恋は秘密のその先に

葉月 まい

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秘密の真相

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 人事部での穏やかな日々が過ぎていく。

 すっかり季節は秋へと移り変わり、真里亜はますますキュリアスの仕事に没頭した夏の出来事を忘れかけていた。

 そんなある日。
 仕事が一段落した真里亜は、コーヒーでも飲もうと部屋を出たところで声をかけられた。

「真里亜ちゃん」
「住谷さん!お疲れ様です」
「お疲れ様。ちょっといいかな?」
「はい」

 二人でカフェテリアに行くと、コーヒーを飲みながら住谷が近況を聞かせてくれた。

「キュリアスの新社屋、無事に引っ越し作業も終わって機能し始めたらしいよ。今の所セキュリティシステムも順調で、2千人いる社員もスムーズにIDカードを使いこなせているらしい。あ、もちろん社長もね」
「そうなんですね!良かったー」
「ああ。それで来週の金曜日、新社屋にマスコミを呼んで完成記念式典をやったあと、夜にホテルで盛大なパーティーも開かれるらしい。真里亜ちゃん、都合はつきそう?」

 は?と真里亜は真顔で聞き返す。

「私の都合?それは、どういう…」
「記念式典は、スペースの関係でマスコミしか呼べないけど、夜のパーティーは来賓を多く招くみたいなんだ。うちにもその招待状が届いてる。副社長と、真里亜ちゃん宛に」
「はい?私宛に?」

 住谷は頷くと、ジャケットの内ポケットから光沢のある白い封筒を取り出した。

「これが招待状。ほら、阿部 真里亜様って書いてある」
「ホントだ。でも、どうして私が?」
「それは、間違いなくキュリアスの社長に直々に招かれたんだと思うよ」
「ああ、なるほど」

 最終説明会の時、セキュリティシステムに妙にご機嫌だった社長の顔を思い出す。

「どうかな?真里亜ちゃんには是非行ってもらいたいんだけど」
「分かりました。特に予定もないですし、伺います」
「良かった!ありがとう。じゃあ、来週金曜日の16時にエントランスで待ってるね」
「はい。よろしくお願いします」

 そして当日、真里亜は16時に住谷の車で以前と同じブティックに向かった。

 文哉を迎えに一度社に戻る住谷と別れ、真里亜はスタッフにヘアメイクをしてもらう。

 支度を終えた真里亜は、ブティックのメイク室を出てソファが並ぶロビーに向かった。

「おおー、真里亜ちゃん!すごく綺麗だね」

 驚いたような住谷の声がして、真里亜は顔を上げる。

 住谷の隣で、同じように文哉が目を見開いてこちらを見ていた。

 (わあ…。副社長、とってもかっこいい)

 ブラックのスーツに深みのあるボルドーのネクタイとチーフ。
 髪もフォーマルに整えられていて、大人の色気を漂わせている。

 (ひゃー、別人みたい)

 真里亜が見とれていると、スタッフが二人を鏡の前に促した。

 真里亜は文哉と並んで鏡の前に立つ。

 今夜の真里亜は、濃紺で膝下丈のホルターネックワンピース姿だった。

 パーティーではあるが、クライアントに招かれた立場上、控えめでなければいけない。 

 それに自分は副社長の秘書という立場で参加するつもりだったこともあり、スタッフに、クラシカルで目立たない装いにしたいと頼んだ。

 本当は二の腕も隠したかったが、せっかくお若くてお綺麗なのに、とスタッフに説得されて、仕方なくホルターネックで妥協したのだった。

 ふんわりカールさせた髪をハーフアップでまとめ、耳元には輝くイヤリングが揺れる。

 足元はヒールの高いシューズ、最後にパールホワイトのショールを肩にふわっと掛けてもらった。

「二人ともオーラが半端ないな。どこぞのセレブカップルみたいだぞ」

 住谷のセリフに、スタッフ達も大きく頷く。

「本当ですわ。まあ、なんてお似合いなんでしょう」
「うっとり見とれてしまいますね」
「はあ、もうため息しか出てきません」

 そんなスタッフ達に、住谷が申し訳なさそうに言う。

「皆様、このままじっくりご鑑賞いただきたいところなのですが、パーティーに遅れてしまいますのでこの辺で」
「はっ、そうですわね。さあ、どうぞお出口へ」

 整列したスタッフ達に礼を言い、真里亜は文哉の隣に座って住谷の運転する車でブティックをあとにした。

「それでは、私はここで。行ってらっしゃいませ。素敵なパーティーを」

 ホテルに着くと、住谷は車を降りた二人にそう言ってお辞儀をする。

「え?住谷さんもいらっしゃるんじゃないんですか?」

 真里亜は驚いて尋ねた。

「私は招待されておりませんので」
「でも、秘書としてなら…」
「今夜の副社長秘書は、真里亜ちゃんにお願いしたいと。構いませんか?」
「ええ、それはもちろん」
「では、よろしくお願いいたします」

 住谷はうやうやしく頭を下げる。
 真里亜は仕方なく、文哉と会場に向かった。

 歩き始めると、文哉がスッと左肘を曲げて差し出す。
 真里亜は、ありがとうございますと言ってから右手を文哉の肘に添えた。

「うわっ、すごいですね」

 会場に1歩足を踏み入れた途端、目が眩むほど大きなシャンデリアと壁の豪華な装飾、そしてビッシリと並べられた白いクロスの円卓に、真里亜は思わず息を呑む。

「ああ。さすがはキュリアスだな。ここまでの規模のパーティーはなかなかない」

 文哉もしばし会場内を見渡す。

 二人はスタッフに案内されて、中央の円卓についた。

 綺麗なフラワーアレンジメントと一緒に『AMAGIコーポレーション 阿部 真里亜様』ときちんと席札が用意されており、真里亜はおもてなしの心遣いに嬉しくなる。

 程なくして照明とBGMが絞られ、皆はおしゃべりをやめて前方のステージに注目した。

 華やかな音楽と共に、まずは大型のモニターにキュリアス ジャパンの紹介映像が流れる。

 次々と現れる写真にドラマチックなナレーション。

 映画の予告を見ているようなワクワク感に溢れ、皆は一気に引きつけられた。

 最後に新社屋の写真が満を持して現れ、美しい空間デザインのエントランスロビー、セキュリティゲートを通る社員の姿、綺麗なカフェテリア、広々としたオフィスの写真も紹介される。

『キュリアス ジャパンは、次の時代へと動き始めます』 

 締めのナレーションと共に映像が終わると、会場から拍手が湧き起こった。

「とっても素敵でしたね!」

 真里亜も惜しみない拍手を送りながら文哉に話しかける。

「ああ。この映像のクオリティからすると、おそらく映通に委託したんだろう」
「ええ?!あの有名な映通にですか?」
「ほら、一番前の左端のテーブル。あそこにいるのがおそらく映通さんだ」

 文哉の視線を追って前方を見ると、いかにもやり手といった男性が5人、満足そうに頷きながら互いに声をかけ合っている。

 おそらく仕上がり具合に満足しているのだろう。

「副社長。さっきみたいな映像を映通さんに頼んだら、いくら位かかるんですか?」
「んー、そうだな。あの尺だと、1千万かな」

 いっ…?!と、真里亜は驚きの余り言葉を失う。

 凡人には想像もつかない程の大金が、ビジネスの世界では日々動いているのだろう。

 (副社長も、そんな大金を動かす人物の一人なのよね)

 心の中で感心していると、キュリアス ジャパンの社長のスピーチが始まった。

 (わあ、こうして見ると威厳があるなあ)

 ライトに照らされたステージに悠々と現れ、広い会場をゆっくりと見渡してからマイクで話し始める。

「えー、皆様。本日はキュリアス ジャパンの新社屋完成記念パーティーにお越しいただき、誠にありがとうございます。おかげ様でこれまで順調に成長を続けて参りました弊社も、いよいよ次世代に向けて大きく動き出します。その第一歩として、新しい社屋を都内の一等地に建設することが出来ました。この場をお借りしてお礼を申し上げると共に、ご協力頂いた企業の皆様をご紹介します。まずは、素晴らしいデザインを考えてくださった空間デザイナーの日向さん」

