恋とキスは背伸びして

葉月 まい

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崩れた関係

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三月十四日。
ルミエール ホテルのアネックス館、全面リニューアルが遂に完了した。

「成瀬さん、富樫さん、結城さんも。長い間本当にありがとうございました」

最後の確認を終えると、倉本達が深々と三人に頭を下げる。

「こちらこそお世話になりました。リニューアルを弊社にご用命くださって、大変光栄でした。本当にありがとうございます。今後も何かありましたらいつでもご連絡ください。アフターフォローもしっかりとやらせていただきます」
「心強いです、ありがとうございます。季節のイベントなどの装飾も、引き続きよろしくお願いいたします」
「はい。末永くおつき合いのほど、どうぞよろしくお願いいたします」

挨拶を済ませて駐車場に向かいながら、三人はようやく肩の力を抜く。

「はあ、やっと終わったな」
「はい。本部長、お疲れ様でした」
「二人とも、本当にありがとう。おかげで良い仕事ができたよ」

この時ばかりは卓もホッとしたように笑顔を見せた。

「そうだ。結城さん、これ」

思い出したように、成瀬はジャケットの内ポケットから小さな包みを取り出す。

「気持ちばかりなんだけど、義理チョコのお返しに」
「あ、そう言えば今日はホワイトデーでしたね。ありがとうございます」
「君がくれたチョコレートに比べたら、なんてことはないもので申し訳ない」
「いいえ、お気持ちだけでも嬉しいです」

成瀬はわざと卓の前で、明らかにどこにでもありそうなホワイトデーのお菓子を美怜に渡した。

あくまで義理を果たしただけで、他意はない、というように。

ちらりと目を向けると、卓はじっと美怜の手元を見ている。

(このあと富樫も彼女に何か渡すのかな?)

そう思い、今日は解散することにした。

(本当は二人を盛大に労って、美味しいお店に連れて行きたかったが。まあ、日を改めるか)

成瀬はまたもや社に戻ると嘘をつき、二人を駅前で降ろして去って行った。

***

「じゃあね、卓。お疲れ様」

成瀬の車を見送ると、美怜はそう言ってすぐに背を向ける。

「美怜」

呼ばれて美怜は、久しぶりに卓に名前を呼ばれたと思いながら振り返った。

「どうしたの?」
「うん、これ。ホワイトデーだから」

そう言って可愛らしいピンクの包みを差し出した。

中には美怜の好きなクッキーが入っている。

「ありがとう。でもこれで最後ね。私ももう贈り物はしないから」

卓は何かをこらえるように、キュッと眉根を寄せた。

「卓、長い間ルミエールの件、お疲れ様でした。これからは一緒に仕事することもなくなるけど、元気でね。今まで忙しかった分、これからは彼女との時間を大切にしてね」

それじゃあ、と美怜は今度こそ卓に背を向けて歩き始める。

その場に残された卓がどんなに打ちひしがれているか、気づくこともなく。

***

「ねえ、美怜。その、ずっと聞きそびれてたんだけどね」

ルミエールのリニューアルが終わり、ようやくいつものミュージアムでの毎日が戻ってきた美怜に、佳代がロッカールームで控えめに尋ねる。

「バレンタインって、結局どうしたの?」

すると美怜は、ああ、と思い出したように頷く。

「すみません、バタバタして佳代先輩に報告してませんでしたよね。はい、ルミエールに視察に行きました」
「そうなんだ!それは、卓くんと二人で?」
「いえ、本部長も一緒にいつもの三人で。先方にも挨拶できたし、楽しそうなお客様の様子に私まで嬉しくなりました。佳代先輩、ありがとうございました」
「ううん、お礼なんて言わなくていいの。それで、その…。ホテルのリニューアルが終わって、これからは卓くんと会う約束とか、どうしてるの?」
「卓とは、もう会わないです」

えっ!と佳代は目を見開く。

「ど、どうして?」
「そうですね、プライベートの時間を大切にして欲しいので。佳代先輩、疑似デートのプランをありがとうございました。でももう疑似デートも行くことはないと思います」
「そ、そんな。卓くんがそう言ったの?もう疑似デートは行かないって」
「いいえ。でもそう思っているはずですから」

その時、お疲れ様ー!と他のメンバーが入ってきて、美怜もお疲れ様です!と笑顔で応える。

結局佳代は、それ以上美怜と話すことはできなかった。

***

「という訳なの。どう思う?美沙」

仕事を終えるとその日のうちに、佳代は美沙を食事に誘った。

美怜の言葉をそのまま伝え、自分の想像と美沙の想像が同じかどうかを確かめる。

「うーん…。卓くんが美怜に告白して美怜が断った、としたら、美怜の『プライベートの時間を大切にして欲しい』なんて言い方変だよね?」
「そうなのよ。つまり美怜は、卓くんにプライベートの時間を大切にして欲しいからもう会わない方がいいと思ってる。この意味って?」
「考えられるとしたら、美怜の勘違い。つまり…」

