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明けない夜はない
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夕食の後、各々残っていた仕事をこなすと順番に退社していく。
最後に洋平が帰っていくと、オフィスには大河と瞳子の二人だけになった。
「大河さん、コーヒーどうぞ」
「ん、サンキュー」
大河のデスクにコーヒーを置いた瞳子は、ソファに座ってスマートフォンを取り出した。
何気なく画面を操作し始めるのを見て、大河は慌てて声をかける。
「あ!その、なんだ。最近、調子はどうだ?」
「は?調子、ですか?」
「うん、まあ」
「えっと、元気です」
「そうか、それは何より」
瞳子は少し首をかしげてから、また画面に目を落とす。
「と、ところでさ!」
「はい」
「好きな食べ物ってなんだ?」
「食べ物、ですか?」
「そう、食べ物」
「お好み焼きです」
「へえー、そうなんだ」
そしてまた瞳子は視線を落とす。
「あ、あのさ!」
今度はあからさまに眉間にしわを寄せながら顔を上げた。
「何でしょう?次は趣味ですか?それとも特技?」
「えっと、そう。趣味は?」
「乗馬です」
「えっ?!マジで?馬、乗れんの?」
「大学で馬術部だったので」
「へえー、さすがはアリシア」
「何なんですか?もう…」
露骨にうんざりした表情で、瞳子はスマートフォンを操作する。
「じゃ、じゃあ次、特技は?」
「早口言葉です」
顔を上げずにひと言答える。
「なるほど。何か言ってみて」
「この竹垣に竹立てかけたのは竹立てかけたかったから竹立てかけたのです」
「はやっ!すげー!」
「もう、何なんですか?さっきから…」
そこまで言って瞳子はサッと顔色を変えた。
スマートフォンの画面を見て固まっている。
大河は立ち上がるとソファに近づき、瞳子の手元を覗き込んだ。
画面には週刊誌の記事と、好き勝手書かれたコメントが並んでいる。
大河はそっと瞳子の手を握り、スマートフォンを取り上げた。
「見る必要はない」
「…もしかして、私にこれを見せまいとして?」
大河は無言のまま、瞳子の隣に腰を下ろした。
しばらく沈黙が広がる。
やがてためらいがちに大河が口を開いた。
「倉木アナからは、何か連絡はないの?」
「はい。お互いに連絡先も知りませんし」
「そうなの?じゃあ彼とは、あの日初めて知り合ったってこと?」
瞳子が返事に詰まると、大河はすぐさま謝った。
「ごめん、立ち入ったことを聞いて。答えなくていいよ」
瞳子は少し間を置いてから顔を上げた。
「いえ、お話します。こんなにもご迷惑をおかけしたんですから、きちんと説明させてください」
そう言うと瞳子は、身体を大河の正面に向けた。
「私と倉木さんは、昔おつき合いをしていました。私が大学2年生の頃から1年半程の間です。倉木さんがテレビ局に就職した後、少ししてから別れました。先日のミュージアムのプレオープンの日に、偶然再会したんです。夜のレセプションパーティーで、外国人男性に詰め寄られていたところを助けてもらいました。そして、場所を変えた方がいいと言われて、二人で外に出ました。そこを写真に撮られたようです」
「…そうか」
ぽつりと大河が返事をする。
「大河さん、私はどうするべきでしょうか?彼とは恋人でも何でもないと、マスコミの前で証言すればいいでしょうか?そうすれば、この騒動は落ち着きますか?」
うーん…、と大河は腕を組む。
「それはヘタすると火に油を注ぎかねないな。『彼とは何でもありません!』と訴える君の姿は、まるで彼をかばっているように取り上げられるだろう。写真の中で倉木アナは、君にジャケットを掛けてあげている。しかも外で二人きり。悪いが、何を言っても信憑性がない」
「そんな!事実なのに…」
「今は何もしない方がいいと思う。テレビ局でも対応を検討しているだろうし、そのうち何か発表があるかも…」
そう言いながらスマートフォンで倉木のSNSを確認した大河は、ふと手を止めて画面をじっと見つめる。
「君にメッセージだ」
「え?」
差し出されたスマートフォンを覗き込み、瞳子は目を見開いた。
そこには倉木 友也のコメントが書かれている。
『 関係者各位
この度はわたくしの未熟さ故に、このようにお騒がせ致しましたことを深くお詫び申し上げます。
記事の内容は事実無根でございます。
しかしながら、誤解を招くような写真を撮られたことは、わたくしの不徳の致すところであります。
この件の全ての責任はわたくしにあります。
どうかお相手の方への過度な取材はお控え頂きますよう、勝手ではございますが、何卒よろしくお願い致します。
また、連絡先を存じ上げない為、この場をお借りしてお相手の方へも謝罪させてください。
ご迷惑をおかけして本当に申し訳ありません。
一日も早く、皆様の信頼を取り戻すべく精進して参ります。
重ねがさね、この度は誠に申し訳ありませんでした。
倉木 友也 』
思わず瞳子は口元に手をやって息を呑む。
彼が今どんな気持ちでいるのか、どれ程苦しんでいるのか、想像するだけで胸が痛んだ。
だが、その下のコメントに目を落とした途端、瞳子は凍りつく。
『おいおい、この場をお借りして彼女へDMですか?』
『なにこれ、ラブラブなメッセージ見せつけられてる感じ?』
『世界の中心で愛を叫んじゃってるよww』
『あーあ、初動まちがえましたな。こんな女、知らねーよ!って書けばよかったのに』
次々と書き込まれるコメントに呆然としていると、大河がスッと画面を閉じた。
「酷いもんだな。インターネットは世の中を便利にしたが、こんな恐ろしい事態も招いた。コンピュータは何も悪くないが、人間の醜さで悪用される。誹謗中傷は立派な犯罪だと俺は思う」
静かにそう言うと、労るように瞳子の顔を覗き込む。
「もう少しの辛抱だ。そのうちきっと静かな日常が戻ってくる。それまではここにいろ。必ず俺達が君を守るから」
瞳子の目に涙が溢れる。
堪えようとしても、次々と溢れてポタポタとこぼれ落ちた。
大河はふっと笑みをもらして、瞳子の頭をクシャッとなでる。
「泣くなよ、アリシア。透のバカ話で毎日笑っていればいいさ」
瞳子は思わず泣きながら笑ってしまう。
「俺達といると、嫌でも面白くなる。笑わないなんて無理だ。覚悟しとけよ?」
ニヤリと瞳を覗き込まれて、瞳子は笑顔で頷いた。
◇
「やあ、アリシア。今日も気持ちのいい朝だね」
「おはようございます。透さん、今コーヒー淹れますね」
「ありがとう!君の淹れてくれるコーヒーは、特別スイートさ」
瞳子がアートプラネッツでお世話になって5日目を迎えた。
透は相変わらず妙なアメリカンハイスクールドラマの口調だったが、瞳子も皆も慣れてしまい、大して何も思わなくなっていた。
瞳子は毎日、雑用をしたり、意見を求められたりして、皆の仕事を手伝っている。
夜は4人が交代でオフィスのソファに寝泊まりするのだが、透の番になると、なぜだかお前一人はダメだと皆に止められ、大河も一緒に泊まるというおかしなことになっていた。
「アリシア、ちょっといいかい?この動画を観て欲しいんだけど」
「はい、何でしょうか?」
「このアングルとこっちのアングル、君ならどっちが好みだい?」
「そうですね、後者かな?あ、もう少しスローモーションの方が余韻があって素敵かも…」
「なるほど、確かにそうだな。さすがはアリシアだね。良いアドバイスをありがとう!さて、そろそろディナーをオーダーしようか」
土曜日ということもあり、早めに仕事を切り上げて夕食を食べる。
「今夜の君のナイトは俺かな?」
「お前は狼だろ。とっとと帰れ」
