恋とキスは背伸びして

葉月 まい

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三人での仕事

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その日から早速、ルミエール ホテルに関する打ち合わせが始まった。

美怜と卓は本部長の執務室に呼ばれて、ほぼ毎日話し合いをする。

ホテルのパンフレットや資料、ホームページを見ながら、まずは現状を把握してイメージを固めていく。

「現在うちとルミエールの取引は、最高級マットレスを使用したロイヤルシリーズのベッドのみだ。あとの家具やインテリアは他社の物が使われている。今回倉本さんに依頼された内容では、ありがたいことにアネックス館の全ての客室とロビーをうちにプロディースして欲しいとのことだった」

成瀬の話に頷きながら、美怜はテーブルの上に並べられた写真をじっくりと眺める。

本館はロビーや客室内も、格式の高い高級感溢れる雰囲気の家具でまとめられているが、アネックス館はなんだか無機質な感じがする、と美怜は思った。

(温かみがあってシックな本館は、綺麗に着飾ったお客様が利用するような豪華は空間だけど、アネックス館は、そうだな…。言葉は悪いけど安っぽい感じがする。旅行先でこのお部屋だったら、ちょっとがっかりするかも。まあその分お値段が安いから、仕方ないか)

実際アネックス館に入っている家具メーカーは、安価で大量生産している会社だった。

「アネックス館の魅力は、ズバリ宿泊代が安いことと、気兼ねなく小さなお子様連れでも利用できる敷居の低さだろう。ここを更に魅力的なホテルに変えるには、どうすればいいと思う?」

尋ねられて、美怜は、うーんと考え込む。

「例えばですが、お部屋をテーマごとに何パターンかに分けるのはどうでしょう?低層階はお子様連れの方向けに、明るくカジュアルな雰囲気で。うちのファミリーシリーズの家具なら、テーブルやチェストも角が丸くてお子様がケガをすることがないようなデザインですし、ソファの高さも低いです。ベッドはジョイントして広くできるので、家族四人で並んで寝ることもできます。靴を脱いで上がれるカーペットエリアがあってもいいですね。高層階はカップル向けに、ロマンチックな雰囲気のお部屋に。夜景を見ながらお酒が飲めるバーカウンターや、あとは、そうですね…。どういうのがカップルに喜ばれるかな」

考えあぐねていると、卓が横から口を開く。

「カップルならベッドはツインではなくダブルで、キングサイズを取り入れてはどうでしょう?」

ひゃっ!と固まる美怜をよそに、成瀬は頷いている。

「そうだな。テーマごとに部屋を分けるのはいいアイデアだと思う。選ぶ楽しさがあるし、自分達に合う部屋ということで使いやすさを感じてもらえるだろう。それに他のテーマの部屋にも泊まりたくなる。ファミリー向けは、壁紙やテーマカラー、ちょっとした小物を変えればバリエーションも増やせそうだな。カップル向けは、ダブルベッド中心でいいだろう。バーカウンターも是非取り入れたい。他には何かあるか?最近のカップルは、どういうのが好みなんだ?」
「そうですねえ。私もさっぱりデートとは無縁で、これといって思い浮かぶものがないのですが。結城さんはどう…って、え?どうかしたか?美怜。顔が真っ赤だけど」

卓がそう言うと、成瀬も顔を覗き込んでくる。

「本当だ。熱でもあるのか?」
「い、いえいえ!大丈夫です」

ダブルベッドの話題が出た途端、あらぬ想像をしてしまったことは知られてはならない。

美怜はうつむいて必死で気持ちを落ち着かせた。

「女性目線では、デートでどういうホテルの部屋に泊まりたいと思う?」
「デートで、ホテル、ですか?」

冷静に口にしたつもりが、またもや頭から蒸気が噴き出そうになる。

すると、ん?と首を傾げた卓と成瀬が、ようやく気づいたように苦笑いを浮かべた。

「結城さん、ちょっとその純情な乙女心は封印してもらっていいですか?」

ニヤニヤする卓に、美怜はむっと頬を膨らませる。

「富樫さん、からかうのはやめてください」
「はいはい、すみません。それで?女性の理想のデートは?あ、想像でもいいし、友達が話していたことでもいいですよ」

美怜は心を落ち着かせようと必死に考えを巡らせる。

が、想像すればするほど顔が赤くなる一方だった。

「あの、少しお時間いただけませんか?リサーチしておきます」
「ふーん。では楽しみにしておきます。本部長、この件は後日でもよろしいですか?」
「ああ、構わない。ではアネックス館のロビーや館内の装飾について、考えようか」
「はい」

