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疑似デート
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「うーん、ロマンチックなデート…。恋人と過ごすお部屋」
頭の中で考えていたのだが、どうやら口に出していたらしい。
オフィスにいた先輩達が、一斉に美怜を見る。
「なに?どしたの?美怜。ついに彼氏でもできたの?」
「ち、違いますよ!ルミエールのリニューアルのことです」
サンドイッチを片手に、美怜は慌てて否定する。
ミュージアムの昼休み。
美怜達はそれぞれのデスクで昼食を取っていた。
「なーんだ。そういうことか」
身を乗り出していた先輩達は、また背もたれに身体を預ける
「あの、先輩方は彼と泊まるならどんなお部屋がいいですか?恋人と過ごす時間で、ロマンチックな瞬間ってありますか?」
「そうねえ。私はどんな部屋でも大して気にならないかな。彼氏と部屋ですることって言ったらもう、一つしか…」
佳代!と周りの先輩達が慌てふためく。
「ちょっと、美怜が鼻血出したらどうするのよ?!」
「ほんとよ。免疫のないお子ちゃまなのよ?美怜は」
すると佳代は開き直ったようにゆったりと皆を見渡す。
「あのね、美怜だってもう二十四なの。いつまでもお子ちゃまって訳にはいかない。免疫がないならそろそろ予防注射でも打たないとね」
どういう意味なの?と美沙が尋ねる。
「何事も経験よ。美怜、卓くんと疑似デートしてらっしゃい」
「は?!なんですか?疑似デートって」
「そのまんまよ。恋人同士のつもりで、王道のデートコースでも行ってらっしゃい。そうすればルミエールのアイデアも、二人で考えられるでしょ?」
「はあ、確かに」
「じゃあ、早速スマホ出して。卓くんに連絡しなさい」
ええー?と美怜が怯んでいると、いつの間にか周りの先輩達はおろか、課長までもが身を乗り出して成り行きを見守っている。
「えっと、じゃあ。仕事のアイデアを一緒に考えたいってことで」
「うんうん。口実は何でもいいから、ほら、早く」
「そんなに急かされると…」
戸惑いながらも、美怜は卓にメッセージを送った。
どうやら向こうも昼休みだったらしく、すぐに返事が来る。
そして早速次の休みに、二人で出かけることになった。
***
「…で?」
真っ白なスポーツカーに片腕を載せてもたれかかり、モデルのような立ち姿で成瀬が卓に睨みを利かせる。
百八十cmは超えているであろう長身に、ラフなオックスフォードシャツとジーンズを着こなした成瀬は、スポーツカーと並んで立つと雑誌の表紙のように様になっていた。
「俺をアッシーに使うとは、見上げた度胸だな、富樫」
卓は素知らぬふりで首を傾げる。
「何ですか?アッシーって。知らないなあ。美怜、知ってる?」
「え?分からないです。すみません、勉強不足で。今度調べておきますね」
「ぶっ!美怜、真面目に調べるもんじゃないから」
すると成瀬はますます卓を睨んだ。
「ってことは、やっぱり分かってるんだろう?富樫」
「いえいえ、知りませんって。あ、ひょっとして下の名前があつしさんってことですか?」
「違うわ!」
美怜はオロオロしながら二人を止める。
「あの、すみません。私が出かけたいって言い出したせいで、どうしてだかこんなことになってしまって…」
「いや、結城さんが謝ることじゃない。ルミエールのアイデアも考えなきゃいけなかったしな。じゃあ乗って」
「はい、失礼いたします」
卓と待ち合わせした駅のロータリーに、なぜだか成瀬が車でやって来て、美怜は驚いて目を丸くした。
問い詰めると卓は、「だって理想のデートと言ったら車だろ?でも俺、車持ってないしさ。だから成瀬さんに頼んだんだ」と悪びれもなく答えたのだった。
(卓ったら…。本部長にそんなこと頼んで大丈夫なのかしら?まあ、私も失礼なことしちゃったから、人のこと言えないけど)
そう考えながら後部座席に座ると、卓は断りもせずにそそくさと助手席に座る。
運転席のドアを閉めた成瀬は、大きなため息をついた。
「おい、富樫。本当の目的はこの車だろ?」
「ち、違いますよ!あくまで仕事の一環です。休日返上でルミエールのリニューアルについてご相談しようと」
「じゃあ目を閉じてせっせと考えてろ。キラキラした顔でこっちを見るな」
「えー、せっかくまた乗れたのに。じっくり拝ませてください」
「ほら見ろ!やっぱり車が目当てじゃないか」
「成瀬さんがお目当てなんですよ。あなたに出会えたから、俺は幸せを見つけられたんです」
「気持ち悪いこと言うな!」
まったく…と、またもやため息をつくと、成瀬はエンジンをかける。
「それで?どこに行けばいいんだ?」
「あなたがこの車で連れて行ってくれるならどこへでも」
「やめろ!バカ!」
話にならないと判断したのか、成瀬は美怜を振り返った。
「結城さん、行き先を決めてくれる?」
「あ、はい。先輩達にモデルコースをうかがったので、それでお願いしてもよろしいでしょうか?」
「うん。最初はどこ?」
「えっと、横浜の山下公園です」
「なるほど、王道だな。じゃあ出発するよ」
すると卓が「はい!お願いします!」と声を張る。
「お前はおとなしく乗ってろ」
そう言われても卓は耳に入らないようで、わくわくと身を乗り出す。
「あー、気が散って運転しにくい」
顔をしかめながら、成瀬はゆっくりと車を発進させた。
***
「わあ!イチョウ並木がとっても綺麗」
高速道路を使って三十分程で到着した公園は、すぐ脇の大通りのイチョウがちょうど見頃で、青空と黄色のコントラストが見事なまでに美しかった。