『卓くんに彼女ができたと思っている』

重なった声に、二人は同時にため息をつく。

「やっぱりそれしかないよね」
「うん。卓くん、大丈夫かな?きっと告白する前に美怜に勘違いされたんだよね」
「そうなるよね。しかもそれを否定できずにいる」
「うわ、本当に心配。どうする?佳代」

佳代は腕を組んで宙に目を向ける。

「何とかしてあげたいけど、私達じゃ迷惑なだけかな。でもなあ、話を聞くくらいならできるし。でも卓くんは嫌かな?でも…」
「もう佳代ったら。でもでもばっかり!迷ってないで聞いてみなさいよ」
「うん、そうだね」

頷くと、早速佳代はスマートフォンを取り出し、卓の携帯番号にメッセージを送った。

『卓くーん!お疲れ様。今美沙と食事してるんだけど、一緒にどう?』

ドキドキしながら返信を待つ間、迷惑なら断ってくるよね、と美沙と頷き合う。

すると意外にも、『じゃあお邪魔してもいいですか?』と返事がきた。

おお?!と佳代は、思わずスマートフォンを落としそうになる。

美沙と手を取り合って喜び、『うん、いつものお店で待ってるね』と送った。

「お疲れ様です」

三十分程して店に現れた卓を、佳代と美沙は明るく迎える。

「お疲れ様ー!今夜もお姉さん達がおごっちゃうから、どんどん食べなね」
「ありがとうございます」

ビールで乾杯すると、二人は卓の前に料理を次々と並べた。

「最近ちゃんと食べてるの?ほら、これも食べて。栄養つけないとね」
「先輩、お姉さん通り越しておふくろさんですね」

なにをー?!と素に戻る佳代を、美沙が咎める。

「佳代、今夜のところは、ね?」
「あ、そうよね」

シュンとおとなしくなる佳代に、卓は苦笑いした。

「さすがは佳代先輩と美沙先輩。もうお見通しなんですね」
「え、いや。何も知らないよ?美怜からも何も聞いてないし」
「ってことは、やっぱり分かってるんですね。俺と美怜の最近の様子」
「ううん、ほんとに何も知らないって。美怜は自分から卓くんのプライベートを話すような子じゃないし、卓くんだって、私達には言いにくいでしょ?」

か、佳代!と、隣で美沙が袖を引っ張る。

「しゃべり過ぎだってば」
「え?何もしゃべってないよ?私からは言えないじゃない、あんなこと」

すると卓が、ふっと笑みをもらす。

「佳代先輩、隠し事できないタイプでしょ?」
「できるわよ!しれっと涼しい顔でごまかすの、得意だし」
「じゃあ知らないんですね?俺が美怜に失恋したこと」
「ししし知らない」

あはは!と、卓は思わず声を上げて笑った。

「佳代先輩、分かりやす過ぎ!」
「いや、でも、あの。ほんとに知らないというか。そうなのかなって思ってただけで。ねえ?美沙」 
「うん。でもだいたいの見当はついてたの。卓くん、もしかして告白する前に美怜に勘違いされた?他に彼女ができたって」

卓は小さく息を吐くと頷く。

「どうして否定しなかったの?」

美沙の言葉に、卓は悲しげに苦笑いした。

「ほんと、どうしてなんでしょうね?その場ですぐに、彼女なんていない。俺はお前が好きだって言えたらどんなに良かったか…。俺って軽い性格なのに、いざとなったら腰抜けですね。それくらい、あいつのことが好きで…」
「卓くん…」

言葉を詰まらせた卓に、佳代と美沙も思わず涙ぐむ。

「親友の関係が崩れるのが嫌で。あいつの笑顔を見られるだけでいい、だから告白もしないでおこうと思ってたのに。結果として、告白もしないまま親友の関係も終わってしまいました。ほんと、何やってんだろう、俺。自分が情けなくて」

そう言うと卓はグイッとビールを煽る。
 
「ねえ、卓くん。それならさ、今からでも美怜に告白したら?」

美沙の言葉に、え?と卓は顔を上げた。

「親友の関係が崩れたんなら、もう怖いものなんかないでしょ?美怜にちゃんと言いなよ。彼女なんていない、好きなのは美怜だって」

すると佳代も、うんうんと頷く。

「そうだよ、卓くん。このまま辛い気持ちを抱えてても、苦しいだけでしょ?告白すれば、うまくいく可能性だってあるんだから」
「いや、それはないです」 
「どうして?」
「見てれば分かります。あいつ、俺に恋愛感情なんて全く持ってませんよ」
「それは告白してみないと分からないよ。好きだって言われて初めて、卓くんの存在を見つめ直すかもしれないし」

佳代と美沙が身を乗り出して力説するが、卓は、うーん、とうつむいたままだ。

「告白して、きっぱり断られたら?そうなればもう俺、絶対に立ち直れない自信があります」
「そ、そんなところに自信持たなくても…」
「すみません。お二人とも俺のことを心配してくれてるのに、不甲斐なくて。でも今は、とにかく勇気がなくて。これ以上傷つきたくないんです。すみません、本当に」
「ううん、謝らなくていいから」

それ以上は言えず、ただひたすら「元気出して。私達にできることならなんでもするから」と、二人は卓を励まし続けた。
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