キザな仕草の透を、大河はシッシッと追い払うように帰らせた。
洋平と吾郎もあとに続き、2人切りになったオフィスで大河は仕事の残りを、瞳子は食器の片付けをする。
時計を見ると、21時になるところだった。
(確か倉木アナの番組って、土曜日のこの時間だったな)
大河はパソコンをミュートにしたまま、テレビ画面を立ち上げた。
ちょうど番組が始まったところだったが、倉木の姿はなく、神妙な面持ちで女性のアナウンサーが何やら話している。
大河は急いでワイヤレスイヤホンを着けて音声を聞いた。
『…大変お騒がせ致しましたことを、お詫び申し上げます。当面倉木アナウンサーは番組の出演を控えさせて頂き、代わりに増田アナウンサーが…』
えっ!と大河は驚いて、すぐさま番組ホームページをチェックする。
そこには、今までメインMCとして紹介されていた倉木の写真と名前が跡形もなく削除されていた。
(もしや、事実上の降板…)
しばし呆然とした後、そっと瞳子に目をやる。
シンクで洗い物をしているその横顔は穏やかで、大河は動揺を悟られないように気を引き締めた。
◇
翌日の日曜日。
仕事は休みだが、なんだかんだで透達も出社して来る。
いっそのこと透のブームに乗っかって、アメリカのスクールドラマでも観ようとなり、吹き替えの口調に「透そっくり!」と皆で笑い合った。
今夜は吾郎が泊まり込む番で、大河も早めにオフィスを出る。
そしてその足で、都内のTVジャパンの社屋に向かった。
(1時間待ってダメなら諦めよう)
そう思いつつ、エントランス前の広場でひたすら出て来る人をチェックする。
1時間を過ぎ、やっぱり無謀だったかとため息をついて引き揚げようとした時、待っていた人物が現れた。
◇
「倉木さん」
会社のエントランスを出てしばらく歩いた所で声をかけられ、倉木はビクッと足を止める。
また週刊誌の記者だろうと思いながら、はい、と返事をして振り返った。
あの記事が出た後、会社でもこっぴどく叱られ、担当番組を降ろされた。
社内での視線も厳しく、誰も目を合わせてくれない。
雑用だけをこなす毎日に、この先の展望も見えなくなっていた。
(あの記事さえなければ…)
そう思ってしまうが、全ては身から出た錆。
悪いのは自分だった。
会社を1歩出れば記者に追われ、自宅でも気が休まらない毎日。
だが誰を責める訳にもいかない。
こうして声をかけられれば、相手が誰であろうと向き合って返事をしなければならないのだ。
そう思いながら振り返ると、そこにいたのは意外な人物だった。
スラリと背が高く、芸能人を見慣れている自分ですら、かっこいいと見惚れてしまう整った顔立ち。
「あなたは確か、横浜のミュージアムの…」
「はい。株式会社アートプラネッツの冴島と申します」
近づいてお辞儀をすると、辺りに素早く目をやってから声を潜めて話しかけてきた。
「誰が見ているか分かりませんので手短に。倉木さん。彼女は今、うちのオフィスにいます。我々スタッフがそばについて穏やかに毎日を過ごしています。どうかご安心ください」
「えっ…」
一瞬面食らった後、倉木の目はみるみるうちに潤んでいく。
あの日以降、ずっと気がかりだった瞳子の無事を知らされてホッとした気持ちと、自分を気遣ってくれる優しさに触れた喜び。
倉木は胸がいっぱいになり、打ち震えた。
「何かありましたら、いつでもここにご連絡ください。私の携帯番号を載せてあります」
そう言って差し出された名刺をゆっくりと受け取る。
『株式会社 アートプラネッツ
代表取締役 冴島 大河』
オフィスの住所と固定電話とメールアドレス。
その下に手書きで携帯番号が書かれていた。
「ありがとうございます。ありがとう…本当に。感謝します」
涙を堪えながら、頭を下げる。
「倉木さん、明けない夜はない。必ずまた陽は昇ります。どうかもう少しだけ踏ん張ってください」
