上 下
5 / 26

浮かれているのかも

しおりを挟む
 彼は私を馬車で家まで送り届けた後、「明日挨拶に行く」と言い残して帰って行った。過ぎ去っていく彼の乗った馬車の後ろ姿を見つめながら、私は何処か夢心地だった。

 再会した時は久しぶりなのと、大人になった彼の姿に緊張して、でも話すとやっぱりとても楽しくて、どこか安心する。会話するたびに呼び戻されてくる昔の感触。それに触れるたび、居心地のよさを感じてやまなかった。
 
「一緒にいたかったんだ」、脳内に彼の言葉が響き渡る。
 彼に求められたことが、嬉しかった。
 
 彼の触れていた肩に、まだ体温が残っている気がする。
 しばらくぼーっとしながら立っていると、背後から父の声が聞こえた。

「アルト、帰ったのか」

 その声に反応した私は弾かれるようにして振り返った。

「すみませんお父様、遅くなりました」

 私がそう言うと、父は不思議そうな顔をした。

「今は昼過ぎだし、別に遅くなってはいないよ」

「まだ昼過ぎ!?ですか…」

 外はまだ明るく、日が傾きかける気配もない。まだ昼頃であることは分かり切ったことであるはずなのに、自分の中の時間感覚がめちゃくちゃになっているせいで、今いちピンと来ない。

 ものすごく濃い時間を私は先程まで過ごしていたようだった。

 父は不意に私の手に持っている空のバックを見つめた。

「買い物はしてこなかったのか?」

「あ」

 思わず間の抜けた声が出てしまい、口を押さえる。すっかり忘れていた。ついでに買い物をして帰る予定があったのに。

 新鮮なヤギの乳や、少し奮発していつもより上等な肉を買うつもりが!と項垂れる私に、父は優しく声をかけた。

「久しぶりに会ったんだろう、ノワール侯爵の御子息と」 

「ええ…」

「どうだった?」

「あ、あの、お父様」

「そんなに緊張しなくても良いよ、アルト。ある程度のことは分かってる。…私の方にも手紙が来たんだ。」

 父は私に近づくと、子供の頃のように少し屈んで私に目を合わせてきた。

「話を受けたいんだろう?でも、私を一人にしておきたくないと思ってる。お母様も亡くなっているのに、きっと一人で寂しいわ、って」

「お父様と一緒にいたいわ」

「でも彼とも一緒にいたいだろう?」

 押し黙る私に、父は顔をくしゃりとさせて笑った。

「彼はお前をご所望だし、これも何かの縁だ…それに、昔お前と彼を引き離してしまったこと、申し訳なく思ってるよ」

「お父様のせいではありません!」

「父は大丈夫だ。畑のことも、心配いらない。…彼もしっかりと考えてくれているし、サポートもしてくれるそうだ。だから」

 昔より皺が深くなった目尻を下げて父は言う。皮膚が硬くなり、ひびの入った指先はガサガサしていて、父の苦労を感じさせた。

「お父様、私、行ってきます。いいですか…?」

 はっきりとそう告げると、父は満足そうな顔をした。



 …この時の私は、彼のそばにまたいられるんだ、とただ浮かれていた。そこに恋という感情の自覚はあまり無かった。ただ昔のように仲良くしたい、勿論一年の間だけ、いや、彼に新しい婚約者ができるまでの短い間だけでいい。それだけだった。

 自分が彼とどうにかなるとか、そういったことは身分の違いをはっきり自覚しているせいか全く考えにも及ばなかった。

 はっきりとした線引を、彼と自分の間に引いている私は、こんなことになるとは想像もしていなかったのだ。

 
 
 
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

彼女がいなくなった6年後の話

こん
恋愛
今日は、彼女が死んでから6年目である。 彼女は、しがない男爵令嬢だった。薄い桃色でサラサラの髪、端正な顔にある2つのアーモンド色のキラキラと光る瞳には誰もが惹かれ、それは私も例外では無かった。 彼女の墓の前で、一通り遺書を読んで立ち上がる。 「今日で貴方が死んでから6年が経ったの。遺書に何を書いたか忘れたのかもしれないから、読み上げるわ。悪く思わないで」 何回も読んで覚えてしまった遺書の最後を一息で言う。 「「必ず、貴方に会いに帰るから。1人にしないって約束、私は破らない。」」 突然、私の声と共に知らない誰かの声がした。驚いて声の方を振り向く。そこには、見たことのない男性が立っていた。 ※ガールズラブの要素は殆どありませんが、念の為入れています。最終的には男女です! ※なろう様にも掲載

【連載】怪力令嬢は「か弱く」なって恋がしたい!〜怪力なのに王太子に溺愛されてます!?〜

三月よる
恋愛
あるところにシャルロッテ・シルト侯爵令嬢という美しい娘がいた。王都でも指折りの美しさを持つシャルロッテだが、肝心の求婚をするものはほぼいない。理由はただ1つ。それはシャルロッテが有名な「怪力令嬢」だから! 感情が昂ると体に極度の力が入ってしまう彼女は、手に持つものを不本意ながら壊してしまう怪力体質だった。 そんなシャルロッテに興味を持ったのは、いつも冷静で完璧な美しさを誇る、「王国の麗星」と名高い王太子スワードだった。 シャルロッテはスワードに半強制的に王宮に住まわされ、彼と二人三脚で「か弱く」なる訓練を始めた。 *毎週金曜20時に更新です*

