さくらの記憶

葉月 まい

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言い伝え

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5年前…

北斗は大学を卒業後、1年働いた会社を辞めて故郷に戻ってきた。

両親が事故で亡くなり、祖父が1人残されてしまったからだった。

悲しみに暮れる暇もなく、北斗は父の残した会社を継いで、必死に経営してきた。

家は代々、いわゆる地主として、この辺りのあちこちに広大な土地を所有しており、その土地を良い形で活用してもらおうと父が立ち上げた小さな会社だった。

祖父は人が良すぎるため、どんな悪い話にも乗ってしまいそうになる。

北斗は、この地域が、自然を大切にしながらも、人々が集う町へと発展させたいと願い、日々尽力していた。

そんなある日…
さくらが現れたのだ。

屋敷の隣にある大きな林。
そこを少し入った所に大樹があり、さくらはその木に手を当てながら立っていた。

その光景を見た時、北斗は信じられないと目を疑った。

なぜなら、今までその木のそばに人がいるのを、見たことがなかったからだ。

いや、正確に言うと、自分の家族と、たった1度だけ見かけた小さな女の子。

それ以外の人を、その木のそばで見たことはなかった。

声をかけることも出来ずに見守っていると、何かを察したのか、祖父も屋敷から出て来た。

「こ、これは一体…」

そう言って、ただ呆然と北斗と並んで見入る。

さくらは両手を伸ばして木に触れ、じっと目を閉じている。

やがて、ふわっと風が舞い上がり、さくらの長い髪と木の枝が揺れた。

花びらがひらひらと舞い落ちる。

だがおかしなことに、風はそこにしか吹いていない。

(この子は…木と会話をしている?それとも木からエネルギーをもらっているのか…)

そんな不思議な感覚を覚えながら見つめていると、徐々に風が収まり、ふっとさくらが目を開けた。

ゆっくりとこちらを振り返り、北斗達を見てハッと息を呑む。

「あ、す、すみません!私、勝手に…」

必死に謝るさくらに、祖父がじわりと近づいた。

「お、お前さん。もしかして、その木が見えるのか?」

え?と、さくらは首を傾げる。

「え、あの、私、なぜだかこの木に呼ばれているような気がして、思わず触れてしまって…」

そこまで言って口をつぐむと、何かを考えてから不安そうな目をした。

「あの…私、どうしてここにいるんでしょうか?ここはどこですか?」

祖父が大きく息を吸い込んだのが、北斗には分かった。

とにかく、中に入りなさいと言って、ダイニングテーブルでお茶を出す。

ありがとうございます、と言って、さくらは少しお茶を飲んだ。

「えーっと、じゃあ、ちょっとだけ質問させてね。君、名前は?年はいくつ?学生さんなのかな?」

北斗の問いに、さくらは、下を向いて首を振る。

「分からないです…」
「そ、そっか。じゃあ、住んでる場所とか、なんかこういう感じの所、みたいなのは、覚えてないかな?」

またしても、小さく首を振る。

「…そっか。なら何か、身につけてるものない?ポケットに、ほら、スマホとか入れてないかな?」

さくらは、羽織っていたジャンパーやジーンズのポケットを探ってから、また首を振った。

そっか、と北斗も小さくくり返す。

すると、隣の祖父が口を開いた。

「あの桜…」
「はい」

祖父の言葉に被せるような返事に、三人とも、ん?と首を傾げる。

「…桜は」
「え、は、はい」

もしかして…と、北斗は身を乗り出す。

「君、さくらって名前なんじゃない?」
「あ…はい。そうかもしれない。そんな気がします」
「そうだよ、きっと。すごく自然に返事してたし。な?おじい」

北斗が同意を求めて祖父を見ると、ああ、そうだなと生返事をしてから、じっとさくらを見る。

「お前さん…えっと、さくらちゃんは、さっきあの木が見えたんじゃな?」
「え?あ、はい。とても立派で大きな木ですよね。あんな見事な桜の木、初めて見ました」

祖父は、驚きの余り声も出せないといったように、さくらをじっと見つめている。

「おじい?どうかした?」

北斗が隣から声をかけると、ようやく我に返って、ああ、何でもないとお茶を飲んだ。

今日はひとまずここで休みなさいと言ってさくらを寝かせ、夜が更けてから、祖父は北斗に長い長い話を始めた。

あの桜の木にまつわる、古くからの言い伝えを…

「我が神代かみしろ家に古くからあるあの桜の木は、推定樹齢千年以上、つまり平安時代から生きていた桜じゃと思われる。にも関わらず、世間には知られていない。なぜなら、あの桜の木は、普通の人には見えないからじゃ」
「見えない?え、どういう意味だ?」

