14 / 26
憂いと安らぎ
しおりを挟む
昨日の外出でびしょ濡れになったせいだろう、私は今ベッドの上で寝込んでいる。…完全に風邪を引いてしまった。
全身が熱く、頭がぼうっとして思考がうまく働かない。寝込んでしまった私の代わりにヴィンス様が忙しく働いている。本来なら彼は屋敷の掃除や雑用をする必要はないのに、申し訳ない。
テーブルの上には、先程ヴィンス様がもってきてくれた薬と水、切り分けられた果物が置いてある。食欲の湧かない私の為に、せめてでもと彼が置いて行ってくれた。
早く治さないと皆に迷惑をかけてしまう、と薬を飲む為に立ち上がろうとした。すると、私の部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。
「はい」
ノックに対して少し掠れた声で返事する。する軋んだ音とともに扉がゆっくりと開いた。
「アルト、気分はどう?」
「朝より少し楽かしら…」
セレンが心配そうに私のベッドの横に、近くの椅子を引っ張って座った。
私はベッドから起き上がろうとしたが、彼は私の肩に手を置く素振りを見せ、やんわりとそれを制した。
「相当辛そうだ…薬を、不味いだろうけど」
セレンは薬の注がれたカップを手に取ると、そっと私の口元に持ってきた。私は薬の強い苦みに顔をしかめながらもそれを飲み干した。
「…不味いわ」
「いい子だ」
彼はまるで幼子を慰めるように、目を柔らかくさせて私の頭を撫でた。
「子供じゃないから大丈夫よ」
「大切な人が苦しんでいたら甘やかしたくなるのは当然だろう?」
コンコン、と再び扉をノックする音。そちらを見ると今度はヴィンス様が籠を片手に部屋に入ってきた。
「プラマヴェル様、先程お父様がいらっしゃいまして、お嬢様にこれをと」
そう言って彼が籠の中身を差し出した。それは丸くて大きなオレンジだった。
「部屋にお通ししようと思ったのですが…。曰く、プラマヴェル様はお優しく、風邪を移してしまうことを気にしてしまわれるので見舞いの品だけを、と」
「お父様も気を遣いすぎだわ、お見舞いに来てくれたら嬉しいのに。…やっぱり移したくないから遠慮してくださって良かったかも」
私はぽつりとそう呟いた。
「オレンジは僕が剥くから、ヴィンスは下がってくれ」
「承知致しました」
ヴィンス様は籠ごとテーブルの上に置くと、一礼をしてさっさと部屋を出ていった。セレンは籠の中からオレンジと小さなナイフを取り出すと、その皮を綺麗に剥き始めた。
「冷えてる。美味しそうだ」
彼の手の動きに合わせて、オレンジの皮がするすると下に落ちて渦を形作る。その様子をぼうっと見ていると、彼が切り分けた果実のひとつを私の口元に運んだ。
「アルト、口開けて」
私は小さく口を開けてそれを食べた。まるで小鳥の餌付けの様だ。
「…おいしい」
口に含むと勢い良く果汁が流れ込んでくる。その甘くすっきりとした味わいは、熱に侵された身体に染みるようだった。
「セレンも食べて」
一人で食べきるのは無理であるし、それに彼にも一度食べてみて欲しかったのだ。
彼は私の言う通りに一切れのオレンジを食べると目を丸くした。
「おいしい…向こうで食べていたのとは違うな。甘いし、身も詰まってる」
「そうでしょう?」
私は得意げに笑った。セレンは切り終えたオレンジを皿の上に並べると、ナプキンで丁寧に手を拭いた。
「昨日、びしょ濡れで帰ってきた時はびっくりしたよ」
「ごめんなさい、それでこんな風邪を引いてしまって」
「謝る必要なんてないんだ、ただどうしたのかが気になって」
セレンは私が昨日オリヴィア様に会っていたことは知らないのだ。屋敷に帰ったのは完全に日の沈む少し前だった。
私は慌てて夕食の準備をした後、他に残っている仕事を片付ける為にずっと動き回っていた。そのため珍しく彼と一緒の食事ではなく別々に食べたのだ。
その後はもうお風呂と寝るだけだったので、顔は合わせていない。
「オリヴィア様に買い物を頼まれたから、少し町に出かけていたの…今度屋敷にいらっしゃる時にそれを渡さなくちゃいけないから」
一瞬の静寂の後、セレンが少しだけ眉をひそめながら口を開いた。
「…オリヴィアに会ったの?」
オリヴィア、そう親しげに呼ぶ彼に少し胸が痛む。
「うん、そうだけど」
「そうか…今度彼女が来た時に、僕が渡して置くから」
「分かったわ」
彼女とは一体どういった仲なのだろうか。気にはなるが、聞けなかった。
「…アルト、オリヴィアの事誤解してる?」
俯く私の頬に彼の手が伸びてくる。
「僕が好きなのは君だけだよ」
セレンが私の頬にそっと触れる。目の前には優しく微笑む彼の姿があった。その愛おしいものを見つめるような瞳から、私は目が反らせなかった。
「す、好きって…」
「話は風邪を治してから」
セレンは私の頭を撫でると立ち上がった。
