幸せの見つけ方〜幼馴染は御曹司〜

葉月 まい

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真夜中の騒ぎ

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 キュイーキュイーキュイー!!

 真夜中の静かな住宅街に、ホームセキュリティの警報音が鳴り響く。

 「な、なに?!」

 ガバッと飛び起きた朱里あかりは、ベッドの横の窓を開けて外を見た。

 「朱里!」
 「ギャーー!!」

 いきなり目の前にニョキッと現れた人影に、思わず朱里は力いっぱいビンタを食らわせた。

 「いってえー!何すんだよ、この怪力女!」
 「え?あ、あきら?」

 左頬を押さえて顔をしかめている隣人の瑛に、朱里は驚いて目を丸くする。

 「何やってんの?ここ、2階だよ?」

 朱里の部屋の外にいる瑛は、屋根の上にいた。

 どうやら自分の屋敷の塀を乗り越えて、朱里の家の屋根に飛び移ったようだった。

 「私の家に忍び込もうとしたの?それで自分ちの警報鳴らすなんて…。何やってるのよ?」
 「違うってば!ほら、あそこ」

 朱里は、瑛が指を差した先を見る。

 ちょうど瑛と朱里の家の境い目、道路の上に、誰かが全身黒ずくめの男を組み敷いていた。

 「え、菊川さん?」

 細い身体のどこにそんな力があるのだろう。
 うつ伏せにした男の両腕を腰の位置で押さえつけ、涼しい顔でこちらを見上げる。

 「朱里さん、ご無事ですか?」
 「え、ええ。私は何も…」
 「良かった」

 低く落ち着いた声でそう言って、菊川は朱里に微笑んだ。

 街灯のほのかな明るさの中に、大人っぽく紳士的な菊川の笑顔が見えて、朱里は思わずドキッとした。

*****

 「夕べはごめんね、朱里ちゃん。真夜中にお騒がせしちゃったみたいで…。驚いたでしょう?」

 次の日。
 瑛の屋敷で朱里は、瑛の姉のみやびに呼ばれて一緒にお茶を飲んでいた。

 「いいえ、大丈夫です」

 朱里は笑って首を振る。

 「それより、被害は大丈夫だったんですか?泥棒に入られたんでしょう?」

 心配そうに朱里が聞くと、雅はふふっと優雅な笑みを浮かべた。

 「大丈夫よ。なんたって菊川がいたからね。泥棒が塀を乗り越えて警報器が鳴ったとたん、菊川が飛び出して行ってあっという間に取り押さえたそうよ」

 そしてその後、駆けつけたセキュリティ会社の警備員に男が引き渡されたのは、朱里も見て知っていた。

 「菊川から、逃げた男が朱里ちゃんの家の屋根に飛び移ったって聞いたけど、大丈夫だった?」
 「え、うちの屋根に?」
 「そう。すぐに菊川が後ろから捕まえて、屋根から引きずり降ろしたそうだけど」

 あっ、それでか!と朱里は手のひらを打つ。

 「ん?なにが?」

 小首をかしげる雅に、朱里が説明する。

 「私、警報器の音で目が覚めて窓を開けたんです。そしたら目の前に瑛が現れて、びっくりして思わず顔を引っ叩いちゃって…」
 「ええ?!」

 一瞬驚いてから、雅はおかしそうに笑い出した。

 「あはは!瑛、引っ叩かれたんだ。おもしろーい!」
 「ご、ごめんなさい…」
 「ううん、朱里ちゃんは悪くないわよ。真夜中に女の子の寝ている部屋に顔出したら、それは往復ビンタ食らって当然よ」
 「いや、あの。お姉さん、私、往復はしてません。片道です」
 「そうなのね、片道ビンタ!おっかしーい!その時の瑛の顔、見たかったわ」

 しばらく笑い続けていた雅は、リビングの端のベビーベッドから、ふぎゃっという赤ちゃんの泣き声を聞いて立ち上がる。

 「あら、起きたのね。ゆう

 優しく声をかけながら雅が赤ちゃんを抱き上げて、朱里のいるソファに戻ってきた。

 「優くん、おはよう!よく眠れた?」

 朱里が笑いかけると、優は寝起きのぼんやりした眼差しで朱里を見たあと、ゴシゴシと両目を手の甲で擦る。

 (ふふっ、可愛いなー)