それでは、と言い残して踵を返した大河の後ろ姿に、倉木はいつまでも頭を下げ続けていた。
最後に洋平が帰っていくと、オフィスには大河と瞳子の二人だけになった。
「大河さん、コーヒーどうぞ」
「ん、サンキュー」
大河のデスクにコーヒーを置いた瞳子は、ソファに座ってスマートフォンを取り出した。
何気なく画面を操作し始めるのを見て、大河は慌てて声をかける。
「あ!その、なんだ。最近、調子はどうだ?」
「は?調子、ですか?」
「うん、まあ」
「えっと、元気です」
「そうか、それは何より」
瞳子は少し首をかしげてから、また画面に目を落とす。
「と、ところでさ!」
「はい」
「好きな食べ物ってなんだ?」
「食べ物、ですか?」
「そう、食べ物」
「お好み焼きです」
「へえー、そうなんだ」
そしてまた瞳子は視線を落とす。
「あ、あのさ!」
今度はあからさまに眉間にしわを寄せながら顔を上げた。
「何でしょう?次は趣味ですか?それとも特技?」
「えっと、そう。趣味は?」
「乗馬です」
「えっ?!マジで?馬、乗れんの?」
「大学で馬術部だったので」
「へえー、さすがはアリシア」
「何なんですか?もう…」
露骨にうんざりした表情で、瞳子はスマートフォンを操作する。
「じゃ、じゃあ次、特技は?」
「早口言葉です」
顔を上げずにひと言答える。
「なるほど。何か言ってみて」
「この竹垣に竹立てかけたのは竹立てかけたかったから竹立てかけたのです」
「はやっ!すげー!」
「もう、何なんですか?さっきから…」
そこまで言って瞳子はサッと顔色を変えた。
スマートフォンの画面を見て固まっている。
大河は立ち上がるとソファに近づき、瞳子の手元を覗き込んだ。
画面には週刊誌の記事と、好き勝手書かれたコメントが並んでいる。
大河はそっと瞳子の手を握り、スマートフォンを取り上げた。
「見る必要はない」
「…もしかして、私にこれを見せまいとして?」
大河は無言のまま、瞳子の隣に腰を下ろした。
しばらく沈黙が広がる。
やがてためらいがちに大河が口を開いた。
「倉木アナからは、何か連絡はないの?」
「はい。お互いに連絡先も知りませんし」
「そうなの?じゃあ彼とは、あの日初めて知り合ったってこと?」
瞳子が返事に詰まると、大河はすぐさま謝った。
「ごめん、立ち入ったことを聞いて。答えなくていいよ」
瞳子は少し間を置いてから顔を上げた。
「いえ、お話します。こんなにもご迷惑をおかけしたんですから、きちんと説明させてください」
そう言うと瞳子は、身体を大河の正面に向けた。
「私と倉木さんは、昔おつき合いをしていました。私が大学2年生の頃から1年半程の間です。倉木さんがテレビ局に就職した後、少ししてから別れました。先日のミュージアムのプレオープンの日に、偶然再会したんです。夜のレセプションパーティーで、外国人男性に詰め寄られていたところを助けてもらいました。そして、場所を変えた方がいいと言われて、二人で外に出ました。そこを写真に撮られたようです」
「…そうか」
ぽつりと大河が返事をする。
「大河さん、私はどうするべきでしょうか?彼とは恋人でも何でもないと、マスコミの前で証言すればいいでしょうか?そうすれば、この騒動は落ち着きますか?」
うーん…、と大河は腕を組む。
「それはヘタすると火に油を注ぎかねないな。『彼とは何でもありません!』と訴える君の姿は、まるで彼をかばっているように取り上げられるだろう。写真の中で倉木アナは、君にジャケットを掛けてあげている。しかも外で二人きり。悪いが、何を言っても信憑性がない」
「そんな!事実なのに…」
「今は何もしない方がいいと思う。テレビ局でも対応を検討しているだろうし、そのうち何か発表があるかも…」
そう言いながらスマートフォンで倉木のSNSを確認した大河は、ふと手を止めて画面をじっと見つめる。