「約束があるからそろそろここを出ないと。遅刻してしまうから、また終わったら様子を見にくるよ。夜にしか屋敷に帰れなかったら、起こしたくないから遠慮するけど」
「…夜遅くてもいいから会いに来て、少しの間でいいから」
風邪で熱が出ているせいか、いつもより大胆になれる気がした。それに、とても心細い気分だ。風邪を引いたり、体調が悪くなったりする時、一人でいるととても寂しくなってしまう。
だから、彼に助けを求めるように手を伸ばし、彼の服の裾を掴んだ。
「寂しいの…」
「うん、分かったよ、アルト」
セレンの優しい声に私はほっとして目を閉じる。彼に頭を撫でられながら、そのまま深い眠りへと落ちていった。
全身が熱く、頭がぼうっとして思考がうまく働かない。寝込んでしまった私の代わりにヴィンス様が忙しく働いている。本来なら彼は屋敷の掃除や雑用をする必要はないのに、申し訳ない。
テーブルの上には、先程ヴィンス様がもってきてくれた薬と水、切り分けられた果物が置いてある。食欲の湧かない私の為に、せめてでもと彼が置いて行ってくれた。
早く治さないと皆に迷惑をかけてしまう、と薬を飲む為に立ち上がろうとした。すると、私の部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。
「はい」
ノックに対して少し掠れた声で返事する。する軋んだ音とともに扉がゆっくりと開いた。
「アルト、気分はどう?」
「朝より少し楽かしら…」
セレンが心配そうに私のベッドの横に、近くの椅子を引っ張って座った。
私はベッドから起き上がろうとしたが、彼は私の肩に手を置く素振りを見せ、やんわりとそれを制した。
「相当辛そうだ…薬を、不味いだろうけど」
セレンは薬の注がれたカップを手に取ると、そっと私の口元に持ってきた。私は薬の強い苦みに顔をしかめながらもそれを飲み干した。
「…不味いわ」
「いい子だ」
彼はまるで幼子を慰めるように、目を柔らかくさせて私の頭を撫でた。
「子供じゃないから大丈夫よ」
「大切な人が苦しんでいたら甘やかしたくなるのは当然だろう?」
コンコン、と再び扉をノックする音。そちらを見ると今度はヴィンス様が籠を片手に部屋に入ってきた。
「プラマヴェル様、先程お父様がいらっしゃいまして、お嬢様にこれをと」
そう言って彼が籠の中身を差し出した。それは丸くて大きなオレンジだった。
「部屋にお通ししようと思ったのですが…。曰く、プラマヴェル様はお優しく、風邪を移してしまうことを気にしてしまわれるので見舞いの品だけを、と」
「お父様も気を遣いすぎだわ、お見舞いに来てくれたら嬉しいのに。…やっぱり移したくないから遠慮してくださって良かったかも」
私はぽつりとそう呟いた。
「オレンジは僕が剥くから、ヴィンスは下がってくれ」
「承知致しました」
ヴィンス様は籠ごとテーブルの上に置くと、一礼をしてさっさと部屋を出ていった。セレンは籠の中からオレンジと小さなナイフを取り出すと、その皮を綺麗に剥き始めた。
「冷えてる。美味しそうだ」
彼の手の動きに合わせて、オレンジの皮がするすると下に落ちて渦を形作る。その様子をぼうっと見ていると、彼が切り分けた果実のひとつを私の口元に運んだ。
「アルト、口開けて」
私は小さく口を開けてそれを食べた。まるで小鳥の餌付けの様だ。
「…おいしい」
口に含むと勢い良く果汁が流れ込んでくる。その甘くすっきりとした味わいは、熱に侵された身体に染みるようだった。
「セレンも食べて」
一人で食べきるのは無理であるし、それに彼にも一度食べてみて欲しかったのだ。
彼は私の言う通りに一切れのオレンジを食べると目を丸くした。
「おいしい…向こうで食べていたのとは違うな。甘いし、身も詰まってる」
「そうでしょう?」
私は得意げに笑った。セレンは切り終えたオレンジを皿の上に並べると、ナプキンで丁寧に手を拭いた。
「昨日、びしょ濡れで帰ってきた時はびっくりしたよ」
「ごめんなさい、それでこんな風邪を引いてしまって」
「謝る必要なんてないんだ、ただどうしたのかが気になって」
セレンは私が昨日オリヴィア様に会っていたことは知らないのだ。屋敷に帰ったのは完全に日の沈む少し前だった。
私は慌てて夕食の準備をした後、他に残っている仕事を片付ける為にずっと動き回っていた。そのため珍しく彼と一緒の食事ではなく別々に食べたのだ。
その後はもうお風呂と寝るだけだったので、顔は合わせていない。
「オリヴィア様に買い物を頼まれたから、少し町に出かけていたの…今度屋敷にいらっしゃる時にそれを渡さなくちゃいけないから」
一瞬の静寂の後、セレンが少しだけ眉をひそめながら口を開いた。
「…オリヴィアに会ったの?」
オリヴィア、そう親しげに呼ぶ彼に少し胸が痛む。
「うん、そうだけど」
「そうか…今度彼女が来た時に、僕が渡して置くから」
