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家族の形
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やがて瑠璃は、回復室から病室に移動する事になり、赤ちゃんも一緒に家族四人で水入らずの時間を過ごす。
瑠璃の父は、個室を用意してくれていた。
調子はどうだ?と部屋に現れた父は、初めて対面する赤ちゃんに目を細めた。
「男の子かー。一生くんにそっくりだな!」
「お父様もそう思う?私も、目元とか一生さんに瓜ふたつだと思ってたの」
「こりゃ、将来イケメン間違いなしだな!」
そう言って笑ってから、母さんも後でお見舞いに来るって、と言い残して去って行った。
「おばあさまもくる?」
すみれの言葉に一生は頷く。
「ああ、後でね。それから、すみれ。かあさまは、しばらく赤ちゃんとここに入院するんだ。その間すみれは、おばあ様のおうちに泊めてもらおう。そうすれば、毎日ここに連れて来てもらって、かあさまにも会えるよ」
「とうさまは?」
「とうさまは仕事があるんだ。だから、すみれはおばあ様と一緒にいた方がいいと思う。それでいい?」
すみれは、少しうつむいて考えてから、うんと頷いた。
しばらくすると瑠璃は、すみれ、と名前を呼んでベッドの端に座らせると、ちょっと待っててね、と言ってゆっくりベッドから下りる。
「瑠璃、大丈夫か?」
一生は、両手で瑠璃の身体を支えた。
「ええ、大丈夫」
瑠璃はベビーコットに身を屈め、赤ちゃんをそっと抱き上げた。
「一生さん」
そう言って、一生の腕に赤ちゃんを託す。
「わっ…軽い」
そう言いながらも、体中に力が入ってガチガチだ。
すみれの時にすでに経験しているのに、こんなに緊張するとは…
いや、2度目だからこそ、命の重さをより重く感じるのかもしれない。
これまでのすみれとの時間がどれだけ尊いものかを知っているからこそ、新たなこの命の尊さも、ひしひしと感じる。
(守っていかなければ、この子を。そして、すみれと瑠璃も)
一生は固く心に誓った。
やがて瑠璃は一生から赤ちゃんを受け取ると、ベッドにいるすみれの横に座った。
「いい?すみれ」
そう言って、手を添えながらすみれの膝に赤ちゃんを載せる。
「うわあ…」
赤ちゃんを抱きながら、すみれは嬉しいようなドキドキしたような、なんとも可愛らしい表情になる。
瑠璃は、そんなすみれに優しく微笑んでいた。
12時になると、瑠璃に昼食が運ばれて来た。
一生も売店でお弁当を買って来て、三人でおしゃべりしながら賑やかにランチタイムを楽しむ。
食べ終わると、いつの間にか瑠璃とすみれは、仲良くベッドに並んで眠ってしまった。
一生は、そっと瑠璃とすみれの髪をなでてから、ソファに座ってパソコンを開く。
立ち上がるのを待つ間、スマートフォンから早瀬に、無事に産まれたとメッセージを送ると、すぐさま、おめでとうございます!と興奮気味の返事が返ってきた。
その後もしばらく、仕事のやり取りをする。
今日は出勤しないで済むようにと早瀬が調整してくれたが、やはり明日からは顔を出さなければいけない。
それでも、なんとか夕方には毎日ここに来ようと、一生は、赤ちゃんと瑠璃を交互に見つめた。
しばらくして目を覚した瑠璃は、慣れた手つきで赤ちゃんのお世話をする。
すごいなあ…母親って、と一生が感心してると、ドアをノックする音がして、瑠璃の母が入って来た。
「まあー、可愛いこと!一生さんにそっくりじゃない」
そうかな?と一生は、改めて赤ちゃんを見る。
瑠璃も、瑠璃の両親もそう言うくらいだから、やはり自分に似ているのだろうか。
なんだか嬉しくなり、一生は思わずニヤけてしまった。
