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モテ男現る
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「おはようございます。017便の藤崎です」
マネージメントセンタービルのディスパッチルームで、ディスパッチャーからフライトプランを受け取る恵真のもとに、広報課の女性社員、川原がにこやかに近づいて来た。
「藤崎さん、おはよう!今日はよろしくね」
「はい、こちらこそよろしくお願い致します」
「あら、スカーフもとっても華やかでいいわね」
「あ、これで大丈夫でしょうか?初めて着けたので、よく分からなくて…」
恵真は胸元のスカーフを整えながら、自信なさげに尋ねる。
昨日テレビ電話で、他社で同じくパイロットをしているこずえに結び方を教わったが、やはりまだ慣れなくて、更衣室で何度も結び直していた。
「初めてなの?もったいない。よく似合ってるから、これからもどんどん着けてね」
「はい。ありがとうこざいます」
そう言われても、おそらくもう着けることはないだろうなと恵真は心の中で考える。
パイロットの世界はやはりまだまだ男性社会で、恵真は対等に見てもらえるよう、いつもどこか気を張っているところがあった。
髪もずっと肩上までの長さで、無意識のうちに女性らしさを封印しようとしているのかもしれない。
(でもいつか、大和さんと一緒に飛ぶ時に、スカーフにしようかなって思うかもなあ)
ふいにそんな事が頭をよぎり、恵真はいけないと気を引きしめる。
(仕事中に大和さんのことを考えるなんて。ちゃんと切り替えて集中しなきゃ!)
気合いを入れ直して、恵真はブリーフィングの準備を始めた。
ひと通り気象情報や整備状況などを確認し、内容を頭の中でまとめた頃、周りにいた女性達が急にざわめいて色めき立つのが分かった。
なんだろう?と皆の視線の先を追うと、一人の男性パイロットが入り口を入って来るところだった。
「倉科キャプテン!おはようございます」
カウンターの内側にいた女性社員が声をかける。
「おはよう!のぞみちゃん。今日の髪型も可愛いね。似合ってるよ」
「え、やだー!ありがとうございます!」
そのあとも次々と女性に挨拶され、その度に笑顔と褒め言葉を返している倉科に、恵真は呆気に取られた。
(す、凄い。あんなにたくさんの女性社員の名前を覚えてるの?)
しばらくポカンと眺めてしまったが、ようやく我に返って挨拶に向かう。
「倉科キャプテン、おはようございます。本日の乗務ご一緒させて頂く藤崎と申します。よろしくお願い致します」
深々と頭を下げると、倉科はにこやかに笑いかけてくる。
「おっ、初めまして!嬉しいなあ、女の子のコーパイと一緒に飛べるなんて。よろしくね、恵真ちゃん」
ヒーッと恵真は思わず顔を引きつらせる。
(さらっと恵真ちゃん?!しかも何も見ないで。もしや、私の名前も覚えていたとか?)
まさか、そんな訳は…とブツブツ考えていると、川原が近づいて来た。
「キャプテン、おはようございます。今日は少しコックピットにお邪魔して写真を撮らせて頂きますね。よろしくお願いします」
「亜紀ちゃん、おはよう!今日も爽やかだね。写真、イケメンに撮ってね」
(ひゃー!川原さんの下のお名前もご存知なのね。待って、川原さんって結婚指輪されてるのに、いいのかな?)
またもや邪念が入ってしまう恵真は、もう一度気を引きしめてからブリーフィングに臨んだ。
◇
「うわー。相変わらずだな、倉科のやつ」
少し離れたモニターの前でブリーフィングをしていた機長の野中が、入り口に目をやって呟く。
「凄いですね、女性達の盛り上がり具合。ファンに囲まれたアイドルみたい」
野中の隣で同じようにその様子を見ていた副操縦士の伊沢が、感心したように口を開く。
「まあね。あいつも佐倉と並んで、我がJWAの3大モテ男のうちの一人だからな」
「3大モテ男?あともう一人は誰なんですか?」
「俺」
シーン…と時が止まり、伊沢は軽く咳払いをしてからまた入り口に目を向ける。
「それにしても、大丈夫かな?恵真のやつ」
「そうだな。食べられなきゃいいんだが」
「食べ…?!」
思わず伊沢は絶句する。
「藤崎ちゃんはピュアだからなー。ほら、もうすでに引いてる。あの調子で二人きりになったら…」
「ちょ、ちょっと!変な事言わないでくださいよ。まさかフライト中にそんな…」
「フライト中じゃなくても、キャプテンとコーパイは常に二人一緒じゃないか。ほら、今だって俺はイヤイヤお前と一緒だし」
イヤイヤって…と伊沢は苦笑いする。
「野中キャプテン、そんなに俺のこと嫌いなんですか?仕事なんですから我慢してください」
「やだよー。俺も可愛い女の子と飛びたいよー」
「キャプテン、それセクハラですよ」
「失恋したてのメソメソ野郎とは飛びたくないよー」
「キャプテン、モラハラにパワハラ!それに俺、失恋したてでもなければ、メソメソもしてません!」
ほら、いい加減ブリーフィングに戻りましょう!と、伊沢は野中の話を遮った。
(まったくもう、野中さんは何でもお見通しだな)
伊沢は心の中でひとりごつ。
半年前、7年間想い続けた恵真を諦めた時、野中はまるで全てを知っているかのように伊沢の肩をポンと叩き、お互い良い恋を探そうじゃないか!と励ましてくれた。
きっと、恵真が誰とつき合い始めたのかも分かっていたのだろう。
(あれから半年か。長いような短いような…)
ブリーフィングを終えてシップへと向かいながら、伊沢は妙に感傷的になる。
ふと気になって、隣の野中に声をかけた。
「そう言えばキャプテン。彼女は出来たんですか?」
「ぶっ!お前なあ、逆パワハラか?」
「ってことは、まだなんですね?」
「はー、お前いつの間にそんなに図太くなったんだ?前はもっと、爽やかでいたいけな少年って感じだったのに」
「そりゃ、図太くもなりますよ。7年かけて想い続けたのに、告白前に玉砕ですからね」
「それはお前、時間のかけ過ぎだよ。今度はもっと早く告白しろよ。パイロットと男は決断力が大事だからな」
「はーい。キャプテンもですよ」
「やれやれ。ほんと、逞しくなっちゃって」
なんだかんだと息の合うやり取りをしながら、二人はシップを目指した。
◇
そんな野中と伊沢から遅れること数十分、恵真も倉科と並んでシップに向かっていた。
二人を早足で追い抜いた川原が、振り返って写真を撮る。
「あれ?亜紀ちゃん。コックピットで撮るんじゃなかったの?」
歩きながら倉科が聞くと、カシャカシャとシャッターを押しながら川原が答える。
「そのつもりだったんですけど、なんだか絵になるお二人なので、色んな写真を撮っておこうと思って」
「ふーん。いいのが撮れたら俺にも頂戴」
「分かりました」
恵真は二人の会話を聞き流し、フライトプランを頭の中でシミュレーションしながら歩く。
コックピットに着くと、待っていた整備士から整備状況を聞き、エアクラフト・ログに倉科がサインをしてシップを引き継いだ。
倉科が外部点検をしている間に、恵真はコンピューターのデータ入力をする。
