恋とキスは背伸びして

葉月 まい

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可愛い鳩時計

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「楽しかったねー、プール」
「ええ、とっても!」

部屋に戻ると、シャワーを浴びてから髪を乾かし、少しドレッシーな装いに着替えた。

「美怜さん、ボルドーのタイトドレスが似合いますね。身体のラインがすごく綺麗で、大人っぽいです」
「そうかな?本部長が大人だから、なるべく子どもっぽくならないようにしてて…」
「そうなんですね。成瀬さんの為にちょっと背伸びする美怜さん、可愛くてたまらないです」
「ええ?!友香ちゃんこそ、ペールピンクのふんわりワンピースがとってもお似合い。卓が離してくれなくなるね」

二人でふふっと微笑み合うと、お互いの髪型をアップでまとめてから、螺旋階段を下りる。

リビングのソファで雑談していた成瀬と卓が、二人を見上げて驚いたように動きを止めた。

「美怜…、すごく綺麗だ」
「友香、ほんとに可愛いよ」

成瀬と卓はそれぞれ手を伸ばし、愛する人を抱き寄せる。

見つめ合うと、そこから先は恋人同士の時間の始まりだ。

二組は、ロマンチックな夜へと部屋をあとにした。

***

「美怜、やっと二人切りになれた」

ロビーに下りると卓達と別れ、成瀬は美怜の肩を抱いて歩きながら、優しく微笑む。

「ごめんなさい。友香ちゃんと子どもみたいにはしゃいでばかりで」
「いや、二人とも笑顔が可愛かったよ。いいな、友達同士って楽しそうで」
「本部長は?卓とどんな話を?」
「ん?色々、恋の先輩としての話を聞かせてもらった」

先輩?と、美怜は不思議そうに成瀬を見上げる。

「卓が先輩なの?」
「そうだよ。もう友香さんの実家に挨拶に行ったらしいからね」
「え、それは…」

いつか私の実家にも?と、美怜は心の中で呟く。

(本部長が私の両親に挨拶してくれるの?そしたら私も、本部長のご両親に…)

想像した途端に緊張感に包まれた。

(大丈夫かな?私。本部長とは釣り合わないって思われたらどうしよう)

「美怜?」
「え?はい」

ふいに呼ばれて、美怜は顔を上げる。

「時々ふと不安そうな顔をするけど、どうして?何が心配?」

立ち止まった成瀬にじっと瞳を覗き込まれて、思わず美怜はうつむいた。

成瀬はそんな美怜の手を引いて、人気のない大きな柱の後ろに回る。

「美怜。思ってることちゃんと伝えて」
「え?あの、別に何も」
「嘘だよ。俺が美怜の気持ちに気づけないとでも思ってる?話しても分からないって思うから話してくれないの?俺はそんなに頼りない?」
「そんなこと…」
「それなら話して。どんなことでもいいから。考え込まずにそのまま話して」

美怜は少し考えあぐねてから顔を上げた。

「あの、あのね」
「うん。なに?」
「私、ちょっと自信がなくて。本部長の隣にいてもいいのかなって。釣り合わないんじゃないかって。精一杯、本部長に似合う大人の女性になろうってがんばってるけど、やっぱり不安で。どう見えてるかな?子どもっぽいって思われてない?それに本部長は、ウンと格上の人だし。私、まだまだ社会人としても未熟者だから、本部長にはふさわしくないんじゃないかって…」

成瀬は驚いたように動きを止める。
美怜はますます不安に駆られた。

「あの、本部長?」
「…逆だと思ってた」

ぽつりと呟く成瀬に、え?と美怜は首を傾げる。

「逆って?」
「俺の方が美怜にふさわしくないって」
「ええ?!どうして?」
「だって九歳も離れてる。こんなに若くて可愛い美怜に、俺なんかでいいんだろうかって。美怜のご両親にも、俺みたいなおじさんに大事な娘はやれないって思われるんじゃないかって、不安だった。いつか美怜も、話が合う同年代の相手が良かったって、後悔するかもしれないって」
「そんな!私、そんなこと思う訳ありません」