美怜はようやく、ふうと大きく息を吐いて気持ちを切り替えた。

***

数日間に及ぶ話し合いは順調に進み、美怜は自社の強みである製品の開発からアフターサービスまでの一貫性と、多様な製品のシリーズ展開を中心としてプレゼンする内容をまとめた。

卓は、実際に契約してもらう際のプランや料金設定を細かく、かつ分かりやすく記載した資料を用意する。

あとは、後日相談し直すことになっていた、カップル向けの部屋のアイデアのみだった。

だがやはり時間を置いてみても良いアイデアは浮かばない。

卓が困ったように口を開く。

「うーん…。本部長、実際にルミエール ホテルに行ってみてもよろしいでしょうか?」
「ああ、そうだな。俺も行くつもりだったし。一人で行こうと思っていたんだが、二人も時間が許すなら同行してくれるか?」
「俺は是非一緒に行かせていただきたいです。結城さんは?」
「はい。私も現地に行って、実際のホテルの雰囲気やお客様の様子などを知りたいと思っていました。ご一緒させていただけますか?」

分かった、と成瀬は頷き、早速その日の夜に行ってみることになった。

せっかくだからと夕食もホテルのレストランで食べることになり、夜の七時に予約を入れる。

定時の六時半を過ぎると、成瀬は卓と美怜を連れて会社の地下駐車場に向かった。

***

「えっ、この車、本部長の車ですか?かっこいい!男の憧れのプレミアムスポーツカーじゃないですか」

卓は目を輝かせてなめるように車を眺める。

車に詳しくない美怜も、流線形が美しい真っ白なボディに思わず感嘆のため息をついた。

どうぞ、と促されて、二人は後部シートに座る。

成瀬はジャケットを脱いで助手席に置くと、軽くシャツの袖をまくってからエンジンをかけた。

ブオンというエンジン音に、卓はわくわくしたように身を乗り出す。

「ちょっと、卓。そんな前のめりになったら運転の邪魔になっちゃうよ?」

小声で美怜が止めても、卓は聞く耳を持たない。

「本部長、この車いつから乗ってらっしゃるんですか?」
「ん?それが海外に転勤になる前に買ったやつなんだ。買ってすぐ転勤になったから、実家に置きっぱなしでずっと乗ってなくて。この歳でスポーツカーっていうのも厳しいから、買い換えようか迷ってる」
「ええ?!もったいない!歳なんて本部長には関係ないですよ。めちゃくちゃ似合ってます」
「ははは、ありがとう。富樫、良かったら助手席に乗るか?」
「いいんですか?」
「そう言いつつ、既にシートベルト外して移動する気満々だな」
「あ、分かっちゃいました?」

卓はいそいそと助手席に移り、成瀬は置いてあったジャケットを掴んで美怜を振り返った。

「すまない。そっちに置かせてくれる?」
「はい、もちろんです」

美怜はジャケットを受け取ると、しわにならないように軽く畳んで膝の上に置いた。

(わあ、なんだか良い香りがする。香水じゃなさそうだけど、なんだろう?)

さりげなくジャケットを持ち上げて顔を寄せると、ふわっと爽やかでウッディな香りに包まれた。

(車も同じ香りがする。なんだか落ち着くなあ)

思わずスーハーと香りを確かめてしまい、そんな自分が恥ずかしくなる。

一方で卓は美怜の存在など忘れたように、走り始めた車に興奮し、はしゃいだ声を上げた。

「うわー、吸いつくようなコーナーの曲がり、ギアでグンッてスピードが上がる感覚、最高です!かっこいい!成瀬さん」
「はは、ありがとう。なんか彼女みたいだな、富樫」
「はい!俺、成瀬さんの彼女になって、毎日この車に乗せてもらいたいです」
「冗談に聞こえなくて怖いんだけど」
「俺、本気です!」
「富樫、丁重にお断りする」

ええー?!と卓は、傷ついたように眉毛を下げる。

「おいおい、富樫だって営業成績いいんだから、欲しい車買えるだろう?彼女を乗せて自分で運転すればいいじゃないか」
「本部長。今うちのトップの人でさえ、かつてのあなたの営業成績の半分くらいなんですよ?営業部のレジェンドのあなたと同じ車が、俺に買える訳ないですよ」
「そうなのか?まあ、今は営業の歩合制も以前ほど好条件ではなくなったからな。俺はたまたま時期が良かっただけだよ。それに今回のルミエールの件が上手くまとまれば、俺からもボーナスを弾む」
「本当ですか?うわー、俺、俄然やる気が湧いてきました!絶対にこの案件、モノにしてみせます!」
「ははは、今日富樫を車に乗せて良かった。頼もしいよ」

