赤い目が光る時

Rachel

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第一章 窓からの侵入者

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ガタン。

マリアンナは目を覚ました。今、音がした気がする。窓を開けるような……そう思い、薄く開けた目を窓に向け、まだ幼さの残る目をぱっちりと開いた。
窓が、開いている。
さっきメイドのリナが閉めてくれたはずだ。月がちらちらと見えるだけで、星も見えない曇り空であったが、暗さになれた目で窓が開いていることがはっきりわかった。と、その時、カサ、と窓よりももっと向こうの部屋の奥で布の擦れるような音がした。
なにかしら。どきりとしたが、マリアンナはもぞもぞと身体を起こし、ベッドの脇にあるろうそくに火を灯した。部屋がぼんやりと明るくなる。
暗闇の向こうの隅に、息を潜めたなにかがいるのがわかった。

「だれなの?」

かすかに息をしているのがわかったが、それはなにも答えなかった。
マリアンナはどきどきする胸をおさえてベッドから出た。燭台を握ると、そろそろとそのなにかの方に近寄っていく。
ろうそくの灯に照らされたそれを見た瞬間、マリアンナは、はっと息をのんだ。
そこに手をついてしゃがみ込んでいるのは自分と同じか、あるいは少し年嵩の少年で――彼の背中には、髪色と同じくらい黒い大きな翼があったのだ。そして、怯えたような赤い目でこちらをまっすぐに見ている。

「あ、あなた……」

マリアンナが驚きのあまり言葉を漏らすと、少年は、表情を歪め絞り出すようなアルトの声で言った。

「頼む、見逃して……10分だ、いや5分、1分だっていい。頼む、すぐに出ていくから……!」

懇願するような言い方、そしてその強い瞳に、マリアンナは目を見張るばかりだったが、階下の方から聞こえるバタバタという音に、はっとした。

「ここから動いてはだめよ」

マリアンナはそう言うと、まずは開いていた窓をきっちり閉めた。脇に置いてある衝立でしゃがみ込んでいる少年を囲むようにして寄せると、となりに椅子を置き、その上にガウンをかける。
そうして自分はベッドに戻ると、燭台はすぐ脇に置いて、上半身を起こしたまま枕の下から兄からもらった童話の本を取り出した。先ほど寝る前に読んでいた11章を開いて何事もなかったかのように読み始める。

まもなくダンダンダンと複数の足音が廊下をかけているのが聞こえてきた。ガチャガチャとあちこちの扉を開ける音もする。
音はだんだんとこちらに近づいてきて、とうとうマリアンナの部屋の扉が叩かれた。

「マリアンナ! ここを開けなさい」

少女は本を手に持ったまま、ベッドからすっと出ると、ひんやりする床の上を裸足で歩き、扉をゆっくりと開ける。
マリアンナの目の前には、父と、年の離れた兄、そしてその後ろには大柄な男達が、武装して、焦ったようなそして怒りを含んだような表情で立っていた。

「お父さま、お兄さま、こんな遅くになにごとですか」

眠そうな表情のマリアンナに、父親は勢いあまったような声で言った。

「マリアンナ、今誰か入って来なかったか?」

「だれか、とは……? なにかあったのですか。下がさわがしいようですが」

「屋敷に侵入者が……いや、お前は、なにも見ていないのか?」

マリアンナの兄フランツは、わけを話そうとして、妹を怖がらせてはいけないと思い言い方を変える。

「見ていたらそう言いますわ」

マリアンナがあくびをしながらそう答えると、父と兄の後ろにいる兵士のような出で立ちの男の1人が、身を乗り出すようにして部屋の奥の方をじろじろ見た。

「たしかに、窓は開いていないようですが、しかし……」

男は部屋の中をきちんと調べたいと言い出しそうだ。マリアンナは焦る気持ちを隠し、少し恥ずかしそうにしながら父と兄の方を見上げた。

「あの……私、もう寝ようとしているのだけど、まだ眠っちゃいけないのかしら」

寝ようとしている。それはガウンも脱いで夜着だけしか身につけていないということを主張したつもりだった。そもそもこんな時間に幼いとは言え、10代の若い娘の部屋に押し入ろうとしていることにそろそろ気づいたらどうなのかしら。
その意図に父と兄は、はっと気づいたような顔をした。父は声色を変えて、今度は娘を気遣うように言った。

