極上の彼女と最愛の彼

葉月 まい

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コンプレックスと仕事

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「お疲れ様です。今日の現場、無事に終了しました」

イベントのあとオフィスに戻ると、瞳子は奥のデスクにいる千秋ちあきに声をかけた。

地方のテレビ局でアナウンサーをしていた千秋が、退職した後に立ち上げたイベントコンパニオンの派遣会社。

瞳子はそこで千秋のアシスタントをしながら、MCとしての仕事もこなしていた。

「あ、瞳子!お疲れ様。どうだった?谷崎 ハル、やっぱり綺麗だった?」

「はい、とってもお綺麗でした。それに私なんかにも気さくに話してくださって」

「そうなんだー。見た目だけじゃなくて性格もいいのか」

「ええ。私、すっかりファンになっちゃいました」

「あはは!瞳子、芸能人には疎かったのにね」

「それにイベントの最後のプロジェクションマッピングも、とっても素敵だったんです」

「へえ、やっぱり噂は本当なのね」

噂?と瞳子は、千秋の言葉に首を傾げる。

「知らない?株式会社アートプラネッツ。デジタルコンテンツの制作会社なんだけどね。デジタル技術を駆使した、いわゆる『デジタルアート』で最近海外からも注目されてるの。今日のイベントの映像もそこに委託されたのよ」

「そうだったんですか。アートプラネッツ…初耳です。デジタルアート、ですか?プロジェクションマッピングではなくて?」

「そう。もちろんプロジェクションマッピングも得意としてるけど、彼らの技術はそれだけじゃないの。んー、私も技術的なことは詳しくないんだけどね。何でも、頭脳明晰な一流大学の工学部の学生が、卒業後に仲間と一緒に設立した会社らしいわ」

へえ…と頷きながら、瞳子は先程の男性4人組を思い出す。

自分よりも少し年上で、確かに仲良さそうな同級生といった雰囲気だった。

「企業のイベントや展示会、ファッションショーにも呼ばれたり、あとは自分達で主催する体験型ミュージアムなんかも時々開催しててね。子どもにも人気があるそうよ」

「そうなんですね!わあ、楽しそう」

「期間限定で、色んなテーマでやってるみたい。今度開催される時には一緒に行ってみない?」

「はい、ぜひ!」

目を輝かせる瞳子に、千秋も笑顔で頷いた。



「お疲れ様でーす!無事に終わりましたー」

しばらく千秋と二人で事務作業をしていると、甲高い声と共に亜由美が現れた。

「お疲れ様、亜由美ちゃん」

まだ20歳の亜由美は、小柄で童顔の可愛らしい子で、タレントを目指している。

生活費の為にこの会社に登録し、スケジュールが合う時にイベントでサンプルを配ったりキャンペーンガールをしているのだが、先方の企業にも人気で、指名で依頼がくる程の売れっ子だった。

「瞳子さん!お疲れ様です。どうでしたか?イベントは」

「うん、無事に終わったよ。亜由美ちゃんはどうだった?今日はアニメイベントのコンパニオンだったよね?」

「そうなんですー。コスプレとかして楽しかったですよ」

「コスプレ?亜由美ちゃん、似合いそう!」

「ふふっ。ツインテールでチャイナドレス着ちゃいましたー」

「わあ、絶対可愛いよね。見たかったな」

「いつでもお見せしますよー。今度は瞳子さんも一緒にいかがですか?」

上目遣いに可愛らしく聞いてくる亜由美に、瞳子は慌ててブンブン首を横に振る。

「無理無理!チャイナドレスなんて私は絶対に無理!」

「えー、どうしてですかー?瞳子さん、美人で背も高いし胸も大きいから、チャイナドレスめちゃくちゃ似合いますよ。いいなー、うらやましい。私の友達にEカップの子がいるんですけど、瞳子さんの方が大きい気がする。絶対Fカップ以上ありますよね?」