信号待ちの間もうっとりと窓の外を眺めている美怜にふっと笑うと、成瀬はスイッチを押してルーフをオープンにする。
「え、ひゃあ!素敵!」という美怜の声は、「うおー!かっけー!最高ー!」という卓の声にかき消される。
「富樫…。お前の野太い声を聞きたくて開けたんじゃない」
「すげー!これぞスポーツカー!できる男のモテ仕草!片手を窓枠に載せて、鮮やかにハンドルをさばく姿は…」
「うるさい!」
成瀬はジロリと卓を睨んで一蹴した。
***
「やれやれ。やっとうるさいのがいなくなったな」
駐車場に車を停めると、成瀬は卓に「俺がアッシーならお前はメッシーだ」と言って、ランチをテイクアウトしてくるようにと言いつけた。
卓がブツブツ言いながらもお店を探しに行くと、成瀬はふうと息をついてから美怜と一緒に公園を散策する。
「うわー、秋なのにこんなにたくさんバラが咲いてるんですね。どれも素敵」
「そうだな。バラは横浜市の花だそうだ。それに昼夜の気温差で、春よりも秋の方が色濃く咲くらしい」
「そうなんですね。確かに色が鮮やかです。あ、この真っ白なバラも、とっても綺麗」
美怜は花に顔を寄せて、微笑みながら見つめている。
成瀬はふと思い立ち、ポケットからスマートフォンを取り出して写真を撮った。
「おお、我ながらなかなかよく撮れたな。ほら」
そう言って画面を美怜に見せる。
「ええ?私の顔がこんなにアップで…。恥ずかしいので削除してくださいね」
「どうして?自然な笑顔でバラを見つめてて、絵になる一枚だ」
「まさか、そんな!あの、本部長の腕前はお上手ですけど、私が写っているのは本当に恥ずかしいです。お願いですから消してください」
「えー、もったいない。じゃあ君に転送してから消すよ」
「あ、はい!お願いします」
あっさり頷く美怜に、成瀬は笑みをもらす。
「なんだ。実はいい写真だって思ってたんでしょ?」
「あ、えっと、はい。私はともかく、バラが綺麗に写っていて素敵だなって」
「いや、君が微笑んでるから余計にバラが美しく映えるんだよ。今日の記念に残しておいてくれると嬉しい」
「はい。大切に保存しておきます」
メッセージアプリのアカウントを交換し、成瀬は早速写真を転送する。
優しい表情で写真を見つめる美怜を見て、成瀬はまた思い立ち、メッセージを送った。
英語で書いた一節は、ある洋楽の一番の最後の歌詞。
美怜は少し驚いたようにメッセージを読むと、ふっと笑って何やら文字を打つ。
成瀬のスマートフォンがメッセージを受信し、それを読んだ成瀬も思わず頬を緩めた。
美怜が返してきた文章は、同じ歌の二番の最後の歌詞。
「知ってたの?『The Rose』」
「はい。大好きな歌です」
「俺もだ」
二人は見つめ合いながら微笑んだ。
***
「お待たせしましたー!ウーバータークでーす」
しばらくすると卓が得意気に袋を手にして戻って来た。
「そこの老舗ホテルの限定ランチボックスをゲットして来ましたよ」
「え、ほんと?すごいね、卓」
「理想のデートだからね。いいとこ見せないと。ローストビーフにエッグベネディクト、サーモンマリネとフルーツの詰め合わせだって」
わあ!と美怜は目を輝かせる。
三人はベンチに並んで座り、早速食べ始めた。
「見た目も豪華だね。すごく贅沢なランチ!外で食べるのもとっても気持ちいい」
空を見上げて深呼吸し、花を眺めながら美味しそうに食べる美怜を、成瀬も卓も微笑ましく見守る。
「女の子は高級レストランに連れて行ってあげなきゃと思ってたけど、外で食べるのも楽しいの?」
成瀬の問いに、美怜は笑顔で頷く。
「はい!私は高級レストランより、こっちの方が断然いいです。あ、でも本部長がおつき合いされる方はだめですよ?」
「だめって、どういうこと?」
「本部長みたいな完璧な方は、おつき合いされる女性も大人で素敵な方でしょう?私の感覚とは違います。公園のベンチで食べるなんて、お子様の遠足?って思われたら大変ですもの。ドレスアップしてホテルのディナーに、腕を組んで行くのがお似合いです」
「そうかな?俺もこっちの方がいいけど」
「だめです!彼女さんはガッカリしますよ?ほら、ベンチに座るのだって、綺麗なお洋服が汚れちゃうって気になるかもしれませんし」
それを聞いて成瀬は焦ったように、美怜の服装に目をやった。
今日の美怜は、ボートネックでスカートがタータンチェックの、紺色のワンピースを着ていた。
シックで落ち着いた色合いだが、袖とフレアスカートがふんわりしていて少し甘さもある。
「あ!じゃあ君の洋服も汚れちゃうな。ごめん、気が利かなくて」
「いいえ。私の服は洗濯機でじゃぶじゃぶ洗えるコスパ抜群のお気軽ファッションですから」
「でも綺麗なワンピースじゃないか」
「そう見えますか?ふふ、これ、五千円でお釣りが来ますよ」
ええ?!と成瀬は驚く。
「そうなの?って、ごめん。よく似合ってて上品な感じだから、てっきり値が張るものだと」
「本部長の行きつけのお店には売ってないですよ?庶民の御用達のお店です」
「へえ、そんなお店あるんだ。なんか俺、見る目なかった。洋服が重要なんじゃなくて、着る人がどんな人なのかが大事なんだな。君が着るからそのワンピースは綺麗なんだ」
真面目に呟く成瀬に、美怜は居心地が悪くなる。
「ありがとう…ございます。なんだかステーキを食べ慣れてる人に、いきなり注目された牛丼の気分です」
は?!と成瀬は思い切り眉間にしわを寄せた。
「ごめん、若い子の会話についていけなくて。牛丼ってあの牛丼?どういう意味なの?」
するとそれまで黙って二人の会話を聞いていた卓が、限界とばかりに吹き出す。