「すみれちゃんは寝ちゃってるのね。起きたらうちに連れて帰るわ。瑠璃も入院中はゆっくり身体を休めるのよ」
母の言葉に、瑠璃は少し考える素振りをする。
「どうかした?」
一生が声をかけると、瑠璃は、
「一生さん、お母様」
と切り出した。
「え?すみれを家に連れて帰るの?」
一生は驚いて瑠璃を見る。
「ええ。さっきすみれ、お父様と離れるって分かったら寂しそうな顔をして…。もちろんワガママを言ったりせずに、おばあ様のおうちに行くつもりだとは思うけど、何とかならないかしら。私と離れるだけでも不安だろうから、せめてお父様と一緒におうちに帰れるようにしてあげたいの」
「いや、でも…。俺も明日からは、やはり短時間でもホテルに顔を出さなければいけないし」
「それなんだけど…。ナーサリーに預けたらどうかしら?すみれも先週行ったきりで、また行きたがってたし」
「ああ、なるほど。それなら、俺も朝すみれと出勤して、帰りもすみれを連れてここに顔を出せるな。預けるのって10時から15時くらいだっけ?それなら、仕事もなんとかなりそうだ」
本当?!と、瑠璃は目を輝かせる。
「ああ。そうしよう」
「良かった!お母様、それでもいい?」
母は、大きく頷く。
「もちろんよ。すみれちゃんの為にもそれがいいと思うわ。私はちょっと寂しいけどね。でも午前中は、私もここに顔を出すわね」
「ありがとう!お母様」
瑠璃は、すみれの寝顔を見て微笑んだ。
◇
次の日のナーサリー。
小雪は朝からずっとご機嫌だった。
大きく窓を開けて換気をし、綺麗におもちゃを並べて机を拭く。
(あー、1週間ぶりにすみれちゃんに会える!)
本来なら小雪は今日、都内のコンサートホールの託児室に入る事になっていた。
それが昨日の昼過ぎ、会社から、すみれの予約が入ったから、シフトチェンジをお願い出来るかと連絡があり、2つ返事で引き受けたのだった。
鼻歌を歌いながら窓を閉めた時、チリンと入り口の鈴が鳴った。
(あ、来た!)
「おはようござ…いっ?!」
満面の笑みで振り返った小雪は、次の瞬間仰け反って固まる。
すみれと手を繋いで入って来たのは、瑠璃ではなく総支配人の一生だったからだ。
「おはようございます。いつもすみれがお世話になっています」
「ここここここ、こちらこそ!お世話になっておりますっ!」
ニワトリか?というくらいたくさんの『こ』を並べてから、小雪は勢い良く頭を下げる。
「急な予約で申し訳なかった。明日からも、しばらくお願いしたいのだけど、大丈夫かな?」
「もももももも、もちろんですとも!喜んで!」
早口言葉だったら、かなり上手く言えた事になるだろう。
小雪はまた勢い良く頷いた。
そして、ふとひらめいた。
なぜ瑠璃ではなく、一生がすみれを送りに来たのか…
「も、もしかして…。産まれたんですか?赤ちゃん」
「ああ。お陰様で昨日無事に」
「わあー!良かったー!おめでとうございます!すみれちゃん、良かったね!」
「うん!」
小雪はすみれと手を取り合って喜んだ。
◇
「すみれちゃん、これ赤ちゃんでしょ?可愛いねー」
小雪は、クレヨンでスケッチブックに何枚もお絵描きしているすみれに話しかける。
「そう、とってもかわいいの!」
「うふふ、そうかー。この絵、赤ちゃんとお母様にも見せてあげてね!」
「うん!」
その後もひたすら絵を描き続けるすみれに、小雪はある提案をする。
「ね、すみれちゃん。お母様と赤ちゃんにカード作ってみない?」
「カード?」
「そう。おめでとうのカード」
「うん、つくる!」
小雪は頷くと、机にたくさんの画用紙を並べた。
「どの色にする?」
「うーんとね、みずいろ!」
「これね、綺麗な色ねー。じゃあもう一枚選んで重ねてみようか?」
「そしたら、かあさまのすきなピンク!」
