赤い目が光る時

Rachel

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第三章 あなたとダンスを

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数日後。

マリアンナは父に言われた通り、舞踏会に来ていた。実はそれ以前にも招待されてはいたが、ドレスの新調が間に合わないため、3回見送った。
そもそも見送るほど舞踏会が行われているというのもおかしな話だわ、とマリアンナは思った。この時期はとにかくあちこちで舞踏会が行われている。去年よりも増えたと思うのは気のせいだろうか。

マリアンナは、叔母のアグネス夫人を付き添い人としたが、彼女は社交的でいつも人の輪の中にいるため、あまり目立つことを好まないマリアンナのことを気遣い、一緒にいることはなかった。
ダンスのレッスンは欠かさなかったし、気の利いた話もできるようにしていたが、やはり華やか過ぎるのだ。それにいつもなら傍らに兄がいた。
と、ダンスの輪の中に、あのホルツ子爵を見つける。
彼は若い令嬢の手を取って美しい笑みを浮かべていた。確か私よりも4つ歳下のローザンベルク公爵令嬢だわ。年若く、権力もある。子爵の思惑を想像してしまって、マリアンナは吐き気がした。久しぶりの舞踏会なので人酔いもあった。きれいな空気を吸いにいかねば。

マリアンナはホールを出て、中庭に面した薄暗い廊下へたどり着いた。廊下にはずっと先の方で何人かの紳士が固まっているくらいで、他には誰もいなかった。マリアンナはひと息ついた。見上げると、夜空には雲ひとつなく、月がぽっかり浮かんでいた。

それにしてもあのホルツ子爵。遠目ではあったが、先ほど見たあの姿は、前に見た時よりも若返っているように見えた。ほとんど兄と変わらないくらいではなかったかしら。とても43には見えなかった。もしかして魔法でも使っているのかも。そんなことをちらと考えて、ふと先日マリアンナとお茶をしたあの青年のことを思い出した。
エルヴィン・ゴットハルト。彼はマリアンナが今まで接してきた男性と、似ているようで似ていなかった。品があるようで、貴族にはない気安さがあった。
それに、魔法や天使、悪魔の話をしてきたので、迷信を信じるかあるいは信心深いのかと思っていたのに、その一方で「人間」というものを達観していた。彼ほど思想回路の富んだ人物が、なぜサロンで話題にならないのか謎ね……。
そう考えると、この舞踏会がなんとも空っぽのように思えてきた。そろそろ、アグネス夫人に挨拶をして帰ろうかしら。
そう考えていた時。

遠くから「うっ」という人のうめくような声がした。
マリアンナは眉をひそめてそちらを見る。
廊下の奥にいる紳士達の方だ。彼らは先ほどよりも人数を増やして固まっている。怒声のようなものも聞こえる。舞踏会だというのに、一体なにをしているのかしら。気になったマリアンナは、足音を立てないように少しずつ近づいていった。
一番近い柱の影からそっと首を出してのぞき、あっと声をあげそうになった。
一人、赤と白の派手な衣装を着た人物が倒れていた。その人物を、周りにいる男たちが蹴ったり殴りつけたりしているのだ。
まあ、なんてこと! マリアンナは思考を巡らせた。
叫ばなければ。彼らの手を止めるくらいに。マリアンナは大きく息を吸った。

「キャアアアアアアアッ」

柱の陰から悲鳴が廊下に響きわたる。にぎやかな舞踏会場にまでは届かなかったようだが、廊下にいた男たちは慌てたようにキョロキョロ辺りを見回すと、バタバタと走って逃げていってしまった。
彼らが去っていくのを見届けると、マリアンナは置き去りにされた人物のもとへ駆け寄った。どうやら男性のようだ。
彼は横向きに倒れており、近づくと派手な衣装は道化師の格好だということがわかった。頭にも衣装とそろいの帽子をかぶっている。
マリアンナは彼の肩を叩き「大丈夫ですか」呼びかけ――ふと見た彼の顔に、マリアンナは驚きの声を上げた。

「エ、エルヴィン様!」

目は閉ざされていたが、彼は確かにマリアンナが数日前に会ったエルヴィン・ゴットハルトだった。

「しっかりしてくださいまし、エルヴィン様! ああ、どうしましょう、助けを呼んだ方がいいのかしら」

マリアンナのつぶやきに、うめきながら倒れている彼が声を漏らした。

「助けは……呼ばないで……」

「エルヴィン様!?」

どうやら意識はあるようだ。マリアンナは彼の肩に右手を置き、彼の頬に左手を当てた。見たところ、顔は殴られていない。きっと傷がわからないように身体だけ痛めつけようとしたんだわ。なんて卑劣な。