いや、それは…と瞳子が言葉を濁すと、見かねた千秋が顔を上げた。

「亜由美、ほら、業務報告早く入力してね。それから次の派遣先の資料も渡すから、あとで内容確認しておいて」

「はーい、分かりましたー」

亜由美がフリースペースのデスクに行き、カタカタとパソコンの入力を始めると、千秋が声を潜めて瞳子に謝る。

「ごめんね、あの子悪気がある訳じゃないから。許してあげて」

「もちろんです。亜由美ちゃんは何も悪くありません。私こそ、気を遣わせてしまって申し訳ありません」

「ううん、気にしないで」

千秋はにこっと瞳子に微笑むと、またパソコン作業に戻った。

瞳子もパソコンに向き直ると、小さくため息をつく。

亜由美の言葉通り、瞳子は身長172cmと女性にしては背が高く、胸も大きい。

だがそれこそが、瞳子のコンプレックスだった。

高校生の頃はほぼ毎日、通学の電車で痴漢に遭っていた。

左右両側から別の人に同時にお尻を触られたこともある。

満員電車に乗るからいけないのだと、早起きして空いている電車に乗ってみたが、席に座ってホッとしていると、隣の中年男性が不自然に両腕を組み、横から胸を触ってきた。

それならもっとガラガラの空いている電車にと、早朝の電車に乗った時のことだった。

二人掛けの座席がずらりと縦に並ぶ車両で、乗客もまばら。

これなら大丈夫だと安心してうたた寝をしていると、ふと足に違和感を感じて目を覚ます。

すると、あの…と、いつの間にか右隣に座っていた仕立ての良いコートを着た男性に声をかけられた。

「この電車、センター中央駅に停まりますか?」

「あ、はい。停まります」

「そう、ありがとう」

40代くらいの優しそうな男性は、にっこりと微笑むと立ち上がり、車両の後方へと歩いて行った。

(上品なおじ様って感じだな)

そう思いながら自分の姿を見下ろして愕然とする。

制服のスカートの右側が太ももまでまくり上げられ、ブラウスのボタンも真ん中が2つ外されていた。

慌てて服を整えながら、瞳子は悔しさと恐怖にポロポロと涙が止まらなかった。

(どうしてこんな目に遭うの?あんなに紳士的な人ですらこんなことをするの?私がもっと小柄で胸も小さければ良かったのに)

その悩みは友達にも言えない。

言えば「何それ、自慢?」と鼻で笑われてしまうからだ。

更には身体目当てで言い寄られることも多い。

君が好きだと告白されても、どうしても目がいやらしく感じてしまう。

それによく知らない相手や、初めて会った人からつき合って欲しいと言われても、とてもじゃないが素直にその言葉を受け取れない。

男性不信になりかけていた瞳子だが、大学生になり、夜間にアナウンス学校にも通い始めると、そこで初めての彼氏が出来た。

明るく爽やかで、周りの誰からも慕われていた彼は、テレビ局のアナウンサーを目指していた。

大切にするからつき合って欲しいと言われ、この人なら信じられると思った。

デートでは必ず手を繋ぎ、別れ際にはそっとキスをしてくれる。

2歳年上だった彼は見事キー局のアナウンサーの採用試験を突破し、入社してしばらく経つとテレビで目にする機会も増えた。

外では会いづらくなり、彼の部屋で過ごすうちに、ある時、キスの流れからそのままベッドに押し倒された。

つき合って1年半。

今までそうならなかったのは、彼の誠実さの表れだろうと思った。

ずっと自分の心に寄り添って大切にしてくれた彼の気持ちに応えたい。

そう思って瞳子は彼に身を委ねた。

だが、いざ彼が自分の身体に触れると、条件反射のように嫌悪感が湧き、そのまま彼の身体を押し返して拒んでしまった。

ごめんなさい、と咄嗟に謝ったが、彼の悲しげな表情は忘れられなかった。

(私とつき合っていたのでは、彼は幸せにはなれない)