「いいわねー!」
小雪とすみれは、時間も忘れてカード作りを楽しんだ。
◇
「かあさま!」
病室に入ると、すみれは一目散に瑠璃に駆け寄る。
「すみれ!会いたかったー」
瑠璃はすみれをギューッと抱きしめた。
一生は、そんな二人の姿に微笑んでから、赤ちゃんのそばに行く。
赤ちゃんは今日もスヤスヤと、気持ち良さそうに眠っていた。
「かあさま、これ!こゆせんせいとつくったの」
「え、なあに?かあさまにくれるの?」
「うん!あかちゃんとかあさまに。おめでとうのカード」
「ええー?嬉しい!見てもいい?」
「うん!」
瑠璃は、そっとカードを開いてみる。
外側は水色だが、内側はピンクになっていて、開くと同時に可愛らしい絵が、飛び出すように立ち上がった。
「わあ、素敵!この絵、すみれが描いてくれたの?」
「そう。こっちがかあさまで、こっちはあかちゃん!」
「上手ねー、とっても可愛い。この字は?これもすみれが書いたの?」
「うん!こゆせんせいにおしえてもらったの。お、め、で、と、うって」
「凄いわね、すみれ。ありがとう!かあさま、宝物にするわね」
すみれは嬉しそうに頷いた。
◇
そんな毎日が続き、いよいよ瑠璃と赤ちゃんが退院する日を迎えた。
通常は、昼前に退院手続きをする事になっているが、瑠璃の父は、一生くんが来るまで待っていなさいと言って、昼食も用意してくれる。
瑠璃は、父の申し出に感謝して、一生の迎えを待つ。
15時半になって、すみれを連れた一生が、白石の運転する車で迎えに来た。
「皆様、お世話になりました。本当にありがとうございました」
瑠璃と一生が、ナースステーションの看護師達に頭を下げると、すみれも真似をしてお辞儀をし、皆は笑顔になる。
「可愛いお姉さんね。赤ちゃんのこと、よろしくね」
永井にそう言われると、すみれは、はい!と元気に返事をした。
「瑠璃様、ご出産、誠におめでとうございます!」
車の横で白石が姿勢を正して言い、瑠璃は、ありがとうと微笑んだ。
「ベビーシート、しっかり取り付けて参りました。赤ちゃんをこちらへ」
「ええ」
瑠璃は、そっと赤ちゃんをシートに寝かせる。
赤ちゃんは特に驚く様子もなく、良く眠ったままだ。
「気に入って頂けたようですね」
「うふふ、そうね」
真面目な顔で赤ちゃんに敬語を使う白石に、瑠璃は思わず笑ってしまう。
「はあー、可愛いですねー。まさに天使!お顔も総支配人そっくりで。色白なところは瑠璃様譲りですね。ほっぺたは、すみれちゃんに似てぷくぷくで…」
「白石、いいから早く車を出せ」
助手席の一生が、呆れたように声をかける。
「もうちょっとだけいいですか?ひゃー、おてても小さくて、なんて可愛らしい!」
「分かったから!そんなに見たいなら、今度うちにゆっくり遊びに来い」
「えっ、よろしいのですか?!」
「ああ。だから早く車を出せ。このままだと日が暮れるぞ」
「かしこまりました!それでは、超~安全運転で参ります」
白石はエンジンをかけると、
右よし!左よし!前よし!しゅっぱーつ!と指差し確認する。
「路線バスか?まったく…。今度、運転手さんの帽子でもプレゼントするよ」
一生は、ブツブツと呟いている。
「かあさま、しらいしさん、おもしろいね」
すみれがこっそり瑠璃に囁き、二人で、ふふっと笑い合った。
「ただいま。あー、やっぱり我が家が1番!」
瑠璃はリビングに入ると、ここがあなたのおうちですよーと、腕に抱いた赤ちゃんに声をかける。
「瑠璃、いいか?何もするなよ?掃除も洗濯も料理も、何もするんじゃないぞ?」
そう言って一生は、瑠璃をソファに座らせると、いそいそとお茶を淹れる。
「ありがとう!ではお言葉に甘えて」
入院中に一生が組み立てておいたベビーベッドに赤ちゃんを寝かせると、瑠璃はすみれを膝に載せる。
