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ニューヨークへ
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「着いた!ニューヨーク!!」
無事にジョン・F・ケネディ空港に着き、外に出ると真里亜は両手を上げて空気を胸いっぱいに吸い込む。
「ケホッ。なんだか空気が美味しくないですね」
「当たり前だ。大都会だぞ?」
それでも真里亜はテンション高めだった。
キュリアスが用意してくれた飛行機のチケットは、なんとファーストクラスだったのだ。
ゆったりと優雅な雰囲気の空間に、本当にここは飛行機の中?と真里亜はキョロキョロ落ち着かなかったが、フルフラットで横になるとぐっすり眠れ、存分に空の旅を満喫してニューヨークに下り立った。
真冬のニューヨークは想像以上に寒く、クシュン!と真里亜はくしゃみをする。
白いロングコートにブーツ、手袋もはめていたが、暖かい建物から外に出たばかりで、身体が温度差についていけない。
すると上品なチェスターコート姿の文哉が、巻いていたカシミヤのマフラーを外して真里亜に差し出す。
「いえ、あの。大丈夫ですから」
「いいから巻いてろ。風邪でも引いたらどうする」
文哉は真里亜の首にマフラーを巻くと、首元をしっかり覆うように整えた。
「あ、ありがとうございます…」
真里亜は小さくなって礼を言う。
そうこうしていると、二人の前にリムジンが滑るように横付けされた。
「Hi ! もしかしてAMAGIコーポレーションの方?」
リムジンから、はつらつとした30代くらいの日本人女性が降りてきて、二人に声をかける。
「あ、はい!そうですが…」
「やっぱり!良かったわあ、すぐに見つけられて。私はキュリアス USAの日高 カレンです」
「初めまして、天城 文哉です」
「阿部 真里亜と申します。よろしくお願いいたします」
真里亜が名乗ると、カレンは、え?!と目を見開く。
「アベ・マリアさん?ワオ!素敵な名前ねー」
「あ、すみません。ありがとうございます」
つい癖で謝ってしまう。
「あら、もっと自信持って!その名前はアメリカだと強みになるわよ。誰だって一度であなたのことを覚えてくれるわ。さ、寒いから早く乗って」
「はい、ありがとうございます」
促されて二人はリムジンに乗り込む。
「えーっと、まず彼は運転手のサムね。サム、フミヤとマリアよ」
「ハジメマシテ」
運転席から後ろを振り返り、大柄な男性がにこやかに日本語で笑いかけてくれた。
「お二人の滞在中は、私とサムがお世話をするわね。じゃあ早速ホテルに行きましょう」
「はい、よろしくお願いします」
動き出したリムジンの中で、カレンは早速手にしたファイルから次々と書類を取り出す。
「えーっと、これは簡単なスケジュールね。今日はゆっくり休んでもらって、明日、朝10時にホテルにお迎えに上がります。11時頃から本社の会議室でランチミーティング。CEOも参加するわ。夜は他のお客様も招いてホテルで立食パーティーね」
ひえっと真里亜は肩をすくめる。
「大丈夫よ。日本と違ってこっちはフランクだから。楽しんでね!それと、明後日は社内をゆっくりご案内します。そこからはお二人の自由よ。ニューヨークを思う存分満喫して。えーっと、大体のところは押さえてあるの。これが美術館と展望台のチケット、こっちはロックフェラーセンターのスケートのVIPチケットね。それから、ミュージカルは何がお好みかしら?」
真里亜は話のテンポについて行けず、目を白黒させる。
「ご希望がないなら、適当に選んでもいい?オペラ座の怪人とか?」
真里亜が、はいと頷きかけた時、横から文哉の声がした。
「ウエスト・サイド・ストーリーはやってますか?」
「ええ、やってるわよ。あっ!なるほどー。そうよね、それがいいわ。じゃあそうしましょう。あとは、何か手配するものはある?」
「いえ、もう充分です。ありがとうございます」
「お安い御用よ。これ、私の携帯の番号。いつでも電話してきてね」
そう言ってビジネスカードを差し出す。
文哉も携帯番号を載せた名刺を渡した。
