幸せの見つけ方〜幼馴染は御曹司〜

葉月 まい

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部長との仕事

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 「CSR活動芸術部門の第一歩として、まずは一番身近な地元の楽団である、新東京フィルハーモニー交響楽団にコンタクトを取ろうかと考えています」

 年が明けて日常が戻って来たある日。
 朱里と瑛は、社長室でCSR推進部の方針を社長に報告していた。

 「依頼するのは、未来ハーモニーホールでの演奏会。キャパシティは2500席。お客様は全てご招待です。我が社の社員とご家族、株主の方々、そして交響楽団のご家族や関係者の方もお招きし、まずは当社と楽団の良い関係を築ければと。そして今後こういったCSR活動に力を入れていくことを、投資家の皆様にもアピールいたします」

 朱里が作成した資料に目を通していた社長が頷く。

 「分かった。費用については?」
 「はい、こちらに」

 すかさず瑛が資料を差し出した。

 金額の事については瑛に任せており、朱里は予算や費用もほとんど知らなかった。

 (きっと凄い金額なんだろうな。だって、あんなに大きなホールを貸し切って、プロのオーケストラを呼ぶんだもん。ゼロがいくつになるのか、見当もつかないよ)

 朱里が内心ヒヤヒヤしていると、社長はあっさり頷いた。

 「いいだろう。これで進めなさい」
 「はい!ありがとうございます」

 ホッとして、朱里は瑛と頭を下げる。

 「先方のオーケストラには、単に今回の演奏会の依頼だけでなく、将来的にCSR活動のパートナーとなり得るかどうかの話もしておいてくれ。反応が良さそうなら、私が具体的な話を進める」
 「はい、承知しました。それから、今回の未来ハーモニーホールでの演奏会は、プログラムやコンセプトについてはいかがいたしましょうか?」

 んー、そうだな、と社長は背もたれに身体を預けて宙を見る。

 「その点は朱里ちゃんに任せるよ。先方と相談して決めてくれればいい」
 「はい、かしこまりました」

 話が落ち着いたところで、朱里は瑛と社長室をあとにする。

 「えっと、部長。では早速新東京フィルにコンタクトを取ります」
 「分かった。あ、名刺が出来上がってきたからあとで渡す」
 「はい、ありがとうございます」

 廊下を歩きながら、二人は部長と部下の会話をする。

 変な感じがするかと思いきや、朱里は意外とこの話し方が気に入っていた。

 (普段の会話はもう出来ないけど、これなら仕事上の会話が出来るもんね)

 瑛、とはもう呼べないが、部長、なら気軽に呼べる。

 よく考えて見たら何だか変な話だなと、朱里は歩きながら小さくふふっと笑った。

*****

 「うわ!凄い。もうお返事が来てる…」

 昼休みが終わり、デスクでパソコンを開いた朱里は新着メールをチェックしていた。

 午前中に送っておいた新東京フィルの事務局宛のメールに、早くも返信が届いている。

 「え、返事が来たの?なんて?」

 田畑と川辺が、朱里のパソコンを一緒に覗き込んだ。

 「えーっと、栗田様。この度は当楽団に大変光栄なお話をいただき、誠にありがとうございます。ご期待に添えるよう尽力いたしますので、詳しいご相談を是非ともよろしくお願いいたします、だって。良かったね、朱里ちゃん」
 「あ、は、はい」
 「ん?どうしたの?なんか、あんまり嬉しそうに見えないけど」
 「い、い、いえ、まさか、そんな。あまりにスケールの大きなお話に、びっくりしてしまって…。だって私のような者に、新東京フィルの方が、栗田様なんて…。いやー、さすがは桐生ホールディングスですね」

 すると、あはは!と田畑達は笑い出す。

 「確かにね。桐生ホールディングスの名前は、印籠並みに効力がある。けど、それに見合う人物でいないとって、俺はいつも自分に言い聞かせてる。桐生ホールディングスの名に恥じないようにって」

 はい、と朱里は神妙に頷いた。

 「私も肝に銘じて気を引き締め、桐生ホールディングスの一員としてきちんと対応いたします!」
 「よし、がんぱれ!何かあったらいつでもフォローするからね」
 「はい!ありがとうございます」

 田畑や川辺と微笑み合う朱里を、瑛は自分のデスクからそっと見守っていた。

*****

 朱里は電話でオーケストラ事務局の担当者とやり取りし、まずは日程を調整してホールを仮押さえした。

 その後、改めて瑛と一緒に挨拶に伺うことになり、菊川の運転する車に久しぶりに二人で乗る。

 「菊川さん、どこかで手土産を購入したいのですけど」
 「それでしたら、既に私が手配しておきました。団員の皆様と事務局の方含めて、多めにご用意しております」
 「うわー、さすが菊川さん!ありがとうございます」
 「いえ、とんでもない。少しでも朱里さんのお役に立てれば嬉しいです」