「あはは!もうおかしいったら。美怜も成瀬さんも真剣に話してるんだろうけど、微妙に噛み合ってなくて。成瀬さん、若い子の会話が変なんじゃなくて、美怜の言葉が変なんです。こいつ、今どきの軽いノリの女子とは違うんで」
「ちょっと、卓!どういう意味なの?」
「まあ、今どき珍しく真面目でお堅いOLってことかな。でなけりゃ、理想のデートやロマンチックなシチュエーションを真剣に考えて、こんなふうに再現しようとは思わないよ」
「え、そうかな?そんなに変?」
「変っていうよりは、真面目だなーって」
そうなんだ、としょんぼりする美怜に、卓は慌てて取り繕う。
「まあまあ、それがお前の個性なんだしさ。ね?成瀬さん」
ああ、と成瀬も頷く。
「何も気にする必要はない。それに俺は、今どきの若い子と君がどう違うかなんて全く分からない。君は君のままでいて欲しい。周りとどう違うかなんて考えなくていい」
美怜は成瀬の言葉を頭の中で噛みしめる。
じっと諭すように見つめられ、美怜は、はいと頷いた。
***
食べ終えると、公園に面して並んだホテルを見て回ることにした。
「わあ、なんだか歴史の重みを感じる造りですね。時間がゆったりと流れているみたい」
ロビーに足を踏み入れると、美怜は荘厳な大階段を見上げてうっとりと呟く。
「そうだな。ここは百年近く前に開業した正統派ホテルで、横浜市から歴史的建造物と認定されている。経済産業省の近代化産業遺産の認定も受けているんだ」
「そうなんですね。この太い柱もなんて立派なのかしら。マホガニーですよね?」
「ああ。そこに並んでいる椅子も開業当時からのアンティークだ」
「素敵ですね。あ、彫刻で天使が彫られてる!」
美怜は成瀬の言葉を聞きながら、一つ一つをじっくりと眺める。
知らず知らずのうちに背筋が伸び、足音を立てないようにそっと静かに歩きたくなる。
ロビー全体がそんな雰囲気に包まれていた。
すると背後で卓が成瀬に問いかける。
「成瀬さんはこのホテルに宿泊したことあるんですか?」
「ああ。随分前に一度だけな」
「それは彼女と?」
美怜は、ひえ…と身を固くしながら耳をそば立てた。
「さあ、どうだったかな」
「やっぱりそうなんですね?」
「富樫、ひと言余計だ」
「参考にさせていただきたいんですよ。だってカップル向けのホテルの客室を考えてるんですよね?俺達。どうでしたか?彼女の反応は」
あくまで真面目な仕事の話だと言わんばかりの卓に、成瀬も渋々答える。
「うーん、昔の話であんまり覚えてないけど。俺はここの客室気に入ったな。窓から横浜港が見えて、マッカーサー元帥もこの景色を眺めたのかって思ったらなんだか感慨深くなった。けど、彼女はどうやらみなとみらいの新しい高層ホテルに泊まりたかったらしい。俺の話も退屈そうに聞いてた」
「なるほど。その彼女とは、その後別れたんですか?」
「おい、それと仕事と何の関係があるんだよ?」
「ありますよ。部屋でロマンチックな雰囲気になれば、別れなかったかもしれないじゃないですか」
「さあ、どうだろ?俺との会話がつまらなかったから嫌気が差したんだろう。部屋のせいじゃないよ」
「ってことは、フラれちゃったんですか?成瀬さんでもフラれることあるんですね」
「だからひと言余計だっての!俺なんか硬い話ばっかりするから、すぐに愛想尽かされるよ。日に日にシュルシュルと笑顔がしぼんでいくのが分かる。だいたい三ヶ月くらいが目途だな」
淡々と話す成瀬に、卓は思わず笑い出す。
「成瀬さん、営業成績じゃないんですから。そんなに冷静に分析しないでくださいよ。じゃあいつも告白は相手から?成瀬さんから好きになったりはしないんですか?」
「したことないな、告白」
「うひゃ!いきなりモテ自慢」
「違うって。本気で恋愛したことがない、ただのつまらない男ってこと。富樫はちゃんと好きな女性ができて、自分から告白するんだろうな」
「まあ、そうですね。断られたことないですし」
「おい、お前こそモテ自慢じゃないか」
あはは!と笑う卓の声を背中で聞きながら、美怜は胸に手を当ててじっとうつむいていた。
(な、なんだか色々気になる話聞いちゃった。本部長ってそんな感じなんだ。それに卓って、そんなにモテるのね)
男同士の恋愛話を初めて耳にし、美怜は何とも言えないドギマギ感を感じていた。
***
「えーっと、次の予定は横浜港のクルージングです。六十分のアフターヌーンクルーズがあるそうです」
美怜が先輩達から教わったデートプランを確認すると、これまた王道だな、と成瀬が頷く。
乗り場に行くと、キラキラと輝く海と大きくて優雅な船に、美怜は興奮気味になる。
「すごい!私、船に乗るなんていつ以来だろう?楽しみ!早く乗りましょ!」
二人を振り返って手招きし、子どものように無邪気にはしゃいでタラップに向かった。
「やっぱり少し揺れますね。あ!動き出した!」
スカイデッキに上がり、見送ってくれる地上スタッフに美怜も大きく手を振り返す。
船内では美味しいケーキと紅茶がふるまわれたが、美怜は食べ終わるとそそくさとまたデッキに上がった。
「潮風が気持ちいい!下から見上げるベイブリッジも迫力ありますね。それになんて素敵な景色!夜に乗ったら夜景が綺麗だろうなあ」
「ああ、九十分のトワイライトクルーズもあるらしいよ」
「そうなんですね!乗ってみたいなあ」
美怜はデッキの手すりに両手を載せて、飽きることなく海を眺めている。
その横顔を見て、またもや成瀬はスマートフォンを取り出した。
少し離れたところから、景色と美怜のバランスを考えつつ何枚か写真を撮る。
写り具合を確認しながら見返していると、どの写真の美怜も優しい微笑みを浮かべていて目を引かれた。
何枚か選択して美怜のメッセージアカウントに転送する。
(見たらどんな反応をするだろう?)