「ホテルのチェックインは終わってるから。これがルームキー。お部屋までご案内しましょうか?」
「いいえ、大丈夫です。ありがとうございました」
ホテルに着くと、文哉と真里亜はカレンとサムに礼を言って見送った。
ホテルのロビーを横切りエレベーターで部屋に向かうと、文哉と真里亜の部屋は隣同士で、広々としたダブルベッドの部屋だった。
窓からは、ニューヨークの景色が一望出来る。
「わあ、素敵」
荷物の整理を終えた真里亜が、しばらく外を眺めていると、コンコンとノックの音がした。
「はい…って、ん?」
ノックの音は入口のドアではなく、ベッドの横にあるドアから聞こえてきた。
(何?このドア)
そう思いながら開けてみると、コートを脱いでラフな私服に着替えた文哉が立っていた。
「副社長!どこにいるんですか?」
「ん?俺の部屋」
え?と、真里亜は文哉の背後を覗き込む。
そこには真里亜の部屋と同じ光景が広がっていた。
「このドア、副社長の部屋と繋がってるんですか?」
「そうらしいな。コネクティングルームだろう」
「へえ…って、ちょっと待ってください」
真里亜は、手をかけていたドアノブを確かめる。
「あ、良かった。ちゃんと鍵がついてる」
「分からんぞ?壊れてるかもしれん。アメリカのホテルでは結構よくある」
「ええ?!」
「安心しろ。誰もお前を襲ったりせん」
「ひっどーい!いいもん。もう絶対にこのドア開けませんから」
「分かった。ゴキブリが出ても幽霊が出ても、絶対お前の部屋には入らないようにする」
え…と、途端に真里亜は泣きそうな顔になる。
「あの、やっぱり鍵、開けておきます。何かあったらすぐ助けてくださいね?」
「調子いいな、まったく」
文哉はやれやれと両腕を組む。
「それより、腹減ってないか?」
「あ、空きました」
「じゃあ、散歩がてら食べに行こうか。時差ボケは平気か?」
「はい。ファーストクラスの飛行機は、自宅よりぐっすり眠れましたから」
「ははは!確かに。大いびきかいてたもんな」
「う、嘘でしょ?!」
「ほら、早く着替えて支度しろ」
そう言って文哉はバタンとドアを閉めた。
「絶対嘘だもんね。私、大いびきなんてかいてないもん。もしかいてたら、CAさんが起してくれたはず。いや、そんなことないか?」
ブツブツ呟きながら、真里亜はスーツケースから私服を取り出して着替える。
さっきの文哉は、紺のシャツにアイボリーのざっくりしたニットを重ねていたから、同じようにカジュアルな感じでいいか、と、真里亜はオフホワイトのパンツに、トップスは水色のニットにした。
ブーツを履いて斜め掛けのバッグを肩に掛け、紺色のミディアム丈のコートを羽織る。
「あ、そうそう!」
先程、文哉に借りていたマフラーを手にすると、壁のドアをノックした。
「副社長、支度出来ました」
「よし、行くか」
ドアを開けると、文哉がコートを羽織りながら出口に進む。
「これ、ありがとうございました」
「ん」
廊下を歩きながら真里亜からマフラーを受け取ると、文哉はそれを広げてまた真里亜の首に巻いた。
「え?あの、もう大丈夫ですから」
「俺もいらない。邪魔だから着けてて」
「あ、そうだったんですね。持って来てしまってすみません。お部屋に戻ったらお返ししますね」
「ああ」
二人はホテルの外に出る。
「とりあえずブラブラして、良さそうなカフェでも探すか」
「はい」
ホテルはマンハッタンの中心部。
ぐるっと見渡しただけでも、いくつかカフェがあるのが見える。
なんとなく歩き始めると、人が多くて思いのほか歩きづらい。
それにすぐ横の車道も、車がひしめき合っていて危なかった。
「アメリカってゆったり広いイメージでしたけど、なんだか日本よりも人混みがすごいですね」
「マンハッタンのクリスマスシーズンだからな。ほら、危ないぞ」
前から歩いてきた大柄な男性とぶつかりそうになり、文哉が真里亜の肩を抱き寄せる。
そのまま真里亜を自分の反対側に連れてきて、文哉は真里亜と立ち位置を変えた。
いつの間にか車道側を文哉が歩いてくれていることに気づいて、真里亜はそのスマートさに感心する。
(わー、なんか副社長、アメリカのジェントルメンにも負けてないわあ)
肩を抱いたまま自分を守って歩いてくれる文哉に、真里亜はなんだか照れくさく、そして嬉しくなった。
