恋とキスは背伸びして

葉月 まい

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二人での夕食

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ロビーを横切ってオフィス棟に行こうとすると、友香に気づいたスタッフが近づいて来た。

「友香さん、お疲れ様です。よろしければお荷物お預かりしましょうか?」
「あ、ええ。お願いします」
「ではクロークに置いておきますね。どうぞごゆっくり」

スタッフは友香と卓ににこやかにお辞儀をすると、荷物を持って去って行く。

身軽になった二人はオフィスで資料だけを持つと、そのまま本館三階のイタリアンレストランに向かった。

「いつも見慣れたホテルが、軽井沢のホテルを見て来たせいか、なんだか新鮮に感じます」
「そう?それならちょっとリセットして、客観的に見られていいかもね」
「ええ。今の感覚を忘れないうちに、色々決めておきたいです」

パスタやサラダを食べながら、二人で具体的にどこにどの家具を置くかを相談していく。

「美怜さんのアイデアのステンドグラスは、すぐにでも取り入れたくて」
「そうか。それならうちの製品でステンドグラスを使っているインテリアをまとめて資料にしておくね」
「はい。それを参考に、壁のステンドグラスの柄についても検討していけたら」
「分かった。総支配人は反対されないかな?」
「ええ。私と感覚が似ているので、おそらく良いアイデアだと思ってもらえるかと。今夜にでも伝えておきますね」

概ね今後の方針が決まり、食後のデザートとコーヒーを飲みながら、友香は改めて旅行のことを振り返る。

「本当に楽しかったなあ。私、普段から友達が少なくて。だから美怜さんとお知り合いになれたことが何より嬉しいんです」
「そっか。まあ、あいつがいれば嫌でも楽しくなるからな。一家に一台、みたいな」
「まあ!卓さんったら。美怜さんは素敵な女性ですよ?家電じゃありません」
「家電って…」
 
ははっ!と卓は笑い出す。

「想像しちゃった。美怜がテレビになってペチャクチャしゃべってるとこ。あはは!」
「卓さん!」

もう一度咎めてから、友香は少しうつむいて視線を落とした。

「どうかした?」

卓が真顔に戻って尋ねる。

「いえ、あの…。卓さんと美怜さん、とても仲がいいんですね」
「まあ、同期だからね」
「そうですか。あの、卓さんはやっぱり、美怜さんのような明るくて社交的な方がお好きなんですか?」
「ん?何その、私じゃだめですか、的なニュアンス」

そう言うと、友香はみるみるうちに真っ赤になって固まった。

「えっ!ちょ、待って。冗談だよ?ごめん。君が俺にそんなこと思う訳ないのは分かってるから」
「いいえ、思う訳あります!」

パッと顔を上げて真剣に見つめてくる友香に、卓は思わず息を呑む。

「卓さんは私にとって、初めてできた男性の友人でした。何も身構えずに何でも話せて、一緒にいると心地良くて。でも最近、ちょっと苦しくなってきたんです。卓さん、私と話して楽しいのかな?私は美怜さんみたいに話を盛り上げられないから、つまらないって思われてるのかもって」

だんだん声が小さくなり、ついには沈黙が広がった。

友香は膝の上に置いた両手の拳をギュッと握りしめる。

すると卓が、ふっと笑った。

「君だって最高に面白いよ。なにせ、出逢ってすぐに『ダーリン』だぜ?なかなかいないよ、そんな子」
「いや、それは…」
「生粋のお嬢様なのにな。そのギャップも面白い。しかも、もう二度と呼ばない、忘れるって言ってたのに、まさかの二度目」
「ですから、あれは…」
「三度目もあるかな?」
「ありませんよ!」
「いや、きっとあるね」

卓は面白そうに笑ってから、優しく友香に微笑んだ。

「三度目もあるか確かめたいから、これからもずっと一緒にいてくれない?」
「…えっ」

友香は小さく息を呑む。

「それは、どういう…?」
「だから、ダーリンとハニーでいて欲しいってこと。あ、でも俺、君に話してないことがあるんだ。聞いたら君はがっかりして俺から離れていくかも…」

ええ?!と、今度は大きな声を出してしまった。

(一体どんな隠し事を?もしかして、他に好きな人がいるとか?ううん、もっとすごいことかもしれない。実は結婚してるんだ、とか?あ!子どももいるとか?)