「エルヴィン様、大丈夫ですか? 一体なぜこのような……」

エルヴィンは薄く目を開け、弱々しく大丈夫だと手をあげようとする。

「い、いえ……俺のことは、どうぞおかまいな……えっ、マ、マリアンナ様!?」

エルヴィンは目を見開くと、急にがばっと上半身を起こした。

「な、な、なんでマリアンナ様が……! 嘘だろ、なんでこんな時に俺は……いつつつ」

エルヴィンは痛みに自身の腹を抑え込んだ。その様子に、マリアンナは困ったような声で言った。

「大変! やっぱり私、助けを呼んでまいりますわ」

しかしマリアンナが立ち上がると、エルヴィンは手のひらを見せて「いえ、助けは不要です!」といい、「ふんっ」と勢いをつけマリアンナの前によろよろと立ち上がってみせた。

「だ、大丈夫なのですか……ほんとうに?」

マリアンナの言葉に、エルヴィンは一度深呼吸すると、「いやあ」と頭をかいてにっと笑ってみせた。確かにその笑顔は平気そうだ。

「大丈夫、大丈夫。大したことありませんから。ちょっと休めば回復します。それにしても、まさかマリアンナ様にまた会えるなんて」

そのまるで少年のような嬉しそうな微笑みに、舞踏会でげんなりしていたマリアンナは心が洗われるように感じた。
マリアンナも微笑みを浮かべた。

「私もあなたに会えて嬉しいですわ。その、今夜はとても……楽しそうな服装をしてらっしゃるのですね」

「え……?」

エルヴィンはマリアンナの言葉に、ぽかんとして自身の赤と白に分かれた道化の派手な格好を見下ろして「げっ」と声を漏らした。思わず頭に手をやり、同時に帽子についている鈴がチリンチリンと鳴った。彼はみるみるうちに顔を歪ませていく。「ほんとに、なんでこんな時に俺は……」と片手を顔に当ててつぶやいている様子に、マリアンナは微笑んだまま言った。

「あら、素敵ですわよ。エルヴィン様はなんでもやってのけるのですね」

「い、いえ、これは……まあそうなのですが……いろいろあるんですよ、私にも」

「いろいろ? ふふ、そうなのでしょうね。でも」

マリアンナは眉尻を下げた。

「あんなひどいこと! 大勢で寄ってたかって、だなんて、社交界に出入りする紳士たちがすることではありませんわ」

「いや、その」と、エルヴィンは言いにくそうに頬をぽりぽりとかきながら言った。

「実は……ああなるように仕向けたのは、私なんです。その、ある人物の依頼で、彼らの注意を引きつけておく必要がありまして」

「まあ、ではわざとああいう状況に?」

マリアンナは目を見開いた。信じられない、自ら殴られるなんて。

「では、もしかして私はあなたの邪魔をしてしまったのかしら」

エルヴィンは「とんでもない」と両手を振った。

「そろそろ私もきつかったので、助かりました。ちょうどいいタイミングでしたよ」

にこっと歯を見せたエルヴィンに、マリアンナはあきれたような困ったような表情を浮かべた。

「でも、いくら依頼だからといって、あそこまでする必要はないと思いますわ。だって、離れたところから、あなたの声が聞こえてきましたのよ」

「ははは、ちょっと大げさにうめいてみせたんですよ。少しは手加減してくれるかなと思って。まあ、私はやわじゃありませんから、あれくらいどうってことないんです」

からからと笑うエルヴィンに、マリアンナは首を振り、真剣な目で彼の黒い瞳に訴えかけるように言った。

「それでも、です。今度はほかの方法を考えてください。もっとご自分を大事になさいませ」

まるで小さな子をしかるような彼女の口調とまっすぐな目に、エルヴィンはさっと顔を赤らめ、小さく「はい」と頷いた。


それから、マリアンナはホールに戻った。エルヴィンは別室で少し休むとの事で、彼女をホールまで送るとすぐに姿を消してしまった。
ホールではまた別のダンスが繰り広げられていた。ダンスの輪にいるのは社交界デビューしたての令嬢たちばかりだ。とても楽しそうに舞っていて、マリアンナも数年前の自分を思い出していた。
しかし、きらきらと笑っている彼女たちを、壁際からじっとりとねめつけるような目で見つめている男性たちが目に入ると、マリアンナはぞっとした表情になった。しかもその中にはまたしてもあのホルツ子爵がいるではないか。さっきの公爵令嬢とは離れ、次のターゲットを探しているようにも見えた。
やっぱりもう帰ろうかしら。エルヴィンが回復したら道化のパフォーマンスをやってくれるかもしれないと思っていたが、その前にまた気分が悪くなりそうだ。

