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末娘の幸せ
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翌朝。
六時に起きた美怜は、あくびを噛み殺しながらバスルームに向かう。
シャワーを浴びると、夕べ寝る前に手洗いして干しておいた下着とブラウスを手に取る。
(うん、ちゃんと乾いてる。良かった)
着替えて支度を整えると、時計を見る。
(七時か…。そろそろいいかな?)
そう思って内線電話をかけると、ワンコールで成瀬の声がした。
「もしもし」
「おはようございます。結城です」
「おはよう。よく眠れた?」
「はい、ぐっすり」
「そう、良かった。朝食のレストランの前で待ち合わせでもいい?」
「大丈夫です」
「じゃあ、十分後に」
手短に通話を終えると、美怜はもう一度鏡の前で服装をチェックしてから部屋を出る。
二階の朝食ビュッフェのレストランに行くと、成瀬が一人入り口の横のソファで待っていた。
美怜は急いで駆け寄る。
「本部長、お待たせしました」
「いや、大丈夫だ。入ろうか」
「はい。あの、富樫さんは?」
「ああ。爆睡してて全然起きないんだ。あとでパンでも買って行くよ」
「そうなんですね。すみません、お手数をおかけして」
「どうして君が謝るの?ほら、行こう」
促されて美怜は店内に入る。
スタッフに案内されて二人がけの席に着くと、美怜はまたしても癖でレストランの内装をチェックした。
「本部長。レストランのクリスマスの装飾、進めておいてくださったんですね」
「ああ、そうなんだ。コーディネーターと相談してね。君達にちゃんと報告してなくてすまない」
「いいえ、とっても素敵です。ありがとうございます」
小ぶりのクリスマスツリーの周りに、ゴールドとシルバーの二色使いの飾りがシンプルながら美しい。
しばしあちこち眺めてから、ようやく美怜はブュッフェカウンターに向かった。
「わあ、ホテルの朝食って本当に豪華ですよね。どれも美味しそう」
スクランブルエッグやオムレツ、ベーコンやソーセージなどの洋食の他にも、お茶漬けや焼き魚、味噌汁などの和食も揃っている。
サラダやフルーツ、ヨーグルトやフレッシュジュースもあり、美怜は迷いながらたくさん盛りつけてテーブルに戻った。
「いただきます!」
手を合わせて食べ始めると、あまりの美味しさに笑みがこぼれる。
「美味しそうに食べるね」
「だって本当に美味しいですもん。朝からとっても贅沢な気分です。これで今日も一日がんばれそう」
「ははっ、前向きで偉いな。俺なんか、今日が休みだったらなって、朝から何度も思ってる」
「ふふっ、そのお気持ちも分かります」
そう、今日はこれから普通に仕事がある。
だがそもそもホテルに泊めてもらえたことがラッキーだったのであって、そう思えば幸せな気分で出勤できそうだった。
食べ終わると美怜は成瀬と一旦別れて部屋に戻り、荷物をまとめてロビーに下りる。
フロントでチェックアウトすると、「お代は結構です」と言われて戸惑った。
どうしよう?と迷っていると、成瀬が卓の腕を取りながらエレベーターから降りて来るのが見えた。
どうやらまだ寝ぼけているのか、卓の足取りはおぼつかない。
「本部長!」
美怜は慌てて近寄り、成瀬から卓を引きはがす。
「すみません、ご迷惑をおかけして。卓!ほら、しっかりして」
「うー、眠…」
美怜はすぐそばのソファに卓を座らせると、成瀬を振り返った。
「すみませんでした」
「いや、大丈夫だ。それよりカードキーくれる?」
「それが、先にチェックアウトしたんですけど、お代は結構ですって言われてしまって。どうしましょう?」
「あー、そうか。倉本さんは?フロントにいらっしゃった?」
「いえ、お見かけしていません」
分かった、と言うと成瀬はフロントに向かう。
何やらスタッフとやり取りすると、しばらくして戻って来た。
「支払いは固辞されてしまってね。倉本さんにお礼に一筆書いて、渡してもらうことにした。また後日、改めてお礼をしておくよ。じゃあ行こうか」
「はい。卓、ほら、行くよ?」
フラフラする卓を支えながら駐車場まで行くと、スポーツカーを目にした途端、卓はシャキン!と目を見開く。
「朝から拝めるとは、なんて素晴らしい日なんだ。グッドモーニング!」