 促されて、前方のテーブルから男性が一人立ち上がってお辞儀をする。

「続いて大きな建物を一から建設してくださった、加山建設の皆様」

 今度は2つのテーブルから10人程が立ち上がった。

「先程ご覧いただいた、新社屋紹介映像を作ってくださった映通の皆様」

 やはり文哉が思った通りの5人組が立ち上がる。

 1千万かあ…と、またもや値段を思い出しながら、真里亜も拍手を送っていた。

「そして、このビルと社員の安全を守る素晴らしいセキュリティシステムを開発してくださった、AMAGIコーポレーションの皆様」

 完全に油断していた真里亜と文哉は、え…と固まった後、慌てて立ち上がった。

「今やどのビジネスにもコンピュータテクノロジーは不可欠。皆様、大事な情報や機密事項を守るのも、AMAGIさんにお願いすれば安心ですよ」

 社長のまさかの有り難い紹介に、真里亜と文哉は深々と頭を下げた。

 やがて食事と歓談の時間になり、文哉と真里亜はタイミングを見て社長に挨拶に行く。

 社長は二人の顔を見るなり、破顔して握手を求めてきた。

「これは天城副社長。今日はよく来てくれたね」
「お招きいただき、ありがとうございます。改めまして、新社屋の完成、誠におめでとうございます」
「ありがとう!いやー、あのセキュリティシステム、なかなか快適だよ。スマートに涼しい顔して使いこなせるようになったんだ」
「左様でございますか。嬉しいお言葉をありがとうございます。もし何かありましたら、いつでもお知らせください」
「ああ。頼りにしてるよ」

 そして社長は、文哉の隣の真里亜に目をやる。

「おおー、アベ・マリア。今夜はますますアベ・マリアだな」
「ありがとうございます…?」

 意味が分からないが、とにかく笑顔で頭を下げる。

「今度ゆっくり話をしよう。またいつでも遊びに来なさい」
「はい、ありがとうございます。楽しみにしております…?」

 遊びに来いって、どこへ?
 話をしようって、何の話?

 更にハテナは増えるが、真里亜はまたもやにっこり微笑んで頷いた。

 自分達のテーブルに戻ると、意外にも他のお客様に次々と声をかけられる。

「うちのセキュリティシステムもお願いしたい」
「どんなシステムか、今度詳しく話を聞きたい」
 というものから、
「どうしてキュリアス ジャパンの社長と仲が良さそうなのか?」
 と聞かれたりもした。

 料理を食べる暇もなく、文哉も真里亜も色々な人と名刺交換をする。

 ようやく人心地ついたときには、テーブルの上に、もらった名刺の山が2つ出来ていた。

「うわっ。俺の手持ちの名刺、あと3枚しかない」
「私はあと1枚です…」

 もう誰にも声をかけられませんように…と思わず心の中で呟いた時、真里亜は手にしていた自分の名刺に視線を落として、思わず、あー!と声を上げた。

「びっくりした。なんだ、どうした?」
「あの…。私の所属先、人事部ってなってるのに配ってしまって…」
「あー、そうか。まあ仕方ない。けど、うーん…。やっぱりマズイな」
「ですよね。申し訳ありません」
「いや、お前が悪いんじゃない。気にするな」 

 だが、この先もこういうことがあると考えたら…。

 しばらくの間、文哉は今後の真里亜の所属先について思案していた。

 *****

 パーティーもお開きとなり、二人はもう一度社長に挨拶してから会場を出る。

 大勢の来客が一斉に動き始めた為、通路は混雑していてなかなか前に進まない。

 真里亜はゆっくりと、パーティー会場に届けられた大きな花を見ながら歩く。

 所狭しと並べられた豪華な花の中に、AMAGI コーポレーションから贈ったものもあった。

 (うん。ゴージャスで素敵)

 微笑んで頷くと、文哉にエスコートされながら、またしばらく進む。

 すると、ある花の前で真里亜はふと足を止めた。

「どうした?」
「あ、いえ。このお花、とてもセンスがいいなと思って」

 主張するような派手な花が多い中、その花はとても繊細で、色の組み合わせや配置もバランス良く、優しい印象だ。
 それでいて、他の花に負けない華やかさもある。

「こういうお花、女性のお客様には喜ばれるかもしれません」
「そうなのか?俺は花には詳しくないから、よく分からんが」
「私も詳しくないですが、なんとなく…。すみません、偉そうなことを言ってしまって」
「いや、そんなことはない。今度うちでも利用してみよう。このフラワーショップの名前、どこかに書いてあるか?」 

 えーっと…と、真里亜は顔を寄せて宛名と差出人が書かれたカードを見る。

「あ!ここに書いてあるのがそうかな?」
「ああ、そうだろうな。『Fleur du bonheur』幸せの花、か」
「何語なんですか?」
「フランス語」
「ひゃー!副社長、フランス語が分かるんですね」
「分からん。簡単な単語だから、たまたま知っていた」
「いやー、さすがです!ムッシュ」
「ムッシュって、お前…」

