狙撃の名手と気高い貴婦人

Rachel

文字の大きさ
上 下
11 / 20

11. 作戦会議

しおりを挟む

 ゲルント駐屯地にほど近いアッダ村は、人口100人ほどの小さな村であったが、南部には川が流れ森にも面しており、比較的豊かな土壌であった。
 帝都とは異なる自然に囲まれた環境に、やってきたばかりの隊員たちは少しの安らぎを得ていた。
 都会の喧騒とはほど遠いような、アッダ村の中央に位置するこの役場には、やや似つかわしくない格好の面々が集まっていた。
 帝国軍の将校たちは村長から提供された場所で即席本部を設け、ゲルント駐屯地配属だった隊員たちと共に会議を重ねていた。



 イグナーツたち精鋭部隊の隊員は、アッダ村の人々が提供してくれた簡易的な宿で会議が終わるのを待っていた。
 宿と言っても広間のような空間で、隊員たちは一人一つのベッドが与えられ、そこで待機するよう命じられていた。
 宿から出歩くことはできなかったが、皆それぞれ熱心に筋トレをしたり、ベッドでくつろいだり、武器の手入れをしたり、手紙を書いたり、隊員同士でおしゃべりしたりしていた。激しい戦闘に備えて今のうちに休んでおきたいと仮眠をとっている隊員もいる。

 イグナーツはというと、自分のベッドに腰かけて小銃の手入れをしていた。

「お、やってるやってる」

 デニスがパンを抱えたままイグナーツのベッドの方へやってきた。どうやら宿の管理人に頼んで下の階からもらってきたらしい。
 デニスはそのままイグナーツのベッドにごろんと寝転んで言った。

「お前さーつい昨日ビアンカ嬢と結婚の約束したっていうのに、相変わらず銃にべったりだな。早速浮気かよ」

「浮気って……銃の手入れは戦時中じゃあたりまえのことだろ。というか俺のベッドで寝るな。パンをかじるな」

 イグナーツが眉を寄せて言ったが、デニスは「寝坊して朝から何も食ってなかったんだよ、腹減っちまって」と起き上がる素振りも見せない。それどころか「今回の出動さ」と話を変えた。

「思ったんだけど、国境に関する話なんだから、結局は皇帝が連中と話し合いして片付けた方がいいんじゃねえの。相手が遊牧民でも、皇帝が一緒に来てくれれば話が早かったのに。金持ってるんなら、それ渡せばどうにかなったと思うけどな」



 イグナーツたちがアッダ村に来て早々、ゲルント駐屯地にいた隊員によって、確かな情報が伝えられた。
 国境を破ったのは間違いなく遊牧民で、ジーク族と呼ばれている者たちだった。彼らはやはりラデッツ国の配下に治まるような者たちではなかった。
 ゲルント駐屯地だけでなく、ここから北に位置するトーリン国の国境もジーク族によって一時期破られたという話だ。トーリン国の場合は、短気な国王が黙っておらず正式に仰々しい軍隊を派遣し、取り戻すことに成功したらしい。

 だからデニスが言うことも最もだとイグナーツは思ったが、隣のベッドに座って剣を磨いていた男が急に「ばかだな」と口を挟んできた。

「それができないから我々精鋭部隊が結成されたのだろう」

 イグナーツとデニスは眉を寄せて彼の方に視線を向けた。
 歳はイグナーツたちと同じくらいに見えるが、こちらと違って彼の黒髪はきっちりと整えられ、姿勢もすっと伸びている。白い憲章をつけているから第二部隊の所属だ。いかにもエリートのようだなとイグナーツは思った。

 彼は見下したような視線で続けた。

「駐屯地のフェルザー中佐が殺られた時点で向こうに交渉する気がないことはわかっている。そもそも敵は話が通じる相手ではないのだ。黄色の憲章ということは、お前第三部隊か。案の定考え知らずだな」

 横槍に加えてばかにしてきた男に、デニスはむっとした顔で横になったまま言った。

「へえ。それじゃあんたはゲルント駐屯地を奪い返すのにはどうするのが一番良いって考えてんだよ?」

「そ、それは……私が決めることではない」

 黒髪の男は目を逸らした。
 すると、イグナーツの向かいのベッドで横になっていた緑の憲章の男が、突然「あははっ」と、笑い声を上げた。
 横になったままの彼は首だけ振り向いて言った。