やれやれと成瀬はため息をつく。
「結城さん、助手席へどうぞ。先にミュージアムまで送るよ」
「ありがとうございます。お願いいたします」
おかげで美怜は通勤電車で揉まれることもなく、いつもより早い時間にミュージアムに着くことができた。
***
ロッカールームで制服に着替えていると、バタン!と勢い良くドアが開いて佳代が入って来た。
「先輩、おはようございます。早いですね」
「みみみ美怜!さっきのは何?」
「は?さっきのって?」
鼻息荒く近寄って来る佳代に後ずさりながら、美怜は怪訝な面持ちになる。
「私ね、裸眼で視力が2.0あるの」
「へえ、すごい!…って、え?それがどういう?」
「だからね、見えちゃったのよ!遠くに見えるミュージアムのエントランス。そこに颯爽と現れた一台のスポーツカー。そして助手席から降りるスーツ姿の美怜を!」
ああ、なんだ、と美怜は気が抜けた。
「なんだって何?誰なの?あのスポーツカーの人は」
「本部長です」
「ほ、本部長?!」
佳代は驚きのあまり大きく仰け反り、後ろのロッカーにビタン!と身体を張りつける。
「大丈夫ですか?佳代先輩」
「だ、大丈夫じゃない。全然、全く」
「えっ、どこかぶつけましたか?肘とか?」
「ね、ちょっ、美怜。落ち着いて聞かせて。ね?」
「私は落ち着いてますけど…」
すると佳代は美怜の手を取り、ドレッサーの前の椅子に座らせた。
そのまま美怜の前にひざまずき、スーハーと息を整えると、佳代はゴクッと生唾を飲んでから口を開く。
「美怜、まさかとは思うわよ?美怜に限ってそんなはずは…って。だけど、一応、念の為、参考までに聞かせて」
「はい、何でしょう?」
「美怜。夕べ本部長と、その…。ひと晩一緒にいたの?」
「はい。ホテルに泊まりました」
ガタガタッと佳代が床に座り込んで椅子をなぎ倒すのと、ガチャッとドアを開けて入って来た美沙達数人が固まるのとが同時だった。
***
「お、終わった。なんとか、無事に…」
その日の閉館時間を過ぎると、先輩達は一斉にオフィスのデスクに突っ伏した。
「おいおい、今日はみんなどうしたんだ?何か大変なトラブルでもあった?」
課長が声をかけると、佳代がかろうじてといった具合に顔を上げる。
「課長、一大事ですよ。我がミュージアムチームの末娘が…。うっうっ。これが娘を嫁に出す父親の気持ちなんですね」
「ああ、あれは辛かった。たとえ相手がどんなにいい男でも、嫁にやる時は複雑だったな。って、何の話?」
キョトンとする課長の言葉にうんうんと頷いてから、佳代は皆を見渡す。
「とにかくみんな、これからロッカールームでミーティングよ」
はい!と返事をする先輩達の中で、美怜だけは、はい?と首をひねっていた。
***
「美怜、正直に答えてね。怒ったり咎めたりしないから。私達、ただあなたのことが心配なだけなの」
「は、はあ…」
着替えもそこそこに、美怜はロッカールームで先輩達に取り囲まれた。
佳代が真剣な表情で切り出す。
「夕べ、本部長と、その…ホテルに泊まった…の?」
「はい」
すると、ギャー!うそでしょー!と先輩達は悶絶する。
「それで?その…。どこまで?」
「は?どこまでとは?」
「だから、つまり。どこまで、やっちゃった…の?」
だんだん小さくなる佳代の声と、固唾を飲んで身を乗り出す先輩達に、美怜はようやく、ああ!と合点がいった。
「違いますよ、そういうんじゃないんです。昨日はルミエールのクリスマス装飾の日だったので、本部長と卓と一緒に作業しに行きました。終わったのが夜遅くて、先方の副総支配人の方がお部屋を用意してくださったんです。卓が本部長と同室で、私はシングルルームで一人で寝ました」
なーんだ、と一斉に先輩達はため息つく。
「じゃあ、今朝スポーツカーで送ってもらった時も、卓くんいたの?」
「はい。後ろに乗ってましたよ」
「それならそうと、早く言ってよー」
え、いや、だって、と美怜は宙に右手を出す。
「もう、私達今日一日、なんとか正気で仕事しようと必死だったんだからね?」
そうおっしゃられましても…
「美怜が、あの美怜が、ついに純潔を捧げたの?!って」
そ、そんな赤裸々な…
「良かったー。じゃあ美怜は清らかなままなのね?」
まあ、そうですね。キスより先はまだ…
「…え?」
ピキッと固まった先輩達に、美怜は再び、ん?と首をひねる。
「美怜、本部長とキスしたの?」