「ここはどうだ?」
ふいに足を止めて文哉が尋ねる。
そこは木のぬくもりが感じられるゆったりとしたカフェで、外にあるメニューのブラックボードも、手描きのイラストでおしゃれな感じだった。
サンドイッチやスコーン、マフィン、サラダやスープなど、どれも美味しそうだ。
「いいですね!」
二人で店内に足を踏み入れる。
あったかーい、と真里亜がホッとしていると、
「Hi ! How are you doing today ?」
とカウンターのスタッフが笑顔で声をかけてきた。
わっ、英語だ!と真里亜が面食らっていると、文哉が軽く「Good, thank you」と答えている。
「For here or to go ?」
「For here, please」
そして文哉は真里亜を振り返る。
「どれがいい?」
「えーっと…」
真里亜は横文字だらけのメニューをじっと見つめる。
「アボカドとかサーモン、チーズなんかのサンドイッチ、ありますかね?」
文哉はスタッフに何やらペラペラと話しかける。
「アボカドサーモンのホットサンドがあるから、それにエキストラチーズを頼めばいいって」
「あ、はい。じゃあそうします」
文哉はスタッフと会話したあと、また真里亜に尋ねる。
「チーズは何がいい?チェダー、モッツアレラ、ゴーダ、ゴルゴンゾーラ、ブルーチーズ…」
「じゃあ、チェダーでお願いします」
「OK. 備え付けはベーコン、ソーセージ、ハッシュブラウン、それと、何だっけ?」
もう一度スタッフに確かめようとする文哉に、慌てて真里亜が答える。
「じゃあ、ベーコンで」
「分かった。飲み物は?」
「ホットの、んー、カフェラテで」
「ミルクは?ノンファット、ローファット…」
「あ、いえ、普通ので」
日本語で聞かれるだけでもクラクラしてしまうほど細かいオーダーを、文哉は難なくスムーズにこなし、クレジットカードでサッと会計まで済ませた。
「すみません。あとでお支払いします」
「バカ。こんなところでお前が財布出したら、俺は大ひんしゅくだ。恥をかかせないでくれ」
「あ、はい。すみません」
トレーに載せたビッグサイズの飲み物とサンドイッチを持って、文哉は窓際のテーブルに真里亜を促した。
「わー、美味しそう!」
「どうぞ、召し上がれ」
「はい!いただきます」
真里亜は早速アツアツのホットサンドを頬張る。
「んー、美味しい!アボカドってこんなに美味しいんですね。サーモンも新鮮だし、チーズもとろけて最高です」
「それは良かった」
「副社長は?何を頼んだんですか?」
「ん?俺は、何だっけ。チキンとブルーチーズとサンドライドトマトのグリルサンドかな」
へえーと真里亜は文哉の手元をじっと見つめる。
文哉は、ふっと笑うと、ナイフで半分に切り分けた。
「はい、どうぞ」
「え、いいんですか?」
「物欲しそうにじーっと見ておいて何を言う」
「すみません。じゃあ、副社長も私のホットサンド、半分どうぞ」
半分に切ってあったサンドイッチを、真里亜は文哉の皿に載せた。
「おお、これうまいな」
「でしょう?もう大満足です」
大きな口を開けて頬張る真里亜を、文哉は呆れたように眺める。
「お前、子どもか?顎外れないようにな」
「ふふ、大丈夫でーす」
「やれやれ。彼氏の前ではもうちょっと上品に食べた方がいいぞ」
「そんなこと気にしなきゃいけないなら、彼氏なんていりませーん」
「色気より食い気か」
「何とでも言ってくださーい」
真里亜は、大きなサンドイッチもカフェラテもペロリと平らげて、満足そうな笑みを浮かべる。
「ふう。お腹いっぱい」
「だろうな。アメリカンサイズを食べ切って、まだ腹がいっぱいにならなかったらどうしようかと思ってた」
「えー、普通食べ切らないものなんですか?」
「ああ。あとでドギーバッグを渡すからってスタッフに言われていた。必要なかったな」
さてと、と文哉は立ち上がる。
「このあと、どこか行きたいところあるか?」
「いえ、特には。少し歩きたいです」
「じゃあ、俺の行きたいところにつき合ってもらってもいいか?」
「はい、もちろん」
文哉は頷くと、黙って歩き始めた。
(どこへ行くんだろう?)