「上からの指示を待つばかりじゃいつまでたっても二等兵のまんまだぜ、リールの旦那」

 イグナーツは笑っている茶髪の彼に目をやった。緑の憲章だから第五部隊か。ずいぶん若く、見たところイグナーツたちよりも歳下だ。しかし精鋭部隊に選ばれたからにはそれなりに腕が立つのだろう。
 笑われた黒髪の“リールの旦那”は眉を寄せて「なんだと」と青年の方をじろりと睨むと、持っていた剣をベッドに置いて立ち上がった。

「それならお前はどう考えている、ノイベルト。相手は遊牧民だぞ、お前が得意なチェスのようにはいくまい」

 ノイベルトと呼ばれた第五部隊の青年はむくりと起き上がると、「俺の考えねえ、お答えしましょう」とこちらを向いてベッドの上であぐらをかいた。

「普通敵に籠城された場合は、侵入して内側から攻めるのが一番早い。けど今回の相手はジーク族、単純な連中じゃねえ。むしろみんながチェスのナイトの駒だと思った方がいい。それなら囮(おとり)が一番効果的だ」

「囮……」

 デニスが顔をしかめて呟き、イグナーツは目を細めた。今回唯一亡くなったというフェルザー中佐もその手を使って部下を逃したはずだ。
 ノイベルト青年は「もちろん捨て駒としての囮じゃだめだぜ」と続けた。

「相手は馬で追ってくるからそれなりに強くて、なんならその連中だけで事が済むくらいの人員じゃねえと、中佐の二の舞いだ。で、その隙に別の隊員たちで駐屯地を攻め入る。もちろん残ってる敵とも戦うが、こちらは駐屯地内だから馬の対策はそこまで必要じゃねえだろう。力は互いに分散されるから、後は実力次第ってことだ」

 ノイベルトの話に、周りにいた隊員たちは黙ってそのときの状況を思い浮かべた。そして自分はどっち側に配属されるのだろうかと考えた。

「あるいは駐屯地ごと燃やすって手もあるぞ」と別の方から声がした。
 イグナーツたちがそちらを振り向くと、紫の憲章をつけた男が腕組みをしてこちらを見ていた。第四部隊の所属だ。

「バルツァー中将ならきっと全焼させるやり方でいく。手っ取り早いからな。ほかには連中の馬を殲滅するのもいいだろう、行商人に扮して馬に毒の餌をばらまく。翌日俺たちが攻め込んだときには、奴らの馬は泡を吹いて死んでるってわけだ」

 イグナーツのすぐそばでデニスが「ひっ」と小さく悲鳴を漏らした。
 確かにそういう方法もあるだろうが、相手は馬に対して愛着を持っている遊牧民だ。確実に恨みを買うだろうなとイグナーツは思った。
 その横から、リール二等兵が涼しい顔で「おそらく駐屯地を燃やすという手は使われない」と言った。

「多くの死傷者を出し、建物を全焼させれば大ごとになる。皇帝陛下の意に添わんだろう。ジーク族は駐屯地にいる連中だけじゃない。残された遺族がラデッツ国王に訴えでもしたら我が帝国と開戦の恐れもある。きっとその配慮もあってバルツァー中将やヴァイスマン大佐は今回の任務から外されているのだ」

 なるほど、過激派の将校たちはいないということか。イグナーツは妙に納得したが、その第四部隊の男はふんと鼻を鳴らした。

「ふぬけた作戦じゃ、いつまでたっても国境を取り戻すことなんざ無理だぞ」

 あのリッツ大佐がいるのだから少なくともふぬけた作戦にはならないだろうが、トップのシュルツ少将がどんな人物なのかは知らないからどうなるかはわからないなとイグナーツは思った。
 そのときノイベルト青年がイグナーツの方を見て「おい、そこのあんたは?」と言った。
 急に話しかけられてイグナーツはぎょっとした。

「え……俺?」

「そうだよ、どんな作戦がいいと思う? 囮か、燃やすか?」

 イグナーツは困ったように俯いた。
 彼は、東の国境の事情についてディーボルト中尉の説明を聞いただけでよく知らなかった。今回の敵であるジーク族がどんな連中か、またその周辺の環境もイグナーツには想像ができなかった。