「すみれ。かあさま、もうどこにも行かないからね。今日からまた一緒に寝ようね」
抱きしめながらそう言うと、すみれは嬉しそうに、うん!と頷いて瑠璃に甘えてきた。
一生は言葉通り瑠璃には何もさせず、自分で洗濯機を回し、ダイニングテーブルに食事を並べていく。
「すごーい!一生さん、このお食事どうしたの?」
「へへー、凄いだろ?全部俺が作った…って言いたいところだけど。実はホテルの料理長が、瑠璃の入院中も毎日差し入れてくれてたんだ」
「まあ、そうなのね!」
「ああ。瑠璃に食べさせてくれって、栄養たっぷりの和食も作ってくれてさ。冷蔵庫にたくさん入ってるよ」
しばらくは毎日差し入れてくれるから、買い物も料理も心配しないで、と言われ、瑠璃は優しい心遣いに胸がいっぱいになった。
三人一緒に美味しい晩ご飯を食べ、瑠璃は久しぶりにベッドですみれに絵本を読む。
すみれは安心したように、瑠璃の声を聞きながら眠りに落ちた。
◇
「すみれ、寝た?」
リビングに戻ると、一生が赤ちゃんを抱っこしてあやしていた。
「ええ、もうぐっすり。赤ちゃん、ぐずってた?」
「いや、俺が抱っこしたかっただけ」
「そう」
瑠璃が、ふふっと笑ってソファに腰を下ろすと、一生も赤ちゃんを抱いたまま隣に座った。
「一生さん、そろそろ赤ちゃんの名前を決めないと」
「あー、そうだよな。ずっと赤ちゃんのままだもんな。このままだと、『神崎あか』って名前になっちゃう」
神崎あかちゃん?と言って、瑠璃はおもしろそうに笑う。
「一生さん、何か候補はあるの?」
「うーん…色々考えてはいるんだけど、いまいちピンとこなくて。でもいい加減決めないとな」
そうね、と言ってから、瑠璃はふとローテーブルの上に目をやる。
「一生さん。これ、飾ってくれたのね」
清河の作った青い器に水を張り、蓮の花が浮かべてあった。
「ああ。ホテルのフラワーショップのスタッフが届けてくれたんだ。瑠璃が毎年夏に買ってくれるからって」
「そうなの?わざわざ届けてくれたのね」
そう言うと、瑠璃はもう一度蓮の花を見つめる。
「フラワーショップにね、4年前最初に蓮の花を買いに行った時、ここでは扱っていないって言われたの。そうですかって諦めて帰ったら、次の日内線電話がかかってきて、入荷しましたって」
「え、そうだったの?」
驚く一生に、瑠璃は頷く。
「そう。わざわざ入荷してくれたの。私、もう嬉しくて。それにね、すみれもこの花が好きなのよ。朝は綺麗に花開いて、午後になるとだんだん蕾になるでしょ?それを見てすみれ、おやすみーって、毎回声をかけるのよ」
「ははっ、可愛いな」
「ええ」
瑠璃は、そっと花に顔を寄せてしみじみと呟く。
「神秘的なお花よね。それに、泥水を吸ってこんなに綺麗な花を咲かせるなんて。私、蓮の花を見ると、色んな事を教えられているような気がするの」
「うん、確かにそうだね。この花にはそんな魅力がある」
しばらく花を眺めていた一生は、急に顔を上げて瑠璃を見た。
「ねえ、瑠璃。赤ちゃんの名前、『れん』はどう?」
「れん?どういう字を書くの?」
「これだよ」
一生は、蓮の花を指差す。
「あっ!」
瑠璃は、ハッとしたように一生を見つめた。
「この花のように、どんな困難も乗り越えて人生を輝かせて欲しい」
「そうね。それに、連なって実をつけるこの花のように、人との繋がりも大切にして欲しい」
二人は笑顔で頷くと、赤ちゃんに呼びかけた。
「蓮」
すると、呼びかけに答えるようにパチっと目を開ける。
「え?もしかして、答えてくれた?」
「そうよね、名前を呼んだら急に目を開けたわよね」
一生と瑠璃は、驚きつつも嬉しくなる。
「お名前、気に入ってくれた?蓮」
「元気に大きくなるんだぞ、蓮」