真里亜は不思議に思いながらも、黙って文哉について行く。
「ここは…」
辿り着いた場所は、マンハッタン南部のグラウンド・ゼロ。
『National September 11 Memorial & Museum』
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件の公式追悼施設だった。
ワールドトレードセンター跡地に設置されたリフレクティング・プール。
そのモニュメントには犠牲者の名前が彫られていて、それぞれの誕生日にはボランティア団体によってバラの花が飾られる。
「俺、小学3年生の夏休みに来たことがあるんだ。ワールドトレードセンターの展望台に。あのテロが起こったのは、そのすぐあとだった」
モニュメントを見つめながら、ポツリと文哉が呟く。
「今でも展望台のチケットは大事に取ってある。ずっとここに来たかった」
真里亜は黙って文哉の言葉を聞いていた。
あのテロ事件があった当時、真里亜はまだ3歳になったばかり。
もちろん記憶はない。
ニュースや記事でどんなに悲惨な事件だったかは知っているつもりだったが、実際にこうして現場に立ってみると、口を開くのもはばかられた。
二人は黙とうを捧げたあと、ミュージアムへと足を運んだ。
あの日に起こった事件の解説や展示、映像上映などが行われている。
(こんなにも綺麗に晴れ渡った青空で起きたんだ)
あの時間の真っ青な空の写真。
あの日全世界に流れたニュース番組。
目撃者の証言音声。
ビルが倒壊し、煙が人々を飲み込もうとする映像。
全てがリアルで、真里亜の胸に迫ってくる。
そして犠牲者の方々の写真…
真里亜は唇を噛みしめて必死に涙を堪える。
「大丈夫か?」
文哉が心配そうに真里亜の顔を覗き込んだ。
「大丈夫です。私はこの事実を知らなければいけない。ちゃんと心に刻み込まなければ」
文哉はそっと真里亜の肩を抱き寄せた。
無事にジョン・F・ケネディ空港に着き、外に出ると真里亜は両手を上げて空気を胸いっぱいに吸い込む。
「ケホッ。なんだか空気が美味しくないですね」
「当たり前だ。大都会だぞ?」
それでも真里亜はテンション高めだった。
キュリアスが用意してくれた飛行機のチケットは、なんとファーストクラスだったのだ。
ゆったりと優雅な雰囲気の空間に、本当にここは飛行機の中?と真里亜はキョロキョロ落ち着かなかったが、フルフラットで横になるとぐっすり眠れ、存分に空の旅を満喫してニューヨークに下り立った。
真冬のニューヨークは想像以上に寒く、クシュン!と真里亜はくしゃみをする。
白いロングコートにブーツ、手袋もはめていたが、暖かい建物から外に出たばかりで、身体が温度差についていけない。
すると上品なチェスターコート姿の文哉が、巻いていたカシミヤのマフラーを外して真里亜に差し出す。
「いえ、あの。大丈夫ですから」
「いいから巻いてろ。風邪でも引いたらどうする」
文哉は真里亜の首にマフラーを巻くと、首元をしっかり覆うように整えた。
「あ、ありがとうございます…」
真里亜は小さくなって礼を言う。
そうこうしていると、二人の前にリムジンが滑るように横付けされた。
「Hi ! もしかしてAMAGIコーポレーションの方?」
リムジンから、はつらつとした30代くらいの日本人女性が降りてきて、二人に声をかける。
「あ、はい!そうですが…」
「やっぱり!良かったわあ、すぐに見つけられて。私はキュリアス USAの日高 カレンです」
「初めまして、天城 文哉です」
「阿部 真里亜と申します。よろしくお願いいたします」
真里亜が名乗ると、カレンは、え?!と目を見開く。
「アベ・マリアさん?ワオ!素敵な名前ねー」
「あ、すみません。ありがとうございます」
つい癖で謝ってしまう。
「あら、もっと自信持って!その名前はアメリカだと強みになるわよ。誰だって一度であなたのことを覚えてくれるわ。さ、寒いから早く乗って」
「はい、ありがとうございます」
促されて二人はリムジンに乗り込む。
「えーっと、まず彼は運転手のサムね。サム、フミヤとマリアよ」
「ハジメマシテ」
運転席から後ろを振り返り、大柄な男性がにこやかに日本語で笑いかけてくれた。