この写真も、今日の思い出として取っておいてくれたらと成瀬は願った。
***
船を降りるとウインドショッピングを楽しみ、夜は少しオシャレなフレンチレストランに入った。
三人で他愛もない話をしながら美味しく味わっていると、隣のカップルのテーブルにスタッフがケーキを運んできた。
目の前に置かれたプレートを見て、彼女が「えっ!」と驚いて口元に手をやる。
(どうしたのかしら?)
さりげなく目を向けた美怜は、彼女の前に置かれた大きなプレートに、チョコレートで文字が書かれているのに気づいた。
(ん?Will you marry me?って、プロポーズ?!)
途端に美怜は姿勢を正してカチンコチンに固まる。
(邪魔しちゃいけないわ。じっとしてなきゃ)
緊張の面持ちで、隣の彼女の様子をそっとうかがっていると、小声で卓が話しかけてきた。
「おい、美怜。本人より緊張してどうする。普通にしてろよ」
「え、う、うん。そうよね、変な空気にしたらだめよね」
そういってフォークとナイフを手にするが、かすかに手が震えてカチャッと音を立てる。
(あー、だめだめ。やっぱり無理)
美怜は両手を膝の上に戻し、そっと横目でカップルの様子をうかがう。
彼がおもむろにジャケットの内ポケットから四角いケースを取り出し、彼女の前に差し出してから中を開いて見せた。
(ひゃー!キラッキラの指輪!)
うつむきつつも、美怜は目を大きく見開いて息を呑んだ。
彼が優しく彼女に語りかける声が聞こえてくる。
「ずっと一緒にいて欲しい。俺と結婚してくれる?」
美怜はもう、全身の血が逆流したのではないかと思うほど身体が火照り、顔が真っ赤になるのが分かった。
(ど、どうなるの?彼女のお返事は?)
時間にすればほんの数秒。
だが美怜は、心臓がもたないー!と思うほど緊張感に包まれていた。
「…はい。私もあなたと結婚したいです。ずっと一緒にいてください」
彼女が涙をこらえながらそう言うと、彼は心からホッとしたように微笑んだ。
「ありがとう、必ず幸せにする」
そしてケースから指輪を取り、彼女の左手薬指にそっとはめる。
視界の隅でその様子を捉えた美怜は、下を向いたまま一気に涙を溢れさせた。
「ちょ、美怜!なんでお前が彼女より泣いてんだよ!」
卓が顔を寄せて声を潜める。
「ごめんなさい。だって、こんなのもう、耐えられない。うう…」
「バカ!我慢しろ!」
「無理だよ、私、こんなこと初めてで…。うぐっ」
「お前がプロポーズされた訳じゃないだろ?ほら、注目されるから泣くなって」
「うん、なんとかがんばる」
美怜は唇を噛みしめると、顔をぷるぷるさせながら必死にこらえた。
指輪を贈られた彼女は幸せそうに微笑み、スタッフが拍手するのに合わせて周りの人達も拍手で祝福する。
カップルは照れ笑いを浮かべながら頭を下げ、そんな二人に美怜もありったけのおめでとうの気持ちを込めて拍手を送った。
***
「まったくもう。せっかく貴重なシーンに立ち会えて、幸せなカップルの様子を心に留めておこうと思ったのに、美怜の変顔ですべてが吹き飛んだ」
レストランを出ると、卓が呆れたように美怜を振り返る。
「変顔ってなによ?」
「その顔のこと。お前な、いくら疑似デートだからって、他人のプロポーズにまで感情移入するなよ。しかもプロポーズされた彼女よりも泣くってどういうこと?」
「仕方ないでしょ。プロポーズなんて初めてお目にかかったんだもん。もらい泣きしちゃうじゃない」
もらい泣き?!と卓は声を上げる。
「そんなレベルじゃなかったぞ。ボロ泣きの大泣き!しかも、うぐぐって必死にこらえてるから、顔は真っ赤で眉毛は八の字だし。顔面しわしわのタコにしか見えなかった」
「ひっどーい!あんな感動的なシーンを見ながら、よくそんなこと考えられるね?卓には純粋な心ってものがないの?」
「俺だって、いいシーンだな、お幸せにって思いながら微笑ましく眺めてたよ。でもお前がそれを一瞬で打ち砕いたんだろうが」
まあまあと、成瀬が二人の間に手を差し出す。
「とにかく、ロマンチックなプロポーズのおすそ分けは頂けたし。あんなふうに幸せな時間を演出できるようにアイデアを練っていこう。ほら、今日は最後に夜景を見るんだろ?」
はい、と美怜は憮然としつつも頷く。
「先輩達のおすすめは、港の見える丘公園だそうです」
「王道なデートの締めだな。じゃあ早速行くか」
そして再び成瀬の車に乗り、坂道を上がった高台にある公園に向かった。
「すごい!横浜の夜景と海が一望できるんですね。とっても綺麗…」
美怜は公園の展望台から、眼下に広がる美しい景色に感嘆のため息をつく。
「この辺りは開港当時外国人の居留地で、丘の上にイギリス軍、下にはフランス軍が駐屯していたんだ。公園内にはフランス領事館跡地のフランス山や、イギリスの総領事官邸だったイギリス館もある。そうそう、イングリッシュローズの庭っていうバラ園もあるよ」
「そうなんですね!次は夜じゃなくて昼間に見に来たいです」
「そうだな。今度は今日とは逆ルートで、日中ここに来て、夜はトワイライトクルーズっていうのもいいな」
「はい!」
成瀬の言葉に頷くと美怜はもう一度夜景を眺め、時間も忘れて魅了されていた。
頭の中で考えていたのだが、どうやら口に出していたらしい。
オフィスにいた先輩達が、一斉に美怜を見る。
「なに?どしたの?美怜。ついに彼氏でもできたの?」
「ち、違いますよ!ルミエールのリニューアルのことです」
サンドイッチを片手に、美怜は慌てて否定する。