蓮は返事をするように、手足をバタバタさせていた。
瑠璃の父は、個室を用意してくれていた。
調子はどうだ?と部屋に現れた父は、初めて対面する赤ちゃんに目を細めた。
「男の子かー。一生くんにそっくりだな!」
「お父様もそう思う?私も、目元とか一生さんに瓜ふたつだと思ってたの」
「こりゃ、将来イケメン間違いなしだな!」
そう言って笑ってから、母さんも後でお見舞いに来るって、と言い残して去って行った。
「おばあさまもくる?」
すみれの言葉に一生は頷く。
「ああ、後でね。それから、すみれ。かあさまは、しばらく赤ちゃんとここに入院するんだ。その間すみれは、おばあ様のおうちに泊めてもらおう。そうすれば、毎日ここに連れて来てもらって、かあさまにも会えるよ」
「とうさまは?」
「とうさまは仕事があるんだ。だから、すみれはおばあ様と一緒にいた方がいいと思う。それでいい?」
すみれは、少しうつむいて考えてから、うんと頷いた。
しばらくすると瑠璃は、すみれ、と名前を呼んでベッドの端に座らせると、ちょっと待っててね、と言ってゆっくりベッドから下りる。
「瑠璃、大丈夫か?」
一生は、両手で瑠璃の身体を支えた。
「ええ、大丈夫」
瑠璃はベビーコットに身を屈め、赤ちゃんをそっと抱き上げた。
「一生さん」
そう言って、一生の腕に赤ちゃんを託す。
「わっ…軽い」
そう言いながらも、体中に力が入ってガチガチだ。
すみれの時にすでに経験しているのに、こんなに緊張するとは…
いや、2度目だからこそ、命の重さをより重く感じるのかもしれない。
これまでのすみれとの時間がどれだけ尊いものかを知っているからこそ、新たなこの命の尊さも、ひしひしと感じる。
(守っていかなければ、この子を。そして、すみれと瑠璃も)
一生は固く心に誓った。
やがて瑠璃は一生から赤ちゃんを受け取ると、ベッドにいるすみれの横に座った。
「いい?すみれ」
そう言って、手を添えながらすみれの膝に赤ちゃんを載せる。
「うわあ…」
赤ちゃんを抱きながら、すみれは嬉しいようなドキドキしたような、なんとも可愛らしい表情になる。
瑠璃は、そんなすみれに優しく微笑んでいた。
12時になると、瑠璃に昼食が運ばれて来た。
一生も売店でお弁当を買って来て、三人でおしゃべりしながら賑やかにランチタイムを楽しむ。
食べ終わると、いつの間にか瑠璃とすみれは、仲良くベッドに並んで眠ってしまった。
一生は、そっと瑠璃とすみれの髪をなでてから、ソファに座ってパソコンを開く。
立ち上がるのを待つ間、スマートフォンから早瀬に、無事に産まれたとメッセージを送ると、すぐさま、おめでとうございます!と興奮気味の返事が返ってきた。
その後もしばらく、仕事のやり取りをする。
今日は出勤しないで済むようにと早瀬が調整してくれたが、やはり明日からは顔を出さなければいけない。
それでも、なんとか夕方には毎日ここに来ようと、一生は、赤ちゃんと瑠璃を交互に見つめた。
しばらくして目を覚した瑠璃は、慣れた手つきで赤ちゃんのお世話をする。
すごいなあ…母親って、と一生が感心してると、ドアをノックする音がして、瑠璃の母が入って来た。
「まあー、可愛いこと!一生さんにそっくりじゃない」
そうかな?と一生は、改めて赤ちゃんを見る。
瑠璃も、瑠璃の両親もそう言うくらいだから、やはり自分に似ているのだろうか。
なんだか嬉しくなり、一生は思わずニヤけてしまった。
「すみれちゃんは寝ちゃってるのね。起きたらうちに連れて帰るわ。瑠璃も入院中はゆっくり身体を休めるのよ」
母の言葉に、瑠璃は少し考える素振りをする。
「どうかした?」
一生が声をかけると、瑠璃は、
「一生さん、お母様」
と切り出した。
「え?すみれを家に連れて帰るの?」
一生は驚いて瑠璃を見る。