もはや呆然としながら尋ねる佳代に、美怜は慌てて手を振って否定する。
「違いますよ!高校の時の話です」
「ええ?!美怜、高校の時彼氏いたの?」
「はい。ほんの三ヶ月だけでしたけど」
うそー!知らなかったー!と先輩達は驚くが、その反応に美怜の方が驚いた。
「どうしてですか?私、彼氏いたことないって言いましたっけ?」
「いや、そう言われればそうだけど。なんか思い込んじゃって。でも美怜から、彼氏がいたって話も聞いたことないよね?」
うんうん、と先輩同士で頷いている。
「なんだか想像つかないな。だって美怜なら、一度誰かを好きになったらずっと想い続けそうだもん。三ヶ月で別れたなんて、本当に?」
「はい。そもそも相手のことを好きだった訳ではないんです。告白されて断わったんですが、しばらくつき合ってみてそれから返事してって押し切られて」
「なるほど。それで三ヶ月つき合ってみてから別れたのね…って、待って!じゃあ、なんでキスしたの?」
それが…と、美怜は視線を落とす。
「つき合って三ヶ月経った頃、文化祭があったんです。後夜祭で盛り上がって、クラスみんなで打ち上げをした時、彼が友達にからかわれて。お前達ほんとにつき合ってるのか?もうキスしたのか?って。それで彼がムキになって、みんなの前でいきなり私に…」
ああ…と、先輩達も一斉に視線を落とした。
「てんとう虫のサンバか…」
「佳代、それ古いから。美怜きっと知らない」
「そんなこと、本当にあるんだね。それで美怜、すぐにその彼に別れを切り出したの?」
美怜はコクンと頷く。
「もう、なんて言うか、生理的に受けつけなくなってしまって。それがきっかけで、誰かとつき合うのも避けるようになってしまいました」
そっか、と佳代は小さく呟く。
「美怜。その時美怜が傷ついた気持ちはよく分かる。ファーストキスをそんなふうに奪われたらトラウマになるよね。でもね、美怜。あなたには幸せになって欲しい。いつか素敵な人を好きになって、その人に大切にしてもらって。私達みんな、美怜の幸せを願ってるから」
「先輩…」
美怜の目から思いがけずポロポロと涙がこぼれ落ちる。
「辛かったね、美怜。大丈夫。いつかきっと幸せになれるからね」
佳代に頭をなでられ、先輩達に背中をさすられながら、美怜は涙をこらえて頷いた。
六時に起きた美怜は、あくびを噛み殺しながらバスルームに向かう。
シャワーを浴びると、夕べ寝る前に手洗いして干しておいた下着とブラウスを手に取る。
(うん、ちゃんと乾いてる。良かった)
着替えて支度を整えると、時計を見る。
(七時か…。そろそろいいかな?)
そう思って内線電話をかけると、ワンコールで成瀬の声がした。
「もしもし」
「おはようございます。結城です」
「おはよう。よく眠れた?」
「はい、ぐっすり」
「そう、良かった。朝食のレストランの前で待ち合わせでもいい?」
「大丈夫です」
「じゃあ、十分後に」
手短に通話を終えると、美怜はもう一度鏡の前で服装をチェックしてから部屋を出る。
二階の朝食ビュッフェのレストランに行くと、成瀬が一人入り口の横のソファで待っていた。
美怜は急いで駆け寄る。
「本部長、お待たせしました」
「いや、大丈夫だ。入ろうか」
「はい。あの、富樫さんは?」
「ああ。爆睡してて全然起きないんだ。あとでパンでも買って行くよ」
「そうなんですね。すみません、お手数をおかけして」
「どうして君が謝るの?ほら、行こう」
促されて美怜は店内に入る。
スタッフに案内されて二人がけの席に着くと、美怜はまたしても癖でレストランの内装をチェックした。
「本部長。レストランのクリスマスの装飾、進めておいてくださったんですね」
「ああ、そうなんだ。コーディネーターと相談してね。君達にちゃんと報告してなくてすまない」
「いいえ、とっても素敵です。ありがとうございます」
小ぶりのクリスマスツリーの周りに、ゴールドとシルバーの二色使いの飾りがシンプルながら美しい。
しばしあちこち眺めてから、ようやく美怜はブュッフェカウンターに向かった。
「わあ、ホテルの朝食って本当に豪華ですよね。どれも美味しそう」
スクランブルエッグやオムレツ、ベーコンやソーセージなどの洋食の他にも、お茶漬けや焼き魚、味噌汁などの和食も揃っている。
サラダやフルーツ、ヨーグルトやフレッシュジュースもあり、美怜は迷いながらたくさん盛りつけてテーブルに戻った。