ドキドキしながら卓の言葉を待つ。

「実は…」

ゴクリと友香は喉を鳴らす。
緊張は最高潮に達していた。

「あの車、成瀬さんのなんだ」
「………………は?」

間抜けな顔で間抜けな声を発してしまう。

「えっと、一体何のお話を?」
「だから旅行中に乗ってたあの白いスポーツカー、成瀬さんの車なんだ。俺は運転してただけ」
「は、はあ…。それが、何か?」
「いやだって、女の子はかっこいい車を運転する男が二割増しにかっこ良く見えるって言うだろ?いや、三割増しだっけ?」

卓は真剣に聞いてくる。

「えっと、統計学的には分かりませんが、だいたい二割増しくらいではないかと…」
「そうか。だからさ、君も俺のことを二割増しで見てたと思う。運転してたのが成瀬さんだったら、君はもしかして、成瀬さんのことを好きに…」
「なりません!」

友香はきっぱりと否定する。

「私はあの車を運転する卓さんを好きになったのではありません。もっとずっと前に…。パーティーであなたが私に、ハニーって答えてくれた時からです」

真っ直ぐな瞳できっぱりと告げられ、卓は思わず言葉を失う。

だが、ふっと頬を緩めて嬉しそうに笑った。

「俺も。ダーリンって呼ばれた瞬間、君に落ちた。一目惚れならぬ、一声惚れ、かな?」

友香は信じられないとばかりに目を見開く。

「これからもずっと一緒にいよう」
「それは、ダーリンとハニーのお笑いコンビとして?」
「違うよ。卓と友香っていう、恋人同士として」

すると友香の瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。

「…売れるかな?そんなコンビ名で」
「ぶっ!売れなくていいから」

思わず突っ込んでから、卓は優しく友香に微笑む。

「売れないけど必ず幸せになる。してみせるよ、友香」
「はい。ありがとうございます、卓さん」

涙をこらえながら頷く友香に、卓は愛おしそうな眼差しで頷き返した。

***

「なんだか久しぶりだな、運転するの。変な感じ」

ハンドルを握る成瀬に、美怜も頷く。

「私も助手席に座るの久しぶりな気がします。運転してる本部長見るのも。旅行中はずっと富樫さんが運転してましたもんね。友香ちゃん、富樫さんのこと四割り増しでかっこ良く見えてたかも」
「え、四割も増すの?じゃあ俺も今、四割増しでかっこいい?」
「いやー、一割くらいかな?」
「なんでだよ?!」

前を見ながら突っ込む成瀬を軽く流し、美怜は窓の外を見つめる。

「今頃どうしてるかな?あの二人」

美怜のその呟きに、成瀬は複雑な思いになる。

(二人をくっつけようとしているってことは、結城さんは相変わらず富樫に気はないんだろうな。富樫は?結城さんのことを諦めたのだろうか。今までは結城さんとお似合いだと思ってたけど、確かに今の富樫は友香さんとお似合いだ。二人が恋人同士になったら、結城さんは?)

二人の関係が微妙に変わるのではないかと思い、成瀬は美怜に話しかけた。

「あの、さ」
「はい。何でしょうか?」
「うん、あの…。富樫が友香さんとつき合うことになったら、君は困らない?ほら、疑似デートにも行けなくなるし、富樫は君の相談相手だっただろうから」

すると美怜は、なんだ、そんなこと?と言わんばかりに笑顔になる。

「富樫さんが友香ちゃんと恋人同士になったら、私はすごくすごーく嬉しいです。だって富樫さんは、私の親友ですから。心から祝福したいです。疑似デートは行けなくなりますけど、それはまあ、仕方ないです。想像力でカバーします。あはは!」
「そうか、分かった。まあ俺じゃあ富樫の代わりはできないけど、相談には乗るから。何でも話してきて」
「はい。ありがとうございます、本部長」
「あと疑似デートは無理だろうけど、つき添いの先生役はできるから」

真顔でつけ加えると、美怜は笑い出す。

「先生、私もう二十五なんです。一人でどこでも行けますよ?」
「でも女の子が一人であちこち行くと、ナンパされたりして大変だろ?」
「されたことないですよ。私、モテませんし」
「本当に?自覚のなさが余計に怖いな。ちゃんと警戒心持ってね」
「はい、先生」
「うむ。よろしい」

***

美怜のマンションまでもうすぐとなった時、腕時計に目を落とした美玲が呟く。

「もう七時半なんですね。これから買い物行かないと。旅行に行くからって冷蔵庫空っぽにしてあるし」
「じゃあ、どこかスーパーに寄ろうか?」
「え、よろしいのでしょうか?」
「ああ。どこがいい?」

すると美怜は少し考えてから、成瀬に提案した。

「この近くに美味しい多国籍料理のお店があるんです。旅行中、散々本部長におごっていただいたので、今夜は私にごちそうさせていただけませんか?」
「いや、そんなことは気にしないで。でも確かに腹減ったな。俺も冷蔵庫にロクなもんないし。食べて行こうか」
「はい。じゃあ、次の信号を左折してください」
「了解」

そして二人はエスニックな雰囲気のレストランに向かった。

「へえ、ここのインテリアもなかなかいいね。個性的だけどセンスがいい」
「ですよね。色んなテイストだけど、上手く混ざり合ってガチャガチャしてなくて。って、私達メニューより先に内装チェックするこの職業病、いつ治るんでしょうか?」 
「あはは!治りそうにないな」