「ええ。さっきすみれ、お父様と離れるって分かったら寂しそうな顔をして…。もちろんワガママを言ったりせずに、おばあ様のおうちに行くつもりだとは思うけど、何とかならないかしら。私と離れるだけでも不安だろうから、せめてお父様と一緒におうちに帰れるようにしてあげたいの」
「いや、でも…。俺も明日からは、やはり短時間でもホテルに顔を出さなければいけないし」
「それなんだけど…。ナーサリーに預けたらどうかしら?すみれも先週行ったきりで、また行きたがってたし」
「ああ、なるほど。それなら、俺も朝すみれと出勤して、帰りもすみれを連れてここに顔を出せるな。預けるのって10時から15時くらいだっけ?それなら、仕事もなんとかなりそうだ」
本当?!と、瑠璃は目を輝かせる。
「ああ。そうしよう」
「良かった!お母様、それでもいい?」
母は、大きく頷く。
「もちろんよ。すみれちゃんの為にもそれがいいと思うわ。私はちょっと寂しいけどね。でも午前中は、私もここに顔を出すわね」
「ありがとう!お母様」
瑠璃は、すみれの寝顔を見て微笑んだ。
◇
次の日のナーサリー。
小雪は朝からずっとご機嫌だった。
大きく窓を開けて換気をし、綺麗におもちゃを並べて机を拭く。
(あー、1週間ぶりにすみれちゃんに会える!)
本来なら小雪は今日、都内のコンサートホールの託児室に入る事になっていた。
それが昨日の昼過ぎ、会社から、すみれの予約が入ったから、シフトチェンジをお願い出来るかと連絡があり、2つ返事で引き受けたのだった。
鼻歌を歌いながら窓を閉めた時、チリンと入り口の鈴が鳴った。
(あ、来た!)
「おはようござ…いっ?!」
満面の笑みで振り返った小雪は、次の瞬間仰け反って固まる。
すみれと手を繋いで入って来たのは、瑠璃ではなく総支配人の一生だったからだ。
「おはようございます。いつもすみれがお世話になっています」
「ここここここ、こちらこそ!お世話になっておりますっ!」
ニワトリか?というくらいたくさんの『こ』を並べてから、小雪は勢い良く頭を下げる。
「急な予約で申し訳なかった。明日からも、しばらくお願いしたいのだけど、大丈夫かな?」
「もももももも、もちろんですとも!喜んで!」
早口言葉だったら、かなり上手く言えた事になるだろう。
小雪はまた勢い良く頷いた。
そして、ふとひらめいた。
なぜ瑠璃ではなく、一生がすみれを送りに来たのか…
「も、もしかして…。産まれたんですか?赤ちゃん」
「ああ。お陰様で昨日無事に」
「わあー!良かったー!おめでとうございます!すみれちゃん、良かったね!」
「うん!」
小雪はすみれと手を取り合って喜んだ。
◇
「すみれちゃん、これ赤ちゃんでしょ?可愛いねー」
小雪は、クレヨンでスケッチブックに何枚もお絵描きしているすみれに話しかける。
「そう、とってもかわいいの!」
「うふふ、そうかー。この絵、赤ちゃんとお母様にも見せてあげてね!」
「うん!」
その後もひたすら絵を描き続けるすみれに、小雪はある提案をする。
「ね、すみれちゃん。お母様と赤ちゃんにカード作ってみない?」
「カード?」
「そう。おめでとうのカード」
「うん、つくる!」
小雪は頷くと、机にたくさんの画用紙を並べた。
「どの色にする?」
「うーんとね、みずいろ!」
「これね、綺麗な色ねー。じゃあもう一枚選んで重ねてみようか?」
「そしたら、かあさまのすきなピンク!」
「いいわねー!」
小雪とすみれは、時間も忘れてカード作りを楽しんだ。
◇
「かあさま!」
病室に入ると、すみれは一目散に瑠璃に駆け寄る。
「すみれ!会いたかったー」
瑠璃はすみれをギューッと抱きしめた。
一生は、そんな二人の姿に微笑んでから、赤ちゃんのそばに行く。