「す、すまない、もう寝る準備をして……ほ、本を読んでいたんだな! もう寝なさい」

「ええ、おやすみなさい」

マリアンナは微笑んで扉をガチャリと閉めた。
扉の向こうから男達や兄の声がする。

「おかしいな、ここかと思ったんだが」

「うるさい、ここじゃないんだ。他を探せ!」

「もしかしたら、別の屋敷に移動したのかもしれんぞ」

ガチャガチャと騒がしかったが、だんだんとその声と音は離れていき、やがて階下に降りていった。もうここへは来ないだろう。
マリアンナはほっと息を吐くと、椅子にかけたガウンを羽織る。そしてすぐにベッドの脇から燭台を取り、衝立の方へ駆け寄った。
少年はまだそこに背を丸めてうずくまるようにしてしゃがんでいた。

「もう大丈夫よ、お父さまとお兄さまたちは入ってこないわ……あら?」

マリアンナは少年の方に灯をかざした。
少しだが背中から血が流れている。

「大変!」

マリアンナは燭台をその場に置いて立ち上がると、戸棚から箱を取り出して再び少年の方へ駆け寄った。
彼の背中の傷をよく確かめる。床に流れるほどではないが、右側の翼の付け根に血の出ている傷口があるのがわかった。とりあえず、包帯を巻いて血を止めるしかないわ。
マリアンナは箱から消毒液を取り出し、傷につける。少年は痛みに身体をびくっとさせ、翼をばたつかせた。

「や、やめろ……」

「だって消毒しなきゃ。少ししみるけどがまんしてね」

そう言ってマリアンナは再び消毒液をかけた。少年は痛みに身構えたが、最初ほど痛くはないようで、もう動こうとはしなかった。
マリアンナは消毒液と塗り薬をつけると、上から止血するように自分の白いハンカチを被せて押さえ、箱から取り出した包帯をぐるぐると巻きはじめた。血が滲むか心配だ。

「……あんた、貴族のお嬢さんじゃないのか? なんでこんなことができる?」

少年がぽつりときいたのに、マリアンナは包帯を巻きながら小さく笑って答えた。

「お兄さまがね、軍人なの。それで、お兄さまがいつも怪我をして帰ってくるから、手当ての仕方を教えてもらったの。うんと小さい時から手当てをしてあげているのよ。だからこういうのは慣れっこなの。翼なんて初めてだけど」

少年は黙ってきくだけで、返事はしなかった。
ようやく包帯を巻き終えた。マリアンナは箱を片付けると床にしゃがんでいる少年のそばにちょこんと座った。

「ねえ、あなたは何者なの?」

しかし少年はマリアンナの言葉を無視して立ち上がると、右側の翼を少し動かそうとしたので、マリアンナはあわてて止めた。

「ま、まだだめよ! 血が止まっていないかもしれないわ。それに、お父さまたちがまだあなたを探しているわ」

たしかに、屋敷内も外からもまだガヤガヤと声が聞こえる。少年は眉をしかめ悔しそうに歯をギリと噛み締めたが、大人しく開きかけた翼をたたんだ。
マリアンナはほっとして、彼に肘掛け椅子に座るよう促した。この椅子はふわふわしていて、マリアンナのお気に入りなのだ。
少年は椅子に座ると、少しゆったりしたような表情になった。

沈黙が降りる。
お茶でも出してあげたらよかったのだけど、さすがにそれは無理ね。マリアンナは少し残念に思いながら自分はすぐ目の前にあるベッドに腰掛けた。
マリアンナはしばらく横を向いたままの少年を見ていたが、彼は自分のことを話したがらないようだったので、仕方ないと立ち上がった。燭台の灯をともしたまま少年の前にあるテーブルに置く。そうして、棚から一枚膝掛けを取り出すと、そっぽを向いて座っている彼に掛けた。

「私は眠いからもう寝るわね。あなたも少しくらいは寝たほうがいいのではなくて? 顔色が悪いわ」

少年は眉をしかめてこちらを睨んだ。赤い目でこちらを睨みつけている。アグネス叔母様がつけていたルビーのブローチと同じ色だわ。なんとなくマリアンナはそう思って彼の瞳を見ていたが、睨まれてもマリアンナが怯まないので、少年はすっと目を逸らした。

「余計なお世話だ」

マリアンナは心の中でクスリと笑った。なんだか動物みたい。マリアンナはそのままベッドに入った。

「おやすみなさい」

枕に頭を沈めて目を閉じる。
再び沈黙がおりる。屋敷の外では、まだ兵士達が騒いでいるようで、ガチャガチャしている音が聞こえてくる。

「あんた」

急に少年が言った。

「なんで俺を助けた」

マリアンナはまだ眠っていなかったが、ぼんやりとした頭で目をつむったまま、小さな声で答えた。

「……あなたが困っていたからよ……ただ……それだけ」

もうそれきり彼女は答えずに、しばらくするとすうすうと寝息をたてるだけだった。少年は複雑そうな表情で、肘掛け椅子に座ったままマリアンナの方をじっと見ていた。

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