「俺は……その、この辺りのことに関して不勉強なんだ。ゲルント駐屯地の地形を知らないから何とも言えない。ただ、もし近くに林なんかがあったら遠くから敵将を狙撃できるかも。それで十分向こうの動きは鈍くなると思う」

 イグナーツがそう言うと、ノイベルトは「あー俺も地形は知らねえや、勝手に荒野だと思ってた」と頭をかいた。

 そのとき、別の方から「あの辺り一帯は草原だ」と声がした。
 振り向くと、赤い憲章の金髪の隊員が腕組みをしてこちらを見ている。イグナーツは知っている顔に「あっ」と声を漏らした。

「ヤンセン軍曹……!」

 彼は先の戦で一緒に戦った仲間である。第一部隊所属で、ランクル少佐の組んだ“イノシシ抑え込み隊”でも共に苦労を重ねた人物だ。
 彼は「今は“曹長”です。久しぶりですね、トット准尉」と言ってにっと笑ってから、すっと真面目な顔になって続けた。

「確かにこのアッダ村は森に面していますが、馬で数分駆けた先のゲルント駐屯地は広い草原に囲まれている。長い草に隠れることはできるが、近づけば駐屯地の見張り台からは丸見えです。林に隠れて撃つ作戦は無理でしょう」

 イグナーツはヤンセンはなぜそんなに知っているんだろうとぽかんとしたが、彼がずっと以前ゲルント駐屯地の配属だったと聞いたことを思い出した。
 デニスが嫌そうな顔で言った。

「……となると、やっぱり囮作戦の線が強いのか」

 ヤンセン曹長は「ああ」と頷いた。

「上官殿たちも会議を重ねているが、おそらくはそうなるだろう……俺としては狙撃の名手であるあなたの腕を見れないのが残念ですがね」

 ヤンセン曹長がイグナーツの方を見てそう言ったのに、向かいのノイベルト青年が「ちょっと待った」と声を上げると、イグナーツの方を凝視した。

「狙撃の名手? それってあの、レート戦で高台から撃ってほとんど敵を全滅させた?」

 イグナーツが身を引きながら「そうだけど」と頷くと、ノイベルトはぱっと顔を明るくさせた。

「じゃ、あんたが軍部随一の!? なんだっけ、えーとえーと、“ラミア”の子!? な、そうだよな? すっげえ、本物!」

 ノイベルトがわあわあと騒ぎながら言うと、周りも少しざわついた。
 途端にざわめきから“ラミア”、“卑しい”、“娼婦”などという言葉がイグナーツの耳をかすめる。嫌な好奇の視線も感じた。うわ。彼の顔は自然と下を向いてしまった。
 そんな友人の様子に、すかさずデニスがベッドから起き上がると、イグナーツをかばうようにしてノイベルトから遠ざけ、低い声で「おい」と言った。

「それは侮辱の言葉だ。こいつにはイグナーツ・トットっていう名前がある。しかも准尉だ、間違えるな」

 デニスが大きな怒りを含んだ態度で言うと、周りのざわつきがやみ、しんと静かになった。
 デニスに同調するようにヤンセン曹長が「それに」と周りに向かって声を上げた。

「戦場じゃみんな一緒くたになって戦う。いちいち生まれなんか気にしてる暇はないぞ。そんなものを気にする奴は今すぐ帝都に戻ってお茶会にでも参加してこい」

 厳しい口調の曹長に、周りでこそこそ話していた隊員たちは気まずそうに目を逸らした。
 ノイベルトは申し訳なさそうな顔で「わ、悪い」と素直に謝った。

「俺、生まれがどうとか、そんなことを言うつもりはなかったんだ、その、噂しか聞いてなかったからさ……ごめん。覚えとく、イグナーツ・トットね。それにしたって……へへっすげえな! あんたと一緒に戦えるとは光栄だぜ、トット准尉。ぜひとも狙撃の瞬間を拝みてえもんだ。そっか、だから小銃の手入れしてたってわけだな」

 ノイベルトは、明らかにイグナーツに対して好意的な姿勢をみせた。その人懐こそうな様子に、イグナーツはほっとして俯いていた顔を上げることができた。
 彼は、すぐそばでまだ警戒するような表情を浮かべている友人の肩に手を置いてから、ノイベルトに言った。