笑いながらメニューに顔を寄せ、二人で何品か好きなものをオーダーし、シェアすることにした。

「私、コリアンに偏っちゃいました。プルコギにチヂミにビビンバ」
「俺はスパニッシュだな。パエリアにアヒージョにピンチョス。あ!石焼ビビンバ、気をつけろよ?」
「ん?何が…って、あっつ!」
「ほら言わんこっちゃない。猫舌ってこと、どうしてすぐ忘れるの?」

成瀬が水のグラスを手渡しながら、呆れたように言う。

「私、猫舌じゃありませんよ。子ども扱いしないでください」
「はあ?どう見ても猫舌じゃないか。なんでそう頑なに認めようとしないんだ?この頑固者」
「頑固者?今、うら若い乙女に向かって、頑固者っておっしゃいましたね?」
「ああ言ったよ、猫舌の頑固者。事実じゃないか」
「ひっどい!本部長。可愛い部下に向かってなんてことを」

すると成瀬は周りのテーブルから視線を集めて、思わずうつむいた。

「ちょっと、その本部長っていうの、やめてくれない?」
「どうしてですか?本部長は本部長じゃないですか」
「しーっ!声が大きいって。なんかこう、イケナイ関係に見られてそうで、気になるから」
「どうイケナイんですか?」
「だから声!もうちょっと小声で話して。ほら、君と俺とじゃ歳が全然違うだろ?その上、本部長なんて呼ばれたら、その…」
「ああ、不倫とかってことですか?」

成瀬は慌てて美怜の口を手でふさぐ。

「もう、なんで君は小声で話せないの?」
「話せますよ!でもこのお店賑やかだから、もっと顔寄せてくれないと聞こえないですって」

そう言って美怜は成瀬にグッと顔を近づける。

「それで?なんてお呼びすればいいですか、本部長。あ、先生にしましょうか!」
「それはそれでいかんだろう」
「じゃあ他には?社長、なんてそれこそわざとらしいし。あなた、とか?」
「ぶっ!それ、一番アカンやつ!」
「えー、じゃあどうすれば?」
「普通に名字で呼べばいいだろう?」
「それは…、だめです」
「どうして?」

美怜はうつむいたまま、何やらごにょごにょと呟き始めた。

「私、本部長のことは役職名でしか呼びません。いくら本部長が私に気さくに話してくださっても、私は決めたんです。もう二度と一線は超えないって」

ゴホッ!と成瀬は盛大にむせ返り、慌てて周囲に目を向ける。

「ななな何を言っているのかな?君は。私と君は一度たりともそんなことには…」
「いいえ、あの時のことは決して忘れません。これから先もずっと己の胸に刻んでおきます」
「だ、だから、私達の間には何も…」
「本部長にとってはそうでも、私は忘れません」

そのうちに隣のカップルのテーブルから、ヒソヒソとささやく声が聞こえてきた。

「えー、リアル昼ドラ?ドロドロじゃない?」
「あの子、あんなに可愛い顔してるのに、不倫なんてなあ。まあ、相手もイケメンだからしょうがないか」
「イケメンだからってしょうがなくない!不倫はだめよ」

違うんです!と立ち上がって叫びたい衝動を必死でこらえ、成瀬は根気よく美怜に言い聞かせる。

「ほら、もうその話はおしまいにしよう。熱いうちに食べなさい」
「はい、本部長」

だからいちいち付け加えなくていいのー!

と心の中で叫びながら、成瀬はとにかく早くここを出ようと、急いで食事の手を進めた。

***

「すみません、結局またごちそうになってしまって」

お手洗いに行ったついでに会計を済ませて席に戻り、そろそろ行こうかと外に出た成瀬に、美怜はピンと来て頭を下げた。

「いや、気にしなくていいから。はい、どうぞ」

助手席のドアを開けて美怜を促す。

「明日からまた仕事だな。ミュージアムはどう?相変わらず忙しい?」

美怜のマンションまで運転しながら、成瀬が尋ねた。

「そうですね、相変わらずです。でも秋から冬にかけては、おうちの飾りつけやコーディネートが楽しめる時期じゃないですか。ハロウィンやクリスマス、お正月とか。そのレイアウトを考えたり、モデルルームを作る作業は楽しいです」
「そうか。いいな、あのミュージアムの雰囲気は。また私もミーティングに立ち会ってもいいかな?」
「もちろんです。いつでもお待ちしています」
「ありがとう」

やがて美怜のマンションに到着し、成瀬は助手席のドアを開けて美怜に手を貸す。

「ありがとうございます」

成瀬の右手に重ねた美怜の左手には、あのバラのチャームのブレスレットが揺れていた。

(まだ大事にしてくれているんだ)

嬉しさに成瀬は思わず頬を緩める。

「本部長、色々とありがとうございました。お陰様でとっても楽しい旅行になりました」
「こちらこそ。明日に備えて今夜はゆっくり休んで」
「はい、本部長も。送ってくださってありがとうございます。この先もお気をつけて」

成瀬は美怜に荷物を渡してエントランスに促し、その姿が見えなくなるまで見送った。
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