その後、CAとの合同ブリーフィングでも倉科は笑顔を振りまき、メモを取りながらCA達もうっとりと見とれていた。
二人がコックピットに戻り、それぞれ席に座ったタイミングで、川原が何枚か写真を撮ることになった。
恵真は倉科と並んで座り、後方の川原を振り返る。
「笑顔でお願いしまーす!いいですね」
「なんなら肩でも組もうか?」
そう言いながら倉科が腕を伸ばしてきて、恵真はギョッとする。
「いえいえ。じゃあサムアップでお願いします」
川原のセリフにホッとして、恵真は倉科から少し離れた。
写真を撮り終えた川原が飛行機を降りるのと入れ違いに、乗客の搭乗が開始された。
後方のキャビンが賑やかになる。
ブリーフィングで話し合った結果、往路は恵真がPF(Pilot Flying)を務めることになり、倉科が管制官と交信をするのを聞きながら無事に定刻通りに離陸した。
伊豆半島を過ぎた頃、レーダーや計器類を監視しつつ、早くもランディングブリーフィングを行う。
「うーん、伊丹は南風に変わったな。この時期にしては珍しい。どうする?PF代わろうか?」
倉科の申し出に、恵真は首を振る。
「いえ、よろしければこのまま私がさせて頂いても構わないでしょうか?」
「いいけど。大丈夫?伊丹は今、逆ラン運用だよ?」
通常伊丹空港は、32番滑走路を利用して南から北へ離着陸が行われるのだが、今は南風の影響で逆コースの14番滑走路運用となっている。
倉科はそれを心配しているようだが、恵真は冷静に答えた。
「はい。大丈夫です」
「そうか、じゃあ任せる。You have」
「Roger. I have」
伊丹空港への進入は、必ず空港の南側にあるIKOMAというポイントから北西向きになる。
飛行機は基本的に向かい風に向かって離着陸する為、南風の場合は北側から南東方向に向かって滑走路に着陸する必要がある。
だが伊丹空港のすぐ北側は山が連なっており、まっすぐに最終降下する『ストレート・イン・ランディング』が出来ない。
その為、北西方向への進入で滑走路を視認したあと、空港の周りをぐるっと反対側へ回り込む『サークリングアプローチ』と呼ばれる着陸方式を取るのだ。
「Runway in sight」
眼下に見える滑走路を確認したあと、サークリングポイントに入る前にギアを下ろす。
「Gear down」
「Roger. Gear down」
右側を目視し、いよいよサークリングアプローチを始める。
「Right side clear」
飛行機の旋回に合わせて、後ろから吹いていた風が横風となる。
恵真は慎重にバンク角や旋回速度、遠心力を確かめながら機体を右に180度旋回させ、やがて滑走路の正面に回ると、無事に着陸した。
管制官の指示を受けて地上走行し、スポットインする。
全てのスイッチを切り、乗客が降機を始めると、恵真はふと窓の外に目を向けた。
同じようにサークリングアプローチで降下してくる飛行機が見える。
(あ!イルカ号だ。可愛いー!)
イルカのラッピングが施された他社のターボプロップ機が、きれいな弧を描きながら旋回している。
にっこり笑った口元のイラストが愛らしく、恵真は微笑みながら着陸を見守った。
両手を広げてちょこんと地面に下り立ったようなイルカに、恵真は満面の笑みを浮かべる。
(ひゃー!可愛いー!ナイスランディング)
心の中で拍手を送りながら身を乗り出して見つめていると、クスッと倉科が笑って声をかけてきた。
「イルカも可愛いけど、恵真ちゃんの方がもっと可愛いよ」
恵真は慌てて笑顔を収める。
「お疲れ様でした。ご指南ありがとうございました。何かありましたでしょうか?」
時間の都合でオフィスでゆっくりデブリーフィングが出来ない為、恵真は席に座ったまま尋ねた。
すると倉科は、思い返しながら真顔になる。