「噂が大げさなんだ。古い物を使ってるから手入れをしておかないとならない……その、あんたは? ノイベルトっていうのか」

「ああ、名乗ってなかったっけ! 俺は第五部隊のハンス・ノイベルトってんだ。よろしく」

 若者がにっと笑ったとき、近くにいた別の隊員が「え……第五部隊のハンスって」と声をあげた。

「鋼鉄のハンス! リッツ大佐と同等の大剣を振り回す剣豪だよな!?」

「最年少の実力派ってきいたぞ」

「あとで手合わせしてくれ!」

 急に隊員たちに囲まれてハンス・ノイベルトの姿はたちまち見えなくなってしまった。
 すごい人気だ。そんな注目の人物だったとは。

 そのとき、バタンと大部屋の扉が開いた。入ってきたのは会議に参加していたヘルマン少尉だ。

「全員黙って聞けー」

 ヘルマン少尉が声を張り上げると全員ぴたりと口を閉じた。

「会議は終わった。これから具体的な指示がおりる。広場で整列だ!」


**********


 結局、場所や敵数を考慮した結果、ノイベルトとヤンセンが予想した通り、二手に分かれた囮の作戦が進められることになった。
 リッツ大佐率いる軍勢A班がまず攻め入り、その間に残りの軍勢B班をシュルツ少将が率いて手薄になっている反対側の出口から侵入し、本陣を取り返してA班に加勢するのである。
 決行は明日の夜。


「いいか、囮組はとにかく激しく暴れまわれ! 俺たちが少しでも逃げ腰になればこの作戦は失敗におわる。わかったか!」

 A班の隊員たちに向かって怒鳴り声をあげるリッツ大佐を、イグナーツはB班の列からぼんやりと眺めた。

 リッツ大佐、大丈夫だろうか。まさか死ぬ気ではないと思うが、亡くなった同期のフェルザー中佐の行動を無にしないために無茶をしそうだなと、イグナーツは思った。
 敷地内に入ったらとにかく上に上ろう。敵を振り切ったら一番高い建物を占拠して、そこからリッツ大佐を探して……。

「……い、トット准尉?」

 イグナーツは呼ばれてはっと振り向いた。すぐ目の前にランクル少佐が薄い笑みを浮かべ、腰に手を当てて立っている。彼もB班だ。
 彼の後ろを見ると、B班に割り当てられた隊員たちは皆解散している。もう説明は終わったようだ。
 B班がどう動くのかという具体的な流れまではイグナーツも熱心に聞いていたが、その後のシュルツ少将の話す注意事項がいつも戦の前に聞いている内容だったので、ついリッツ大佐の方に気をやってしまっていた。
 そのことはすでに目の前に立つ上官に読まれていたようで、ランクル少佐は次のように言った。

「聞いていなかったと思われるところだけ再度私から言いますが、明日のために今夜は十分な睡眠をとってください。A班の使う馬の様子もチェックしておくこと。銃が暴発しないように手入れをしておくこと。A班と比べて危険ではないと高をくくらないこと。たとえ聞き飽きていても上官の話は最後まで聞くこと」

「は、はい……」

 しゅんとした様子で俯いたイグナーツに、ランクル少佐はやや目を細めると、「それからリッツ大佐に関しては心配いりませんよ」と言った。
 イグナーツははっとして顔を上げた。穏やかな表情の上官と目を合う。

「あの人だってフェルザー中佐の意を汲むはずです、自分を犠牲にはしないでしょう。自棄にはなっていませんよ。それにA班は彼だけではない、強者が揃っていますから少しは信じておあげなさい」

 ランクル少佐には自分の考えはお見通しだったようだ。イグナーツは少し恥ずかしくなって「す、すいません」と頭をかいた。

「信じていないわけではなかったんです。でもランクル少佐に言われて安心しました。ありがとうございます」

「いえいえ、かく言う私も昨日の大佐を見た時は少し不安でしたよ。でも今朝はいつもの彼に戻っていました。帰りの馬車であなたと話したのがよかったのでしょうね」

 イグナーツは目をぱちくりさせた。

「ご存じでしたか」

 ランクル少佐は「もちろんです」と肩をすくめた。

「そもそもあなたを屋敷に連れて帰って令嬢にもう一度合わせた方が良いと大佐に助言したのは私ですからね。昨日の彼はあまりそういうことを考えられる余裕はなかったようです。あの人にとっても義理の息子になるトット准尉と話ができてよかったと思いますよ」

 彼女と俺を会わせるよう大佐に助言してくれたって……この人、俺の守護天使かな。イグナーツは目の前の上官から後光が差しているように見え、祈るような気持ちになった。

「お気遣いありがとうございます。おかげで……その、ビアンカ嬢との話を前向きに考えることができました」

 ランクル少佐は「それはなにより」と微笑んだ。

「悩んでいたようでしたがようやく決めたのですね。帰ったら祝杯をあげましょう。リッツ大佐がきっと秘蔵のワインを開けてくれますよ、ああ、今から楽しみですね」

 イグナーツは少佐が彼女とのことをずっと見守ってくれていたことに顔を赤らめたが、ふと上官がわずかに嬉しそうな表情を浮かべているのに気づいた。
 そうか、そういえばこの人無類のワイン好きだったっけ。しかもざるだ。

「そういえば、少佐は前にワインでリッツ大佐と争って、剣を交えていましたね」

 ランクル少佐は目を丸くさせた後で「よく覚えていますね」と言って頷いた。

「ええ。あの人とときたら、四十年ものの貴重なワインを頭から浴びようなどと言い出したんですよ。一滴だって溢すのは惜しいのに、正気の沙汰ではないでしょう? そんな光景を黙って見てはいられませんよ……」

 むきになって言う上官に、イグナーツは「ふっ」と笑い声を漏らした。二人とも似たような価値観を持っていると思っていたが、この件に関しては違ったらしい。
 ランクル少佐は少し自分が愚痴っぽくなってしまったのに気づいて、こほんと咳払いした。

「さあ、話はこれで終わりにしましょう。明日に備えてやることは多いです。ゆっくり休んでください」

 イグナーツは笑いを引っ込めると「はいお休みなさい、ランクル少佐」と敬礼して、上官に背を向けた。



 イグナーツが宿の二階の広間に上がると、隊員たちはがやがやとそれぞれの準備や戦い方などを話し合っていた。
 とくにA班の者たちはどれだけ派手に暴れることができるかと競い合い、賭けまでしている。

 イグナーツは、自分のベッドまで来たところで目に入ったものにぎょっとした。

「デニス、そこで何してる」

 イグナーツが見下ろす彼のベッドの中では、デニスがすっぽりとふとんに包まっていた。しかも眠そうな顔をしている。というかここで寝てたのか!?

「ん……ああ、イグナーツか。いやあ、お前のふとん寝心地よくて……もう一緒に寝ようぜ、あっためておいたし」

「一緒に寝ない。さっさと出ろ、自分のベッドをあっためてこい」

 イグナーツがふとんを勢いよく引っ剥がすと、デニスはベッドからぐるんと落ちて「ぐえ」と声をあげた。友人の様子を気にする様子もなく、イグナーツはふとんをきれいにセットし直す。
 デニスは「やれやれ」と言いながら起き上がった。

「寂しいこと言うなよ。俺、囮なんだぜ? 明日は何が起こるかわかんねえから大事な前夜を噛みしめてるってのに」

 そう、デニスはA班に割り振られていた。ある程度剣をふるうことができるからだろう。

「大丈夫だ、お前も俺も死なない」

 そう言い切ってベッドのしわを伸ばすイグナーツに、デニスは「根拠もねえくせに」と口を尖らせた。

「ま、そう言ってくれるのはちょっと嬉しいけどよ……で、さっき少佐と話してたけど怒られたのか?」

 見られていたのかとイグナーツは苦笑いを浮かべた。

「いや、心配してくれてたんだ。俺がちゃんと話聞いてなかったから。あの人は怒ったりしないよ」

 デニスは「へえ」とわざとらしく片眉を上げた。

「なんかさー、前から思ってたけどランクル少佐ってお前のことめちゃくちゃ大好きだよなあ。もしかしてほんとは息子だったりして」

「残念だけどそれはないな」

 イグナーツはデニスのせいでへこんだ枕をトントンと直しながら言った。

「あの人は娼館とかそういう類のところには行かないだろうから」

「潔癖ですからって? へん、お高く止まってんな」

 イグナーツは「そういうんじゃないと思うけど」と呟くように言ったが、デニスは「あ、そうだ」と話題を変えた。

「さっきお前の銃見たんだけどよ、弾が四発しか入ってなかったぜ。補充しといてやろうか?」

「あ、それは、その……」

 口ごもり、明らかに目を逸らしたイグナーツに、デニスはぴんときた。この顔は絶対お嬢さん絡みだな。しかし弾とどう関係があるんだ?
 からかうと教えてくれないどころか口をきいてもらえなくなる可能性が高いので、デニスは湧き上がる好奇心を全力で抑えながら咳払いをして言った。