 朱里は隣の瑛に話しかける。

 「菊川さんのような敏腕秘書さんがいてくださって、心強い限りですね、部長」
 「ん?ああ、そうだな」

 すると菊川が驚いたように目を見開いているのが、バックミラーに映った。

 「菊川さん?どうかしましたか?」

 後部座席から、朱里が声をかける。

 「あ、いえ、あの。あまりにも驚いてしまって。失礼しました」

 (あ、そうか。今まで菊川さんの前で部長と会話したことなかったっけ。ふふ、菊川さん。これが新たな私達の関係なのですよ)

 朱里は妙にしたり顔で頷いた。

*****

 「初めまして。桐生ホールディングス、CSR推進部部長の桐生 瑛と申します」
 「同じくCSR推進部企画課芸術部門担当の栗田 朱里と申します」

 二人はオーケストラの事務局長と名刺交換をする。

 「あ、これはこれは。ご丁寧にありがとうございます。お二人ともこんなにお若い方だったんですね」

 それを言われると返す言葉に詰まる。

 (生意気な若造が、とか思われちゃうのかな。いやいや、気にしても仕方ない)

 朱里は改めて、今回の話に至った経緯を資料を渡しながら説明する。

 「なるほど、CSR事業の一環ですね。当楽団としましても、小学校などに出向いて演奏したいと常々思っておりました。子ども達に良い音楽を届けたいというのは、全楽団員の願いですから。ただやはり、資金繰りが厳しくなかなか実現しておりません。桐生ホールディングス様がそのような活動で私どもにお声をかけていただけるのは大変光栄で有り難いです」
 「それでは、今後とも末永くパートナーとしてご協力いただけますでしょうか?」
 「もちろんです。こちらこそ、どうぞ末永くよろしくお願いいたします」

 朱里はホッと胸を撫で下ろし、詳しい話は改めて社長を交えてさせてくださいと伝えた。

 「本日はひとまずご挨拶と、それから未来ハーモニーホールでの演奏会についてお話出来ればと」
 「承知しました。あ、ちょうど今リハーサル室で常任指揮者がタクトを振っておりますので、よろしければ見学なさいますか?」
 「えっ!!よろしいのでしょうか?」

 朱里のテンションが一気に上がる。

 「もちろんです。ではご案内致します」

 事務局長に案内されながら、朱里はソワソワと落ち着かなくなる。

 「あ、あの、常任指揮者ということは、東条とうじょうかなめさんでしょうか?」
 「ええ、さようでございます」

 (うひゃー!あの世界的に有名な、若きイケメンマエストロ!ど、どうしよう、なんてご挨拶すればいいのかしら…。あー、とにかくじっくり拝んでおこう!)

 やがて『リハーサル室』とプレートが掲げてある部屋の前に着く。

 「こちらです。どうぞ」
 「はい、失礼いたします」

 防音の二重扉を開けると、オーケストラの演奏が耳に飛び込んできた。

 (ひゃー!凄い)

 朱里は、初めて見るプロのオーケストラのリハーサルに圧倒される。

 「そこ!もっとフレーズつなげてたっぷり。テンポ落とさない!前へ!」

 大きな声で指示を出す指揮者と、即座に反応して応える演奏者。

 一瞬たりとも気が抜けない雰囲気に、朱里はゴクリと唾を飲み込む。

 「ここからもっと色を変えて。管はしっかり前に出る!」

 自分に言われている訳でもないのに、朱里は身体に力が入りっぱなしだった。

 「マエストロ、そろそろお時間です」
 「あー、もうそんな時間か。分かった」

 事務局長に声をかけられ、名残惜しそうに指揮者が台を降りた。

 「マエストロ。こちらは桐生ホールディングスの桐生様と栗田様です。当団に、CSR活動のパートナーとして演奏を依頼してくださった…」

 事務局長がそこまで言うと、ああ!と、マエストロは人が変わったように笑顔になった。

 「どうも!初めまして。東条 要です。いやー、そちらのような大きな企業に声をかけていただいて、大変光栄です。音楽をもっともっと広めていきたいと思っておりますので、どうぞよろしく」

 そう言って気さくに握手を求めてくれる。

 「初めまして、桐生 瑛と申します。こちらこそどうぞよろしくお願いいたします」

 瑛に続いて朱里も挨拶する。

 「は、は、は、初めまして!栗田 朱里と申します!マエストロにお会い出来て、こちらこそ大変光栄に存じます!」

 ガチガチになって頭を下げると、マエストロは笑顔で握手してくれる。

 「あっ、手!今日は右手を洗えない!」

 朱里は握手してもらった右手を、何も触れないように掲げたままじっと見つめる。 

 「おい、オペ前の医者じゃないんだから」

 瑛が横から囁くが、朱里の耳には届かない。 
 そんな朱里に東条が尋ねる。

 「君、ひょっとしてクラシックファンなのかな?」
 「は、はい!先日もマエストロのチャイコンを聴かせて頂きました。もう素晴らしくて!思わず涙しました」
 「そう、ありがとう」