「お二人の滞在中は、私とサムがお世話をするわね。じゃあ早速ホテルに行きましょう」
「はい、よろしくお願いします」
動き出したリムジンの中で、カレンは早速手にしたファイルから次々と書類を取り出す。
「えーっと、これは簡単なスケジュールね。今日はゆっくり休んでもらって、明日、朝10時にホテルにお迎えに上がります。11時頃から本社の会議室でランチミーティング。CEOも参加するわ。夜は他のお客様も招いてホテルで立食パーティーね」
ひえっと真里亜は肩をすくめる。
「大丈夫よ。日本と違ってこっちはフランクだから。楽しんでね!それと、明後日は社内をゆっくりご案内します。そこからはお二人の自由よ。ニューヨークを思う存分満喫して。えーっと、大体のところは押さえてあるの。これが美術館と展望台のチケット、こっちはロックフェラーセンターのスケートのVIPチケットね。それから、ミュージカルは何がお好みかしら?」
真里亜は話のテンポについて行けず、目を白黒させる。
「ご希望がないなら、適当に選んでもいい?オペラ座の怪人とか?」
真里亜が、はいと頷きかけた時、横から文哉の声がした。
「ウエスト・サイド・ストーリーはやってますか?」
「ええ、やってるわよ。あっ!なるほどー。そうよね、それがいいわ。じゃあそうしましょう。あとは、何か手配するものはある?」
「いえ、もう充分です。ありがとうございます」
「お安い御用よ。これ、私の携帯の番号。いつでも電話してきてね」
そう言ってビジネスカードを差し出す。
文哉も携帯番号を載せた名刺を渡した。
「ホテルのチェックインは終わってるから。これがルームキー。お部屋までご案内しましょうか?」
「いいえ、大丈夫です。ありがとうございました」
ホテルに着くと、文哉と真里亜はカレンとサムに礼を言って見送った。
ホテルのロビーを横切りエレベーターで部屋に向かうと、文哉と真里亜の部屋は隣同士で、広々としたダブルベッドの部屋だった。
窓からは、ニューヨークの景色が一望出来る。
「わあ、素敵」
荷物の整理を終えた真里亜が、しばらく外を眺めていると、コンコンとノックの音がした。
「はい…って、ん?」
ノックの音は入口のドアではなく、ベッドの横にあるドアから聞こえてきた。
(何?このドア)
そう思いながら開けてみると、コートを脱いでラフな私服に着替えた文哉が立っていた。
「副社長!どこにいるんですか?」
「ん?俺の部屋」
え?と、真里亜は文哉の背後を覗き込む。
そこには真里亜の部屋と同じ光景が広がっていた。
「このドア、副社長の部屋と繋がってるんですか?」
「そうらしいな。コネクティングルームだろう」
「へえ…って、ちょっと待ってください」
真里亜は、手をかけていたドアノブを確かめる。
「あ、良かった。ちゃんと鍵がついてる」
「分からんぞ?壊れてるかもしれん。アメリカのホテルでは結構よくある」
「ええ?!」
「安心しろ。誰もお前を襲ったりせん」
「ひっどーい!いいもん。もう絶対にこのドア開けませんから」
「分かった。ゴキブリが出ても幽霊が出ても、絶対お前の部屋には入らないようにする」
え…と、途端に真里亜は泣きそうな顔になる。
「あの、やっぱり鍵、開けておきます。何かあったらすぐ助けてくださいね?」
「調子いいな、まったく」
文哉はやれやれと両腕を組む。
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「あ、空きました」
「じゃあ、散歩がてら食べに行こうか。時差ボケは平気か?」
「はい。ファーストクラスの飛行機は、自宅よりぐっすり眠れましたから」
「ははは!確かに。大いびきかいてたもんな」
「う、嘘でしょ?!」
「ほら、早く着替えて支度しろ」
そう言って文哉はバタンとドアを閉めた。
「絶対嘘だもんね。私、大いびきなんてかいてないもん。もしかいてたら、CAさんが起してくれたはず。いや、そんなことないか?」
ブツブツ呟きながら、真里亜はスーツケースから私服を取り出して着替える。
さっきの文哉は、紺のシャツにアイボリーのざっくりしたニットを重ねていたから、同じようにカジュアルな感じでいいか、と、真里亜はオフホワイトのパンツに、トップスは水色のニットにした。