思わず美怜は、咎めるように成瀬を見上げた。

「私はそんな半端な気持ちであなたを好きになってません。私のこの先の人生をかけて、ずっと一生あなたのそばにいようって決めたんです。その私の覚悟を甘く見ないでください」

きっぱりと言い切る美怜に、またしても成瀬は固まる。

そして参ったと言わんばかりに表情を崩した。

「かっこいいな、美怜。子どもっぽいだなんて、思うもんか。九歳離れてようが、上司だろうが、全く臆することなく正面切って気持ちをぶつけてくれたんだ。さすがは俺が惚れた女だ」

ブワッと美怜の顔が赤くなる。

「あはは!可愛いな、美怜。かっこ良くて可愛い。最高の彼女だよ」

ポンと美怜の頭に手を置くと、成瀬は顔を寄せて耳元でささやく。

「でも美怜、一つだけ言わせて。いつになったら俺のこと名前で呼んでくれるの?」
「え、そ、それは…」
「俺のフルネーム、『成瀬 本部長』じゃないんだけど?」
「でも私、本部長のことは二度とお名前で呼ばないって決めたから」
「恋人になっても?おかしいだろ。やれやれ、変なところまで強情なんだから」

美怜は、むっとして顔を上げた。

「変なところじゃないです!」
「じゃあどんなところ?」

そう言うと成瀬は、いきなり美怜の頬にチュッとキスをした。

「なな、何を…」

思わず身を引くと、成瀬は逃さないとばかりに美怜を腰をグッと抱き寄せる。

「美怜が名前を呼んでくれるまで離さない」
「ええ?!どうして?」
「どうしてって、当たり前だろ?これでも結構待ったんだぞ。富樫のことは、卓って気軽に呼ぶのに。やっぱり俺はおじさん扱いなのかって、いじけてた」
「いじけてたの?どうして、おじさん?」
「ちょっと!美怜?!」

