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思わぬ話

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数日後、仕事を終えた山下はオフィス棟を出た所で、壁にもたれてうつむいている小雪の姿を見つけた。

「小雪ちゃん?」

声をかけると、ハッと顔を上げて山下を見る。

「稜さん、お疲れ様です」
「お疲れ。どうしたの?」

近付いた山下は、小雪の元気がない事に気付く。

「はい、あの…。すみません、少しお時間頂けませんか?お話したい事があって」
「いいけど…。じゃあどこか食べに行こうか?」

すると小雪は、慌てて首を振った。

「いえ!これ以上ご迷惑をおかけする訳にはいきませんので。庭園のベンチでもいいですか?」

ますます小雪らしくない。

山下は、どうしたのかと心配しつつ、小雪と一緒に庭園の一角にあるベンチに座った。

9月の夕暮れらしい、爽やかな風が心地良い。

「それで、話って?何かあった?」

小雪の様子をうかがいながらそう言うと、小雪は、少し考えてからキュッと膝の上に置いた両手を握りしめて話し出した。

「はい、あの、まずはお詫びさせて下さい。先日居酒屋で酔っ払った私を、タクシーで送り届けて下さったのですよね?ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」

そう言うと深々と頭を下げる。

「いや、お詫びなんてそんな。大した事してないよ?」
「いえ。先日だけではなく、7月に初めてあのお店に行った時も、稜さんが酔った私をうちまで送って下さったのではないですか?それに、お財布の中のお金が全然減ってなくて…。もしかして、食事代もタクシー代も稜さんが?」
「いや、でもあの、気にしなくていいよ」
「そんな訳にいきません!」

小雪は、語気を強めてそう言ってから、またしょんぽりとうつむく。

「私、本当に情けなくて…。7月の時も先日も、稜さんに散々ご迷惑おかけしたのに覚えてなくて…」

そしてポツポツと、いきさつを話し始めた。

先日、故郷の山口県から幼馴染みが上京して来て、あの居酒屋に一緒に行ったこと。

途中から記憶が失くなり、気付けばアパートのベッドで寝ていたこと。

テーブルに山下のメモを見つけ、驚いて幼馴染みに電話をかけて、何があったのか教えてもらったこと。

そしてドアポケットの中の鍵を見て、もしかして7月も同じようなことがあったのではないかと思ったこと。

「今まで気付きもしないで、本当にすみませんでした」
「ううん、本当に気にしなくていいよ。だからそんなに落ち込まないで、ね?」

山下は、小雪の暗い表情がとにかく気になって仕方なかった。

(いったいどうしたっていうんだ?まるでいつもとは別人みたいだ)

「小雪ちゃん、他にも何か悩み事があるんじゃない?何かあったの?」

すると小雪は、ハッとしたように山下を見る。

ん?と顔を覗き込むと、小雪は慌てて下を向いた。

「俺には相談出来ないかな?言いにくい?」
「いえ、そんな事は…」
「じゃあ聞かせて。力になれるかは分からないけど、話を聞くくらいなら出来るから。それにずっと一人で抱え込むより、誰かに話をするだけで、少しは気分も軽くなるかもしれないし」

小雪はしばらくじっと黙っていたが、やがて、稜さん、と顔を上げた。

「ん?何?」
「私…、実家に帰らなきゃいけなくなって」
「それは、帰省するって事?」
「いえ、アパートを引き払って帰るんです。だから、ここでの仕事も、もう出来ない…」

そう言うと、大きな目から涙が一気に溢れ出す。

山下は、驚いて言葉に詰まる。

「そ、それは、どうして?なんでまた急に…」

小雪は、気持ちを落ち着かせようと必死に肩で息を繰り返して話し出す。

「一緒に居酒屋に行った幼馴染みの子が、家に帰って母親に話したらしくて。私とこんな事があって…みたいに。そしたらそれが、うちの両親の耳にも入って…。電話がかかってきたんです。酔っ払って男の人に送ってもらうとは何事だ?とか、ちゃんとお付き合いしてる人なんだろうな?とか、鍵を失くすなんて、不注意にもほどがある、とか」

ハンカチで涙を拭いながら、小雪は必死に話を続ける。

「そもそも、私が上京して働く事に両親は大反対だったんです。でも私は、どうしても一人で遠くで暮らしてみたくて、保育士の資格があれば、東京でも働けるからって説得して。絶対、心配かけるような事はしないからって、アパートの保証人にもなってもらって、でももう…」

その先は言葉を続けられなくなり、小雪は静かに泣き続ける。

山下は、大きく息を吐き出した。

「ごめん…。俺が勝手な事したばっかりに。それに鍵も、ドアポケットに入れた事をあの日もちゃんとメモしておけば…」
「いいえ!稜さんのせいなんかじゃないんです。全部私が、私の甘さのせいです。親の言う事もその通りなんです」

そして小雪は、稜さん、と真剣な顔を向ける。

「最後に1つだけお願いがあります」
「う、うん。何?」
「私が仕事を辞めて山口に帰る事、誰にも言わないでおいてもらえますか?最後まで笑顔で働きたくて…。仕事の引き継ぎなどは、きちんと書類にしてなるべく支障が出ないようにしますから。どうか、お願いします」

そう言って頭を下げる。

「…帰るのって、いつなの?」

小さく山下が問いかけると、小雪はゆっくり頭を上げた。

「親はすぐにでもって言うのを、せめてもう少し時間を下さいって頼みました。だから、年内いっぱい…」
「年内…。あと3ヶ月ちょっと」

日が暮れていく中、二人は黙ったまま肩を並べていた。



「…ふう」

山下は、1LDKの部屋に帰ると、ソファにドサッと身を投げるように座る。

小雪の話が頭から離れなかった。

(あんなに一生懸命働いてきたのに…。すみれちゃんにも、他の子にも優しく、自分がケガしても笑顔で…。社宅のプロジェクトにも、自分は社員じゃないにも関わらず熱心に資料を用意してくれて)

「なんとかならないのか…」

声に出して考え込む。

小雪は否定したが、こうなったのには、少しは自分にも責任がある。

だが、遠く山口県にいる小雪の両親を、見ず知らずの自分が説得するのは余計に話をこじらせるだけだ。

ため息をついてから、山下はキッチンに向かった。

何か食べようとしたが、結局冷蔵庫から缶ビールを取り出しただけでソファに戻る。

缶を開けると、ビールが溢れ出た。

「うわっ」

思わずスラックスのポケットから取り出したハンカチで拭おうとして、手を止める。

それは、小雪からプレゼントされたハンカチだった。

山下は、ハンカチをテーブルに置くと、代わりにティッシュを取ってビールを拭いた。
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