夫の浮気相手の匂わせにはもうウンザリ

白山さくら
恋愛
「またあの女の匂わせだわ…」夫であるアボット侯爵の書斎のゴミ箱に、女物のストッキングが捨ててあるのを見つけた妻キャサリンは…

あのとき必要だったのはほんのちょっとの勇気だったんだ

千暁
恋愛
仲良しグループの中に彼はいた。いつも私をさりげなく気遣ってくれていたのにグループのお友達関係を壊したくなくて勇気が出なかった。 あれから数年経ってから彼がメッセージを送ってきた。 思いがけないメッセージに揺れる私に、思ってもいないことが降り掛かった。 (全6話)

私を追い出すのはいいですけど、この家の薬作ったの全部私ですよ?

火野村志紀
恋愛
【現在書籍板1~3巻発売中】 貧乏男爵家の娘に生まれたレイフェルは、自作の薬を売ることでどうにか家計を支えていた。 妹を溺愛してばかりの両親と、我慢や勉強が嫌いな妹のために苦労を重ねていた彼女にも春かやって来る。 薬師としての腕を認められ、レオル伯アーロンの婚約者になったのだ。 アーロンのため、幸せな将来のため彼が経営する薬屋の仕事を毎日頑張っていたレイフェルだったが、「仕事ばかりの冷たい女」と屋敷の使用人からは冷遇されていた。 さらにアーロンからも一方的に婚約破棄を言い渡され、なんと妹が新しい婚約者になった。 実家からも逃げ出し、孤独の身となったレイフェルだったが……

魔王の右腕は、拾った聖女を飼い殺す

海野宵人
ファンタジー
魔国軍の将軍ダリオンは、ある日、人間の国との国境付近に捨てられていた人間の赤ん坊を拾う。その赤ん坊は、なんと聖女だった。 聖女は勇者と並んで、魔族の天敵だ。しかし、ここでダリオンは考えた。 「飼い主に逆らわないよう、小さいうちからきちんと躾ければ大丈夫じゃね?」 かくして彼は魔国の平和を守るため、聖女を拾って育てることを決意する。 しかし飼い殺すはずが……──。 元気にあふれすぎた聖女に、魔国の将軍が振り回されるお話。 あるいは、魔族の青年と、彼に拾われた人間の子が、少しずつ家族になっていくお話。 本編二十六話、番外編十話。 番外編は、かっこいいお姉さんにひと目ぼれしちゃったダリオン少年の奮闘記──を、お姉さん視点で。

私は何も知らなかった

まるまる⭐️
恋愛
「ディアーナ、お前との婚約を解消する。恨むんならお前の存在を最後まで認めなかったお前の祖父シナールを恨むんだな」 母を失ったばかりの私は、突然王太子殿下から婚約の解消を告げられた。 失意の中屋敷に戻ると其処には、見知らぬ女性と父によく似た男の子…。「今日からお前の母親となるバーバラと弟のエクメットだ」父は女性の肩を抱きながら、嬉しそうに2人を紹介した。え?まだお母様が亡くなったばかりなのに?お父様とお母様は深く愛し合っていたんじゃ無かったの?だからこそお母様は家族も地位も全てを捨ててお父様と駆け落ちまでしたのに…。 弟の存在から、父が母の存命中から不貞を働いていたのは明らかだ。 生まれて初めて父に反抗し、屋敷を追い出された私は街を彷徨い、そこで見知らぬ男達に攫われる。部屋に閉じ込められ絶望した私の前に現れたのは、私に婚約解消を告げたはずの王太子殿下だった…。    

【完結】メンヘラ悪役令嬢ルートを回避しようとしたら、なぜか王子が溺愛してくるんですけど ~ちょっ、王子は聖女と仲良くやってな!~

夏目みや
恋愛
「レイテシア・ローレンス!! この婚約を破棄させてもらう!」 王子レインハルトから、突然婚約破棄を言い渡された私。 「精神的苦痛を与え、俺のことを呪う気なのか!?」 そう、私は彼を病的なほど愛していた。数々のメンヘラ行動だって愛の証!! 泣いてレインハルトにすがるけれど、彼の隣には腹黒聖女・エミーリアが微笑んでいた。 その後は身に覚えのない罪をなすりつけられ、見事断罪コース。塔に幽閉され、むなしくこの世を去った。 そして目が覚めると断罪前に戻っていた。そこで私は決意する。 「今度の人生は王子と聖女に関わらない!!」 まずは生き方と環境を変えるの、メンヘラは封印よ!! 王子と出会うはずの帝国アカデミーは避け、ひっそり魔法学園に通うことにする。 そこで新たな運命を切り開くの!! しかし、入学した先で待ち受けていたのは――。 「俺たち、こんなところで会うなんて、運命感じないか?」 ――な ん で い る ん だ。 運命を変えようともがく私の前に、なぜか今世は王子の方からグイグイくるんですけど!!   ちょっ、来るなって。王子は聖女と仲良くやってな!!

処理中です...