ブーツを履いて斜め掛けのバッグを肩に掛け、紺色のミディアム丈のコートを羽織る。
「あ、そうそう!」
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「副社長、支度出来ました」
「よし、行くか」
ドアを開けると、文哉がコートを羽織りながら出口に進む。
「これ、ありがとうございました」
「ん」
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「え?あの、もう大丈夫ですから」
「俺もいらない。邪魔だから着けてて」
「あ、そうだったんですね。持って来てしまってすみません。お部屋に戻ったらお返ししますね」
「ああ」
二人はホテルの外に出る。
「とりあえずブラブラして、良さそうなカフェでも探すか」
「はい」
ホテルはマンハッタンの中心部。
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なんとなく歩き始めると、人が多くて思いのほか歩きづらい。
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前から歩いてきた大柄な男性とぶつかりそうになり、文哉が真里亜の肩を抱き寄せる。
そのまま真里亜を自分の反対側に連れてきて、文哉は真里亜と立ち位置を変えた。
いつの間にか車道側を文哉が歩いてくれていることに気づいて、真里亜はそのスマートさに感心する。
(わー、なんか副社長、アメリカのジェントルメンにも負けてないわあ)
肩を抱いたまま自分を守って歩いてくれる文哉に、真里亜はなんだか照れくさく、そして嬉しくなった。
「ここはどうだ?」
ふいに足を止めて文哉が尋ねる。
そこは木のぬくもりが感じられるゆったりとしたカフェで、外にあるメニューのブラックボードも、手描きのイラストでおしゃれな感じだった。
サンドイッチやスコーン、マフィン、サラダやスープなど、どれも美味しそうだ。
「いいですね!」
二人で店内に足を踏み入れる。
あったかーい、と真里亜がホッとしていると、
「Hi ! How are you doing today ?」
とカウンターのスタッフが笑顔で声をかけてきた。
わっ、英語だ!と真里亜が面食らっていると、文哉が軽く「Good, thank you」と答えている。
「For here or to go ?」
「For here, please」
そして文哉は真里亜を振り返る。
「どれがいい?」
「えーっと…」
真里亜は横文字だらけのメニューをじっと見つめる。
「アボカドとかサーモン、チーズなんかのサンドイッチ、ありますかね?」
文哉はスタッフに何やらペラペラと話しかける。
「アボカドサーモンのホットサンドがあるから、それにエキストラチーズを頼めばいいって」
「あ、はい。じゃあそうします」
文哉はスタッフと会話したあと、また真里亜に尋ねる。
「チーズは何がいい?チェダー、モッツアレラ、ゴーダ、ゴルゴンゾーラ、ブルーチーズ…」
「じゃあ、チェダーでお願いします」
「OK. 備え付けはベーコン、ソーセージ、ハッシュブラウン、それと、何だっけ?」
もう一度スタッフに確かめようとする文哉に、慌てて真里亜が答える。
「じゃあ、ベーコンで」
「分かった。飲み物は?」
「ホットの、んー、カフェラテで」
「ミルクは?ノンファット、ローファット…」
「あ、いえ、普通ので」
日本語で聞かれるだけでもクラクラしてしまうほど細かいオーダーを、文哉は難なくスムーズにこなし、クレジットカードでサッと会計まで済ませた。
「すみません。あとでお支払いします」
「バカ。こんなところでお前が財布出したら、俺は大ひんしゅくだ。恥をかかせないでくれ」
「あ、はい。すみません」
トレーに載せたビッグサイズの飲み物とサンドイッチを持って、文哉は窓際のテーブルに真里亜を促した。
「わー、美味しそう!」
「どうぞ、召し上がれ」
「はい!いただきます」
真里亜は早速アツアツのホットサンドを頬張る。