「いや、サークリングアプローチもバッチリだったよ。あんなにきれいな旋回をするコーパイは、初めて見たな。それに風を読むのも上手いね。ギアを接地させながらラダーを切って、機首を滑走路に正対させるのもスムーズだった」
「あ、はい…」
大和とシミュレーションしたウイングローを思い出し、思わず恵真は赤くなってうつむく。
「ん?褒められて照れてるの?やっぱり可愛いね、恵真ちゃん」
「いえ!あの、そういう訳では…」
慌てて顔を上げて否定する。
「ふふふ、まあいいか。さて、ミールを食べたらすぐまたブリーフィングだな」
「はい。よろしくお願い致します」
恵真は顔を引きしめて頭を下げた。
マネージメントセンタービルのディスパッチルームで、ディスパッチャーからフライトプランを受け取る恵真のもとに、広報課の女性社員、川原がにこやかに近づいて来た。
「藤崎さん、おはよう!今日はよろしくね」
「はい、こちらこそよろしくお願い致します」
「あら、スカーフもとっても華やかでいいわね」
「あ、これで大丈夫でしょうか?初めて着けたので、よく分からなくて…」
恵真は胸元のスカーフを整えながら、自信なさげに尋ねる。
昨日テレビ電話で、他社で同じくパイロットをしているこずえに結び方を教わったが、やはりまだ慣れなくて、更衣室で何度も結び直していた。
「初めてなの?もったいない。よく似合ってるから、これからもどんどん着けてね」
「はい。ありがとうこざいます」
そう言われても、おそらくもう着けることはないだろうなと恵真は心の中で考える。
パイロットの世界はやはりまだまだ男性社会で、恵真は対等に見てもらえるよう、いつもどこか気を張っているところがあった。
髪もずっと肩上までの長さで、無意識のうちに女性らしさを封印しようとしているのかもしれない。
(でもいつか、大和さんと一緒に飛ぶ時に、スカーフにしようかなって思うかもなあ)
ふいにそんな事が頭をよぎり、恵真はいけないと気を引きしめる。
(仕事中に大和さんのことを考えるなんて。ちゃんと切り替えて集中しなきゃ!)
気合いを入れ直して、恵真はブリーフィングの準備を始めた。
ひと通り気象情報や整備状況などを確認し、内容を頭の中でまとめた頃、周りにいた女性達が急にざわめいて色めき立つのが分かった。
なんだろう?と皆の視線の先を追うと、一人の男性パイロットが入り口を入って来るところだった。
「倉科キャプテン!おはようございます」
カウンターの内側にいた女性社員が声をかける。
「おはよう!のぞみちゃん。今日の髪型も可愛いね。似合ってるよ」
「え、やだー!ありがとうございます!」
そのあとも次々と女性に挨拶され、その度に笑顔と褒め言葉を返している倉科に、恵真は呆気に取られた。
(す、凄い。あんなにたくさんの女性社員の名前を覚えてるの?)
しばらくポカンと眺めてしまったが、ようやく我に返って挨拶に向かう。
「倉科キャプテン、おはようございます。本日の乗務ご一緒させて頂く藤崎と申します。よろしくお願い致します」
深々と頭を下げると、倉科はにこやかに笑いかけてくる。
「おっ、初めまして!嬉しいなあ、女の子のコーパイと一緒に飛べるなんて。よろしくね、恵真ちゃん」
ヒーッと恵真は思わず顔を引きつらせる。
(さらっと恵真ちゃん?!しかも何も見ないで。もしや、私の名前も覚えていたとか?)
まさか、そんな訳は…とブツブツ考えていると、川原が近づいて来た。
「キャプテン、おはようございます。今日は少しコックピットにお邪魔して写真を撮らせて頂きますね。よろしくお願いします」
「亜紀ちゃん、おはよう!今日も爽やかだね。写真、イケメンに撮ってね」
(ひゃー!川原さんの下のお名前もご存知なのね。待って、川原さんって結婚指輪されてるのに、いいのかな?)
