恋とキスは背伸びして

葉月 まい

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親友ではなくなる時

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「美怜、お待たせ」
「ううん。おはよう、卓」

やって来た週末。
美怜は駅の改札前で卓と待ち合わせた。

今日は車ではないからと、美怜は白いロングコートとブーツ、卓も暖かそうなブルゾンを羽織っている。

「私の最寄駅まで来てくれてありがとう」
「なんのなんの。車じゃなくて悪いなと思ってるんだ。これくらい当たり前だよ。それで?最初はどこに行くの?」
「えっとね、ここから電車で十分の、駅直結のショッピングモール。そこにカップルにおすすめのプラネタリウムがあるんだって」
「へえ、プラネタリウム?いつぶりだろう。小学生の課外授業で行ったのが最後かも」
「私もそうかも。それで佳代先輩のメモによると、三階のカップルシートのチケットを買うようにって」
「ふうん。とにかく行ってみるか」

電車はまだ比較的空いており、あっという間に目的の駅に着いた。

改札を出るとだんだん人が増えてきて、あちこちに行き交う人波にのまれ、美怜は卓とはぐれそうになる。

「美怜、こっち」

卓が手を伸ばして美怜の右手を握る。

「迷子になるなよ」
「うん。それにしてもすごいね、都会って。どこからこんなにたくさんの人が集まって来るんだろう」
「おい、今さら何言ってんだ?美怜だって都会で働いてるだろう?」
「でもマンションと職場の往復だけだから、街に出ることないんだもん。わあ、人酔いしそう…」
「え、大丈夫かよ。ほら、あんまりあちこち見ないでいいから」

そう言って卓は美怜の肩を抱き、なるべく人混みを避けて歩いた。

***

ショッビングモールの入り口を入ると、すぐ脇のエレベーターに向かい、最上階で降りる。

そこはワンフロア使った大きなプラネタリウムになっていた。

「へえ、すごいな。まるで別世界に来たみたいだ」
「うん、本当だね。エントランスから惹き込まれちゃう」

照明はダークなブルーで、ドーム型のエントランスはまるで異世界へのトンネルのよう。

さっきまでの喧騒が嘘のように、静かでゆったりとした空間が広がっていた。

「えっと、カップルシートは…」

美怜が料金案内の表示を見上げていると、卓がすたすたとチケットカウンターに向かい、チケットを手にして戻って来る。

「この一枚で二人入れるって。席も指定席らしい」
「ありがとう。今お金払うね」

ショルダーバッグから財布を取り出そうとすると、卓は手で遮った。

「疑似デートなんだから、彼氏がおごらないと」
「でも本当のデートじゃないし」
「んじゃ、本部長に領収書回そう。経費で落としてもらうよ」
「ええ?!そんなの無理でしょ?」
「冗談だよ。ほら、行くぞ」

卓は再び美怜の手を繋ぐと、入り口でスタッフにチケットを見せて中に入る。

「三階のカップルシートへはこちらのエスカレーターでお越しください」

ブルーの制服を着た可愛らしい女性スタッフがにっこりと手で促し、美怜達はエスカレーターで三階まで上がった。

映画館のようなドアを開けて中に入ると、照明は暗く、音楽が控えめに静かに流れている。

「えっと、C席だからここだな」

立ち止まった卓の後ろから顔を覗かせて、美怜は、え!と驚く。

「席って、ここが?」
「ああ。寝転んで眺めるらしい」


そこには丸くて大きな青いマットレスのようなものが置かれていた。

ふわふわと寝心地も良さそうで、頭の部分は緩やかな傾斜になっている。

「こんなのさ、横になったらもう寝ちゃう自信しかないんだけど」
「あはは!色気より眠気ってか?」

二人で笑いながら横になってみる。

「わ、ふっかふか!それにこの会場、いい香りがするね。気持ちいい…」
「おいおい美怜さんよ。早速目をつぶりなさんなって」
「ん、始まったら教えて」
「まったく…」

上映開始までにはまだ十分程あり、天井も暗いままだ。

周りにもカップル達が増えてきたな、と思いながら辺りを見渡していた卓は、スーッと寝息を感じて隣を見る。

「え、おい!マジで寝てんのかよ」

お腹の上で両手を組み、美怜はすやすやと気持ち良さそうに眠っている。

ふっくらとした唇がほんのわずかに開いていて、思わず目が吸い寄せられた卓は焦った。

(ちょっと待て。無防備過ぎるだろ?寝顔を他の男に見られたらどうするんだ?)