「いただきます!」
手を合わせて食べ始めると、あまりの美味しさに笑みがこぼれる。
「美味しそうに食べるね」
「だって本当に美味しいですもん。朝からとっても贅沢な気分です。これで今日も一日がんばれそう」
「ははっ、前向きで偉いな。俺なんか、今日が休みだったらなって、朝から何度も思ってる」
「ふふっ、そのお気持ちも分かります」
そう、今日はこれから普通に仕事がある。
だがそもそもホテルに泊めてもらえたことがラッキーだったのであって、そう思えば幸せな気分で出勤できそうだった。
食べ終わると美怜は成瀬と一旦別れて部屋に戻り、荷物をまとめてロビーに下りる。
フロントでチェックアウトすると、「お代は結構です」と言われて戸惑った。
どうしよう?と迷っていると、成瀬が卓の腕を取りながらエレベーターから降りて来るのが見えた。
どうやらまだ寝ぼけているのか、卓の足取りはおぼつかない。
「本部長!」
美怜は慌てて近寄り、成瀬から卓を引きはがす。
「すみません、ご迷惑をおかけして。卓!ほら、しっかりして」
「うー、眠…」
美怜はすぐそばのソファに卓を座らせると、成瀬を振り返った。
「すみませんでした」
「いや、大丈夫だ。それよりカードキーくれる?」
「それが、先にチェックアウトしたんですけど、お代は結構ですって言われてしまって。どうしましょう?」
「あー、そうか。倉本さんは?フロントにいらっしゃった?」
「いえ、お見かけしていません」
分かった、と言うと成瀬はフロントに向かう。
何やらスタッフとやり取りすると、しばらくして戻って来た。
「支払いは固辞されてしまってね。倉本さんにお礼に一筆書いて、渡してもらうことにした。また後日、改めてお礼をしておくよ。じゃあ行こうか」
「はい。卓、ほら、行くよ?」
フラフラする卓を支えながら駐車場まで行くと、スポーツカーを目にした途端、卓はシャキン!と目を見開く。
「朝から拝めるとは、なんて素晴らしい日なんだ。グッドモーニング!」
やれやれと成瀬はため息をつく。
「結城さん、助手席へどうぞ。先にミュージアムまで送るよ」
「ありがとうございます。お願いいたします」
おかげで美怜は通勤電車で揉まれることもなく、いつもより早い時間にミュージアムに着くことができた。
***
ロッカールームで制服に着替えていると、バタン!と勢い良くドアが開いて佳代が入って来た。
「先輩、おはようございます。早いですね」
「みみみ美怜!さっきのは何?」
「は?さっきのって?」
鼻息荒く近寄って来る佳代に後ずさりながら、美怜は怪訝な面持ちになる。
「私ね、裸眼で視力が2.0あるの」
「へえ、すごい!…って、え?それがどういう?」
「だからね、見えちゃったのよ!遠くに見えるミュージアムのエントランス。そこに颯爽と現れた一台のスポーツカー。そして助手席から降りるスーツ姿の美怜を!」
ああ、なんだ、と美怜は気が抜けた。
「なんだって何?誰なの?あのスポーツカーの人は」
「本部長です」
「ほ、本部長?!」
佳代は驚きのあまり大きく仰け反り、後ろのロッカーにビタン!と身体を張りつける。
「大丈夫ですか?佳代先輩」
「だ、大丈夫じゃない。全然、全く」
「えっ、どこかぶつけましたか?肘とか?」
「ね、ちょっ、美怜。落ち着いて聞かせて。ね?」
「私は落ち着いてますけど…」
すると佳代は美怜の手を取り、ドレッサーの前の椅子に座らせた。
そのまま美怜の前にひざまずき、スーハーと息を整えると、佳代はゴクッと生唾を飲んでから口を開く。
「美怜、まさかとは思うわよ?美怜に限ってそんなはずは…って。だけど、一応、念の為、参考までに聞かせて」
「はい、何でしょう?」
「美怜。夕べ本部長と、その…。ひと晩一緒にいたの?」
「はい。ホテルに泊まりました」
ガタガタッと佳代が床に座り込んで椅子をなぎ倒すのと、ガチャッとドアを開けて入って来た美沙達数人が固まるのとが同時だった。
***
「お、終わった。なんとか、無事に…」
その日の閉館時間を過ぎると、先輩達は一斉にオフィスのデスクに突っ伏した。
「おいおい、今日はみんなどうしたんだ?何か大変なトラブルでもあった?」
課長が声をかけると、佳代がかろうじてといった具合に顔を上げる。
「課長、一大事ですよ。我がミュージアムチームの末娘が…。うっうっ。これが娘を嫁に出す父親の気持ちなんですね」