「君にメッセージだ」
「え?」
差し出されたスマートフォンを覗き込み、瞳子は目を見開いた。
そこには倉木 友也のコメントが書かれている。
『 関係者各位
この度はわたくしの未熟さ故に、このようにお騒がせ致しましたことを深くお詫び申し上げます。
記事の内容は事実無根でございます。
しかしながら、誤解を招くような写真を撮られたことは、わたくしの不徳の致すところであります。
この件の全ての責任はわたくしにあります。
どうかお相手の方への過度な取材はお控え頂きますよう、勝手ではございますが、何卒よろしくお願い致します。
また、連絡先を存じ上げない為、この場をお借りしてお相手の方へも謝罪させてください。
ご迷惑をおかけして本当に申し訳ありません。
一日も早く、皆様の信頼を取り戻すべく精進して参ります。
重ねがさね、この度は誠に申し訳ありませんでした。
倉木 友也 』
思わず瞳子は口元に手をやって息を呑む。
彼が今どんな気持ちでいるのか、どれ程苦しんでいるのか、想像するだけで胸が痛んだ。
だが、その下のコメントに目を落とした途端、瞳子は凍りつく。
『おいおい、この場をお借りして彼女へDMですか?』
『なにこれ、ラブラブなメッセージ見せつけられてる感じ?』
『世界の中心で愛を叫んじゃってるよww』
『あーあ、初動まちがえましたな。こんな女、知らねーよ!って書けばよかったのに』
次々と書き込まれるコメントに呆然としていると、大河がスッと画面を閉じた。
「酷いもんだな。インターネットは世の中を便利にしたが、こんな恐ろしい事態も招いた。コンピュータは何も悪くないが、人間の醜さで悪用される。誹謗中傷は立派な犯罪だと俺は思う」
静かにそう言うと、労るように瞳子の顔を覗き込む。
「もう少しの辛抱だ。そのうちきっと静かな日常が戻ってくる。それまではここにいろ。必ず俺達が君を守るから」
瞳子の目に涙が溢れる。
堪えようとしても、次々と溢れてポタポタとこぼれ落ちた。
大河はふっと笑みをもらして、瞳子の頭をクシャッとなでる。
「泣くなよ、アリシア。透のバカ話で毎日笑っていればいいさ」
瞳子は思わず泣きながら笑ってしまう。
「俺達といると、嫌でも面白くなる。笑わないなんて無理だ。覚悟しとけよ?」
ニヤリと瞳を覗き込まれて、瞳子は笑顔で頷いた。
◇
「やあ、アリシア。今日も気持ちのいい朝だね」
「おはようございます。透さん、今コーヒー淹れますね」
「ありがとう!君の淹れてくれるコーヒーは、特別スイートさ」
瞳子がアートプラネッツでお世話になって5日目を迎えた。
透は相変わらず妙なアメリカンハイスクールドラマの口調だったが、瞳子も皆も慣れてしまい、大して何も思わなくなっていた。
瞳子は毎日、雑用をしたり、意見を求められたりして、皆の仕事を手伝っている。
夜は4人が交代でオフィスのソファに寝泊まりするのだが、透の番になると、なぜだかお前一人はダメだと皆に止められ、大河も一緒に泊まるというおかしなことになっていた。
「アリシア、ちょっといいかい?この動画を観て欲しいんだけど」
「はい、何でしょうか?」
「このアングルとこっちのアングル、君ならどっちが好みだい?」
「そうですね、後者かな?あ、もう少しスローモーションの方が余韻があって素敵かも…」
「なるほど、確かにそうだな。さすがはアリシアだね。良いアドバイスをありがとう!さて、そろそろディナーをオーダーしようか」
土曜日ということもあり、早めに仕事を切り上げて夕食を食べる。
「今夜の君のナイトは俺かな?」
「お前は狼だろ。とっとと帰れ」
キザな仕草の透を、大河はシッシッと追い払うように帰らせた。
洋平と吾郎もあとに続き、2人切りになったオフィスで大河は仕事の残りを、瞳子は食器の片付けをする。
時計を見ると、21時になるところだった。