 文哉は思わず吹き出してから、真里亜にふっと笑いかけた。

「メルシー。マドモアゼル、マリア」

 切れ長の目で色気たっぷりにささやかれ、真里亜は顔を真っ赤にする。

 (いやいやいや。それはないですよ、副社長。鬼軍曹からジェントルマンへの振り幅が半端ないです)

 もはや顔を上げられなくなり、真里亜はうつむいたまま文哉の腕に掴まっていた。

 ようやくクロークのある広いスペースまで辿り着き、文哉が住谷に連絡しようとスマートフォンを取り出した時だった。

「天城様。こちらを住谷様からお預かりしております」

 スタッフが文哉に、小さな封筒を差し出した。

「俺に?ありがとう」

 礼を言って受け取ると、中を開けてみる。

 文字を目で追った次の瞬間、は?!と文哉は素っ頓狂な声を上げた。

「どうかしましたか?」

 真里亜が尋ねると、文哉はポカンとしたまま小さなメモを見せてくる。

『のっぴきならない事情で、お迎えに上がるのが遅くなります。お部屋を押さえましたので、しばらくそちらでお待ちください。お二人の鞄も運んであります。住谷』

 は?!と、真里亜も同じように声を上げる。

「お部屋?って、どこのことですか?」
「ここだろう。このホテルの3505室」

 文哉は封筒から、ルームカードを取り出して見せた。

「いや、えっと。わざわざお部屋を取るなんて、どういうこと?お迎えが遅くなるなら、ロビーのソファにでも座って…」
「でも、俺達の鞄は部屋にあるらしいぞ」
「そ、そんな…」
「とにかく行ってみるしかない」

 仕方なく、二人は35階に向かった。

 ピッとルームカードをかざしてドアを開けると、文哉は真里亜を、どうぞと中に促す。

 ありがとうございます、と先に部屋に足を踏み入れた真里亜は、驚いて足を止めた。

「え、何ここ?」

 正面の大きな窓の外には綺麗な夜景が広がり、ソファやダイニングテーブル、そしてキングサイズのベッドがある広い部屋は、真里亜が想像していた部屋とは大違いだった。

「すごーい!豪華なお部屋」

 思わず窓に近づいて、月が綺麗な夜空を眺める。

「なんて素敵なの。こんなに綺麗な景色が見えるなんて。ね?副社長」
「いや、うん」

 にっこりと真里亜に笑いかけられ、文哉は返事に困る。

 (なんなんだ、このシチュエーション。ホテルの部屋で二人きりだぞ?)

