあ、今度は私がご馳走する番です。どうしますか?」
お店を出て、また手をつながれた。
そこから動かないまま。
お互いに夜の明かりの中で見つめ合って。
「もっと一緒にいたいんだけど・・・・土曜日の夜は家に来ない?」
ちゃんと伝わった。
「はい。お邪魔します。」
ちゃんと答えた。
二人で赤い顔をしてるかもしれない。
お酒のせいだけじゃなくて、もっと違う、言葉のせいで。
その手を強く結びつけたまま駅までゆっくりと歩く。
ここ数日の痛そうに凝り固まっていた心が今はほどけている。
暖かくてうれしくて幸せで大好きで。
それを今度は全部伝えたい。
夜二人だけの空間で伝えたい。
駅で別れた。
最後まで手は離れなかったけど、ゆっくりと視界の外で、見えない二人の体の間でほどけた。
「じゃあ、また明日。おやすみ。」
「お休みなさい。」
手を振って背中を向けた。
それでも視線を感じてたから早足で歩いて人ごみに紛れた。
つないだあとの手はギュッと握りしめられていた。
暖かさを逃がさないように・・・そう思ってたわけではないけど。
言葉はまだまだ最初のころと変わらない。
急に変わったら先輩たちもびっくりするだろうか?
でも変わるかもしれない。
もっともっと近くに感じたら、きっと変わると思う。
誰にも報告ができないまま、しょうがないと思って部屋で荷物を作る。
どんな部屋なんだろう?
想像では何もない部屋のような気もする。
これでにぎやかなほどの荷物が押し込まれてたりしたらびっくりだけど。
ひとり想像で笑って、急に我に返って恥ずかしくなった。
浮かれてるんだと思う。
それは樫木先輩に負けないくらい。
ただすぐ近くの同僚だから鬱陶しい惚気がないだけ。
まだ誰にも教えてないから惚気る相手がいないから。
本当に普通の同僚、最初の頃よりは少しお互いに馴染みましたってそのくらい。
金曜日は時々誘われて、懐かしいメンバーと飲んでる。
週末に会う予定を立てたら、金曜日は誘われていいかなって思うから。
そして同期の誰も私の変化に気がついてない。
あれ以降安西さんの話題が出ないんだから。
映画もお互いの見たいものは公開前から話をして、何本かあると一、二本は見たいねって言い合える。
そんな気安い映画友達、食事友達。
今のところそんな感じからは出てないかもしれない。
ゆっくりだけど穏やかな安西さんの雰囲気にじんわりと浸み込むような感じで安西さんの側にいることにも馴染んできたと思っていた私。
そんなある時、ドリップコーヒーのフィルターを買いに付き合ってもらった。
安いものは水分が早く流れてしまうから、もっといいのを買いたいと思った。
一人分、一杯しかいれないからコーヒーサーバーは邪魔になるから。
マグカップに置けて一回分が作れればいい。
いろんな雑貨やおしゃれな調理器具のあるお店を見ていた。
隣にいた安西さんに気に入ったのを教えたくて腕を掴もうと手を伸ばした。
確かにそこに腕はあったのに。
よくは見てなかったけど、私の手がその腕に触れる瞬間のちょっと前に腕を引かれた気がした。
気のせい?
中途半端に伸びた腕を戻しながら、顔を向けた。
真剣に何かを見ているような横顔があった。
「安西さん、これ、良さそうです。」
ペーパーを使わなくてもいいらしい。
粉を捨てるのが面倒だろうか?
そんな事を聞きたかったのに、指さして、そのまま止まった。
「じんわりと落ちるのかな?粉が隙間には入らないんだろうね?」
「そうですね・・・・。」
「なかなか決められないなあ。やっぱりこっちがいいかなあ。」
先を進んだところにあるものを手にして見る。
気になって買い物に集中できない。
何の感想も待たずに買うことに決めた。
「ちょっと買ってきます。」
そう言って距離をとった。
レジに置いてお金を払う。
箱に入れてもらって包んでもらう間も考えてる。
何で???