 朱里は思わず目を細めた。

 朱里の隣家の桐生家は、日本のトップクラスの大企業、桐生ホールディングスの創業者一族だった。

 普通の民家の何十倍もの土地に屋敷を構え、その横にポツンと小さく朱里の家が隣接している。

 なぜ朱里の家がそんな不自然なお隣さんなのかと言うと、もともとは桐生家に仕えていた使用人の住まいだったのを、朱里の父が買い取ったからだった。

 今はもう、桐生家に仕えているのは通いの使用人だけで、菊川もその一人だった。

 瑛の秘書や運転手として常に瑛と一緒に行動している菊川は、夕べも遅くに瑛を屋敷に送り届け、自宅に帰ろうとした時にちょうど泥棒が侵入したらしい。

 結婚して屋敷を出ている雅は、菊川から報告を受け、朱里の様子を気にして今日屋敷に呼んでくれていた。

 「朱里ちゃん、ちょっと優をお願いしていい?離乳食持ってくるわね」
 「はーい」

 朱里は慣れた様子で優を抱き上げる。
 高い高いをすると、優はキャキャッと笑い声を上げた。

 「優くん、今何か月でしたっけ?」

 そう聞くと、朱里が膝の上で抱いている優に離乳食を食べさせながら雅が答える。

 「今11ヶ月。来月で1歳よ」
 「うわー、初めてのお誕生日?楽しみですね!」
 「ふふ、そうね。うちの両親も祝いたいって言ってたから、ここでもお誕生日会やろうかと思って。朱里ちゃんも、もし都合が合えば来てくれない?」
 「ええ、もちろん!」

 朱里が笑顔で頷いた時、ガチャリとリビングのドアが開いて瑛と菊川が入ってきた。

 「お、朱里。来てたんだ」
 「うん、お邪魔してます」

 すると瑛の後ろから菊川がすっと姿を現し、朱里にお辞儀をした。

 「朱里さん、夕べはお騒がせして申し訳ありませんでした」
 「いえ、そんな。大丈夫ですから」

 優を膝に抱きながら、朱里は慌てて菊川に手を振ってみせる。

 「それで、どうだったの?警察の方は」

 雅が瑛に聞くと、瑛はソファの向かい側に腰を下ろした。

 「んー、まあ、未遂に終わったから被害は何もないんだけどさ」

 どうやら夕べの犯人のことで、瑛は菊川と警察に話を聞きに行っていたようだった。

 「犯人は、親父がアメリカでソフィアコーポレーションと提携した合同会見のネットニュースを見て、うちに忍び込んだらしい。親父がアメリカにいて、今この屋敷は手薄だと思ったんだってさ」
 「なるほどねえ」

 ため息をつく雅の横で、朱里は思わず身を縮める。

 (うわっ、なんだか怖いな。そんなことで泥棒のターゲットにされるなんて…)

 しばらく何かを考えていた雅が口を開く。

 「菊川、あなた両親が帰ってくるまでここに泊まってくれないかしら。瑛はともかく、朱里ちゃんに何かあってはいけないわ。朱里ちゃんのところも、今ご両親お留守なんでしょう?」
 「ええ、そうですけど。でも私のことはどうぞお気になさらず」

 朱里の父は名古屋に単身赴任中で、初めの半年程は、母は父の様子を見に頻繁に父のもとを訪れていたが、今はほぼ向こうで父と一緒に生活していた。

 朱里ももう21歳。
 一人で暮らすのに困るような年齢でもない。

 そんな朱里に、雅は心配そうに続ける。

 「だけど、夕べだって朱里ちゃんにご迷惑かけた訳だし。菊川が捕まえなかったら、犯人は朱里ちゃんの家に逃げ込もうとしたかもしれないのよ?」

 そう言われると、朱里も怖くなってきた。
 すると瑛が、ははっと笑い出す。

 「いやー、でもそしたら朱里のあの強烈なビンタを食らってノックアウトされたと思うけどな」

 雅は瑛を横目で睨む。

 「瑛!あなた、朱里ちゃんになんてこと言うのよ。うちのせいで朱里ちゃんに何かあったらどうするつもり?」
 「瑛さん、お嬢様のおっしゃる通りです。朱里さんに危険が及ぶようなことは決して許されません」