赤ちゃんは今日もスヤスヤと、気持ち良さそうに眠っていた。
「かあさま、これ!こゆせんせいとつくったの」
「え、なあに?かあさまにくれるの?」
「うん!あかちゃんとかあさまに。おめでとうのカード」
「ええー?嬉しい!見てもいい?」
「うん!」
瑠璃は、そっとカードを開いてみる。
外側は水色だが、内側はピンクになっていて、開くと同時に可愛らしい絵が、飛び出すように立ち上がった。
「わあ、素敵!この絵、すみれが描いてくれたの?」
「そう。こっちがかあさまで、こっちはあかちゃん!」
「上手ねー、とっても可愛い。この字は?これもすみれが書いたの?」
「うん!こゆせんせいにおしえてもらったの。お、め、で、と、うって」
「凄いわね、すみれ。ありがとう!かあさま、宝物にするわね」
すみれは嬉しそうに頷いた。
◇
そんな毎日が続き、いよいよ瑠璃と赤ちゃんが退院する日を迎えた。
通常は、昼前に退院手続きをする事になっているが、瑠璃の父は、一生くんが来るまで待っていなさいと言って、昼食も用意してくれる。
瑠璃は、父の申し出に感謝して、一生の迎えを待つ。
15時半になって、すみれを連れた一生が、白石の運転する車で迎えに来た。
「皆様、お世話になりました。本当にありがとうございました」
瑠璃と一生が、ナースステーションの看護師達に頭を下げると、すみれも真似をしてお辞儀をし、皆は笑顔になる。
「可愛いお姉さんね。赤ちゃんのこと、よろしくね」
永井にそう言われると、すみれは、はい!と元気に返事をした。
「瑠璃様、ご出産、誠におめでとうございます!」
車の横で白石が姿勢を正して言い、瑠璃は、ありがとうと微笑んだ。
「ベビーシート、しっかり取り付けて参りました。赤ちゃんをこちらへ」
「ええ」
瑠璃は、そっと赤ちゃんをシートに寝かせる。
赤ちゃんは特に驚く様子もなく、良く眠ったままだ。
「気に入って頂けたようですね」
「うふふ、そうね」
真面目な顔で赤ちゃんに敬語を使う白石に、瑠璃は思わず笑ってしまう。
「はあー、可愛いですねー。まさに天使!お顔も総支配人そっくりで。色白なところは瑠璃様譲りですね。ほっぺたは、すみれちゃんに似てぷくぷくで…」
「白石、いいから早く車を出せ」
助手席の一生が、呆れたように声をかける。
「もうちょっとだけいいですか?ひゃー、おてても小さくて、なんて可愛らしい!」
「分かったから!そんなに見たいなら、今度うちにゆっくり遊びに来い」
「えっ、よろしいのですか?!」
「ああ。だから早く車を出せ。このままだと日が暮れるぞ」
「かしこまりました!それでは、超~安全運転で参ります」
白石はエンジンをかけると、
右よし!左よし!前よし!しゅっぱーつ!と指差し確認する。
「路線バスか?まったく…。今度、運転手さんの帽子でもプレゼントするよ」
一生は、ブツブツと呟いている。
「かあさま、しらいしさん、おもしろいね」
すみれがこっそり瑠璃に囁き、二人で、ふふっと笑い合った。
「ただいま。あー、やっぱり我が家が1番!」
瑠璃はリビングに入ると、ここがあなたのおうちですよーと、腕に抱いた赤ちゃんに声をかける。
「瑠璃、いいか?何もするなよ?掃除も洗濯も料理も、何もするんじゃないぞ?」
そう言って一生は、瑠璃をソファに座らせると、いそいそとお茶を淹れる。
「ありがとう!ではお言葉に甘えて」
入院中に一生が組み立てておいたベビーベッドに赤ちゃんを寝かせると、瑠璃はすみれを膝に載せる。
「すみれ。かあさま、もうどこにも行かないからね。今日からまた一緒に寝ようね」
抱きしめながらそう言うと、すみれは嬉しそうに、うん!と頷いて瑠璃に甘えてきた。
一生は言葉通り瑠璃には何もさせず、自分で洗濯機を回し、ダイニングテーブルに食事を並べていく。