商品を受け取りお店を出た。
ゆっくりエレベーターに戻り下に降りる。
食事も終わって、いつもならコーヒー屋さんでのんびりしたりするけど・・・・もう、いいかな。
何かを諦めた私。
それが何なのか考えたくないけど、考えない振りもできないと思う。
さり気なくもなく駅に向かい、改札で振り返った。
「買い物にも付き合ってもらえてありがとうございました。美味しいコーヒーが飲めそうです。」
そう言って商品を指さして。
「じゃあ、今日は帰ります。」
突然だったかもしれない。
食事の間、来週に行きたいところの話をしていた。
後で調べてみようかって、そんな話にもなってたのに。
覚えてるだろうか?
どう思っただろうか?
それは私だってそう思ってる。
気のせいじゃなかったよね?
あの噂がまた頭をよぎった。
結局聞けてない、確かめてない、あの話。
必要ないって思ってたのに。
笑顔はすごく安心できる。無理はしてないと思う。
告白してくれたように特別に思ってくれてるって思ってた。
なのに、あれだけの接触の雰囲気を敏感に察知して、避けたの?
確かに今のところ全く手をつなぐことも、背中に手を当てられたりすることもなかった。
他人よりはちょっとだけ近い距離にいるけど、まだまだ壁はうっすらとあった。
部屋に帰り、さっそく水洗いしてコーヒーをいれてみた。
ゆっくりとコーヒーが落ちていくのを見ていた。
今までよりは時間がかかってゆっくりだった。
せっかくの一杯目をちゃんと味わえたのか分からない。
ぼんやりとマグカップを口に運びながら、携帯も見ずにいた。
月曜日、自分に手渡された仕事は手元に残ってて、そのまま続きをやっていた。
人の想いのバランスは難しい。
告白されて、じゃあ友達のようにと一緒に週末を過ごすことになったのに、いつの間にか一緒にいるのを当然と思ってる。いつの間にか自分の方がそれを当然だと思い込んでいたらしい。
安西さんには途中で考える隙があったのかもしれない。
だって三年間も全く私とは接点もなかったんだから、四年目に近くに来たからと言って、三年間うっすらと想像していた私とは違ってたなあって思うことがあっても当然で、それをお互い責めることはできない。私は私で、安西さんの感じ方は安西さんのもので。
数回手が止まってぼんやりすることがあった。
気が付いたら俯いてため息をついて気分を変える。
遅れを取り戻すように指を動かす。
何かに気が付いたら、見ないふりで先には進めないこともあるのに。
安西さんも何も言ってこない、違和感をもったままじゃあどうにもならないのに。
また、私から言った方がいいのだろうか?
久しぶりに付箋で、時間を下さいと。
いつもの夜の連絡じゃなくて、そうやって、前と同じ方法で。
本当に夜の連絡もなくて、伝えることもできなかった。
私からもしないまま。
水曜日、書類の提出のタイミングでお願いした。
「安西さん、これ大丈夫ですか?」
何だか本当に前と同じセリフ。
今日仕事終わりに時間を下さいとお願いした。
「大丈夫です。」
返事も同じだった。
だけどそう答えられた顔はよく見なかった。
誰にもバレないうちにひっそりと終わる恋人もどきの関係。
元に戻ると言ってもただの同期に戻るだけ。
週末の予定がお互いに空くだけ。
映画は一人でも見に行くことはできる、食事だってお酒だって一人でも楽しんでいた。
それでも寂しいって思うんだろう。
待ち合わせの場所で先にコーヒーの小さいサイズを買って座っていた。
どうせまた外に出るだろう。
今日はどうなるだろう。
『とりあえず食事』のパターンはないかもしれない。
さすがに安西さんも私が気がついたと分かっただろう。
むしろ本当のところを言えると、少しは安心してるだろうか?
安西さんが言ってくれないと、結局あの噂は判定不能のまま終わる。
誰もががっかりする気がするけど、聞ける関係じゃないってわかってくれるだろう。
少なくとも社内同期のメンバーは許してくれるだろう。
他にもそんなタイプの人はいるんだろうか?
そんな人同士だとお互いに分かるんだろう。
それは友達とは違うんだろうか?