「ああ、あれは辛かった。たとえ相手がどんなにいい男でも、嫁にやる時は複雑だったな。って、何の話?」
キョトンとする課長の言葉にうんうんと頷いてから、佳代は皆を見渡す。
「とにかくみんな、これからロッカールームでミーティングよ」
はい!と返事をする先輩達の中で、美怜だけは、はい?と首をひねっていた。
***
「美怜、正直に答えてね。怒ったり咎めたりしないから。私達、ただあなたのことが心配なだけなの」
「は、はあ…」
着替えもそこそこに、美怜はロッカールームで先輩達に取り囲まれた。
佳代が真剣な表情で切り出す。
「夕べ、本部長と、その…ホテルに泊まった…の?」
「はい」
すると、ギャー!うそでしょー!と先輩達は悶絶する。
「それで?その…。どこまで?」
「は?どこまでとは?」
「だから、つまり。どこまで、やっちゃった…の?」
だんだん小さくなる佳代の声と、固唾を飲んで身を乗り出す先輩達に、美怜はようやく、ああ!と合点がいった。
「違いますよ、そういうんじゃないんです。昨日はルミエールのクリスマス装飾の日だったので、本部長と卓と一緒に作業しに行きました。終わったのが夜遅くて、先方の副総支配人の方がお部屋を用意してくださったんです。卓が本部長と同室で、私はシングルルームで一人で寝ました」
なーんだ、と一斉に先輩達はため息つく。
「じゃあ、今朝スポーツカーで送ってもらった時も、卓くんいたの?」
「はい。後ろに乗ってましたよ」
「それならそうと、早く言ってよー」
え、いや、だって、と美怜は宙に右手を出す。
「もう、私達今日一日、なんとか正気で仕事しようと必死だったんだからね?」
そうおっしゃられましても…
「美怜が、あの美怜が、ついに純潔を捧げたの?!って」
そ、そんな赤裸々な…
「良かったー。じゃあ美怜は清らかなままなのね?」
まあ、そうですね。キスより先はまだ…
「…え?」
ピキッと固まった先輩達に、美怜は再び、ん?と首をひねる。
「美怜、本部長とキスしたの?」
もはや呆然としながら尋ねる佳代に、美怜は慌てて手を振って否定する。
「違いますよ!高校の時の話です」
「ええ?!美怜、高校の時彼氏いたの?」
「はい。ほんの三ヶ月だけでしたけど」
うそー!知らなかったー!と先輩達は驚くが、その反応に美怜の方が驚いた。
「どうしてですか?私、彼氏いたことないって言いましたっけ?」
「いや、そう言われればそうだけど。なんか思い込んじゃって。でも美怜から、彼氏がいたって話も聞いたことないよね?」
うんうん、と先輩同士で頷いている。
「なんだか想像つかないな。だって美怜なら、一度誰かを好きになったらずっと想い続けそうだもん。三ヶ月で別れたなんて、本当に?」
「はい。そもそも相手のことを好きだった訳ではないんです。告白されて断わったんですが、しばらくつき合ってみてそれから返事してって押し切られて」
「なるほど。それで三ヶ月つき合ってみてから別れたのね…って、待って!じゃあ、なんでキスしたの?」
それが…と、美怜は視線を落とす。
「つき合って三ヶ月経った頃、文化祭があったんです。後夜祭で盛り上がって、クラスみんなで打ち上げをした時、彼が友達にからかわれて。お前達ほんとにつき合ってるのか?もうキスしたのか?って。それで彼がムキになって、みんなの前でいきなり私に…」
ああ…と、先輩達も一斉に視線を落とした。
「てんとう虫のサンバか…」
「佳代、それ古いから。美怜きっと知らない」
「そんなこと、本当にあるんだね。それで美怜、すぐにその彼に別れを切り出したの?」
美怜はコクンと頷く。
「もう、なんて言うか、生理的に受けつけなくなってしまって。それがきっかけで、誰かとつき合うのも避けるようになってしまいました」
そっか、と佳代は小さく呟く。
「美怜。その時美怜が傷ついた気持ちはよく分かる。ファーストキスをそんなふうに奪われたらトラウマになるよね。でもね、美怜。あなたには幸せになって欲しい。いつか素敵な人を好きになって、その人に大切にしてもらって。私達みんな、美怜の幸せを願ってるから」
「先輩…」
美怜の目から思いがけずポロポロと涙がこぼれ落ちる。
「辛かったね、美怜。大丈夫。いつかきっと幸せになれるからね」
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