 どうしていいか分からない文哉とは対照的に、真里亜はすんなりこの状況を受け入れて、はしゃいだ声を上げている。

「えっと、とにかく鞄を持ってロビーに下りよう」

 文哉は部屋の中をキョロキョロと見渡す。

 入り口の近くに大きなウォークインクローゼットがあり、探してみると、二人の鞄や会社で着ていたスーツもあった。

 文哉が鞄に手を伸ばした時、ふいに部屋のチャイムが鳴る。

「おっ、智史か?」

 助けが来たとばかりにドアを開けると、ホテルマンがにこやかに立っていた。

「失礼いたします。ルームサービスのシャンパンとフルーツをお持ちしました」
「はっ?!」

 またもや目が点になる文哉は、ジャケットの内ポケットで震えるスマートフォンに気づく。

 すぐさま取り出して見ると、住谷からメッセージが届いていた。

『副社長、遅れて申し訳ありません。シャンパンとフルーツを召し上がってお待ちください。明朝10時にはお迎えに参ります』

「はあー?!」

 文哉は思わず大きな声を出す。

 真里亜は、運ばれてきたシャンパンと美味しそうなフルーツに目を輝かせていた。

「副社長、見て見て!シャンパンにイチゴとマスカット!すごーい、映画みたい」
「お前…、なんでそんなに順応性が高いんだ?」
「さ、乾杯しましょ!」
「何にだ?!」

 苛立つ文哉には目もくれず、真里亜はグラス2つにシャンパンを注ぐと、片方を文哉に差し出した。

「では、なんだか知らないけど素敵な夜に。かんぱーい!」
「よくそんな呑気なことを…」

 真里亜はゴクゴクとシャンパンを飲み、美味しい!とうっとりしている。

「このイチゴも甘くてシャンパンに合いますね。うふふ、セレブな気分」

 もはや文哉は、ため息しか出てこなかった。

「それで住谷さん、何時頃になりそうなんですか?」

 半分程シャンパンを空けたところで、思い出したように真里亜が聞く。

「あ…その。どうやらもう少し遅くなりそうだから、タクシーで帰ろう。お前のマンションまで送っていく」

 まさか明日の朝まで迎えが来ないとは言えない。

「そうなんですか?どうしたのかな、住谷さん。秘書の仕事、お忙しいのかな…」

 そう呟くと、真里亜は顔を上げて真剣に話し出す。

「副社長。やっぱり私、後任の秘書を探してみますね。他の部署の女の子に声をかけてみます。副社長のご希望としては、やはり婚約者のフリをしてくれる人がいいですよね?」
「いや、それは…。まさかそんな条件は言えないだろう」
「でも、それだと副社長が困るでしょう?言い寄ってくる女性をあしらうのは大変ですもの。あ、その時だけは、私がお芝居しに登場しましょうか?」

 呼ばれてジャジャーン!って、と言って真里亜は笑っている。

「いや、大丈夫だ。お前には散々迷惑かけて、悪かったな」
「迷惑だなんて。私、副社長の恋を応援してますから。お二人の愛は本物ですよね」

 は?と文哉は目をしばたかせる。

「何の話だ?俺の…恋?」
「もう、副社長までしらばっくれちゃって。お二人とも私には隠さなくていいですよ」
「お二人とも?って、もう一人は誰だ?」
「ですから、もちろん住谷さんですよ。住谷さんも慌てて否定してましたけど、私は何でもお見通しですからねー。大丈夫、お二人の秘密は守ります。私を恋人のカモフラージュに使ってもらっていいですよ」

 文哉は固まったまま、頭の中をフル回転させる。

 (どういうことだ?一体、何の話を。俺と智史がなんだって?なんか、恋人がどうとか…)

「えっ、お前まさか!俺と智史が恋人同士だと?!」
「そうなんです。分かっちゃったんですよねー。いいですね、小学生の頃からのおつき合い。憧れちゃうなー、幼馴染みラブ!」
「変な呼び方をするな!何を勘違いしている。俺が智史とつき合うはずないだろう!」

 へ?と、今度は真里亜が呆気に取られる。

「副社長。全力で照れてるんですか?」
「違うわ!全力で否定している!」
「どうして?」
「だから!俺は智史の恋人なんかじゃない。あいつだって今はフリーだが、これまでつき合ってきた彼女は何人もいる」

 真里亜はポカーンとする。

「そうなんですか?私はてっきりお二人が…。どこで勘違いしたんだろう?」
「こっちが聞きたいわ!」

 肩で息をしながら、文哉は必死で真里亜の言葉を打ち消した。

「そっかあ。じゃあ今、副社長がおつき合いしている方は?」
「もう何年もいない」
「本当に?あんなにたくさんのご令嬢が言い寄って来られるのに」
「そういう相手とつき合おうなんて気にはなれない。もはや拒絶反応だな」
「ふーん、もったいない。でもきっとそのうち、副社長が心惹かれる女性が現れますよ。副社長は、どんな素敵な女性と結ばれるのでしょうね」

 真里亜は、ふふっと笑ってからシャンパングラスに目を落とす。

 その横顔を文哉はじっと見つめた。

 耳元で揺れるイヤリング。
 長いまつ毛とほんのりピンク色に染まった頬。
 艷やかな唇と綺麗な瞳。
 ふわっと柔らかい髪からのぞく白い首筋。

 優しい表情を浮かべているその横顔は、仕事中のスーツ姿の真里亜とは別人のように美しかった。

「あの、少し話をしてもいいか?」

 文哉が控えめに口を開くと、真里亜はゆっくりと文哉を見上げた。

「はい」

 テーブルにグラスを置いてから、文哉の正面に身体を向ける。

「何でしょう」
「うん、あの…」

 文哉は、真里亜とのこれまでのことを思い出しながら話し出す。

「色々、本当に申し訳なかった。人事部から来てもらっているとは知らずに、遅くまで仕事につき合わせたり、あれこれ指図して。それに、その…。都合よく恋人のフリまでさせてしまって、本当にすまなかった」
「いえ、そんな」
「ハッカーに侵入された時は、副社長室にいたばかりに、あんな怪我までさせてしまって。守れなくて悪かった」
「気にしないでください。副社長のせいなんかじゃありませんから」
「いや、俺の責任だ。その上、キュリアスのチームから強引に外してしまって…」