ああっ、ごめんなさい!と美怜は慌てた。

「違うんです!そうじゃなくて。どうしていじける必要があるのかって。本部長はおじさんじゃないのにって」
「もう、つべこべうるさい!」

成瀬は美怜の頭を抱き寄せると、唇を熱く奪う。
美怜は目を見開いて顔を赤らめた。

「本部長、あの、こんなところで…」
「俺を焦らす美怜が悪い」

そう言うと、何度も角度を変えて美怜にキスをする。

「ん…、だめ。誰か、来ちゃう」

美怜が呟くと、その吐息ごと成瀬はまた深く口づけた。

「ねえ、もう、んっ、ほんとに、だめ…」
「じゃあ、名前を呼んで?」

成瀬は美怜の耳元でささやくと、そのまま首筋に沿ってキスの雨を降らせる。

美怜の言葉を待つように、唇を避けて。

その時、かすかな話し声がして誰かが近づいてくる気配がした。

「ほんとにだめ。ね?隼斗さん」

ピタッと成瀬が動きを止める。
と言うよりは、固まった。

「あの…?」

美怜がそっと顔を覗き込むと、成瀬は顔を真っ赤にしたまま右手で口元を覆った。

「参った、想像以上の威力」
「え?」

成瀬は大きく息を吐くと、美怜を両手で抱き寄せる。

「もう一回呼んで?」

耳元でねだるようにささやかれ、美怜はくすぐったいやら恥ずかしいやらで、思わず目を伏せた。

「えっと、あの。また今度ね」
「今度って、いつ?」
「うーんと、一時間後かな?」
「なんだよそれ。鳩時計か?」

その時、話し声がすぐ近くで聞こえて、美怜はパッと身体を離した。

そのまま成瀬の腕を取って歩き出す。

「あの、ほら!夜のショーが始まっちゃう。見に行こう?」
「ああ、そうだな。一時間後に可愛い鳩が俺に鳴いてくれるのを楽しみにしてる」

ニヤリと笑う成瀬に、美怜は真っ赤になってうつむいた。

***

「わあ、幻想的で素敵…」

この時期だけのショーは、音と光と噴水がリンクしたウォーターショーだった。

色とりどりの噴水が音楽に合わせて踊るように水しぶきを上げ、水のカーテンにレーザーが美しい模様を映し出す。

ラストは壮大な音楽と共に花火が夜空を鮮やかに彩った。

目を輝かせて感激しながら空を見上げる美怜を、成瀬は優しく見つめてから肩を抱く。

少し園内を散歩したあと、ホテルの中のレストランに入った。

間接照明のロマンチックな雰囲気に包まれ、美怜は夢見心地で成瀬に見とれる。

じっと見つめていると、視線を感じたのか、成瀬がふと顔を上げた。

美怜が慌てて顔を伏せると、成瀬はふっと頬を緩めていたずらっぽい口調で言う。

「あれ?おかしいな。とっくに一時間経ったのに、可愛い鳩さん、まだ鳴かないな」

うぐっ、と美怜は言葉に詰まる。

「ちょっと今、マナーモードでして…」
「あはは!今時の鳩時計って、マナーモードもついてるんだ」
「そうなんです。TPOをわきまえた鳩なので」
「ふーん。じゃあ二人切りになったらたくさん鳴いてくれるんだろうな。楽しみだ」

どうでしょうねえ、ははは…と美怜は乾いた笑いでごまかした。

***

ディナーのあとは、最上階のバーに行くことにした。

ゴージャスでムード満点の店内は、二人掛けのソファもふかふかで座り心地が良く、美怜と成瀬は肩を寄せ合って美味しいお酒を楽しむ。

ピアノの生演奏に耳を傾けながら、二杯目のカクテルに手を伸ばした時だった。

聴こえてきた前奏に、美怜はピタリと手を止める。

(この曲は…)

ゆっくりと同じ和音が繰り返されるだけだが、美怜はすぐに曲名が分かった。

切なく甘く、胸に染み渡るような歌詞とメロディー。

美怜の大好きな曲『The Rose』

じっと聴き入っていると、知らず知らずのうちに涙が込み上げてくる。

胸に迫りくるピアノの音色に、遂に美怜の瞳から涙がこぼれ落ちた。

成瀬がそっと美怜の肩を抱き、振り仰いだ美怜に頷いてみせる。

美怜がはにかんだ笑みを浮かべると、成瀬はそっと手を伸ばして美怜の涙を拭い、美怜は成瀬の肩にもたれて、幸せと切なさで胸を一杯にさせていた。

***

「美怜さん、お帰りなさい。成瀬さんも」

部屋に戻ると、リビングのソファでくつろいでいた友香と卓が笑顔で振り返る。

「ただいま」
「美怜さん、ショー見ましたか?」
「うん。とっても素敵だった」
「ですよね。明日はお部屋から見ようかな」
「それもいいね」

うっとりとした表情を見るからに、友香達もどうやら楽しいひとときを過ごせたらしい。

「美怜さん、お風呂にお湯張ってきますね。あ!そうそう。ここって温泉もあるんですって。明日は温泉に行きませんか?」
「えー、行きたい!」
「はい、ぜひ」

そう言うと友香は卓と成瀬に、今夜はこれで、おやすみなさいと挨拶して階段を上がる。

「じゃあ俺も風呂沸かしてきます。美怜、おやすみ」
「おやすみなさい」

卓も部屋を出て行くと、美怜は時計を確認する。

「もうこんな時間!お風呂に入ったら寝ますね。友香ちゃんとおしゃべりが止まらないかもしれないけど」
「ははは!それは間違いない。ほどほどにな」
「はい」

美怜はにっこり笑うと急に真顔になり、キョロキョロと階段と隣の部屋のドアを見比べる。

「どうかした?」

声をかける成瀬の肩に手を置くと、美怜は背伸びをして耳元でささやいた。

「おやすみなさい、隼斗さん」

チュッと成瀬の頬にキスをするとすぐさま身を翻し、トントンと階段を駆け上がる。

突然の可愛い鳩のささやきに、成瀬は顔を真っ赤にしたまま完全に固まっていた。
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