カップルだからもちろん彼女と来ているだろうが、それにしてもこんなに可愛い寝顔を見たら誰でもドキッと…

え、可愛い寝顔?可愛い…

卓はもう一度ちらりと美怜に目を向けた。

(確かに可愛い。けど俺と美怜は親友同士で、これは疑似デート。だから何も起こらない)

淡々と自分に言い聞かせる。

うんうんと頷いていると、腕を組んだカップルが近くまでやって来て、通り過ぎざま彼氏が美怜の寝顔をじっと見つめた。

卓は慌てて美怜に覆いかぶさるように身を寄せる。

そのまま通り過ぎたカップルにホッとしていると、すぐ目の前に美怜の唇があって、ズザッと飛び退いた。

(やばい。心臓がバクバク…。なんだよここ、お化け屋敷かよ?)

そうこうしているうちにアナウンスがあり、間もなく上映すると言う。

「美怜、美怜?もうすぐ始まるって」

肩を揺さぶると、美怜はうーん…と身じろぎして卓の方に寝返りを打った。

(うわっ!顔が近いっての!)

思わず唇と唇が触れそうになり、卓は後ろに後ずさる。

美怜はゆっくりと目を開けると、ぱちぱちと瞬きをくり返した。

「あれ、卓?ここどこ?」
「ベッド、じゃなくて!プラネタリウム!」
「あ、そっか。もう始まる?」
「ああ」
「わー、楽しみ!テーマは『星空の世界旅行』だよね。どんなのかな?」

すると開演のブザーが鳴り、照明が完全に落とされた。

『ここは地球。この美しい惑星では、いつもどこかで綺麗な星空が広がっています。さあ、星空を追って世界を旅してみましょう』

ナレーションのあと、パーッと一気に満天の星空が天井のドーム一杯に広がった。

「ひゃー!綺麗!」

美怜が小さく感嘆の声を上げる。

卓も、ああ、と頷いた。

小学生の時に観たプラネタリウムとはまるで違う。

テクノロジーの進化と共に、より一層美しく鮮やかに映し出される星座。

そこに世界の名所の夜景もコラボして、それぞれの国の雰囲気も楽しめた。

アラビアの宮殿の上に広がる星空は、まるで魔法の絨毯に乗って眺めているように。

エジプトのピラミッドを背景にした夜空は、スフィンクスの目線で。

パリのオシャレな街並みを彩る星は、エッフェル塔から見下ろすように。

次々と流れるように世界を旅したあと、じっくりと星座の解説もあった。

「素敵ね…」

うっとりと見上げながら呟く美怜の横顔は美しく、瞳は星空を映して輝いている。

そんな美怜から、卓は目が離せなくなった。

頭の中にかつての自分の言葉が蘇る。

『ずっと親友だと思ってた男女も、ふとした瞬間にいい感じの雰囲気になって、そうすると一線超えちゃうだろうなって。だから異性の親友は、単にそんな雰囲気になったことがないだけなのかなと。何かのきっかけがあれば恋人同士になる、そんなちょっと危うさを抱えた親友ってことですかね』

それは、まさにこのシチュエーションのことではないか?

ふとした瞬間にいい感じの雰囲気になるのが、まさに今で。

(だめだ!とにかくいかん!)

正面に顔を戻し、必死で自分に言い聞かせる。

一方で、何がだめなんだ?ともう一人の自分が問いかけてきた。

(別にいいじゃないか。自分の気持ちに素直になってみても。今、美怜のことを意識し始めた自分を認めてもいいじゃないか)

だがそこで美怜のセリフが思い出された。

『お互い同じ気持ちだったら恋人に進展してもいいけど、どちらかがそうじゃなかったらちょっと悲しいかな』

そうだ、美怜は確かにそう言っていた。

『そこで気まずくなって、親友ではいられなくなるかもしれません。そんなふうに関係性が変わってしまうなら、私は親友のままがいいかな』

自分が美怜を好きになっても、美怜がそうでなければ、今の関係さえ終わってしまうかもしれない。

それならこの気持ちは封印して、これまで通り美怜とは親友として楽しくつき合った方がいい。

卓はそう結論を出した。

それがこの先、どんなに自分の心を苦しめることになるか、その時はまだ知らずに。

***

「すっごく素敵だったね、卓」
「ああ、そうだな」
「ねえ、カップル向けの客室にプラネタリウムの貸し出しをするのってどうかな。そういうのあるでしょ?ベッドルームの天井に映し出すプロジェクター。どう思う?」
「うん、いいと思う」
「そう?ちょっと調べてみようかな。おもちゃっぽくなくて、本格的なのがあればいいな」
「そうだな」