男二人で盛り上がっているうちにホテルに到着し、成瀬はバックで駐車スペースに入れる。

目視で後ろを確かめた成瀬と目が合い、油断していた美怜はドキッとして思わず身体ごと横に避けた。

「すみません!後ろ見にくいですよね」
「いや、大丈夫」

スルスルといとも簡単に一発で駐車すると、かっこいいー!とまた卓が騒ぎ出した。

「惚れるわー。どこまでいい男なんですか?成瀬さん」
「富樫、いい加減恥ずかしいからやめてくれ。俺、こんなにモテたの初めてだわ」

苦笑いする成瀬に、「またまたー」と卓はしたり顔になる。

「この車に乗せて落ちなかった女性なんていないでしょ?」
「乗せたことないよ」
「え!?彼女も?」
「うん。いなかったし」
「ええー?!成瀬さんにも彼女がいない時期なんてあったんですか?」
「なんだよ、微妙にディスってるな。ちなみに今もいないよ。悪かったな」
「し、信じられない!そんなの、俺は信じませんよ!」

はいはいと軽く流すと、成瀬は車を降りて運転席のシートを前に倒し、美怜に声をかける。

「どうぞ。足元気をつけて」
「あ、はい。ありがとうございます」

すっかり蚊帳の外だと思っていたのに、気遣うように声をかけられ、美怜は居住まいを正した。

車を降りると、手にしていたジャケットを差し出す。

「どうぞ」
「ありがとう」

受け取った成瀬は、ジャケットをスッと背中に回して腕を通した。

「じゃあ行こうか」
「はい」

歩き始めた二人の後ろで、またもや卓の「かっけー!」という興奮した声が響いた。

***

「予約した成瀬です」
「お待ちしておりました、成瀬様。どうぞこちへ」

ルミエール ホテルのアネックス館のレストランは、天井が高く明るい雰囲気のイタリアンレストランだった。

本館は値段もそれなりのフレンチレストランや和食の料亭、最上階のバーなどがあるが、アネックス館はカジュアルで入りやすいレストランが揃っている。

平日とあって宿泊客も多くないのか、三人は窓際の景色が綺麗に望めるテーブルに案内された。

ノンアルコールで乾杯して、パスタやピザなどをシェアする。

「このレストランの家具も、割と低価格なメーカーのものですよね」

料理を味わいながらも、美怜はくまなく家具や内装をチェックする。

「そうだな。何せ小さなお子様連れが多い。椅子やテーブルもあっという間に汚れたり傷がついたりするだろうから、気軽に買い換えられるよう価格帯も抑えてあるんだろう」

成瀬の言葉に、卓が少し考えてから提案した。

「本部長。先方のお話では、アネックス館の全館リニューアルに伴う家具やインテリアのプロデュースを、ということでしたよね。それにはレストランの内装は含まれませんか?」
「現段階では、その話は出なかった。あくまで客室と、ロビーやエレベーターホールの装飾ということで、レストランについては何も触れられていない」
「なるほど。ではもしも話題に上がった時にすぐにお答えできるよう、レストランの内装や家具についてのご提案も準備しておいて構いませんか?」
「ああ。だが無駄な労力に終わる可能性もあるぞ?」
「もちろん構いません。想定できること全てに対応できるよう、抜かりなく準備しておくのが私のやり方ですので」

卓がきっぱり告げると、成瀬はふっと笑みをこぼした。

「道理で成績がいい訳だな、富樫」
「本部長には遠く及びませんよ」
「いや、すぐに追い抜かれるよ」
「ご冗談を。レジェンドの記録を塗り替える人なんて、この先現れませんよ」
「では、俺の記録を抜いた暁には一杯おごってくれ」
「そんな時がもし来たら、ドンペリでもなんでもおごらせていただきます」
「言ったな。楽しみにしている」

信頼し合った男同士の会話を聞きながら、美怜はなんだかうらやましくなる。

(かっこいいな。本部長も卓も)

この二人と一緒に大きな仕事を成功させたい。

改めて美怜はその想いを強くしていた。
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