 凛とした雰囲気を醸し出しながら、菊川が静かに朱里に話し出す。

 「朱里さん、夕べは怖い思いをさせてしまい本当に申し訳ありませんでした。しばらくは私もこちらに泊まり込み、警戒します。朱里さんのことは、私が必ずお守りいたします」

 真剣な眼差しでじっと見つめられ、朱里は思わず言葉を失った。

 「朱里ちゃん、何かあったらいつでも菊川に言ってね。菊川、朱里ちゃんの家に近い部屋に泊まってくれる?」
 「はい、かしこまりました」

 雅と菊川のやり取りを聞きながら、瑛はどこかふてくされたように下を向いていた。

*****

 「朱里さん、ご自宅までお送りします」

 そろそろ帰ろうとソファから立ち上がった朱里に、菊川が声をかける。

 「いえ、そんな。すぐ隣なんだもの、大丈夫です」

 菊川は朱里の言葉を聞き流し、リビングのドアを開けて朱里を促した。

 「どうぞ」

 朱里は仕方なく頷いて部屋を出る。

 「じゃあ、お邪魔しました」

 玄関で靴を履き、雅と瑛を振り返って挨拶すると、優を抱いた雅が微笑む。

 「また来てね、朱里ちゃん」
 「はい、ありがとうございます。優くん、またね!」

 朱里は優の小さな手を握ってから、雅と笑顔で別れた。

 外に出ると、夕暮れの心地よい風が吹いている。
 朱里は菊川と肩を並べて歩き始めた。

 隣家と言っても桐生家の屋敷が広い為、朱里の家までの距離は長い。

 何を話そうかと考えてから、朱里は口を開く。

 「菊川さん、夕べは大丈夫でしたか?犯人を取り押さえた時にケガは?」
 「いえ、大丈夫です。これでも護身術は身につけていますので」
 「そうなんですか?菊川さん、スタイルも良くてスラッとしてるし、そんなふうに見えないです」
 「一応、毎日身体は鍛えています。脱いだら結構すごいですよ」

 ぬっ、脱いだら?!と思わず聞き返してしまい、慌てて朱里は口を押さえる。

 「ふふ、失礼しました」

 菊川は大人の余裕を見せながら朱里に笑った。
 朱里はドギマギしながらうつむいて歩く。

 (いつも本当にかっこいいな、菊川さん)

 幼馴染の瑛と遊んでいた幼い頃から、いつも二人の傍らには菊川がいた。

 瑛と朱里は同い年、雅は6歳年上で、菊川は雅よりさらに5歳上。
 朱里達とは11歳も違い、今は32歳のはずだ。

 幼い朱里にとって頼りがいのあるお兄さんだった菊川は、いつの間にか憧れの男性になっていた。

 こうやって一緒に歩いているだけで、朱里は胸がドキドキする。

 「朱里さん、大学生活はどうですか?」
 「あ、はい。毎日楽しいです。でもそろそろ就職活動の準備も始めないと」
 「そうか、もうそんな時期なんですね」

 菊川はしみじみとした口調になる。

 「あんなに小さかった朱里さんが、もうそんなに…」
 「え、菊川さん。いったい何歳の私を思い出してるんですか?」
 「6歳です。ランドセルを背負って嬉しそうに入学式に向かう朱里さん、本当に可愛らしかったです」

 えっ!と朱里は驚く。

 「菊川さん、そんなに前から私のことを知っているんですか?」

 朱里の記憶の中では、いつ菊川と知り合ったのかははっきりしない。
 けれど11歳という年の差から言っても、そこまで昔だとは思っていなかった。

 「私が6歳ってことは、菊川さんはその時?」
 「17歳の高校生でした」
 「えっ?!高校生の時に、もう桐生家で働いていたんですか?」
 「いえ、その時は桐生家に養ってもらっていました」

 思いも寄らない菊川の言葉に、朱里は返事も出来ずにいた。

 (養ってもらう?それはどういう…)

 そんな朱里の胸中を察したのか、菊川が静かに話し出す。

 「私の母は、桐生家に通いで働くシングルマザーでした。もともと身体が弱かったのですが、私が高校2年生の時に急に体調を崩してそのまま…。一人残された私を、旦那様と奥様が引き取って育ててくださったのです」

 朱里は思わず息を呑む。

 (知らなかった、そんな…)

 菊川は、落ち着いた口調を変えずに続けた。

 「屋敷で暮らしている間、何か私にも出来ることはないかと思い、瑛さんやお嬢様のお世話をするようになりました。特に瑛さんはまだ幼稚園児だったので、常に目が離せず、いつも私がお供しました。朱里さんと知り合ったのはその頃です。とても可愛らしい笑顔で、あかりです!と私に挨拶してくれました。ランドセルを買ってもらった時も、嬉しそうに私に見せてくれたんですよ」
 「そうだったんですか。私、全然覚えてなくて。気づいた時にはいつも菊川さんが近くにいてくれたから…」

 いつの間にか朱里の家の前に来ていた。
 立ち止まって二人で向かい合う。

 「そうですね。私もいつも朱里さんの成長を見守ってきました。運動会も応援に行きましたし、夏休みには一緒に瑛さんの別荘に泊まりに行きましたよね」
 「ええ。その頃の記憶は少しあります」
 「朱里さんがどんどん素敵な女の子に成長していくのが、私もとても嬉しくて。夕べ、あなたに危害が及ぶかもしれないと思った時は、我を忘れるくらい必死で犯人を捕まえました。あなたが無事で、本当に良かった」

 そう言うと優しく朱里に笑いかける。

 「しばらくは朱里さんの部屋の近くに泊まりますから。何かあったらすぐに窓を開けて知らせてくださいね」
 「はい、ありがとうございます」

 朱里はうつむいたまま頭を下げると、それじゃあ、と門扉を開けて中に入る。

 玄関の鍵を開けて振り向くと、まだ菊川は朱里を見守っていた。

 はにかんだ笑みを浮かべてペコリと頭を下げる朱里に、菊川は小さく頷いてまた優しく微笑んだ。
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