男女の異性間でも相性ぴったりな相手を見つけるのは難しいのに、同性だともっと困難なんだろう・・・・なんていらぬ心配をしてしまう。
「お疲れ様、お待たせ、菊池さん。」
顔をあげて見た。
手にはコーヒーはなかった。
ゆっくり立ち上がって、またしても一口も減ってない自分のコーヒーを手にして外に出る。
ゆっくり歩きだす二人。
「とりあえず話ができるところに。」
そう言われた。
話がメイン、今日の要件、そんな感じだ。
先に歩く後姿を見る。
すくっと伸びた背中、迷いない足取り、事故の影響はどこなんだろう。
腕もよくわからず、足もよく分からない。
二度の手術と言ってたから傷跡はあるはずだ。
かばう様なしぐさもない。
そんな事を思って見ていた。
静かな場所にたどり着いて、立ち止まられた。
お互いが相手の一言を待ってる状態。
一歩近寄って私が手をゆっくり安西さんの方へ伸ばす。
立ち止まったまま、そのまま動かない安西さん。
腕を引くこともしない。
この間が気のせいだったのだろうか?
あと少しというところで手を止めて、顔を見上げたら。
明らかに私の手を見ていた、そしてゆっくり顔が動いて視線が合った。
「事故の影響ですか?それとも他の理由ですか?」
「最初から無理を押しての誘いだったのか、それとも途中で無理だと思うことに気がつきましたか?」
私の質問にピンと来てないらしい。
それでも最近の微妙な雰囲気の理由には思い当たったみたいだから、あの時はやっぱり腕をわざと引いたんだろう。
そしてその理由は分からない。
「二度目に飲みに行く少し前でした、友達から噂を聞きました。後輩の女の子に告白されて断りましたよね。」
私からその話がでてびっくりした顔をした安西さん。
でもまだ・・・・びっくりはこの後なのに。
「安西さんが女性を相手にしないって噂が流れてきました。それは異性を相手にしないという意味です。」
もしそれが真実だとしたら、私がとやかく言うことでもない・・・・こともないか。
少しは言ってもいいよね。
驚いた顔のまま、何の言葉もない。
どの部分を否定して、どの部分を認める?
「今の本当の思うところを教えてください。」
そう言った。
「前に言ったことと少しも変わりはない。そんな話になってるのは本当にびっくりだし、事実じゃない。ただあの時の人は自分が向き合いたい相手じゃないから断っただけだし、突然で今でも誰だったのか分からないくらいだったし。」
噂は否定された。
皆ががっかり半分の気持ちで聞くだろう真実。
そして・・・・。
「この間、確かに、気がついたんだ。普通に友達の様に週末を過ごし始めたのに、うっかり誤解しそうで自分では抑えてるのに、あの時菊池さんから伸びてくる腕がとても・・・・軽く思えて・・・・ちょっといい言い方が思いつかないけど・・・・まだ止めてほしいと思って、わざと腕を動かした。それは謝りたい。」
「別に謝罪はいいです。ただよく分かりません。私だって最初は普通の同僚で映画友達でって思ってました。でもずいぶんと距離は近くなったと思ってたんです。それは自然にそう思えて、自分もそうなって。なのに急にそんな風によけられたら分からなくなります。」
「・・・・申し訳ない。」
「さっきも逃げたかったんですか?」
「心では望んでるけど、何でだろうって思って逃げたい気持ちもあったかもしれない。」
「そんなに簡単には触りません。酔ってもそういうタイプにはなりません。だから私だって心から望んだことです。それがあの時も自然だと思えるくらいだったからです。」
「菊池さん、最初の頃と気持ちは変わらないって言ったけど、もっとずっと近くにいて、前よりもっと好きになってる。だからそろそろ返事を聞きたい。」
何で伝わらないんだろう・・・というか今こそはっきり伝わったはずだと思うのに。
それなのに、ありきたりでも『言葉』が必要なタイプらしい。
確かにそれは全然言ってない。
でも、ここで言うの?
でも、ここでさっき言われた。
顔をあげた。
安心してる表情でもない、何でだろう?