そして瞳子は別れを切り出した。

今でもテレビの向こうで彼の姿を見かける度に、申し訳なさが募る。

だがきっと彼にとっては過去のことだろう。

今や、爽やかなイケメンアナウンサーとして主婦の間でも人気の彼は、同じ局の綺麗なアナウンサーとつき合っているという噂がある。

これで良かったのだ。

彼は自分とは違い、華やかな世界で生きていく人なのだ。

そう思いながら、瞳子はささやかにテレビの中の彼を応援していた。

やがて自分も大学を卒業し、声を使った仕事がしたいと、そういった分野の大手の派遣会社に登録する。

最初の仕事は企業の合同セミナーの司会だった。

無事に終わってホッとしていると、翌日会社から連絡が入る。

参加していた中小企業の社長から、うちの懇親会の司会もやってくれないか?という依頼が来たらしい。

自分の司会ぶりを見て依頼してくれるなんて、と嬉しくなり、二つ返事で引き受けた。

だが当日会場に赴くと、そんな瞳子の気持ちはガラガラと崩れていく。

まずはこれに着替えてくれ、となぜだか衣装を渡され、しかもそれは明らかに他意のある、身体のラインがはっきり分かるミニのワンピースだったのだ。

初めこそ会場の前方で司会をしていたが、食事の時間になると社長はすぐさま瞳子を隣に呼び寄せ、お酒を注がせる。

徐々にボディタッチも増えてきて、馴れ馴れしく肩を抱き寄せたり手を握ったりしてきた。

しばらく耐えていたが、太ももをスーッとなでられた時、瞳子は全身に悪寒が走り、もう無理だと思った。

なんとかその場は取り繕ったが、帰宅するなり派遣会社に連絡して、登録を抹消して欲しいと頼む。

そして新たに千秋の経営する派遣会社に登録することにしたのだが、最初の面談で「モデル業はやらないの?」と聞かれ、正直に事情を話した。

千秋は神妙な面持ちで瞳子の話に耳を傾け、「分かったわ。あなたに回す仕事は私がきちんと吟味するわね」と言ってくれた。

ただそうすると、瞳子に回ってくる仕事はかなり限られてくる。

亜由美のように「なんでもやります!」という子の方が依頼されやすいからだ。

一人暮らしの為、もう少し収入を増やさなければと考えていると、それならオフィスで私のサポートをしてくれない?と千秋が提案して、瞳子はありがたくそうさせてもらうことにしたのだった。



「千秋さん、本日の現着報告、全て届きました」

「はーい、ありがと」

瞳子は、今日のイベントに派遣されるメンバーそれぞれから『現場入りしました』の連絡を受けてチェック表にマークしていく。

『無事に終わりました』の報告も、ポツポツと入ってきていた。

亜由美はオフィスで業務報告を入力していたが、本来なら特に出社する義務はなく、帰宅してからアプリに入力してもらっても構わない。

様子を見る為に1ヶ月に1度はオフィスに顔を出すことが決められているが、それ以外は電話やメールのやり取りで済ませることも可能だった。

(今日の最後のイベントは、21時半終了予定の企業パーティーね)

そこに派遣されたメンバーから『終了しました』の報告を受ければ、瞳子と千秋も退社出来る。

それまでに、明日以降の予定を念入りにチェックしておくことにした。

瞳子は明日、結婚披露宴の司会を務めることになっており、会場のホテルに前日連絡を入れる。

「では、タイムスケジュールに変更はなしですね。かしこまりました」

担当者と電話で話していると、別の電話に出ていた千秋の戸惑った声が聞こえてきた。

「いえ、あの…。間宮はMCとしてうちに登録しておりまして、モデル業は…」

(ん?私の話?なんだろう…。って、聖徳太子は出来ないんだってば!)

気になるものの、瞳子は電話の相手との会話に集中する。

「それでは明日、予定通り10時にお伺いします。どうぞよろしくお願いいたします」

電話を切ると、ちょうど千秋も通話を終えたところだった。

「千秋さん、もしかして私の話されてましたか?」

尋ねると、千秋はやや困ったように瞳子を見る。

「うん、それがね。瞳子にモデルの依頼の話だったの」

「え?モデルですか?どうして私が…」

会社のホームページにも、瞳子は司会やナレーターの分野でしか登録していない。

なのになぜ、自分にモデルの依頼がくるのだろう?

「私もそう思って聞いてみたの。間宮はMCメンバーですが、なぜモデルをさせようと?って。そしたら、実は今日一緒に仕事をしたアートプラネッツの者ですって名乗ってくれて」

「え?アートプラネッツって、さっき千秋さんが話してた?」

「そう。瞳子、今日イベント後に彼らに挨拶したんだってね。それで今制作中の宣材コンテンツに、イメージモデルとして参加してくれないかって。なんでも、瞳子の雰囲気が合ってるとかで…」

ええー?!と瞳子は声を上げて驚く。

「いやいや、何がどう合っているのやら。とにかく私、モデルなんて無理です。せめてナレーションとかではダメなのでしょうか?」

「んー、私に聞かれても…。とにかく、どうしても瞳子に頼みたいって勢いだったわよ。返事は改めてってことにしておいたけど、私もあの会社とはコネクション作りたいし、良かったら1度話を聞きに行ってくれない?」

ええー?そんな…と渋る瞳子に、千秋は、お願い!と両手を合わせる。

「うーん…。じゃあ、とにかく1度話を聞いてみるだけでもいいですか?」

「うん!話してみてやっぱり無理だと思ったら、引き受けなくてもいいからね。先方にもそう言っておくわ。ありがと!瞳子」

千秋に笑顔を向けられ、そんなに喜んでもらえるならと、瞳子は翌週アートプラネッツのオフィスを訪れることになった。
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