すると、ん?と美怜が首を傾げて顔を覗き込んできた。

「卓?どうかした?」
「え、なんで?」
「なんかちょっと元気ないみたい」
「そんなことないよ」

美怜の視線から逃げるように、卓は前を向いて歩き出す。

「それで?次はどこへ行くの?」
「えっとね、このすぐ下の階に、プラネタリウムに合わせて星空の写真展やってるんだって。それを見てからランチにしようか」
「分かった。エスカレーターで下りよう」

一つ下の階に下りると、写真展の会場の入り口で卓は入場券を二枚買う。

また財布を取り出そうとする美怜を手で制して、中へと促した。

「ここの雰囲気もいいね。ネイビーの幕で会場全体を装飾していて、照明も控えめな間接照明で」

職業病でまたしても美怜はまず内装をチェックする。

会場の外のざわめきを消すように、オルゴールの音楽がゆったりと流れていた。

「写真も素敵。見て、天の川よ」

美怜は優しい表情でじっくりと写真に魅入っている。

卓は写真よりもそんな美怜に釘づけになっていた。

ふと美怜の左隣にいた男性が美怜を振り返り、じっと見つめたあと近づいて来ようとする。

「美怜、あっちも見よう」

卓は美怜の肩を抱くと、男性から遠ざけるようにその場を離れた。

***

「美味しい!なんだかずっと星空の世界にいたから、まだお昼だってこと忘れてたわ」

ランチに入ったカフェで、美怜はデミグラスソースのオムライスを頬張り、笑顔になる。

「デザートも食べていい?」
「ああ、どうぞ」
「うーんと、ティラミスとミルフィーユとイチゴのタルト…」
「えっ!そんなに食べるのかよ?」
「まさか、違うってば!そのうちのどれにしようかなって迷ってて」
「嘘だよ。全部頼みそうな勢いだったぞ?」
「えへへ。まあ、本音はそうだけどね」

無邪気に笑う美怜は、心底自分に気を許してくれているのだろう。

何の下心もなく、純粋に何でも話せる親友として。

(今の関係を続けたい。美怜のこの笑顔をずっと見ていたいから)

卓が自分の心にそう刻み込んでいると、美怜はまた屈託のない笑顔を浮かべた。

「ね、やっぱり全部頼んでもいい?卓、半分こしてくれない?」
「ああ、いいよ」
「やった!」

美怜は更に嬉しそうに笑うと、早速デザートを三つオーダーした。

一つのデザートを二人で分け合い、美怜は卓に顔を寄せて、美味しいね!と微笑む。

そんな美怜に頬を緩めつつ、卓は胸が締めつけられる切なさを感じていた。

***

次の日。
ミュージアムに出勤した美怜は、早速佳代に報告する。

「佳代先輩。電車で回るデートコース、昨日卓と行って来ましたよ」
「え、ほんと?!それでどうだった?」
「はい、とっても楽しかったです。あのプラネタリウム、すごいですね。あんなに素敵なところがあるなんて知りませんでした。写真展も良かったし、ランチはデザート三つも頼んじゃって、卓と半分こして食べました」

そうそう!と美怜は思い出したように付け加える。

「ルミエールのカップル向けのアイデアも浮かんだんです。客室にプラネタリウムの貸し出しをしたらどうかなって。本格的なものが売ってるかどうか、リサーチすることになって。実現するといいなあ。佳代先輩、デートプランを考えてくださってありがとうございました」
「ううん。楽しんでもらえたみたいで、私も嬉しい。卓くんも楽しんでくれてた?」
「はい。あ、でもちょっと口数少なかったかな?」
「え、そうなの?どうして?」
「うーん、何か悩み事でもあるのかな。今度会った時にさり気なく聞いてみますね」

着替えを終えてロッカーを閉め、それではお先に行ってます!とロッカールームを出て行く美怜を見送ると、佳代は、うーん…と腕を組んで考えを巡らせていた。
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