「んー、美味しい!アボカドってこんなに美味しいんですね。サーモンも新鮮だし、チーズもとろけて最高です」
「それは良かった」
「副社長は?何を頼んだんですか?」
「ん?俺は、何だっけ。チキンとブルーチーズとサンドライドトマトのグリルサンドかな」
へえーと真里亜は文哉の手元をじっと見つめる。
文哉は、ふっと笑うと、ナイフで半分に切り分けた。
「はい、どうぞ」
「え、いいんですか?」
「物欲しそうにじーっと見ておいて何を言う」
「すみません。じゃあ、副社長も私のホットサンド、半分どうぞ」
半分に切ってあったサンドイッチを、真里亜は文哉の皿に載せた。
「おお、これうまいな」
「でしょう?もう大満足です」
大きな口を開けて頬張る真里亜を、文哉は呆れたように眺める。
「お前、子どもか?顎外れないようにな」
「ふふ、大丈夫でーす」
「やれやれ。彼氏の前ではもうちょっと上品に食べた方がいいぞ」
「そんなこと気にしなきゃいけないなら、彼氏なんていりませーん」
「色気より食い気か」
「何とでも言ってくださーい」
真里亜は、大きなサンドイッチもカフェラテもペロリと平らげて、満足そうな笑みを浮かべる。
「ふう。お腹いっぱい」
「だろうな。アメリカンサイズを食べ切って、まだ腹がいっぱいにならなかったらどうしようかと思ってた」
「えー、普通食べ切らないものなんですか?」
「ああ。あとでドギーバッグを渡すからってスタッフに言われていた。必要なかったな」
さてと、と文哉は立ち上がる。
「このあと、どこか行きたいところあるか?」
「いえ、特には。少し歩きたいです」
「じゃあ、俺の行きたいところにつき合ってもらってもいいか?」
「はい、もちろん」
文哉は頷くと、黙って歩き始めた。
(どこへ行くんだろう?)
真里亜は不思議に思いながらも、黙って文哉について行く。
「ここは…」
辿り着いた場所は、マンハッタン南部のグラウンド・ゼロ。
『National September 11 Memorial & Museum』
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件の公式追悼施設だった。
ワールドトレードセンター跡地に設置されたリフレクティング・プール。
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「俺、小学3年生の夏休みに来たことがあるんだ。ワールドトレードセンターの展望台に。あのテロが起こったのは、そのすぐあとだった」
モニュメントを見つめながら、ポツリと文哉が呟く。
「今でも展望台のチケットは大事に取ってある。ずっとここに来たかった」
真里亜は黙って文哉の言葉を聞いていた。
あのテロ事件があった当時、真里亜はまだ3歳になったばかり。
もちろん記憶はない。
ニュースや記事でどんなに悲惨な事件だったかは知っているつもりだったが、実際にこうして現場に立ってみると、口を開くのもはばかられた。
二人は黙とうを捧げたあと、ミュージアムへと足を運んだ。
あの日に起こった事件の解説や展示、映像上映などが行われている。
(こんなにも綺麗に晴れ渡った青空で起きたんだ)
あの時間の真っ青な空の写真。
あの日全世界に流れたニュース番組。
目撃者の証言音声。
ビルが倒壊し、煙が人々を飲み込もうとする映像。
全てがリアルで、真里亜の胸に迫ってくる。
そして犠牲者の方々の写真…
真里亜は唇を噛みしめて必死に涙を堪える。
「大丈夫か?」
文哉が心配そうに真里亜の顔を覗き込んだ。
「大丈夫です。私はこの事実を知らなければいけない。ちゃんと心に刻み込まなければ」
文哉はそっと真里亜の肩を抱き寄せた。
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*・゚♡★♡゚・*:.。奨励賞ありがとうございます 。.:*・゚♡★♡゚・*
▶Attention
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
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