ミュージアムの昼休み。
美怜達はそれぞれのデスクで昼食を取っていた。
「なーんだ。そういうことか」
身を乗り出していた先輩達は、また背もたれに身体を預ける
「あの、先輩方は彼と泊まるならどんなお部屋がいいですか?恋人と過ごす時間で、ロマンチックな瞬間ってありますか?」
「そうねえ。私はどんな部屋でも大して気にならないかな。彼氏と部屋ですることって言ったらもう、一つしか…」
佳代!と周りの先輩達が慌てふためく。
「ちょっと、美怜が鼻血出したらどうするのよ?!」
「ほんとよ。免疫のないお子ちゃまなのよ?美怜は」
すると佳代は開き直ったようにゆったりと皆を見渡す。
「あのね、美怜だってもう二十四なの。いつまでもお子ちゃまって訳にはいかない。免疫がないならそろそろ予防注射でも打たないとね」
どういう意味なの?と美沙が尋ねる。
「何事も経験よ。美怜、卓くんと疑似デートしてらっしゃい」
「は?!なんですか?疑似デートって」
「そのまんまよ。恋人同士のつもりで、王道のデートコースでも行ってらっしゃい。そうすればルミエールのアイデアも、二人で考えられるでしょ?」
「はあ、確かに」
「じゃあ、早速スマホ出して。卓くんに連絡しなさい」
ええー?と美怜が怯んでいると、いつの間にか周りの先輩達はおろか、課長までもが身を乗り出して成り行きを見守っている。
「えっと、じゃあ。仕事のアイデアを一緒に考えたいってことで」
「うんうん。口実は何でもいいから、ほら、早く」
「そんなに急かされると…」
戸惑いながらも、美怜は卓にメッセージを送った。
どうやら向こうも昼休みだったらしく、すぐに返事が来る。
そして早速次の休みに、二人で出かけることになった。
***
「…で?」
真っ白なスポーツカーに片腕を載せてもたれかかり、モデルのような立ち姿で成瀬が卓に睨みを利かせる。
百八十cmは超えているであろう長身に、ラフなオックスフォードシャツとジーンズを着こなした成瀬は、スポーツカーと並んで立つと雑誌の表紙のように様になっていた。
「俺をアッシーに使うとは、見上げた度胸だな、富樫」
卓は素知らぬふりで首を傾げる。
「何ですか?アッシーって。知らないなあ。美怜、知ってる?」
「え?分からないです。すみません、勉強不足で。今度調べておきますね」
「ぶっ!美怜、真面目に調べるもんじゃないから」
すると成瀬はますます卓を睨んだ。
「ってことは、やっぱり分かってるんだろう?富樫」
「いえいえ、知りませんって。あ、ひょっとして下の名前があつしさんってことですか?」
「違うわ!」
美怜はオロオロしながら二人を止める。
「あの、すみません。私が出かけたいって言い出したせいで、どうしてだかこんなことになってしまって…」
「いや、結城さんが謝ることじゃない。ルミエールのアイデアも考えなきゃいけなかったしな。じゃあ乗って」
「はい、失礼いたします」
卓と待ち合わせした駅のロータリーに、なぜだか成瀬が車でやって来て、美怜は驚いて目を丸くした。
問い詰めると卓は、「だって理想のデートと言ったら車だろ?でも俺、車持ってないしさ。だから成瀬さんに頼んだんだ」と悪びれもなく答えたのだった。
(卓ったら…。本部長にそんなこと頼んで大丈夫なのかしら?まあ、私も失礼なことしちゃったから、人のこと言えないけど)
そう考えながら後部座席に座ると、卓は断りもせずにそそくさと助手席に座る。
運転席のドアを閉めた成瀬は、大きなため息をついた。
「おい、富樫。本当の目的はこの車だろ?」
「ち、違いますよ!あくまで仕事の一環です。休日返上でルミエールのリニューアルについてご相談しようと」
「じゃあ目を閉じてせっせと考えてろ。キラキラした顔でこっちを見るな」
「えー、せっかくまた乗れたのに。じっくり拝ませてください」
「ほら見ろ!やっぱり車が目当てじゃないか」
「成瀬さんがお目当てなんですよ。あなたに出会えたから、俺は幸せを見つけられたんです」
「気持ち悪いこと言うな!」
まったく…と、またもやため息をつくと、成瀬はエンジンをかける。
「それで?どこに行けばいいんだ?」
「あなたがこの車で連れて行ってくれるならどこへでも」
「やめろ!バカ!」
話にならないと判断したのか、成瀬は美怜を振り返った。
「結城さん、行き先を決めてくれる?」
「あ、はい。先輩達にモデルコースをうかがったので、それでお願いしてもよろしいでしょうか?」
「うん。最初はどこ?」
「えっと、横浜の山下公園です」
「なるほど、王道だな。じゃあ出発するよ」
すると卓が「はい!お願いします!」と声を張る。
「お前はおとなしく乗ってろ」
そう言われても卓は耳に入らないようで、わくわくと身を乗り出す。
「あー、気が散って運転しにくい」
顔をしかめながら、成瀬はゆっくりと車を発進させた。
***
「わあ!イチョウ並木がとっても綺麗」
高速道路を使って三十分程で到着した公園は、すぐ脇の大通りのイチョウがちょうど見頃で、青空と黄色のコントラストが見事なまでに美しかった。
信号待ちの間もうっとりと窓の外を眺めている美怜にふっと笑うと、成瀬はスイッチを押してルーフをオープンにする。
「え、ひゃあ!素敵!」という美怜の声は、「うおー!かっけー!最高ー!」という卓の声にかき消される。
「富樫…。お前の野太い声を聞きたくて開けたんじゃない」
「すげー!これぞスポーツカー!できる男のモテ仕草!片手を窓枠に載せて、鮮やかにハンドルをさばく姿は…」