 真里亜は少し視線を落として考える。

「それって、私が怪我をしたからなのでしょう?私がまた危険な目に遭わないように、副社長室から遠ざけようとして」

 文哉は黙って頷く。

「だが結局は、またお前に助けられた。キュリアスの件が上手くいったのは、お前のおかげだ。今日のパーティーで色々な企業から声をかけられ、興味を持ってもらえたのも、お前がキュリアスの社長に気に入られたからだ」
  「そんなことは…」 
「いや、絶対にそうだ。お前には本当に助けられてきた。ありがとう」
「副社長…」

 素直に礼を言って真っ直ぐに見つめてくる文哉から、真里亜は視線を逸らすことが出来なかった。

 こんなふうに見つめられるのは初めてで、どう振る舞えばいいのか分からない。

「後任の秘書を探してもらっても構わない。だが俺は、出来ればお前に戻って来て欲しいと思っている。俺の秘書として」

 驚いて真里亜は目を見開く。

「散々迷惑をかけておきながら、更にこんなことを言い出すなんて、図々しいのは分かっている。けど、お前以上の秘書なんて、見つかるとは思えない」
「まさかそんな…」

 真里亜が否定しようとすると、文哉は真剣に続けた。

「俺にとってはお前が一番なんだ。どうか考えてくれないか?人事部から総務部秘書課に異動して、俺について欲しい。正式な副社長秘書として」

 まるで射抜くような眼差しと、深くて澄んだ色の瞳。
 真里亜はその視線に捕らえられ、何も考えられなくなる。

「やっぱり、だめか?」

 小さく文哉が呟き、真里亜はハッと我に返った。

「あ、いえ!」
「じゃあ、引き受けてくれるのか?」

 確かめるように顔を覗き込まれ、真里亜はうろたえてうつむく。

「あの、少し考えさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「え、ああ。もちろん」
「すみません。なるべく早くお返事しますね」
「分かった。無理を言ってすまない」
「いえ」

 そして二人の間に沈黙が流れる。

 (変な雰囲気にしてしまったな…)

 部屋の中が静まり返り、文哉は心の中でため息をつく。

 (話さない方が良かったのか?いや、やっぱり俺は彼女についていて欲しい。でも、すぐに引き受けてもらえないってことは、よほど俺は嫌われているのか。仕方ないな。今まで酷い態度を取ってきたんだから、自業自得か…)

 ふうと小さく息を吐くと、気持ちを入れ替えて顔を上げる。

「そろそろ行こう。タクシーで送るから…って、え?おい!」

 文哉は驚いて真里亜の顔を覗き込む。

 さっきまで普通に会話していたのに、いつの間にか真里亜は、スーッと寝息を立てながらソファにもたれて眠っていた。

「おい、起きろ!帰るぞ」
「んー…」

 揺すって起こそうとすると、真里亜は甘い声を洩らして身をよじり、文哉の方に顔を向けた。

 あどけなく無防備なその寝顔に、文哉は思わず言葉を失って見とれる。

 眠っているのをいいことにじっと見つめていると、知らず知らずのうちに顔を寄せてしまっていた。

 何も考えられなくなり、心臓の鼓動が速まる。

 ほんの少し開いている真里亜のふっくらとした唇に、まるで吸い寄せられるように口づけようとした時、最後の理性が文哉をハッとさせた。

 (な、何をしようとしていたんだ?!)

 口元を手で覆い、慌てて真里亜から離れる。

 (俺は好きでもない相手にキスをするような、ろくでもない男だったのか?いや違う。むしろ最近は、女性に対して拒絶反応しかなかった。じゃあ、どうして彼女にはそんなことを?)

「いかん。とにかくこの状況はマズイ」

 立ち上がって、クマのようにウロウロしながら気持ちを落ち着かせる。

 もう一度チラリと真里亜に目をやると、またもや何かのスイッチが入りそうになる。

「あー、もうだめだ!このままだとやられる!くそー、俺としたことが」

 意味不明なことを叫んでいると、真里亜が、んん…と気だるそうに目を開けた。

「…副社長?」
「おっ!起きたか?起きたな!よし、帰るぞ!」

 スタスタとクローゼットに向かい、荷物を持つと、文哉は真里亜を振り返る。

「ほら、早くしろ!」
「ええ?!ちょっと待ってくださいよー。あー、まだ身体がフラフラする。副社長、手繋いでください」
「アホ!そんなこと出来るか!」
「なによー、ケチ!この鬼軍曹!」
「うるさい!さっさと歩け!」

 少しでも真里亜に触れたら、いや、顔を見てしまっただけでも、もう止まらなくなるだろう。

 視界の隅に大きなベッドを捉えて、文哉は慌てて頭を振った。
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