北斗が眉根を寄せる。

「あの桜が見えるのは、うちの血を引く人間だけじゃ。他の人には、あそこはただの大きな木が生い茂っている場所に見えるらしい。だから、近づくことも出来ない。北斗、お前だって、誰かがあの桜の木の近くにいるのを見たことがないじゃろう?誰かが、あの桜のことを話すのだって、聞いたことがないはずじゃ。あんなにも見事な桜の木を、誰も話題にしない。つまり、見えていないんじゃ」
「そんな、なんで…」

声がかすれてしまう。

だが、信じられない話だと思いながらも、この祖父の話は真実だと北斗は確信していた。

「これはな、昔、わしのじいさんから聞いた話じゃ。じいさんは、更にそのじいさんから聞いたらしい。そうやってこの家にずっと伝わってきた話じゃ。あの桜は、遥か昔、うちの先祖が結界を張った桜なんじゃと」

昔、恋仲になった青年と娘が、身分の違いを理由に結婚を反対された。

二人は駆け落ちし、この桜の木のそばに移り住んだ。

だが、この辺り一帯に疫病が流行り始め、青年はその病で倒れてしまう。

青年を助けようと、娘は必死で念じた。
娘には、その力があった。
なぜなら、娘の父親は陰陽師であったから。

やがて、青年は少しずつ回復し、反対に娘はどんどん弱っていった。

青年は娘に、もう自分を助けようとするなと命じた。

自分の命より、お前が弱っていく方が辛いからと。

そして二人は桜の木にもたれ、互いの手を握りながら目を閉じた。

娘は、最後の力を振り絞り、この桜の木に結界を張ったのだ。

誰も自分達を引き離せないように…
永遠に二人一緒にいられるように…と。

北斗は、込み上げてくる想いに胸が詰まった。

話し終えた祖父も、じっと押し黙っている。

どれくらいそうしていたのだろう。
やがて、ふうと息を吐き出した祖父が、顔を上げた。

「なあ、北斗。お前、子どもの頃にあの桜の木の下で、泣いている女の子がいたって言ったの、覚えてるか?」
「あ、ああ。覚えてる。でも、あの時おじいは信じてくれなかったよな?」
「そうじゃ。だって、あの桜に近づける訳がないと思っていたからな。だが、今は違う。お前は確かにその女の子を見たんじゃろう?」

北斗は、思い出しながら頷いた。

「あれは俺が、確か10歳の頃だったと思う。小さな女の子が泣いていて、どうしたの?って聞いたら、おばあちゃんがいなくなったって。だから手を繋いで、下の道まで連れて行ったんだ。そしたら、大きな声で女の子を探してるおばあさんがいて。その子、おばあちゃんだ!って嬉しそうに駆け寄って行ったんだ。二人が抱き合ってるのを見て、俺も、ああ良かったなって思って…。そうだ!そのおばあさん、確かその子のこと、さくらって…」

思わずハッとする北斗に、祖父はゆっくりと頷く。

「その女の子、幼い頃のさくらちゃんだったんじゃ。やはりあの子には、あの桜の木が見えている」
「ちょ、ちょっと待て。だってあの桜が見えるのは、うちの血を引く人間だけだって、さっきおじいが…」
「北斗、もう少しだけさっきの話の続きがある。二人の間には、男の子と女の子が生まれたんじゃ。男の子は、うちの先祖、そして女の子の方にも、その血が受け継がれた子孫がいるんじゃと思う」
「つまりそれが…」

さくら…

祖父は、静かに頷いた。

ーーーーーーーーーー

⁺⊹˚.⋆⁺⊹˚.⋆⁺⊹˚.⋆⁺⊹˚.⋆⁺⊹˚.⋆⁺⊹˚.⋆⁺⊹˚.⋆⁺⊹˚.

あれから5年…
あっという間だったのか、それとも随分昔のことなのか。

北斗は、再びさくらがここに現れたことの意味を考える。

ただの偶然ではない。
さくらは今回も、あの木に導かれて来たのだろう。

それはなぜ?
一体これから何が起こるのか?

だが、やはりさくらをここに引き留めてはいけない。

明日の朝、彼女をここから遠ざけよう。

北斗は、眠れないのが分かっていながら、ベッドに入った。



「おはようございます」

翌朝、北斗と祖父がキッチンで朝食の準備をしていると、さくらが2階から下りてきた。

「おはよう。良く眠れた?」
「はい。お陰様で」
「そう、良かった。あ、朝ご飯持っていくから、座ってて」
「いえ、私が運びますね」

さくらは、トレイを持ってダイニングに行き、テーブルにお皿を並べていく。

「じゃあ、食べようか」

三人で、いただきますと手を合わせた。

「え、病院に?」

食事の手を止めて、さくらが顔を上げる。

「ああ。昨日斜面を滑り落ちた時に、どこか怪我したかもしれないから」

北斗がうつむいたままそう言うと、さくらは戸惑ったように首を振る。

「いえ、どこも大丈夫だと思います」
「まあでも、念のためにね。それに、外の景色を見て何か思い出すかもしれないし」

さくらはしばらく考えてから、小さく頷いた。
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