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20. 休みの過ごし方
しおりを挟む部屋の窓から入る日の光とわずかに聞こえる喧騒に、シルヴィアはぼんやりと目を覚ました。朝かしら。
横向きになって寝ていたシルヴィアは、起き上がるために寝返りをうとうとしたが、身体が横を向いたままちっとも動かないことに気づいた。
頭の後ろと背中から腰にかけて何かが固定されているようだ。目の前は壁なので、よくわからない。シルヴィアはもぞもぞと固い壁に手をやってはっとした。
これは壁ではない、シャツを着ているけど人の身体だわ、もしかして。
シルヴィアは少し上に視線をやった。喉仏が見える。目の前にあるのはもしかしなくてもダンの身体らしい。シルヴィアは、彼の両腕が自分の頭の後ろと背中から腰に回されて抱き込まれていることを理解した。
ずっとこんな状態で眠っていたの?
シルヴィアは恥ずかしくなって顔を熱くしたが、目の前にあるダンの胸の音が規則的に動いて聞こえたことに少し安心した。昨晩はハーブ茶なしでも眠れたようだ。
シルヴィアは嬉しくなって彼の胸に額を当ててみる。聞こえる鼓動がとても愛しく感じた。彼の腕に包まれたままいつまでもこうしていたい。
主人からは明日の出発まで休みをもらっている。このまま再び眠ってもよかったが、しばらくしてシルヴィアは手洗いに行きたくなってきた。
抜け出せるかしら。シルヴィアが身を下にずらそうと動いたとき、ダンが「んん……」と言ったのがわかった。起きたのかと思い、シルヴィアは彼の方を見上げる。
ダンの首がこちらを向いたかと思うと、彼はとろんとした目で微笑んだ。
「ん、シルヴィア…………大好きだ」
「!?」
シルヴィアは言葉を失ったが、ダンが再びこちらを向いたまま目を閉じてむにゃむにゃと眠りにつこうとしているので、寝ぼけているのだとわかった。
「……ええと、ダン。ねえ、ダン?」
「ん……? どうした……」
薄く目が開き、くぐもった声だが今度はまともな返事が返ってきたので、シルヴィアは「その、手をどけてくれるかしら。ご、ご不浄にいきたいの」と言った。
ダンは「そうか」と言いながらも彼女の髪の毛を撫でており、ぴったりくっついた身体を離す気配がない。シルヴィアは変だと思って声をかける。
「ダン、聞いてるの?」
「ん……」
ダンの目がまた閉じられている。
シルヴィアには彼がまだ寝ていることがわかった。どうやらダンは目覚めが悪いようだ。
これは……姫様の起床ととても似てるわ。そう思うとシルヴィアの中に侍女としての精神がむくむく湧いてきた。こういうときは徹底的に起こすしかない。
シルヴィアは息を吸うとできるだけ声を張って「ねえダンッ!」と大声で呼んだ。そしてこぶしをにぎると彼の胸を強めにトンと叩く。
「起きて! 手を離して!」
突然の衝撃に、ダンは何が起きたのかと勢いよく「うわあっ」と飛び上がった。
「なな、な、なん、だ……?」
ようやくダンの手から解放されたので、シルヴィアは自由の身となり、すぐに厠に向かった。
不浄を済ませ、鏡で少し髪の毛を整えてから厠を出ると、ダンがベッドの真ん中で膝を折ってちょこんと座り、下を向いていた。
どうやらしっかり目が覚めたようだ。
「おはよう、ダン」
シルヴィアがベッドに歩み寄りながら言うと、ダンははっと顔を上げた。
「お、おは、おはよ……」
どこか怯えたような、それでいて泣きそうな顔をしている。
シルヴィアは再びベッドに腰かけるとダンに微笑みかけた。
「眠れたみたいね。顔色も悪くないわ」
ダンはこくりと頷いてから、俯きがちにおずおずと「そのう」と切り出した。
「お、怒ってねえのか」
「怒る? どうして?」
「だって……なんか、さっき大きな声上げてベッドから出ていっちまったから……」
ダンがぼそぼそと言ったのに、シルヴィアは目をぱちくりさせたあとくすりと笑った。
「確かに怒ったみたいになってしまったわね。だってご不浄に行きたいのに、ダンったら私を抱えたままちっとも離してくれなかったんだもの。大きな声をあげれば起きてくれると思ったの。でも……そうよね、突然驚いたわよね。ぐっすり寝ていたのに起こしてしまってごめんなさい」
シルヴィアがそう言うと、ダンは安心したようにほっと息を吐いて、頭をかきながらあぐらをかいた。
「なーんだ、そうだったのかよ。い、いや、俺が悪かった、すっげえいい夢みてたと思ったんだ。幸せ過ぎる夢で……俺さ、おめえと……あれ、ほ、ほんとのことだったんだよな」
ダンが照れくさそうに下を向いたのに、シルヴィアはふふっと笑うと「ほんとのことよ」と言ってベッドの真ん中にいるダンに身を寄せた。そして彼の頭に手を伸ばして、ぼさぼさになっている赤い髪の毛を整えてから言った。
「ダン、昨日はとっても優しくしてくれてありがとう。全部任せきりだったから大変だったでしょう? お礼を言おうと思っていたの」
「な……何言って……ちょ、ま、待てよ!」
ダンは畏まったように向き直ると両手を膝の上に乗せた。
「俺の方こそ、だ。その、おめえに怖い思いとか、痛い思いとかさせちまったのに、最後まで付き合ってくれた。俺ばっかり幸せで、良い思いしちまってたのはわかってる。その……ほんとにありがとう」
そう言ってダンはベッドの上でぺこりと頭を下げた。
シルヴィアは「ダンばかりだなんて」と首を振った。
「私の方こそあなたに良くしてもらっていたことはわかってるわ。お願いした通りずっと話をしながら進めてくれたのも嬉しかった。私があなたを嫌いになるんじゃないかって気にしてたようだけど、ちっともそんなことないわ。むしろあなたでよかったって思ってるもの」
シルヴィアの言葉を聞き、ダンは頬を染めて視線を逸らしながら「そ、そっか、そんならよかった……」と頷いた。
「その、昨日の疲れも残ってるからよく休んでくれよ……な、なんか食いもんもらってくるか。もう昼みてえだしな」
「え、お昼?」
シルヴィアは窓辺に歩み寄るとカーテンを少し開けた。
ほんとうだわ。太陽は高く上がり、目の前の道も人通りが多くなっているようで、シルヴィアはすぐにカーテンの影に隠れた。そして恥ずかしくなって頬に両手を当てた。
「私ったらそんなに眠っていたのね。こんなに寝坊するなんて初めてだわ」
するとダンが頭をかきながら「それだけ俺が無理させちまったってことだ、結局明け方までかかったから」とぼそぼそ言った。
「とにかく明日の朝までゆっくり休むとしようぜ。ほしいもんとかあったら俺がもってくる」
「そう? それじゃ顔を拭くのに、桶に熱いお湯をもらおうかしら。お風呂のお湯は冷めているから。なんだか贅沢するようで悪いけど」
シルヴィアがそう言うと、ダンはなんてことないように「桶に熱い湯だな」と言ってぴょんと立ち上がった。
「湯と食いもんもらいに下に行ってくる。おめえはここにいてくれ……その、どこにも行かねえでくれよ」
シルヴィアが「もちろんよ、ありがとう」と微笑むと、ダンはまた少し顔を赤らめ、上着をひっつかむと部屋を飛び出して行ってしまった。
ダンがいなくなるとシルヴィアは再びベッドの中に入った。
まだダンのぬくもりが残っている。それさえも愛しいと思った自分がおかしくて、シルヴィアはひとりでふふっと笑ってしまった。それからベッド傍の棚に視線をやった。
棚には呼び鈴が置いてある。そうよ、呼び鈴があるのだから、ダンがわざわざ行かなくても宿の誰かを呼べばよかったのに。
呼び鈴のとなりには、昨日使用した布巾やタオル、そして例の避妊具が入った小さな箱が置いてあるのが目に入った。手を伸ばして箱を開けると、昨日見たのと同じようにゴム状の細長い指のカバーのような物がいくつも入っている。
ダンはこれを一つ使ったと言っていた。まだこんなに残っているらしい。一つ取り出してみたが、めずらしい素材だと思った。この避妊具の使い方、ほんとうは私も知るべきよね。
シルヴィアはそう思ったが、昨夜の行程でやることが多すぎたことを思い出し、昨日今日では絶対に覚えきれないと思った。
シルヴィアは箱をベッド傍の棚に戻すと、シーツにくるまった。昨晩だけでなく、連日の疲れが溜まっているためか、まだたっぷり眠れそうだ。
うとうとし始めたとき、ガチャリと扉が開いた。
ダンが桶を両手に持ち、脇にタオルや膨らんだ紙袋を抱えて入ってくる。桶にはお湯が入っているようだ。
「よっと。持ってきたぜ、お湯は沸かしたてのにしてもらったから気いつけてくれや」
シルヴィアはすっと起き上がり「早いのね、ありがとう」と言ってベッドから出た。そしてダンが桶をテーブルの上に置いたところへ歩み寄り、タオルを受け取る。
ダンは続けて「マンゴーもらってきた」と言ってテーブルに紙袋を置いて中身を取り出してみせた。
「いい匂い……今更言うのもなんだけど、わざわざダンが行かなくても呼び鈴で宿の人に持ってきてもらってもよかったわね。ごめんなさい」
シルヴィアが申し訳なさそうに言うと、ダンは「はあ?」と眉を寄せた。
「んなのだめに決まってるだろ、おめえのそんな姿、誰にも見せるわけにゃいかねえ」
シルヴィアは目をぱちくりさせて自分を見下ろした。そういえば下着と薄いワンピースを身につけただけだったわ。
途端に恥ずかしくなったシルヴィアは、ダンに背を向けるようにしてタオルをお湯に浸した。これが終わったらちゃんと服を着ないと。
ダンはマンゴーを一つ手にとって窓辺に寄っていった。
「あー、今世界で一番幸せなのは間違いなく俺だろうな……マンゴーも最高にうめえ。おめえも早く食えよ」
ダンはシルヴィアが食べやすいようにマンゴーにナイフの歯をいれながら言った。
「こんなに良い休日はめったにねえ。俺を信用して金貨をくれた姫さんに感謝だぜ」
シルヴィアは「そうね」と船にいる主人を思った。
「姫様は今頃きっと入浴されてるかしら。お手伝いできなくて申し訳ないわ。ほかの乗組員の人たちが船に入ってこないか心配だし」
顔を拭きながらシルヴィアが言うと、ダンは「それはねえよ」と肩をすくめた。
「陸に上がってるときゃみんな船には戻ってこねえもんだ。ジェフとギレムがいる限り船長室には誰も入れねえし、ネヴィルの野郎が甲板に転がってるだろうが二日酔いでまともに動けねえはずだ。人手の方はピーターが甲斐甲斐しくやってるだろうから心配ねえだろうよ」
シルヴィアは「それならいいんだけど」と言ってタオルをテーブルに置いた。
その隣で、ダンは切って食べやすくしたマンゴーの欠片をシルヴィアに差し出した。
シルヴィアは「ありがとう」と言ってそれを受け取り口に入れてみる。
「あらほんと、おいしい。このあたりでもこんなにおいしいのが獲れるのね」
「ここの宿でもらったやつだから、どっかの国からかの輸入品かもしれねえけどな……っていうか、立ってねえで椅子に座れよ」
「そうね。ダンも一緒に座りましょう。ほらそこにどうぞ」
「え、いや俺は……そうだな、おめえがもう少し服着たら座る……」
ダンが目を泳がせて言ったのに、シルヴィアははっとした。そうだったわ、顔を拭いたら服を着ようと思っていたのに。
恥ずかしくなったシルヴィアは食べかけのマンゴーをテーブルに置くと、いそいそと部屋の棚に置いたかごから服を取り出す。
ところが突然ダンがこちらにやってきたかと思うと、シルヴィアの腕を掴んで「待った」と言った。何事かとシルヴィアが彼を見上げると、ダンは目を逸らしながら言った。
「や、やっぱり、もう少しそのまんまでいいんじゃねえか。さ、寒くなかったら、だけどさ」
シルヴィアは目を瞬かせた。
「……別に寒くはないけど、恥ずかしいから着るわ。宿の人が来なくてもあなたがいるんだもの」
そう言うと、ダンはぐっと言葉に詰まったような顔をしてから「だ、だよな……なんでもねえ」と小さい声で言った。
シルヴィアはなんだろうと思いながらも軽い上着を羽織ると、テーブルに戻りひとり椅子に座った。
そしてダンの横顔を見ながらマンゴーを再び食べ始める。
「ほんとにおいしい。なんだかとっても贅沢している気分だわ。ちょっと気が咎めちゃう」
するとダンが言った。
「おめえはよく動く働きもんだからな。休むのが得意な俺が教えてやる、休みってのをもらったらな、とにかく何もしちゃなんねえ。疲れてるんなら寝る。ぼうっとしてるのでもいいんだぜ。好きなことすんだ、雲眺めたり酒飲んだりしてりゃあいい」
ダンが得意げに言ったのに、シルヴィアはくすっと笑った。
「それがダンの休みの過ごし方なのね」
「まあな。船の上じゃ休みなんかほとんどねえからよ、陸にいるときゃとことん何もしねえってことにしてる」
「ふふっそうね。確かに、せっかくお休みをもらったんだものね……それじゃあ私は食べたらまたもう少しベッドで横になるわ。ダンも疲れが溜まってるでしょう、もう少し寝た方がいいわよ」
「えっ……お、俺は……!」
シルヴィアの提案を聞くと、ダンはちらとベッドの方に視線をやってからすぐに窓の外に顔を向けてしまった。そしてマンゴーをむしゃむしゃ食べて種子だけにしてしまうと「俺はだめだ。うん、だめだ」と言ってからげほげほと咳をした。
「その、しょ、正直に言うと、おめえと同じベッドに入ったらまた、その、だ、だ、抱いちまうと思うから……そ、その俺……こ、これだけじゃ足りねえから、ほかにも食いもん持ってくる!」
ダンはシルヴィアの方を見ることなく、食べ終わった種を持ったまま再び部屋を飛び出していってしまった。
もしかして、私今とても軽はずみな提案をしてしまったかしら。一緒にベッドで休もうなど、無神経だったのかもしれない。
シルヴィアは今更気まずい思いをしながらマンゴーを食べ終えるとお湯で手を洗った。
このお湯もダンがわざわざロビーからもらってきてくれたのだ。彼はまるで侍従のように世話を焼いてくれているとシルヴィアは思った。休みの日はとことん何もしないと言っていたのに、私のために動いてばかりだわ。
シルヴィアはお湯の中を見つめながら、ダンが先ほどばたばたと出ていったときの赤い顔を思い浮かべた。“だめだ”と言った声から彼の心の内がなんとなくわかった気がする。
それならとシルヴィアは思った。休みの時間は十分にあるのだからもう一度床を共にしてもいいのではないかしら。痛いと思ったのは事実だし、身体の気だるさや腹部の重さは残る。だがそれ以上に心地よかったことも確かであるし、ダンがとても優しいので嫌だとも思わなかった。何よりあんなに幸せだ幸せだと繰り返していたではないかーー。
シルヴィアはお湯の入った桶をじっと見つめていたが、やがて上着を脱ぐと再びベッドの中に入った。そしてすぐにすうすうと寝息を立て始めた。
「……ヴィア、シルヴィア」
声をかけられたのに、シルヴィアはうっすら目を開ける。ダンが申し訳なさそうにこちらを見下ろしているのでシルヴィアはびくりと驚いた。寝顔を見られてしまったらしい。間抜けな顔をしていなかったかしら。
シルヴィアの心配をよそに、ダンは言った。
「起こして悪りい、その……あったかいスープとパンをもらってきた。冷めちまうといけねえと思って」
確かに良い匂いがしている。
「ありがとう、ダン……いい匂い。野菜のスープね」
シルヴィアが起き上がってベッドから出たのに、ダンはほっとしたような顔で椅子を引いて導いてくれた。
テーブルにはシルヴィアの分だけじゃなく、ダンの皿も置いてある。どうやら彼もテーブルにつくようだ。
「よかった、ダンも一緒に座るのね」と言うと、彼は「おう、その……もう大丈夫だ、たぶん」と小さく呟いてから向かいの椅子に座った。
「それによく考えたらおめえと二人きりで食事する機会なんざめったにねえからよ。あと、俺も腹が減った」
そう照れながらパンを掲げたダンに、シルヴィアは笑みを浮かべた。
食事を並べ終えると、ダンはすぐに食べようとしたが、シルヴィアが食前の祈りをし始めたので、彼も慌てたようにパンをテーブルに置いてそれに従った。
そうして向き合っておしゃべりをする和やかな食事が始まった。
「スープのこの形の野菜、初めて食べたわ。鶏肉も入ってておいしいわね。パンも初めての風味だけど良い味だわ」
「……俺は今、全部が最高にうまい。たぶんその辺の草食べてもそう思う」
ごくりとパンを飲み込みながら目を細めてそう言い切るダンに、シルヴィアは呆れた視線を向けた。
「嘘つきなさい、そんなの食べたらお腹を壊すから絶対だめよ……ここの宿にはパン焼きのかまどもあるのかしら」
「あ、いや、スープはここの宿のだけど、パンは宿からちょっと歩いた先のパン屋で買ってきた。ちょうど昼過ぎだから混んでてさ、遅くなっちまったんだ。その、おめえがしびれ切らして出ていっちまってたらどうしようって気が気じゃなかった」
「なによそれ、信用ないのね」
「そ、そうじゃねえけどよ、俺、おめえに嫌われるようなことばっかしてるから……」
「そんなことないったら。お湯も用意してくれて、こうして食事まで運んでくれて、姫様のようになった気分だわ。なんだか申し訳ないくらい。私はベッドでぐうぐう寝てしまっていたのに」
「だ、だってそりゃ、俺が昨日の晩いろいろ無理させちまって…………うあ、あ、だめだ、想像しねえようにするって決めてたのに、俺の馬鹿、馬鹿野郎」
そう言い出すと、ダンは横を向いて両手を頭にやってがりがりかいた。
ときどき見られるこうしたダンの奇行は、きっと自制をするためのものなのだろうとシルヴィアにもわかってきた。わかってきたが、どうしたら良いのかはわからなかった。
「と、とにかくおめえに嫌われてねえならよかった」とダンは咳払いしてこちらを向いた。
「それでよ、明日の朝なんだが、正午の出港前にピーターがおめえと市場で食材買いてえらしいから、朝のうちにここを引き払う。だからおめえはそれまでここでゆっくりしてくれ。俺は、なるべくおめえといてえけど……たぶん出たり入ったりする。夜はちょっと……考えさせてくれ」
「そのことなんだけど」
シルヴィアはスープを飲み干してしまってから言った。
「昨日はずいぶん夜遅くから始めたでしょう? お風呂にも入ったし、準備に時間がかかってしまったわ。だから日暮れ前のうちからやることにすれば、そのあとの夜はちゃんと二人ともぐっすり眠れると思うの。朝もきっと早起きできるわ。ぼうっとするのもいいけど、今回のお休みの過ごし方はそれがいいと思うの。あなたがよければそうしましょう」
シルヴィアはそう言ったが、ダンは目をぱちくりさせてから内容が理解できないというように首を傾げた。
「ええとすまねえ、言ってる意味が……というか、もしかしておめえ……いやいや、俺にとって都合が良すぎるように聞こえちまってる気がする。うん、そうだ。朝は早起きしてえってことはわかったけど……ええと、つまり?」
「つまり、夜にしっかり睡眠をとるために、もっと前からベッドに入りましょうってこと。避妊具もまだ残っているんでしょう? 使い方はわからないからまたダンに任せることになるけど」
ダンはこれでもかと言うくらいにかっと目を見開いてシルヴィアを見た。
「ひ、ひにんぐって……ま、まて、え、そ、それってその、つまり、に、に、2回目、やってい、いいのか? まさかほ、ほんとに?」
ダンは信じられないと言うような表情を浮かべている。
そんなに意外だったかしら。シルヴィアは少しだけ恥ずかしくなったが、肩をすくめて咳払いした。
「だってこんなにいいところに泊まっているのよ、あなたは外出してばかりでもったいないじゃない。お休みだって長くいただいているんだし、少しでもダンと一緒に過ごしたいわ。今日目が覚めたとき、私、ほんとうに幸せだったのよ。明日の朝もそうだったらと思うわ」
シルヴィアがそう言うのをダンは赤い顔でぽかんと彼女を見ていたが、静かに両手で顔を覆うと俯きながら「神よ」と呟いた。
ダンの口からそんな言葉が出るとは驚きだが、感動したようにしばらく黙り込んでしまった。
やがて彼は手の隙間からちらりと目をシルヴィアの方に向けた。
「シルヴィア、信じられねえかもしれねえが、俺、おめえのことちゃんと……ちゃんと好きなんだ。身体だけが目当てじゃねえ。おめえの姫さんにだって、獣だのなんだの言われねえようにしようって思ってたんだ。でもその……もし、もしもほんとうに、おめえが大丈夫なら、やりてえってのが本音だ。おめえが嫌じゃなければ……頼む」
ダンの声は小さかったが、必死に抑えた熱情が込められているように感じた。
シルヴィアは言った。
「嫌だなんて。あなたがとっても丁寧で優しかったからもう一度って思ったのよ。もしも昨晩、ダンが乱暴にしていたなら私はきっとここにはいないわ」
ダンが両手の下で目を閉じたのがわかった。そして大きく息を吸って吐いたかと思うと、「よし」と低い声がした。
「準備させてくれ。湯沸かしてまた風呂入れてもらえるよう下に頼んでくる。シーツとかタオルも替えてもらおう」
「え? またお風呂に入るの? 昨晩入ったばかりなのに」
「……だって俺はその、外に一回出てるし、その……お、おめえに触れる前にちゃんときれいにするって、姫さんと約束してるからな。その方がいいだろ」
ダンの言葉には何か含みがあるように感じたが、シルヴィアは肩をすくめた。
「そう、わかったわ。なんだかとても贅沢で気が引けちゃうけど」
「お、俺だって普段そんな清潔ってわけじゃねえけど、おめえに触れる前はやっぱそうした方がいいから……シルヴィア、俺、昨日より余裕のある男になるからな」
ダンが気合いを入れた顔でそう言ったが、シルヴィアは吹き出した。
「なあにそれ。むしろ私は昨日のままがいいわ。ほんとうに優しかったんだもの。それにちょっとかっこよかったわ。途中で見惚れてたときもあったのよ。男の人にそんな風に思ったのは初めてだけど……こういうのを惚れ直したって言うのね」
「んな……っ!」
ダンは目を見開いてから耳まで真っ赤になった。
「……いいか、そういう発言は禁止だぜ。おめえは俺のこと褒めすぎだ。もう何も言うな、貶すこと以外は言うんじゃねえ」
ダンは照れたのを隠すように怒った声でそう言うと、皿に残っていたパンの欠片を口に放り込んで席を立った。
そして上着の懐に例の皮袋を入れてから、今度は風呂のある部屋に行ってシルヴィアの服が入ったかごを持ってきた。
「これ着ててくれ。風呂の準備するように宿の奴ら呼んでくるからよ……その、着替え終わった頃、少し時間が経ってから上がってもらうようにすっから」
「ありがとう」
ダンが足早に部屋を出ていくのを見送ると、シルヴィアはかごの中に入れていた服を着た。潮の匂いがする。すぐ隣にあるダンの服からも同じ匂いがした。
昨日のうちに洗っておけばよかっただろうか。
しかしその服の匂いは、自分が船乗りの一員になった印のような気がして、シルヴィアはくすぐったくなった。そしてそれが嫌ではないと思う自分を、意外に感じていた。
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