「失礼、お嬢さん。あなたはもしや、バフマン伯爵家のマリアンナ嬢でしたか?」

突然後ろから話しかけられ、マリアンナは振り向いた。目の前には上等な服装に身を包んだ灰色の髪の壮年が立っている。マリアンナは父の旧友にほっと胸をなでおろして頬笑んだ。

「ええ、そうですわ。あなたは……グルテア侯爵でしたわね?」

グルテア侯爵は、去年兄と舞踏会で挨拶した程度であったが、父や兄と話をするときによくあがった名前だ。
侯爵も微笑みを浮かべた。

「そうです。覚えておいでとは光栄ですな。今夜は父君や兄君は一緒ではないのですか?」

「ええ、今夜は二人は来ておりませんの。兄はまだ王都に帰っていませんし、父は今夜は忙しそうにしておりました」

「ほう、あなた一人を舞踏会によこすとは、めずらしいこともあるものですな。彼らしくもない」

マリアンナは思わぬ共感者を得て嬉しくなった。

「そうなんですの! 実は最近、父の様子がおかしいのです。急にびっくりするような婚約者候補を紹介してきたり、頻繁に舞踏会に行けと言うようになって……」

「びっくりするような婚約者? 誰です?」

マリアンナは少し声を抑えるようにして言った。

「それが、ホルツ子爵なのです」

ひっそりと秘密を打ち明けるようなマリアンナの様子に侯爵は笑っていたが、名前をきいて険しい顔になった。

「ホルツ……? あのホルツ子爵ですか。なんでまたあのような……」

マリアンナは肩をすくめた。

「私にもわかりません。でも、幸いその話はまとまるどころか一瞬で消え去りましたわ」

「ふうむ」

グルテア侯爵は眉をしかめて、少し考えたようだったが、少し難しい顔をして言った。

「マリアンナ嬢、聡いあなたにはわかっているかもしれないが、ホルツには近づかない方がいい。彼は突然ふって沸いたような男で……様子がおかしい」

マリアンナも神妙な面持ちで頷いた。

「私もそう思っております。お父様と同じくらいの年齢と伺っておりましたが、今夜見る限りでは……そうは見えなくて」

マリアンナにつられて侯爵も子爵の方をちらと見た。

「実は最近、経済面でも頭角を表してきたのです。しかしその資金も一体どこから手に入れたのか……。あなたの安全のためにも、彼と関係する人間とは一切関わらない方がいいでしょうな。もし、また父君が彼を紹介するなどという血迷ったことをしようとしたならば、あなたの兄君か私にお知らせなさい」

「ありがとうございます」

マリアンナは心強い言葉にほっとして笑みを浮かべた。と、その時だ。

また後ろから「失礼」と声をかけられた。
振り向くと、先ほどわかれたばかりのエルヴィンだった。
しかも赤と白の派手な道化の衣装ではなく、上等な黒いジャケットに身を包み、髪もきれいにセットしている。
あまりの変化に、マリアンナは目を丸くさせた。

「まあ、エルヴィン様! いつのまに着替えて……。お身体はもう大丈夫なのですか?」

エルヴィンはきれいな笑みを浮かべて答えた。

「休めば回復すると言ったでしょう? それにさすがにあの衣装であなたをダンスに誘うことはできませんからね、着替えてまいりました」

マリアンナはまあと驚きの表情を浮かべていたが、となりにグルテア侯爵がいることを思い出し、すぐに紹介をした。

「すみません、侯爵様、こちら……私の友人、エルヴィン・ゴットハルト様ですわ。エルヴィン様、こちらはグルテア侯爵様、父の古くからのご友人です」

マリアンナは、最初にエルヴィンのことをホルツ子爵の友人として紹介しようとしたが、たった今侯爵に「彼と関係する人間とは一切関わらない方がいい」と言われたばかりなので、自分の友人ということにしてしまった。2回しか会っていないけど、もう友人だからいいわよね。
突然割り込んできた青年に、侯爵は一瞬訝しげな表情を浮かべたが、マリアンナが嬉しそうに彼を紹介したので、侯爵も親しげに手を差し出した。