またもや邪念が入ってしまう恵真は、もう一度気を引きしめてからブリーフィングに臨んだ。
◇
「うわー。相変わらずだな、倉科のやつ」
少し離れたモニターの前でブリーフィングをしていた機長の野中が、入り口に目をやって呟く。
「凄いですね、女性達の盛り上がり具合。ファンに囲まれたアイドルみたい」
野中の隣で同じようにその様子を見ていた副操縦士の伊沢が、感心したように口を開く。
「まあね。あいつも佐倉と並んで、我がJWAの3大モテ男のうちの一人だからな」
「3大モテ男?あともう一人は誰なんですか?」
「俺」
シーン…と時が止まり、伊沢は軽く咳払いをしてからまた入り口に目を向ける。
「それにしても、大丈夫かな?恵真のやつ」
「そうだな。食べられなきゃいいんだが」
「食べ…?!」
思わず伊沢は絶句する。
「藤崎ちゃんはピュアだからなー。ほら、もうすでに引いてる。あの調子で二人きりになったら…」
「ちょ、ちょっと!変な事言わないでくださいよ。まさかフライト中にそんな…」
「フライト中じゃなくても、キャプテンとコーパイは常に二人一緒じゃないか。ほら、今だって俺はイヤイヤお前と一緒だし」
イヤイヤって…と伊沢は苦笑いする。
「野中キャプテン、そんなに俺のこと嫌いなんですか?仕事なんですから我慢してください」
「やだよー。俺も可愛い女の子と飛びたいよー」
「キャプテン、それセクハラですよ」
「失恋したてのメソメソ野郎とは飛びたくないよー」
「キャプテン、モラハラにパワハラ!それに俺、失恋したてでもなければ、メソメソもしてません!」
ほら、いい加減ブリーフィングに戻りましょう!と、伊沢は野中の話を遮った。
(まったくもう、野中さんは何でもお見通しだな)
伊沢は心の中でひとりごつ。
半年前、7年間想い続けた恵真を諦めた時、野中はまるで全てを知っているかのように伊沢の肩をポンと叩き、お互い良い恋を探そうじゃないか!と励ましてくれた。
きっと、恵真が誰とつき合い始めたのかも分かっていたのだろう。
(あれから半年か。長いような短いような…)
ブリーフィングを終えてシップへと向かいながら、伊沢は妙に感傷的になる。
ふと気になって、隣の野中に声をかけた。
「そう言えばキャプテン。彼女は出来たんですか?」
「ぶっ!お前なあ、逆パワハラか?」
「ってことは、まだなんですね?」
「はー、お前いつの間にそんなに図太くなったんだ?前はもっと、爽やかでいたいけな少年って感じだったのに」
「そりゃ、図太くもなりますよ。7年かけて想い続けたのに、告白前に玉砕ですからね」
「それはお前、時間のかけ過ぎだよ。今度はもっと早く告白しろよ。パイロットと男は決断力が大事だからな」
「はーい。キャプテンもですよ」
「やれやれ。ほんと、逞しくなっちゃって」
なんだかんだと息の合うやり取りをしながら、二人はシップを目指した。
◇
そんな野中と伊沢から遅れること数十分、恵真も倉科と並んでシップに向かっていた。
二人を早足で追い抜いた川原が、振り返って写真を撮る。
「あれ?亜紀ちゃん。コックピットで撮るんじゃなかったの?」
歩きながら倉科が聞くと、カシャカシャとシャッターを押しながら川原が答える。
「そのつもりだったんですけど、なんだか絵になるお二人なので、色んな写真を撮っておこうと思って」
「ふーん。いいのが撮れたら俺にも頂戴」
「分かりました」
恵真は二人の会話を聞き流し、フライトプランを頭の中でシミュレーションしながら歩く。
コックピットに着くと、待っていた整備士から整備状況を聞き、エアクラフト・ログに倉科がサインをしてシップを引き継いだ。
倉科が外部点検をしている間に、恵真はコンピューターのデータ入力をする。
その後、CAとの合同ブリーフィングでも倉科は笑顔を振りまき、メモを取りながらCA達もうっとりと見とれていた。
二人がコックピットに戻り、それぞれ席に座ったタイミングで、川原が何枚か写真を撮ることになった。
恵真は倉科と並んで座り、後方の川原を振り返る。
「笑顔でお願いしまーす!いいですね」
「なんなら肩でも組もうか?」
そう言いながら倉科が腕を伸ばしてきて、恵真はギョッとする。