「うるさい!」
成瀬はジロリと卓を睨んで一蹴した。
***
「やれやれ。やっとうるさいのがいなくなったな」
駐車場に車を停めると、成瀬は卓に「俺がアッシーならお前はメッシーだ」と言って、ランチをテイクアウトしてくるようにと言いつけた。
卓がブツブツ言いながらもお店を探しに行くと、成瀬はふうと息をついてから美怜と一緒に公園を散策する。
「うわー、秋なのにこんなにたくさんバラが咲いてるんですね。どれも素敵」
「そうだな。バラは横浜市の花だそうだ。それに昼夜の気温差で、春よりも秋の方が色濃く咲くらしい」
「そうなんですね。確かに色が鮮やかです。あ、この真っ白なバラも、とっても綺麗」
美怜は花に顔を寄せて、微笑みながら見つめている。
成瀬はふと思い立ち、ポケットからスマートフォンを取り出して写真を撮った。
「おお、我ながらなかなかよく撮れたな。ほら」
そう言って画面を美怜に見せる。
「ええ?私の顔がこんなにアップで…。恥ずかしいので削除してくださいね」
「どうして?自然な笑顔でバラを見つめてて、絵になる一枚だ」
「まさか、そんな!あの、本部長の腕前はお上手ですけど、私が写っているのは本当に恥ずかしいです。お願いですから消してください」
「えー、もったいない。じゃあ君に転送してから消すよ」
「あ、はい!お願いします」
あっさり頷く美怜に、成瀬は笑みをもらす。
「なんだ。実はいい写真だって思ってたんでしょ?」
「あ、えっと、はい。私はともかく、バラが綺麗に写っていて素敵だなって」
「いや、君が微笑んでるから余計にバラが美しく映えるんだよ。今日の記念に残しておいてくれると嬉しい」
「はい。大切に保存しておきます」
メッセージアプリのアカウントを交換し、成瀬は早速写真を転送する。
優しい表情で写真を見つめる美怜を見て、成瀬はまた思い立ち、メッセージを送った。
英語で書いた一節は、ある洋楽の一番の最後の歌詞。
美怜は少し驚いたようにメッセージを読むと、ふっと笑って何やら文字を打つ。
成瀬のスマートフォンがメッセージを受信し、それを読んだ成瀬も思わず頬を緩めた。
美怜が返してきた文章は、同じ歌の二番の最後の歌詞。
「知ってたの?『The Rose』」
「はい。大好きな歌です」
「俺もだ」
二人は見つめ合いながら微笑んだ。
***
「お待たせしましたー!ウーバータークでーす」
しばらくすると卓が得意気に袋を手にして戻って来た。
「そこの老舗ホテルの限定ランチボックスをゲットして来ましたよ」
「え、ほんと?すごいね、卓」
「理想のデートだからね。いいとこ見せないと。ローストビーフにエッグベネディクト、サーモンマリネとフルーツの詰め合わせだって」
わあ!と美怜は目を輝かせる。
三人はベンチに並んで座り、早速食べ始めた。
「見た目も豪華だね。すごく贅沢なランチ!外で食べるのもとっても気持ちいい」
空を見上げて深呼吸し、花を眺めながら美味しそうに食べる美怜を、成瀬も卓も微笑ましく見守る。
「女の子は高級レストランに連れて行ってあげなきゃと思ってたけど、外で食べるのも楽しいの?」
成瀬の問いに、美怜は笑顔で頷く。
「はい!私は高級レストランより、こっちの方が断然いいです。あ、でも本部長がおつき合いされる方はだめですよ?」
「だめって、どういうこと?」
「本部長みたいな完璧な方は、おつき合いされる女性も大人で素敵な方でしょう?私の感覚とは違います。公園のベンチで食べるなんて、お子様の遠足?って思われたら大変ですもの。ドレスアップしてホテルのディナーに、腕を組んで行くのがお似合いです」
「そうかな?俺もこっちの方がいいけど」
「だめです!彼女さんはガッカリしますよ?ほら、ベンチに座るのだって、綺麗なお洋服が汚れちゃうって気になるかもしれませんし」
それを聞いて成瀬は焦ったように、美怜の服装に目をやった。
今日の美怜は、ボートネックでスカートがタータンチェックの、紺色のワンピースを着ていた。
シックで落ち着いた色合いだが、袖とフレアスカートがふんわりしていて少し甘さもある。
「あ!じゃあ君の洋服も汚れちゃうな。ごめん、気が利かなくて」
「いいえ。私の服は洗濯機でじゃぶじゃぶ洗えるコスパ抜群のお気軽ファッションですから」
「でも綺麗なワンピースじゃないか」
「そう見えますか?ふふ、これ、五千円でお釣りが来ますよ」
ええ?!と成瀬は驚く。
「そうなの?って、ごめん。よく似合ってて上品な感じだから、てっきり値が張るものだと」
「本部長の行きつけのお店には売ってないですよ?庶民の御用達のお店です」
「へえ、そんなお店あるんだ。なんか俺、見る目なかった。洋服が重要なんじゃなくて、着る人がどんな人なのかが大事なんだな。君が着るからそのワンピースは綺麗なんだ」
真面目に呟く成瀬に、美怜は居心地が悪くなる。
「ありがとう…ございます。なんだかステーキを食べ慣れてる人に、いきなり注目された牛丼の気分です」
は?!と成瀬は思い切り眉間にしわを寄せた。
「ごめん、若い子の会話についていけなくて。牛丼ってあの牛丼?どういう意味なの?」
するとそれまで黙って二人の会話を聞いていた卓が、限界とばかりに吹き出す。
「あはは!もうおかしいったら。美怜も成瀬さんも真剣に話してるんだろうけど、微妙に噛み合ってなくて。成瀬さん、若い子の会話が変なんじゃなくて、美怜の言葉が変なんです。こいつ、今どきの軽いノリの女子とは違うんで」
「ちょっと、卓!どういう意味なの?」