(確か倉木アナの番組って、土曜日のこの時間だったな)
大河はパソコンをミュートにしたまま、テレビ画面を立ち上げた。
ちょうど番組が始まったところだったが、倉木の姿はなく、神妙な面持ちで女性のアナウンサーが何やら話している。
大河は急いでワイヤレスイヤホンを着けて音声を聞いた。
『…大変お騒がせ致しましたことを、お詫び申し上げます。当面倉木アナウンサーは番組の出演を控えさせて頂き、代わりに増田アナウンサーが…』
えっ!と大河は驚いて、すぐさま番組ホームページをチェックする。
そこには、今までメインMCとして紹介されていた倉木の写真と名前が跡形もなく削除されていた。
(もしや、事実上の降板…)
しばし呆然とした後、そっと瞳子に目をやる。
シンクで洗い物をしているその横顔は穏やかで、大河は動揺を悟られないように気を引き締めた。
◇
翌日の日曜日。
仕事は休みだが、なんだかんだで透達も出社して来る。
いっそのこと透のブームに乗っかって、アメリカのスクールドラマでも観ようとなり、吹き替えの口調に「透そっくり!」と皆で笑い合った。
今夜は吾郎が泊まり込む番で、大河も早めにオフィスを出る。
そしてその足で、都内のTVジャパンの社屋に向かった。
(1時間待ってダメなら諦めよう)
そう思いつつ、エントランス前の広場でひたすら出て来る人をチェックする。
1時間を過ぎ、やっぱり無謀だったかとため息をついて引き揚げようとした時、待っていた人物が現れた。
◇
「倉木さん」
会社のエントランスを出てしばらく歩いた所で声をかけられ、倉木はビクッと足を止める。
また週刊誌の記者だろうと思いながら、はい、と返事をして振り返った。
あの記事が出た後、会社でもこっぴどく叱られ、担当番組を降ろされた。
社内での視線も厳しく、誰も目を合わせてくれない。
雑用だけをこなす毎日に、この先の展望も見えなくなっていた。
(あの記事さえなければ…)
そう思ってしまうが、全ては身から出た錆。
悪いのは自分だった。
会社を1歩出れば記者に追われ、自宅でも気が休まらない毎日。
だが誰を責める訳にもいかない。
こうして声をかけられれば、相手が誰であろうと向き合って返事をしなければならないのだ。
そう思いながら振り返ると、そこにいたのは意外な人物だった。
スラリと背が高く、芸能人を見慣れている自分ですら、かっこいいと見惚れてしまう整った顔立ち。
「あなたは確か、横浜のミュージアムの…」
「はい。株式会社アートプラネッツの冴島と申します」
近づいてお辞儀をすると、辺りに素早く目をやってから声を潜めて話しかけてきた。
「誰が見ているか分かりませんので手短に。倉木さん。彼女は今、うちのオフィスにいます。我々スタッフがそばについて穏やかに毎日を過ごしています。どうかご安心ください」
「えっ…」
一瞬面食らった後、倉木の目はみるみるうちに潤んでいく。
あの日以降、ずっと気がかりだった瞳子の無事を知らされてホッとした気持ちと、自分を気遣ってくれる優しさに触れた喜び。
倉木は胸がいっぱいになり、打ち震えた。
「何かありましたら、いつでもここにご連絡ください。私の携帯番号を載せてあります」
そう言って差し出された名刺をゆっくりと受け取る。
『株式会社 アートプラネッツ
代表取締役 冴島 大河』
オフィスの住所と固定電話とメールアドレス。
その下に手書きで携帯番号が書かれていた。
「ありがとうございます。ありがとう…本当に。感謝します」
涙を堪えながら、頭を下げる。
「倉木さん、明けない夜はない。必ずまた陽は昇ります。どうかもう少しだけ踏ん張ってください」
それでは、と言い残して踵を返した大河の後ろ姿に、倉木はいつまでも頭を下げ続けていた。
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