「分かったわ」
彼女とは一体どういった仲なのだろうか。気にはなるが、聞けなかった。
「…アルト、オリヴィアの事誤解してる?」
俯く私の頬に彼の手が伸びてくる。
「僕が好きなのは君だけだよ」
セレンが私の頬にそっと触れる。目の前には優しく微笑む彼の姿があった。その愛おしいものを見つめるような瞳から、私は目が反らせなかった。
「す、好きって…」
「話は風邪を治してから」
セレンは私の頭を撫でると立ち上がった。
「約束があるからそろそろここを出ないと。遅刻してしまうから、また終わったら様子を見にくるよ。夜にしか屋敷に帰れなかったら、起こしたくないから遠慮するけど」
「…夜遅くてもいいから会いに来て、少しの間でいいから」
風邪で熱が出ているせいか、いつもより大胆になれる気がした。それに、とても心細い気分だ。風邪を引いたり、体調が悪くなったりする時、一人でいるととても寂しくなってしまう。
だから、彼に助けを求めるように手を伸ばし、彼の服の裾を掴んだ。
「寂しいの…」
「うん、分かったよ、アルト」
セレンの優しい声に私はほっとして目を閉じる。彼に頭を撫でられながら、そのまま深い眠りへと落ちていった。
10
お気に入りに追加
24
あなたにおすすめの小説
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
【完結】番を監禁して早5年、愚かな獣王はようやく運命を知る
紺
恋愛
獣人国の王バレインは明日の婚儀に胸踊らせていた。相手は長年愛し合った美しい獣人の恋人、信頼する家臣たちに祝われながらある女の存在を思い出す。
父が他国より勝手に連れてきた自称"番(つがい)"である少女。
5年間、古びた離れに監禁していた彼女に最後の別れでも伝えようと出向くと、そこには誰よりも美しく成長した番が待ち構えていた。
基本ざまぁ対象目線。ほんのり恋愛。
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
【完結】何も知らなかった馬鹿な私でしたが、私を溺愛するお父様とお兄様が激怒し制裁してくれました!
山葵
恋愛
お茶会に出れば、噂の的になっていた。
居心地が悪い雰囲気の中、噂話が本当なのか聞いてきたコスナ伯爵夫人。
その噂話とは!?
約束しよう、今度は絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
白いドレスを身に纏った大切な友人は今日、結婚する。
友人の隣には永年愛した人がいて、その人物は友人を愛おしそうな眼差しを向けている。
私の横では泣いているような笑っているような表情で彼らを見ている人物がいて、その人物が何度目か分からぬ失恋をしたのだとすぐに分かった。
そしてそれは同時に私も何度目か分からぬ失恋をしたことを意味したのだった。
あれから14年の月日が経ち、私は変わらぬ日々を迎える筈だった、あの人物が現れるまでは。
お幸せに、婚約者様。
ごろごろみかん。
恋愛
仕事と私、どっちが大切なの?
……なんて、本気で思う日が来るとは思わなかった。
彼は、王族に仕える近衛騎士だ。そして、婚約者の私より護衛対象である王女を優先する。彼は、「王女殿下とは何も無い」と言うけれど、彼女の方はそうでもないみたいですよ?
婚約を解消しろ、と王女殿下にあまりに迫られるので──全て、手放すことにしました。
お幸せに、婚約者様。
私も私で、幸せになりますので。
お妃候補に興味はないのですが…なぜか辞退する事が出来ません
Karamimi
恋愛
13歳の侯爵令嬢、ヴィクトリアは体が弱く、空気の綺麗な領地で静かに暮らしていた…というのは表向きの顔。実は彼女、領地の自由な生活がすっかり気に入り、両親を騙してずっと体の弱いふりをしていたのだ。
乗馬や剣の腕は一流、体も鍛えている為今では風邪一つひかない。その上非常に頭の回転が速くずる賢いヴィクトリア。
そんな彼女の元に、両親がお妃候補内定の話を持ってきたのだ。聞けば今年13歳になられたディーノ王太子殿下のお妃候補者として、ヴィクトリアが選ばれたとの事。どのお妃候補者が最も殿下の妃にふさわしいかを見極めるため、半年間王宮で生活をしなければいけないことが告げられた。
最初は抵抗していたヴィクトリアだったが、来年入学予定の面倒な貴族学院に通わなくてもいいという条件で、お妃候補者の話を受け入れたのだった。
“既にお妃には公爵令嬢のマーリン様が決まっているし、王宮では好き勝手しよう”
そう決め、軽い気持ちで王宮へと向かったのだが、なぜかディーノ殿下に気に入られてしまい…
何でもありのご都合主義の、ラブコメディです。
よろしくお願いいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる