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眩しすぎる世界

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 大学が夏休みに入り、朱里はいくつかのインターンシップに参加した。

 幼稚園の夏期保育やお泊り会、地域の子ども達のサマーキャンプなど、多くの子ども達と触れ合う中で、自分の将来携わりたい仕事を考える。

 部屋でレポートをまとめていたある日の夕暮れ、外から瑛の声がした。

 「朱里ー、いるかー?」

 朱里は窓を開けて返事をする。

 「なーに?」
 「今さ、バーベキューしてるんだけど、お前も来るか?」
 「バーベキュー?!」
 「ああ」

 ふと桐生家の庭先に目をやると、雅や優、瑛の両親や菊川が手を振っていた。

 「朱里ちゃーん、おいでよー!お肉、たくさんあるわよ」

 雅の言葉に、朱里はコクコクと頷く。

 「行きます!すぐ行きます!待ってて、お肉!」

 パタンと窓を閉めると急いで階段を下り、玄関に鍵をかけて走り出す。

 屋敷の門を開けて、菊川が待ってくれていた。

 「朱里さん、こんにちは」
 「こんにちは!」
 「ふふふ、凄い速さでしたね。ワープして来たのかと思いました。さ、どうぞ」

 庭のテラスに大きなテーブルがあり、千代や他の使用人が次々と野菜や肉を焼いていた。

 「わー、いい匂い!」

 朱里は皆への挨拶もそこそこに、鉄板に吸い寄せられる。

 「朱里お嬢様、たんと召し上がれ!」

 千代が料理を盛り付けた皿を差し出してくれた。

 「ありがとう!いただきまーす!」

 大きな肉を頬張り、美味しい!と目を輝かせると、瑛の母が笑い出す。

 「朱里ちゃん、本当に美味しそうに食べてくれるわね。さあ、まだまだあるから、たくさん食べてね」
 「はい!ありがとうございます」

 その時、あーちゃー!と優がヨチヨチやって来て、朱里にペタッと抱きついた。

 「優くーん!今日もかーわいい!ね、一緒にマシュマロ焼かない?」
 「マ…シュ…?」
 「そう、マシュマロ!ふわふわでとろとろなんだよー」

 朱里は優を抱き上げると、片手で千代が渡してくれたマシュマロの金串を焼く。

 「ほらね。ふにゃーってしてきたでしょ?」
 「ふにゃー」
 「うふふ、そうそう。美味しくなーれ!」
 「なーれ!」

 いい色に焼き上がると、朱里は良く冷ましてから優の口に運ぶ。

 パクっと優はマシュマロにかじりついた。

 「どう?美味しい?」
 「ん!」

 優は大きく頷いて、また口を開ける。

 「よく食べるね、優くん。はい、アーン」
 「アーン」

 美味しそうに頬張る優に、朱里はにこにこと微笑んだ。

 朱里とたくさん食べ、遊び疲れた優が眠そうに目を擦り始める。

 雅は優を抱いて屋敷に入り、寝かしつけてきた。

 テラスに戻ると、ベンチに座った朱里がお酒を飲みながら、隣に座る菊川と話している。

 酔っ払ってきたのか、妙に明るくご機嫌で、菊川の肩をバシバシ叩いておかしそうに笑っていた。

 雅はテラスの入り口に座っている瑛の横に腰掛けた。

 「優、寝た?」
 「うん、もうぐっすり。今夜は泊まっていくわ」
 「そっか」

 二人でお酒を飲みながら、なんとなく朱里と菊川の様子を見つめる。

 「ねえ、瑛」
 「なに?」
 「今ならまだ間に合うと思うわよ」
 「は?何が?」

 雅は、少し視線を落とす。

 「本当にいいの?手を伸ばせば届く距離にいるのに。あなたこの先の人生、朱里ちゃんを見かける度に辛くなるんじゃない?」

 瑛は朱里を見つめたまま答えた。

 「ああ、いいんだ。朱里は…俺には眩しすぎる」
 「瑛…」

 瑛の視線の先で、朱里がひときわ楽しそうに笑い声を上げていた。

*****

 「うー、目が回る…」
 「ほら、しっかりしろ!朱里」

 朱里の肩を支えながら、瑛がなんとか朱里を家まで連れて行く。

 玄関を入ってすぐに寝転びそうになる朱里を起こし、2階への階段を上がる。

 ようやく部屋に着くと、朱里はベッドに倒れ込んだ。

 「うわ、ちょっと朱里!」