そんなに不安にさせるようなことは何もないはずなのに。
「好きです。安西さん、これからも、もっと深く、私とお付き合いしてください。」
ちょっとだけ近寄った。
手は伸ばさない。
体が向き合って、近くにいるくらい。
さすがに逃げられなかった。
「ありがとう。その言葉が凄く聞きたかった、ずっと聞きたかった。」
やっぱりすごく大切な言葉だったらしい。
態度だけじゃ安心できないタイプらしい。
「安西さん、ここに傷があるんですか?」
右の腕にそっと触れた。
それでもシャツの上から、ほとんど体温は感じないくらい、軽く。
「そうだね。でも腕はそんな大した傷じゃないよ。二度手術をしたのは足だから。」
「気になる?」
急いで首を振った。
「いえ、ただ、あんまり触れられたくないんじゃないかって、ずっと考えたりしてたので聞いてみただけです。」
「別に・・・そんな理由はないよ。本当に傷痕の事は気にしないで。」
「はい。」
そのままゆっくり指先を滑らすようにして手の平に触れた。
大きな手の平が開いて、ゆっくりと私の指先を包んでくれた。
手がつながれた。初めてだった。
「食事に行こうか?」
「はい。」
「安心して、すごくお腹が空いたんだ。ずっと不安だったから。いい予感はしなかったんだ。」
「すみません、どうしても・・・・。」
「あ、いや、別に責めてないよ。自分が悪かったんだし。」
そう言って申し訳なさそうな顔をした後、手に力がこもった。
同じように力を入れて握り返した。
そのまま駅を離れて適当なお店に入った。
私だって安心した。
同じようにお腹が空いて、同じように楽しく食事ができたと思う。
小さなテーブルで向き合って食べる。
時々顔を寄せ合って内緒話をするように、でもそんな秘密の話なんてしてない。
ちょっとだけにぎやかな周りに負けないように話をしてるだけだった。
時々膝がぶつかるけど、二度目からは気にしない。
腕に触れられるのをあんなに気にしてたのに・・・・。
はっきりさせたかった安西さんと、すっかり馴染んでそうなってると思い込んでた私と。
やっぱり言葉は意思を伝える一番分かりやすい手段みたい。
それだけで気がかりなことも気にしないでいられてるし。
ただ、安西さん、後輩の子には変な風に伝わったんだから、気を付けた方がいいですよ・・・なんてそのうちに言いたい。
きっと冷静になって思い直してまたびっくりするだろう。
そんな困り顔も見たいと思った。
今膝は明らかにくっついてる。
テーブルの下で見えないけど、片方にずっと体温を感じてる。
私もずらすこともせず、あえて気がつかない振りで。
注文したメニューをどんどん食べて、お皿が下げられた後のテーブルが寂しくなった。
小さいテーブルだから、肘をついてるその大きな手はすぐそこにあって。
ゆっくり手を伸ばして触れた。
軽く作られていたこぶしが開かれて、指が絡み合う。
二人の視線はそこにあって、ふざけ合う指を見てる感じだった。
そのうちに覆いかぶさるように包まれて、テーブルに押し付けられるように止められた。
「週末はどうする?」
全く予定を立ててなかった今週。
重なった二人の週末は白いままで。
手がギュッと力を込めてくる。
その表情を見る。
「何も決めてないです。どう過ごしますか?」
「・・・どっちでも大丈夫?」
「大丈夫です。」
「じゃあ・・・・そろそろ帰ろうか。」
予定は決まらないまま。
大きな手が離れて、私の手は自由になった。
ゆっくり手を引いて、荷物を持った。
会計はお願いした。
今度私が払えばいいだろう。そう伝えるつもりだ。
「じゃあ、今度は私がご馳走する番です。どうしますか?」
お店を出て、また手をつながれた。
そこから動かないまま。
お互いに夜の明かりの中で見つめ合って。
「もっと一緒にいたいんだけど・・・・土曜日の夜は家に来ない?」
ちゃんと伝わった。
「はい。お邪魔します。」
ちゃんと答えた。
二人で赤い顔をしてるかもしれない。
お酒のせいだけじゃなくて、もっと違う、言葉のせいで。
その手を強く結びつけたまま駅までゆっくりと歩く。
ここ数日の痛そうに凝り固まっていた心が今はほどけている。
暖かくてうれしくて幸せで大好きで。
それを今度は全部伝えたい。
夜二人だけの空間で伝えたい。
駅で別れた。
最後まで手は離れなかったけど、ゆっくりと視界の外で、見えない二人の体の間でほどけた。
「じゃあ、また明日。おやすみ。」
「お休みなさい。」
手を振って背中を向けた。
それでも視線を感じてたから早足で歩いて人ごみに紛れた。
つないだあとの手はギュッと握りしめられていた。
暖かさを逃がさないように・・・そう思ってたわけではないけど。
言葉はまだまだ最初のころと変わらない。
急に変わったら先輩たちもびっくりするだろうか?
でも変わるかもしれない。
もっともっと近くに感じたら、きっと変わると思う。
誰にも報告ができないまま、しょうがないと思って部屋で荷物を作る。
どんな部屋なんだろう?