「えへん、ええっと……入れ忘れたのかと思ったけど、違うようだな」

 イグナーツは友人の方を見ないままこくりと頷くと、ベッドに腰を下ろした。そして小さな小さな声で言った。

「その、ビアンカ嬢に弾を渡したんだ……もちろん火薬は抜いたやつだ。それでその、彼女がそれを持ってるってことを刻んでおきたくて……」

 刻んでおきたい。デニスは「ほーん」と目を丸くさせた。

「わざと入れてねえってことか……お前のそういうとこ、ちょっと怖いな」

「わ、わかってるよ」

 イグナーツは耳を赤くさせて俯いた。

「武器の手入れができてないってことになるから、リッツ大佐にでも見つかったら罰則かもしれない。戦場じゃ、一発がどれだけ大事かってこともよくわかってるよ。でもその、どうしても……空けておきたいんだ」

 デニスは、そういう怖いじゃないんだけどなと思ったが、そうは言わずに肩をすくめた。

「まあいいんじゃねえか、お前がそうしたいんなら。けど十分用心しろよ。ポケットを弾でいっぱいにしとけ」

 友人の言葉に、イグナーツは顔をあげると少しほっとしたような顔で「うん、そうする」と言った。
 後ろめたいところがあったんだな、相変わらず真面目なやつ、とデニスは思った。
 しかし、規則を曲げてでも共にありたいと思う相手ができたことは喜ばしいことじゃねえか。前の戦のときに、俺には人としての心がないとかなんとかうじうじ言ってたのが嘘みてえだ。

 デニスは嬉しくなって、目の前の男を無性にからかいたくなった。

「……それで、彼女と結婚の約束したってのは聞いたけどよ、具体的にはどこまで進んだんだ? 」

「え、まだなにも。俺は隊舎暮らしだし、彼女の家のことも俺の借金についても片づけることが多いし」

 デニスが「そっちじゃなくて」とにやっと笑みを浮かべた。

「彼女との関係だよ。もうキスはしたのか?」

「なっ……!?」

 予想しなかった質問にイグナーツは目を白黒させて一瞬言葉を失ったが、すぐに顔を赤くさせ目を吊り上げた。

「お、お前っ……そ、そんなこと、お前にいちいち言うわけないだろ!」

「なんだよ、手紙の内容を一緒に考えてやった仲じゃねえか。その様子だとなかなか難しいみてえだな、ひひっ」

 イグナーツはむっとした顔でそっぽを向いた。なんて嫌な笑い方をする奴だ。しかもちゃんと昨日したんだぞ、一瞬だけど。絶対に教えるもんか。
 しかしデニスは「いいから何もかも吐いちまえよ」とにたにたした顔で続けた。

「お前のこと心配してたんだぜ? あの“才女の紅花”と普通に話せるから女に慣れてるのかと思えば、お嬢さんに対してはすっげえ遠慮してるみてえじゃねえか。結婚しても初夜まで十年かかっちまうなんてことじゃ笑えねえぞ。それこそ作戦会議が必要だ」

 そっぽを向いた先でイグナーツは顔をしかめた。なんで十年もかかるって思われてるんだ、俺は。

「余計なお世話だ。人のことより明日の自分の心配をしろ……というか早く自分のベッドに戻れ!」

 イグナーツは立ち上がってデニスのベッドの方を指した。
 しかしデニスは「まあまあ、いいからいいから」とイグナーツのベッドの上に横になって頭に手を置くと、くつろいだ様子で言った。

「夜は長いからさ、一晩中語り合おうぜ」

 言うまでもなく、イグナーツは彼が乗っているふとんを引っ剥がし、再び友人を床に転げさせたのだった。






しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

トラガール

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:14

裏切り者

恋愛 / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:16

義母をギャフンと言わせます!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:8

幼馴染の彼氏が私の姉と浮気していたので復讐しました。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:6

婚約破棄をするって事を本気で考えた事なんてなかった。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:4

処理中です...