 朱里は瑛の首に回した手を緩めず、瑛はバランスを崩して朱里と一緒にドサッとベッドに倒れた。

 「ちょ、ちょっと、離せってば!」

 必死に朱里の手から逃れようと身をよじるが、朱里はさらに力を込めてグイッと瑛の頭を押さえつけた。

 「…あ、朱里?」

 じっと顔を覗き込まれ、瑛はドギマギする。
 朱里は、目をうるうるさせながら瑛を見つめた。

 「朱里…」

 瑛の頭の中が真っ白になり、身体から力が抜けていく。

 その時だった。

 「優くん…。可愛い」

 朱里が呟き、ギュッと自分の胸に瑛の頭を抱き寄せた。

 は?と一瞬、瑛は我に返ったが、気づけば朱里の胸に顔をうずめており、途端に顔が真っ赤になる。

 「あ、あ、朱里!俺は優じゃないぞ!離せってば」

 すると、スーッと寝息が聞こえてきた。

 瑛はそっと様子をうかがい、朱里が良く眠っているのを確かめると、朱里の腕を外して身体を起こした。

 (まったくもう、気持ち良さそうに眠りやがって)

 ため息をついて、朱里の顔を見つめる。

 子どものようにスヤスヤと眠るあどけないその寝顔は、瑛の心に一気に火をつける。

 「くそっ!」

 瑛は顔を歪め、唇を噛みしめると、必死に自分の気持ちを抑え込んで部屋をあとにした。

 玄関の鍵を外からかけるとドアポケットに鍵を入れ、急いで屋敷の自室に戻る。

 バタンと後ろ手にドアを閉めて息を整えていると、雅の言葉が蘇ってきた。

 『あなたこの先の人生、朱里ちゃんを見かける度に辛くなるんじゃない?』

 「…仕方ないだろ、こうするしかないんだから」

 瑛は、グッと自分の胸元を掴んで気持ちを落ち着かせようとした。

*****

 「それでは、結婚は今すぐという訳ではなく、瑛くんが大学を卒業して仕事が落ち着いた頃に、ということでいいかな?」

 次の週末。
 瑛は聖美の屋敷を訪れ、聖美の両親を交えて具体的に結婚の時期について話し合っていた。

 「はい。こちらの都合で申し訳ありませんが、出来ればその頃までお待ちいただければと。社会人としてしっかり聖美さんをお守り出来るようになってから、聖美さんをお迎えに参りたいと思っております」

 隣に座った聖美が頬を赤らめてうつむく。
 聖美の両親も、微笑んで頷いた。

 「もちろん異論はありません。聖美もまだまだ未熟者ですし、そちらに迎えていただくまでにしっかりと身につけなければならないこともあります」
 「そうよ、聖美。瑛さんの為にしっかり尽くせるよう、家事や料理も腕を上げなくてはね」
 「はい」

 その後は穏やかにお茶を飲みながら雑談し、瑛は聖美の屋敷をあとにした。

 帰りの車の中で、瑛はふと菊川に声をかける。

 「菊川、お前はいつ結婚するつもりなんだ?」
 「は?私ですか?」

 菊川は意外そうに聞き返す。

 「ああ。お前、今32だろ?そろそろ結婚を考えてもおかしくない年じゃないか」
 「私は自分の結婚は考えておりません。少なくとも今は考えられません」
 「なぜだ?いつなら考えられるんだ?」
 「瑛さんが結婚されてからです」

 えっ…と瑛は言葉に詰まる。

 「そんなことは気にするな。お前はお前の人生を大事にしろ。桐生家にばかり関わってないで、ちゃんと自分のプライベートの時間も持てよ」
 「はい、ありがとうございます。ですが、特にやりたいこともないですし」
 「そんなこと言って…。好きな女性もいないのか?」
 「はい、おりません」
 「おい、きっぱり否定するな!ちょっとは考えろ!誰かいないのか?身近な人で、気の合う人とか…」
 「はい、おりません」
 「即答するなっての!」

 瑛は、やれやれとため息をつく。

 菊川、そして朱里も。
 自分にとって眩しい世界に住む人達は、一体この先どんな道を行くのだろう。

 好きな人と結ばれ、好きなことをしながら、毎日自由に楽しく過ごしていくのだろうな。

 自分には無縁のキラキラと輝く世界で。

 (いけない、なんでこんなことを考えてしまうんだ)

 いつも封印しているはずの気持ちを持て余し、瑛はまたため息をついた。
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