「こんばんは。わざわざ彼女と踊るために着替えてきたなんて、やはり彼女は高嶺の花なのかな」

エルヴィンも、にこやかな笑みを崩さずにその手を握る。

「はじめまして……そりゃあもちろん、その通りです。私の努力が無駄にならないか不安ですが」

エルヴィンの言葉に、侯爵は「ははは」と笑った。

「だそうだ、マリアンナ嬢。彼と踊ってやりなさい。私は退散するとしよう」

そう言って、グルテア侯爵はマリアンナに礼をとった。マリアンナも慌ててお辞儀を返す。

「侯爵様、先ほどはご忠告、ありがとうございました」

「父君によろしく伝えてくれたまえ」

グルテア侯爵が去っていくと、エルヴィンはふうっと息を吐いた。

「どうやら気を遣わせてしまったみたいですね。お話の途中だったのに、申し訳ありませんでした」

そう言ってにっこりと笑ってみせたエルヴィンからは、申し訳なさが微塵も感じられない。

「エルヴィン様ったら。あの方は危険な方ではないから大丈夫ですのよ。ほんとうに父の友人で、いつも一緒にいるはずの父か兄がいないから心配してくださったのです」

「そうなのですか」

エルヴィンはそう言ってからとても小さな声で「私にとっては危険な人物だ」と言った。マリアンナにもそれは聞こえたが、エルヴィンは「それはそうと」と、咳払いをして話を変えた。

「その、先ほど言った通り、あなたと堂々とホールで踊れるようにこの服装に着替えてまいりました。その、どうか一曲でかまいませんから、私と、お、踊っていただけませんか」

緊張したように差し出したエルヴィンの右手に、マリアンナは微笑みながら自分の右手を乗せて言った。

「もちろん私でよければ、お相手いたしますわ」

エルヴィンは飛び上がりそうなほどの嬉しげな笑みを浮かべた。

「ほ、ほんとうですかっ……! で、では次の曲で……」




マリアンナは社交デビューして数年たち、舞踏会に行く数は限られていたが、それなりに兄以外の男性とも踊ったことはあった。しかし、今夜踊っているエルヴィン・ゴットハルトほどにダンスのうまい相手は今まで一人としていなかった。
こんなにダンスを楽しんだのは久しぶりだ。きっと社交界デビュー以来かもしれない。マリアンナは踊りながら思わず笑みをこぼした。彼のリードは、まるで空を飛んでいるかのようだ。
続けて2曲踊り、エルヴィンはその後も踊りたそうにしていたが、マリアンナは疲れてしまったので、休むことにした。

エルヴィンはそれから少しいなくなったが、すぐに戻ってきて飲み物をマリアンナに渡してくれた。エルヴィンはマリアンナに、壁際の長椅子に腰掛けるようすすめた。

「も、申し訳ありません、あなたを疲れさせてしまって……調子に乗りすぎました」

マリアンナが「休みたい」と申し出て、初めてマリアンナの疲れに気づいたらしいエルヴィンは、ずっとおろおろしている。
差し出されたグラスを飲んだマリアンナは、笑顔で首を振った。

「いいえ、とっても楽しかったですわ。あなたはほんとうになんでもできるのね。まるで空を飛んでいるような感覚になりました」

エルヴィンは下を向いて小さく「それは私もです」と言ってから笑みを浮かべて顔を上げた。

「楽しんでいただけたならよかったです。着替えてきた甲斐がありました」

「こんなにお上手だなんて、驚きましたわ。もしかしてダンスの講師でもやってらっしゃるのかしら」

エルヴィンは目を点にさせた。

「いやいやいや、まさか。やっていませんよ。まあ、私は踊りなれているといいますか……道化の踊りもできますし」

マリアンナはくすりと笑った。

「そうでしたわね。でも、疲れてしまって申し訳ないわ。私よりもお上手な方はたくさんいらっしゃるから、お誘いにいってもよろしいのよ」

なんの気なしに言ったマリアンナの言葉に、エルヴィンはぎゅっと眉を寄せた。

「いいえ。今夜は、私はマリアンナ様と踊るためだけに着替えてきたのです。もう十分ダンスをさせていただきましたから、他の方は結構です」

その誠実で頑なな言い方に、マリアンナは少し嬉しくもあったが、悲しげな表情になった。もう潮時かもしれない。

「エルヴィン様、もし私の思い上がりなら笑い飛ばしてくださってかまいませんが……その、私のことを、友人以上の存在と思ってくださっていたら、その、どうぞ友人のままで留まってくださいませんか」