「いえいえ。じゃあサムアップでお願いします」
川原のセリフにホッとして、恵真は倉科から少し離れた。
写真を撮り終えた川原が飛行機を降りるのと入れ違いに、乗客の搭乗が開始された。
後方のキャビンが賑やかになる。
ブリーフィングで話し合った結果、往路は恵真がPF(Pilot Flying)を務めることになり、倉科が管制官と交信をするのを聞きながら無事に定刻通りに離陸した。
伊豆半島を過ぎた頃、レーダーや計器類を監視しつつ、早くもランディングブリーフィングを行う。
「うーん、伊丹は南風に変わったな。この時期にしては珍しい。どうする?PF代わろうか?」
倉科の申し出に、恵真は首を振る。
「いえ、よろしければこのまま私がさせて頂いても構わないでしょうか?」
「いいけど。大丈夫?伊丹は今、逆ラン運用だよ?」
通常伊丹空港は、32番滑走路を利用して南から北へ離着陸が行われるのだが、今は南風の影響で逆コースの14番滑走路運用となっている。
倉科はそれを心配しているようだが、恵真は冷静に答えた。
「はい。大丈夫です」
「そうか、じゃあ任せる。You have」
「Roger. I have」
伊丹空港への進入は、必ず空港の南側にあるIKOMAというポイントから北西向きになる。
飛行機は基本的に向かい風に向かって離着陸する為、南風の場合は北側から南東方向に向かって滑走路に着陸する必要がある。
だが伊丹空港のすぐ北側は山が連なっており、まっすぐに最終降下する『ストレート・イン・ランディング』が出来ない。
その為、北西方向への進入で滑走路を視認したあと、空港の周りをぐるっと反対側へ回り込む『サークリングアプローチ』と呼ばれる着陸方式を取るのだ。
「Runway in sight」
眼下に見える滑走路を確認したあと、サークリングポイントに入る前にギアを下ろす。
「Gear down」
「Roger. Gear down」
右側を目視し、いよいよサークリングアプローチを始める。
「Right side clear」
飛行機の旋回に合わせて、後ろから吹いていた風が横風となる。
恵真は慎重にバンク角や旋回速度、遠心力を確かめながら機体を右に180度旋回させ、やがて滑走路の正面に回ると、無事に着陸した。
管制官の指示を受けて地上走行し、スポットインする。
全てのスイッチを切り、乗客が降機を始めると、恵真はふと窓の外に目を向けた。
同じようにサークリングアプローチで降下してくる飛行機が見える。
(あ!イルカ号だ。可愛いー!)
イルカのラッピングが施された他社のターボプロップ機が、きれいな弧を描きながら旋回している。
にっこり笑った口元のイラストが愛らしく、恵真は微笑みながら着陸を見守った。
両手を広げてちょこんと地面に下り立ったようなイルカに、恵真は満面の笑みを浮かべる。
(ひゃー!可愛いー!ナイスランディング)
心の中で拍手を送りながら身を乗り出して見つめていると、クスッと倉科が笑って声をかけてきた。
「イルカも可愛いけど、恵真ちゃんの方がもっと可愛いよ」
恵真は慌てて笑顔を収める。
「お疲れ様でした。ご指南ありがとうございました。何かありましたでしょうか?」
時間の都合でオフィスでゆっくりデブリーフィングが出来ない為、恵真は席に座ったまま尋ねた。
すると倉科は、思い返しながら真顔になる。
「いや、サークリングアプローチもバッチリだったよ。あんなにきれいな旋回をするコーパイは、初めて見たな。それに風を読むのも上手いね。ギアを接地させながらラダーを切って、機首を滑走路に正対させるのもスムーズだった」
「あ、はい…」
大和とシミュレーションしたウイングローを思い出し、思わず恵真は赤くなってうつむく。
「ん?褒められて照れてるの?やっぱり可愛いね、恵真ちゃん」
「いえ!あの、そういう訳では…」
慌てて顔を上げて否定する。
「ふふふ、まあいいか。さて、ミールを食べたらすぐまたブリーフィングだな」
「はい。よろしくお願い致します」
恵真は顔を引きしめて頭を下げた。
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