 瑛はそんな二人から視線を逸らして、ひとりごつ。

 (涙しましたなんて、そんな綺麗なもんか?顔面崩壊の大号泣だったぞ)

 すると東条は事務局長に、次の公演のチラシを持っているかと聞いた。

 事務局長が手にしていたファイルから一枚差し出すと、東条は胸ポケットからペンを取り出し、さらさらとサインする。

 「クリタさん、だったよね?漢字は普通の栗?」
 「は、はい!ビックリのクリです」

 は?と東条は固まる。

 「あ、普通の栗です。チェスナッツの栗に田んぼです」

 見かねて瑛が横から答えた。

 「OK、栗田…あかりさんだっけ?」
 「ヒーーー!」

 ヒー?とまたしても怪訝そうな東条に、瑛が答える。

 「朱色の朱に里で、あかりです」
 「OK、朱里さん。はい、どうぞ」

 東条は笑顔で、裏にサインをしたチラシを朱里に渡す。

 「あ、あ、ありがとうございます!ひゃー、私の名前まで!家宝にします!このご恩は決して忘れません!」

 胸にチラシを抱きしめ、朱里は何度も頭を下げる。

 「どういたしまして。これからもよろしくね、朱里さん」
 「は、はい!」

 イケメンのマエストロに微笑まれ、朱里はハートを撃ち抜かれたように頬を赤らめた。

 その後、演奏会についての打ち合わせの為、事務局長と会議室に向かっていると、東条が追いかけてきた。

 「まだ少し時間があるから、僕も同席して構わないかな?」

 瑛が頷く。

 「もちろんです。是非ご一緒に」

 そうして四人で会議室に顔を揃えた。

 「まず、今回の未来ハーモニーホールでの演奏会は、皆様に私達の趣旨を知っていただく目的があります。桐生ホールディングスと新東京フィルハーモニー交響楽団がタッグを組み、訪問演奏などで社会貢献をしていく。その為にまずは、弊社とこちらの楽団がお互いを知り、関わりを持つことで、パートナーとして協力し合うことを確認出来ればと。合わせて、投資家の方々やマスコミ各社にも広く周知したいと考えております」

 朱里が資料を見せながら説明する。
 東条と目が合うとミーハースイッチが入る為、ひたすら資料を目で追いながら話していた。

 「その点を踏まえ、今回の演奏会のコンセプトやプログラムを考えていただければと思っております。いかがでしょうか?」

 すると早速東条が口を開いた。

 「なるほど、良く分かりました。お客様は関係者のみで、小さなお子様からご年配の方まで幅広く、特にクラシックファンという訳ではないのですよね?そうすると、ホールでオーケストラを聴くのが初めてという人もいるだろうか」
 「はい。小さなお子様は、ほとんどがそうかもしれません。この演奏会では年齢制限も設けず、赤ちゃん連れの方も親子室で楽しめるようにご案内したいと考えております」
 「それはいいね!小さいお子さんにこそ、本物の音楽に早くから触れて欲しいと僕も思っている。それなら選曲もしっかり考えないとな…」

 そう言うと東条は、腕を組んで目を閉じる。

 「まずは、耳馴染みのあるクラシック曲。それに映画音楽や子ども達も教科書で習うような曲も織り交ぜたいな。プログラムは、すぐに決めないといけないかい?」
 「いえ。内々の演奏会ですし、特にいつまでに、と急がなくても構いません」
 「分かった。そしたら少し時間をもらえるかな?僕も団員と相談しておくよ」
 「はい、かしこまりました。よろしくお願いいたします」

 朱里が頭を下げ、今日のところはこれで終了となった。

 事務局長に今後のスケジュールを渡す朱里を後ろから見守っている瑛に、東条が声をかける。

 「彼女は、何か音楽をやっているのかい?」
 「あ、はい。ヴァイオリンを」
 「へえー。君は彼女の演奏を聴いたことは?」
 「何度かあります。ですが、私は音楽はさっぱりでして…。これから色々勉強しようと思っているところです」
 「そう。彼女の演奏で、印象に残っている曲はある?」

 え?と瑛は戸惑ってから口を開いた。

 「強いて挙げるなら、リストの『愛の夢』第3番です」

 ふうん、と東条は考え込む。

 「どんな印象だったの?彼女の演奏は」
 「そうですね…。とても温かくて優しくて、包み込んでくれるような力強さと安心感もあって。私の幼い頃を思い出させてくれました。かけがえのない幸せだった日々を。そしてこれからの人生にも背中を押して送り出してくれるような、そんな演奏でした」

 そして自信なさげに、すみません、変な感想で…と付け加える。

 「いや、そんなことはない。彼女の演奏が君にしっかり届いたのだろうね。音楽を通じて君達は想いを共有したんだ。素敵なことだよ。大事にしなさい、彼女を」

 え…と驚く瑛に、東条は頷いて笑いかけた。
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