想像では何もない部屋のような気もする。
これでにぎやかなほどの荷物が押し込まれてたりしたらびっくりだけど。
ひとり想像で笑って、急に我に返って恥ずかしくなった。
浮かれてるんだと思う。
それは樫木先輩に負けないくらい。
ただすぐ近くの同僚だから鬱陶しい惚気がないだけ。
まだ誰にも教えてないから惚気る相手がいないから。
0
お気に入りに追加
63
あなたにおすすめの小説
男と女の初夜
緑谷めい
恋愛
キクナー王国との戦にあっさり敗れたコヅクーエ王国。
終戦条約の約款により、コヅクーエ王国の王女クリスティーヌは、"高圧的で粗暴"という評判のキクナー王国の国王フェリクスに嫁ぐこととなった。
しかし、クリスティーヌもまた”傲慢で我が儘”と噂される王女であった――
【完結】可愛くない、私ですので。
たまこ
恋愛
華やかな装いを苦手としているアニエスは、周りから陰口を叩かれようと着飾ることはしなかった。地味なアニエスを疎ましく思っている様子の婚約者リシャールの隣には、アニエスではない別の女性が立つようになっていて……。
今日は私の結婚式
豆狸
恋愛
ベッドの上には、幼いころからの婚約者だったレーナと同じ色の髪をした女性の腐り爛れた死体があった。
彼女が着ているドレスも、二日前僕とレーナの父が結婚を拒むレーナを屋根裏部屋へ放り込んだときに着ていたものと同じである。
あなたの嫉妬なんて知らない
abang
恋愛
「あなたが尻軽だとは知らなかったな」
「あ、そう。誰を信じるかは自由よ。じゃあ、終わりって事でいいのね」
「は……終わりだなんて、」
「こんな所にいらしたのね!お二人とも……皆探していましたよ……
"今日の主役が二人も抜けては"」
婚約パーティーの夜だった。
愛おしい恋人に「尻軽」だと身に覚えのない事で罵られたのは。
長年の恋人の言葉よりもあざとい秘書官の言葉を信頼する近頃の彼にどれほど傷ついただろう。
「はー、もういいわ」
皇帝という立場の恋人は、仕事仲間である優秀な秘書官を信頼していた。
彼女の言葉を信じて私に婚約パーティーの日に「尻軽」だと言った彼。
「公女様は、退屈な方ですね」そういって耳元で嘲笑った秘書官。
だから私は悪女になった。
「しつこいわね、見て分かんないの?貴方とは終わったの」
洗練された公女の所作に、恵まれた女性の魅力に、高貴な家門の名に、男女問わず皆が魅了される。
「貴女は、俺の婚約者だろう!」
「これを見ても?貴方の言ったとおり"尻軽"に振る舞ったのだけど、思いの他皆にモテているの。感謝するわ」
「ダリア!いい加減に……」
嫉妬に燃える皇帝はダリアの新しい恋を次々と邪魔して……?
亡くなった王太子妃
沙耶
恋愛
王妃の茶会で毒を盛られてしまった王太子妃。
侍女の証言、王太子妃の親友、溺愛していた妹。
王太子妃を愛していた王太子が、全てを気付いた時にはもう遅かった。
なぜなら彼女は死んでしまったのだから。
私のことを愛していなかった貴方へ
矢野りと
恋愛
婚約者の心には愛する女性がいた。
でも貴族の婚姻とは家と家を繋ぐのが目的だからそれも仕方がないことだと承知して婚姻を結んだ。私だって彼を愛して婚姻を結んだ訳ではないのだから。
でも穏やかな結婚生活が私と彼の間に愛を芽生えさせ、いつしか永遠の愛を誓うようになる。
だがそんな幸せな生活は突然終わりを告げてしまう。
夫のかつての想い人が現れてから私は彼の本心を知ってしまい…。
*設定はゆるいです。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
旦那様、離婚しましょう
榎夜
恋愛
私と旦那は、いわゆる『白い結婚』というやつだ。
手を繋いだどころか、夜を共にしたこともありません。
ですが、とある時に浮気相手が懐妊した、との報告がありました。
なので邪魔者は消えさせてもらいますね
*『旦那様、離婚しましょう~私は冒険者になるのでお構いなく!~』と登場人物は同じ
本当はこんな感じにしたかったのに主が詰め込みすぎて......
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる