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18. 帰郷
しおりを挟むルカは列車に乗って、故郷の町へ向かっていた。
仕事の引き継ぎをきっちりしてからと思っていたのだが、ベンに「もう三年近くも一緒に仕事してるんだぜ、俺は大丈夫だから。いいから早く行きなよ」と尻を叩かれてしまった。タッシ会長の言っていたように、ベンの方はルカが居なくなっても支障がないように前々から準備を進めていたようで、顧客の名前や住所のリストや見本とする手紙の文面などしっかり自分で書き留めていた。
「リーズさんには俺がバリバリに働いて食うに困ることはなくなったって伝えてよ。あと、おすすめの本があったら手紙で教えてくれって。返事は書けないけど」
ベンの理不尽な願いの伝言の要請に、ルカは少年の頭をくしゃくしゃにした。下宿の女将ザンキからは「傘を持っていくかい? たぶんあったほうがいいと思うんだけどね」と心配されたが丁重に断った。タッシ兄弟と商会の同僚にも世話になった礼を述べ、別れを告げる。
そうしてルカは、あの日リーズを見送ったホームから、今度は自分が出発したのだった。
国境を越え、マジェントで乗り継ぎ、また列車に乗る。しばらく乗っていると、いよいよ故郷の町ルブロンが見えてきた。約三年ぶりである。
ルカは自分の商人風の服装を見下ろし、襟を正した。
列車はゆっくりと駅に入っていった。
ルカは荷物を持って深く息を吸ってから列車を降りてホームに出た。
懐かしい景色が目に入る。牛乳売りや、新聞売りが賑やかに声を上げてこれから列車に乗る乗客に売っている声が聞こえるのも前と同じだ。
ルカは少し穏やかな気持ちになって、鞄を持ち直すと、駅を出て町を歩いた。
いきなりリーズの家を訪れる勇気はなかった。仕事をしている身として、突然来訪されても困るということはよくわかっている。
それに、前回手紙を受け取ったのは去年の夏だ。今、彼女に夫や恋人がいないとは限らない。
駅から歩く中心街への光景は以前とあまり変わっていなかった。パン屋の女将も、肉屋の親父も、花屋の男も少し皺が増えたかもしれないが、ほとんど前と同じだ。
だが通りを歩いていて、ルカはなにか少しだけ、前と微妙に違うことがあると思った。なにかはわからない。
その違和感は、ルカがちらりと裏通りに目をやってからはっきりとわかった。
暗がりに居を構えていた浮浪児の姿がないのだ。橋の下、階段の横、広場の隅、いつも居たはずのぼろを着た子どもたちはどこにもいなかった。
自分がここに居たときから三年は経っている。三年でみんな大きくなって、ここを離れたというのだろうか。
いや、路上にころがる俺たちみてえな孤児は毎年尽きなかったはずだ、一体連中はどこにいっちまったんだろう。どこか遠い施設かあるいは工場に連れて行かれてしまったのだろうか。
不審に思いながらも、ルカはまずこの町を訪れたら一番に行こうと思っていた場所へ向かった。
友人トマの墓である。
しかし、その場所に近づくにつれて、見えてくる建物にルカは驚いて駆け寄った。
「な、んだこれ……」
その場所は新しく造られた生垣に囲まれており、生垣の中には頑丈な煉瓦でできた見知らぬ建物が立っていた。
おかしいな、場所を間違えたか? 確かにここに来たのは久しぶりだが、この町の地図はルカの頭の中に刻み込まれている。
辺りの景色を見回したが、やはり墓地のあった場所はここで間違いない。それならば、この目の前にある立派な煉瓦の建物は、かつての廃墟と化していたおんぼろ教会なのだろうか。
そのとき、ルカは生垣に入り口があることに気づいた。近づいてみると、建物に表札がついている。その文字を目にして、ルカは息をのんだ。
“孤児院”と書かれていた。
「孤児院だって……?」
そのとき、生垣の向こうから子どもの甲高い笑い声が聞こえた。一人二人ではない、大勢いるらしい。
ルカは胸をどきどきさせながら、恐る恐る生垣の内側へ入ってみた。
そこは、教会のような煉瓦の建物に面した広場になっていて、子どもたちが楽しそうに駆け回っていた。身なりもぼろではなく、きちんと身体のサイズにあった服を着ている。
先ほどの表札は見間違いではない、ここは孤児院になっていたのだ。
この三年の間に一体なにがあったというのだろう。それにトマの墓はどこだ。もしやこの広場の下に眠っているのだろうか。
ルカが呆然と立ち尽くしていると、ふいに「あの」と後ろから声をかけられた。
振り返ると、修道服に身を包んだ女が少し警戒したような顔でそこに立っていた。
「なにかご用でしょうか」
「あ、いや」
ルカは慌てて咳払いをした。無断で入ってはまずかったのかもしれない。
「その勝手に入ってすみません。久しぶりにこの町に来たんですが……ここ、前は廃墟の墓地だったのに、孤児院になったんですね。あまりにきれいになっているので驚きました」
ルカの言葉に、修道女は表情を和らげて「ええ」と笑みを浮かべた。
「寄付金が寄せられて建てられたんです。まだ去年できたばかりですよ。あそこにいる子どもたちはみんな最近まで路上にいた子たちです」
「なるほど、それで……」
町の暗がりに浮浪児が一人もいなかったのは、皆この孤児院に入ったからということか。
「シスターお一人でここを経営されているのですか?」
ルカが問うと、彼女は「まさか」と首を振った。
「私なんかにはとても。経営は寄付をなさった方に一任されていますわ」
「寄付。出資者はどなたです?」
「ごめんなさい、それは伏せるように言われておりますの……ただここは教会主体の孤児院ですので、中には司祭様がいらっしゃいますわ。私は子どもたちのめんどうをみています。それに墓守りの方もあちらに」
「墓守り? ではここにあった墓地は残っているんですか!?」
ルカが慌てたように訊くと、修道女は頷いた。
「ええもちろん。ここは更地になっていたところに手を加えただけですもの。墓地でしたら、礼拝堂の奥に……」
と、向こうへ案内しようとして、修道女ははたと立ち止まった。
「もしや、あなたは……“ルカ様”ですか?」
ルカは目を丸くさせた。
「え…………な、んで俺の名前を」
驚きすぎて取り繕うのを忘れた。
まさか自分の顔と正体は町中で有名になっているのだろうか。確かに新聞に名前は出たが、顔は出なかったはずだ。もしかしてここの建設にはあのベロム伯爵が関係しているのか。出資とは彼の企みか。冷や汗が背中を流れる。
しかし、修道女は嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
「まあ、ではあなたがそうだったのですね! とうとういらしたのだわ、うふふっ! どうぞ、こちらです」
修道女は軽蔑するどころか、にこにこと嬉しそうに彼を歓迎しているようだ。そしてすたすたと先を歩いていき、「こちらですわ!」と呼びかけてくれている。
ルカは戸惑いながらも子どもたちのいる広場の前を通って建物の裏に回った。
ルカは裏側に広がる光景に思わず立ち止まった。
そこは、石の十字がズラリと並ぶ、きれいな墓地になっていた。
かつての草ぼうぼうの荒れ放題だった場所とは思えないほど整備されており、まるで貴族の屋敷の庭園のようだ。だが、墓場の真ん中に生えた大きな樫の木は変わらずに立っているから、ここがあの墓場ということは確信できた。
隅の方に座っていた墓守りの男が二人の姿を見て立ち上がったが、修道女が手をあげると男は頷いて再び座り直した。
呆然としていたルカに向かって、修道女が「さあルカ様、こちらです」と彼に呼びかけたので、慌ててそちらへ駆け寄る。
彼女はルカの少し前を歩きながら言った。
「実は出資した方に言われていたんです。いつかルカという人物が来るかもしれない、そのときはある墓に案内してあげてほしい、と」
歩いていた彼女が立ち止まった先には、小さくも立派な墓が建てられていた。
春らしい小さなピンクの花が添えられているその墓石には、“トマ、ここに眠る”と掘られている。
「こ、れ…………」
ルカは自分の手が震えるのを感じた。
「ええ、この“トマ”という方、ルカ様のご友人なのでしょう。木の棒が立てられていただけでしたが、新しく墓石を建て直しました。もちろん場所は以前から変えていませんよ」
ルカは、亡き友人の墓石の前で、ぺたりと膝を地面に下ろした。
ああ、そうか。出資者はベロム伯爵なんかじゃねえ。ここにあるこの墓のことを、トマの名前を知っているのは……彼女しかーーあのお人好しの聖女様しかいねえじゃねえか。
「こ、この……添えてある、花は」
「ああ、これは子どもたちがいつも置いていくんです。出資者の方に、敷地内できれいな花を見つけたらここに添えてほしいと頼まれたそうですよ」
「……そう、ですか」
ルカはぼんやりとそのピンクの花を見つめた。春の風に少しだけ花びらが揺れている。
その様子が、ルカには古い友人が笑ったように見えて、思わず目が滲んだ。
「よかった……よかったなあ、トマ」
ルカは目から溢れ出した涙を拭うことなく、嬉しそうな笑い声を上げた。
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