「えっ」

エルヴィンの顔から表情が消えた。マリアンナは、申し訳なさそうに続けた。
今までこの話を何度かしてきたからこそ、自分をダンスに誘う男性がすっかりいなくなったのだ。
だが、言わなければならない。それがマリアンナの在り方なのだから。

「私はご存知の通り、バフマン伯爵家の娘です。兄弟は兄が1人いるだけ、バフマン家に娘は私だけなのです。なので、私の結婚は父が一切を決めることになっております。私の意見など入る余地もありません。ですから」

マリアンナは大きく息を吸った。

「ですから、もし、私と友人以上の関係をお望みであれば、私ではなく父と近しい関係を築いてください。私と打ち解けたところで……それは無意味なのです」

とうとう言ってしまった。
何人もいたわけではないが、このように言うと相手の男性は、「なんと生意気な」「可愛げのない女だ」と言い捨てて去っていった。
だが、マリアンナにとってエルヴィンは、今までの表面的な言葉を並べる貴族男性とは違うものを感じていた。
もしかしたらあくまで友人として話してくれていたかもしれない。なにを言っているんだ、友人としかあり得ないじゃないかと笑い飛ばしてくれるかもしれない。マリアンナはそんな一縷の望みにかけた。

だが、エルヴィン・ゴットハルトは、マリアンナの予想を上回った。

「嫌です」

マリアンナは「えっ」と驚きの声を漏らした。

彼は、先ほどまで表情の色をなくしていたのに、マリアンナのわけをきいてからか、いつのまにかいつもの人好きのする笑みを浮かべている。そしてにっと歯を出して笑うと次のように言った。

「あなたの優先順位はわかりました。あくまで貴族の令嬢としての義務を全うしたいわけですね。お父上の意向に沿っていれば、お父上の了承さえあれば、あなたは私をひとりの男として見てくださるんですね?」

マリアンナは目をぱちくりさせたが、「え、ええ」と言った。
その通りだ。マリアンナは、父が定めた婚姻なら、たとえ歳の離れた相手でも、異国でも嫁ぐつもりだった。それが、マリアンナのできる、貴族としての唯一の仕事だからと思っていた。
エルヴィンは、マリアンナの小さな返事に満足したように頷いた。

「あなたのお父上のお眼鏡にかなうような……いえ、むしろお父上から望まれるような人物となりましょう。貴族でもなんでも。必ずや約束を果たしてみせます。ですから」

エルヴィンはマリアンナの目を黒い瞳で見つめた。

「ですから、私を、私の事をす、す……いえ、友人ではない存在として、見てくれませんか。心を閉ざさずに。少しずつでいいですから」

マリアンナは瞠目した。

そんな風に言われたのは初めてだった。そしてこの意志の強い目。マリアンナは射抜くようなエルヴィンの黒い瞳に、また既視感を覚えた。

この目。
マリアンナはぼんやりと思った。あれだわ、数年前、部屋で手当てをしてあげたあの少年の眼差しに似ている。だが、あの少年の瞳は赤かった。彼は別人だ。

「あの、マリアンナ様?」

少し不安げな口調になったエルヴィンに、マリアンナははっと我に返った。いけない。エルヴィン様は真面目に私との将来を考えてくれているのよ。
マリアンナは少し考えたが、微笑んで頷いた。

「あなたが……そこまで言ってくださるなら。でも、私はあなたのことは最初から好きですわよ」

そう真面目に言ったマリアンナに、エルヴィンは「えっ」と目を点にさせた。

「お優しいし、博識ですし、広い視野をお持ちではないですか。おまけにダンスもお上手ですわ。きっと多くのご令嬢の憧れの存在ですのに……」

「ああ、そういう……」

エルヴィンは「まあそうだよな、2回しか会ってないもんな」と力なく笑ったが、思い直したようにぶんぶんと首を振った。

「で、でも、そういう表面的なところからでもいいんです! 私も頑張りますから。これからも私と頻繁に会っていただきますからね!」

「え、ええ……。こちらこそよろしくお願いしますわ」

決意みなぎるエルヴィンに、マリアンナは少し不思議そうな表情を浮かべながらも頷いた。






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