「まあ、今どき珍しく真面目でお堅いOLってことかな。でなけりゃ、理想のデートやロマンチックなシチュエーションを真剣に考えて、こんなふうに再現しようとは思わないよ」
「え、そうかな?そんなに変?」
「変っていうよりは、真面目だなーって」
そうなんだ、としょんぼりする美怜に、卓は慌てて取り繕う。
「まあまあ、それがお前の個性なんだしさ。ね?成瀬さん」
ああ、と成瀬も頷く。
「何も気にする必要はない。それに俺は、今どきの若い子と君がどう違うかなんて全く分からない。君は君のままでいて欲しい。周りとどう違うかなんて考えなくていい」
美怜は成瀬の言葉を頭の中で噛みしめる。
じっと諭すように見つめられ、美怜は、はいと頷いた。
***
食べ終えると、公園に面して並んだホテルを見て回ることにした。
「わあ、なんだか歴史の重みを感じる造りですね。時間がゆったりと流れているみたい」
ロビーに足を踏み入れると、美怜は荘厳な大階段を見上げてうっとりと呟く。
「そうだな。ここは百年近く前に開業した正統派ホテルで、横浜市から歴史的建造物と認定されている。経済産業省の近代化産業遺産の認定も受けているんだ」
「そうなんですね。この太い柱もなんて立派なのかしら。マホガニーですよね?」
「ああ。そこに並んでいる椅子も開業当時からのアンティークだ」
「素敵ですね。あ、彫刻で天使が彫られてる!」
美怜は成瀬の言葉を聞きながら、一つ一つをじっくりと眺める。
知らず知らずのうちに背筋が伸び、足音を立てないようにそっと静かに歩きたくなる。
ロビー全体がそんな雰囲気に包まれていた。
すると背後で卓が成瀬に問いかける。
「成瀬さんはこのホテルに宿泊したことあるんですか?」
「ああ。随分前に一度だけな」
「それは彼女と?」
美怜は、ひえ…と身を固くしながら耳をそば立てた。
「さあ、どうだったかな」
「やっぱりそうなんですね?」
「富樫、ひと言余計だ」
「参考にさせていただきたいんですよ。だってカップル向けのホテルの客室を考えてるんですよね?俺達。どうでしたか?彼女の反応は」
あくまで真面目な仕事の話だと言わんばかりの卓に、成瀬も渋々答える。
「うーん、昔の話であんまり覚えてないけど。俺はここの客室気に入ったな。窓から横浜港が見えて、マッカーサー元帥もこの景色を眺めたのかって思ったらなんだか感慨深くなった。けど、彼女はどうやらみなとみらいの新しい高層ホテルに泊まりたかったらしい。俺の話も退屈そうに聞いてた」
「なるほど。その彼女とは、その後別れたんですか?」
「おい、それと仕事と何の関係があるんだよ?」
「ありますよ。部屋でロマンチックな雰囲気になれば、別れなかったかもしれないじゃないですか」
「さあ、どうだろ?俺との会話がつまらなかったから嫌気が差したんだろう。部屋のせいじゃないよ」
「ってことは、フラれちゃったんですか?成瀬さんでもフラれることあるんですね」
「だからひと言余計だっての!俺なんか硬い話ばっかりするから、すぐに愛想尽かされるよ。日に日にシュルシュルと笑顔がしぼんでいくのが分かる。だいたい三ヶ月くらいが目途だな」
淡々と話す成瀬に、卓は思わず笑い出す。
「成瀬さん、営業成績じゃないんですから。そんなに冷静に分析しないでくださいよ。じゃあいつも告白は相手から?成瀬さんから好きになったりはしないんですか?」
「したことないな、告白」
「うひゃ!いきなりモテ自慢」
「違うって。本気で恋愛したことがない、ただのつまらない男ってこと。富樫はちゃんと好きな女性ができて、自分から告白するんだろうな」
「まあ、そうですね。断られたことないですし」
「おい、お前こそモテ自慢じゃないか」
あはは!と笑う卓の声を背中で聞きながら、美怜は胸に手を当ててじっとうつむいていた。
(な、なんだか色々気になる話聞いちゃった。本部長ってそんな感じなんだ。それに卓って、そんなにモテるのね)
男同士の恋愛話を初めて耳にし、美怜は何とも言えないドギマギ感を感じていた。
***
「えーっと、次の予定は横浜港のクルージングです。六十分のアフターヌーンクルーズがあるそうです」
美怜が先輩達から教わったデートプランを確認すると、これまた王道だな、と成瀬が頷く。
乗り場に行くと、キラキラと輝く海と大きくて優雅な船に、美怜は興奮気味になる。
「すごい!私、船に乗るなんていつ以来だろう?楽しみ!早く乗りましょ!」
二人を振り返って手招きし、子どものように無邪気にはしゃいでタラップに向かった。
「やっぱり少し揺れますね。あ!動き出した!」
スカイデッキに上がり、見送ってくれる地上スタッフに美怜も大きく手を振り返す。
船内では美味しいケーキと紅茶がふるまわれたが、美怜は食べ終わるとそそくさとまたデッキに上がった。
「潮風が気持ちいい!下から見上げるベイブリッジも迫力ありますね。それになんて素敵な景色!夜に乗ったら夜景が綺麗だろうなあ」
「ああ、九十分のトワイライトクルーズもあるらしいよ」
「そうなんですね!乗ってみたいなあ」
美怜はデッキの手すりに両手を載せて、飽きることなく海を眺めている。
その横顔を見て、またもや成瀬はスマートフォンを取り出した。
少し離れたところから、景色と美怜のバランスを考えつつ何枚か写真を撮る。
写り具合を確認しながら見返していると、どの写真の美怜も優しい微笑みを浮かべていて目を引かれた。
何枚か選択して美怜のメッセージアカウントに転送する。
(見たらどんな反応をするだろう?)