「すごーい!一生さん、このお食事どうしたの?」
「へへー、凄いだろ?全部俺が作った…って言いたいところだけど。実はホテルの料理長が、瑠璃の入院中も毎日差し入れてくれてたんだ」
「まあ、そうなのね!」
「ああ。瑠璃に食べさせてくれって、栄養たっぷりの和食も作ってくれてさ。冷蔵庫にたくさん入ってるよ」
しばらくは毎日差し入れてくれるから、買い物も料理も心配しないで、と言われ、瑠璃は優しい心遣いに胸がいっぱいになった。
三人一緒に美味しい晩ご飯を食べ、瑠璃は久しぶりにベッドですみれに絵本を読む。
すみれは安心したように、瑠璃の声を聞きながら眠りに落ちた。
◇
「すみれ、寝た?」
リビングに戻ると、一生が赤ちゃんを抱っこしてあやしていた。
「ええ、もうぐっすり。赤ちゃん、ぐずってた?」
「いや、俺が抱っこしたかっただけ」
「そう」
瑠璃が、ふふっと笑ってソファに腰を下ろすと、一生も赤ちゃんを抱いたまま隣に座った。
「一生さん、そろそろ赤ちゃんの名前を決めないと」
「あー、そうだよな。ずっと赤ちゃんのままだもんな。このままだと、『神崎あか』って名前になっちゃう」
神崎あかちゃん?と言って、瑠璃はおもしろそうに笑う。
「一生さん、何か候補はあるの?」
「うーん…色々考えてはいるんだけど、いまいちピンとこなくて。でもいい加減決めないとな」
そうね、と言ってから、瑠璃はふとローテーブルの上に目をやる。
「一生さん。これ、飾ってくれたのね」
清河の作った青い器に水を張り、蓮の花が浮かべてあった。
「ああ。ホテルのフラワーショップのスタッフが届けてくれたんだ。瑠璃が毎年夏に買ってくれるからって」
「そうなの?わざわざ届けてくれたのね」
そう言うと、瑠璃はもう一度蓮の花を見つめる。
「フラワーショップにね、4年前最初に蓮の花を買いに行った時、ここでは扱っていないって言われたの。そうですかって諦めて帰ったら、次の日内線電話がかかってきて、入荷しましたって」
「え、そうだったの?」
驚く一生に、瑠璃は頷く。
「そう。わざわざ入荷してくれたの。私、もう嬉しくて。それにね、すみれもこの花が好きなのよ。朝は綺麗に花開いて、午後になるとだんだん蕾になるでしょ?それを見てすみれ、おやすみーって、毎回声をかけるのよ」
「ははっ、可愛いな」
「ええ」
瑠璃は、そっと花に顔を寄せてしみじみと呟く。
「神秘的なお花よね。それに、泥水を吸ってこんなに綺麗な花を咲かせるなんて。私、蓮の花を見ると、色んな事を教えられているような気がするの」
「うん、確かにそうだね。この花にはそんな魅力がある」
しばらく花を眺めていた一生は、急に顔を上げて瑠璃を見た。
「ねえ、瑠璃。赤ちゃんの名前、『れん』はどう?」
「れん?どういう字を書くの?」
「これだよ」
一生は、蓮の花を指差す。
「あっ!」
瑠璃は、ハッとしたように一生を見つめた。
「この花のように、どんな困難も乗り越えて人生を輝かせて欲しい」
「そうね。それに、連なって実をつけるこの花のように、人との繋がりも大切にして欲しい」
二人は笑顔で頷くと、赤ちゃんに呼びかけた。
「蓮」
すると、呼びかけに答えるようにパチっと目を開ける。
「え?もしかして、答えてくれた?」
「そうよね、名前を呼んだら急に目を開けたわよね」
一生と瑠璃は、驚きつつも嬉しくなる。
「お名前、気に入ってくれた?蓮」
「元気に大きくなるんだぞ、蓮」
蓮は返事をするように、手足をバタバタさせていた。
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葵は私のことを本当はどう思ってるの?
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