この写真も、今日の思い出として取っておいてくれたらと成瀬は願った。
***
船を降りるとウインドショッピングを楽しみ、夜は少しオシャレなフレンチレストランに入った。
三人で他愛もない話をしながら美味しく味わっていると、隣のカップルのテーブルにスタッフがケーキを運んできた。
目の前に置かれたプレートを見て、彼女が「えっ!」と驚いて口元に手をやる。
(どうしたのかしら?)
さりげなく目を向けた美怜は、彼女の前に置かれた大きなプレートに、チョコレートで文字が書かれているのに気づいた。
(ん?Will you marry me?って、プロポーズ?!)
途端に美怜は姿勢を正してカチンコチンに固まる。
(邪魔しちゃいけないわ。じっとしてなきゃ)
緊張の面持ちで、隣の彼女の様子をそっとうかがっていると、小声で卓が話しかけてきた。
「おい、美怜。本人より緊張してどうする。普通にしてろよ」
「え、う、うん。そうよね、変な空気にしたらだめよね」
そういってフォークとナイフを手にするが、かすかに手が震えてカチャッと音を立てる。
(あー、だめだめ。やっぱり無理)
美怜は両手を膝の上に戻し、そっと横目でカップルの様子をうかがう。
彼がおもむろにジャケットの内ポケットから四角いケースを取り出し、彼女の前に差し出してから中を開いて見せた。
(ひゃー!キラッキラの指輪!)
うつむきつつも、美怜は目を大きく見開いて息を呑んだ。
彼が優しく彼女に語りかける声が聞こえてくる。
「ずっと一緒にいて欲しい。俺と結婚してくれる?」
美怜はもう、全身の血が逆流したのではないかと思うほど身体が火照り、顔が真っ赤になるのが分かった。
(ど、どうなるの?彼女のお返事は?)
時間にすればほんの数秒。
だが美怜は、心臓がもたないー!と思うほど緊張感に包まれていた。
「…はい。私もあなたと結婚したいです。ずっと一緒にいてください」
彼女が涙をこらえながらそう言うと、彼は心からホッとしたように微笑んだ。
「ありがとう、必ず幸せにする」
そしてケースから指輪を取り、彼女の左手薬指にそっとはめる。
視界の隅でその様子を捉えた美怜は、下を向いたまま一気に涙を溢れさせた。
「ちょ、美怜!なんでお前が彼女より泣いてんだよ!」
卓が顔を寄せて声を潜める。
「ごめんなさい。だって、こんなのもう、耐えられない。うう…」
「バカ!我慢しろ!」
「無理だよ、私、こんなこと初めてで…。うぐっ」
「お前がプロポーズされた訳じゃないだろ?ほら、注目されるから泣くなって」
「うん、なんとかがんばる」
美怜は唇を噛みしめると、顔をぷるぷるさせながら必死にこらえた。
指輪を贈られた彼女は幸せそうに微笑み、スタッフが拍手するのに合わせて周りの人達も拍手で祝福する。
カップルは照れ笑いを浮かべながら頭を下げ、そんな二人に美怜もありったけのおめでとうの気持ちを込めて拍手を送った。
***
「まったくもう。せっかく貴重なシーンに立ち会えて、幸せなカップルの様子を心に留めておこうと思ったのに、美怜の変顔ですべてが吹き飛んだ」
レストランを出ると、卓が呆れたように美怜を振り返る。
「変顔ってなによ?」
「その顔のこと。お前な、いくら疑似デートだからって、他人のプロポーズにまで感情移入するなよ。しかもプロポーズされた彼女よりも泣くってどういうこと?」
「仕方ないでしょ。プロポーズなんて初めてお目にかかったんだもん。もらい泣きしちゃうじゃない」
もらい泣き?!と卓は声を上げる。
「そんなレベルじゃなかったぞ。ボロ泣きの大泣き!しかも、うぐぐって必死にこらえてるから、顔は真っ赤で眉毛は八の字だし。顔面しわしわのタコにしか見えなかった」
「ひっどーい!あんな感動的なシーンを見ながら、よくそんなこと考えられるね?卓には純粋な心ってものがないの?」
「俺だって、いいシーンだな、お幸せにって思いながら微笑ましく眺めてたよ。でもお前がそれを一瞬で打ち砕いたんだろうが」
まあまあと、成瀬が二人の間に手を差し出す。
「とにかく、ロマンチックなプロポーズのおすそ分けは頂けたし。あんなふうに幸せな時間を演出できるようにアイデアを練っていこう。ほら、今日は最後に夜景を見るんだろ?」
はい、と美怜は憮然としつつも頷く。
「先輩達のおすすめは、港の見える丘公園だそうです」
「王道なデートの締めだな。じゃあ早速行くか」
そして再び成瀬の車に乗り、坂道を上がった高台にある公園に向かった。
「すごい!横浜の夜景と海が一望できるんですね。とっても綺麗…」
美怜は公園の展望台から、眼下に広がる美しい景色に感嘆のため息をつく。
「この辺りは開港当時外国人の居留地で、丘の上にイギリス軍、下にはフランス軍が駐屯していたんだ。公園内にはフランス領事館跡地のフランス山や、イギリスの総領事官邸だったイギリス館もある。そうそう、イングリッシュローズの庭っていうバラ園もあるよ」
「そうなんですね!次は夜じゃなくて昼間に見に来たいです」
「そうだな。今度は今日とは逆ルートで、日中ここに来て、夜はトワイライトクルーズっていうのもいいな」
「はい!」
成瀬の言葉に頷くと美怜はもう一度夜景を眺め、時間も忘れて魅了されていた。
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