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ファーストネーム
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「やったー!ラザニア、間に合ったー!」
本日の日替わりランチのボードがまだ店頭にあるのを見て、美怜は嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。
(案内中の時とは別人だな)
成瀬がじっと真顔で美怜の顔を見ていると、美怜はキョトンと目を丸くする。
「あの、もしかしてラザニアお好きではないですか?でしたら他のメニューもありますし、別のお店でも…」
「え?…あ、いや。そんなことはない。ラザニアにするよ」
「そうですか、良かったです。ここのラザニア、絶品ですよ」
「そうか」
ようやく店内に入ると、ちょうど空いたテラス席に案内される。
八月の下旬でまだ気温は高いが、大きなパラソルのおかげで日差しは強くない。
「食事の前にちょっと飲んでもいいですか?」
メニューを見ていた美怜に尋ねられ、成瀬は、えっ?と驚く。
「昼間から飲むの?」
「はい。…あ!違いますよ?お酒じゃないです。レモネードスカッシュが飲みたくて」
「あ、そうか。そうだよな、すまん」
「いえ。私こそ、紛らわしい言い方をしてすみません」
思わず身を縮こまらせてから、オーダーを取りに来たスタッフに注文する。
「えっと、ラザニアを二つとレモネードスカッシュを…」
そういうと美怜は成瀬に視線を向けた。
「あの、何か飲まれますか?」
「ああ、そうだな。では同じものを」
「はい。じゃあ、レモネードスカッシュも二つお願いします」
かしこまりました、とスタッフが去ると、美怜はグラスの水をひと口飲んでから顔を上げた。
「あの、少しお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、どうぞ」
「はい。ミュージアムには初めていらしたということでしたが、率直にいかがでしたでしょうか?何か改善点がありましたらご教授いただきたいのですが」
真剣に話し始めた美怜に、成瀬は驚く。
「いや、そんなことは何も思い浮かばなかった。ただ圧倒されてしまって。うちの社にあんな部署があるとは知らなくて、私の方こそ勉強させてもらった」
「そうでしたか。一般のお客様の中にはリピーターの方もいらして、予約もお陰様で毎回満席なのですが、意外と社内では知られていないのが現状です。営業の卓…、あ、富樫さんはよくお客様との商談に利用してくれるのですが、他の社員の方はほとんどいらっしゃいません。ですので、改善が必要かなとチームメンバーで話しているんです。コンテンツを入れ替えるのは容易ではないので、何かイベントを企画するとか、私達のご案内も改善できるところはしていきたいと」
成瀬はますます美怜の言葉に舌を巻いた。
「いや、その。恥ずかしながら、私もこのミュージアムの意義を正しく理解していなかった。だが今日見学させてもらって、感銘を受けたよ。私が営業だった時は、常にどうすれば契約が取れるかを考えていて、先方にも契約に関する話ばかりしていた。今日の君の案内は、まさに目から鱗だったよ。君の言葉に納得して、先方も、この会社なら信用できると感じてもらえたんだと思う」
「本当ですか?」
「ああ。これでも営業には六年いたんだ。たかが六年では、私の言葉を信じてもらえないかもしれないが」
「いえ、とんでもない。まだ入社して二年ちょっとの私からすれば、大先輩でいらっしゃいます」
二年?!と、成瀬は目を見張る。
「君、まだこの会社に入ってから二年しか経ってないの?」
「はい。新卒で二年前の四月に入社しましたので、正確には今、二年と四ヶ月です」
「ってことは、君、まだ二十四歳ってこと?」
「はい。今年で二十五になります」
そんなに若くてあの商談を?と、成瀬はもはや呆然とする。
(あんなに堂々と臆することなく、自分よりもはるかに年上の相手から契約をもらう営業ぶり。いや、もしかして営業をかけたという感覚ではないのかもしれない。それにしてもこんな大口の契約を、営業部でもない二十四歳の女の子がいとも簡単に取るなんて…)
ジェネレーションギャップなのか、カルチャーショックなのか?
とにかく成瀬は、運ばれてきたレモネードスカッシュを飲んで「美味しい!」と笑顔を浮かべる美怜を、まじまじと見つめていた。
***
「お待たせしました。日替わりランチのラザニアでございます。熱いのでお気をつけください」
「はい、ありがとうございます。わあ、美味しそう!」
目の前に置かれたラザニアに、美怜は目を輝かせる。
いただきます!と手を合わせてからフォークを入れ、真剣な表情で、ふうふうと冷まして口に運ぶ。
「んー、美味しい!…って、熱っ!」
うっとりしたかと思うと急に眉をハの字に下げて涙目になる美怜に、成瀬は思わず吹き出しそうになった。
うつむいて肩を震わせながら笑いをこらえる成瀬に、美怜は、ん?と首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「いや、ごめん。あまりに表情がコロコロ変わるから、ついていけなくて」
はっ?!と美怜が素っ頓狂な声を出すと、成瀬は咳払いしてから真顔を作った。
「すまない。気にしないでくれ」
そう言うと、いただきますとラザニアを食べ始める。
「あっ!そんなに一気に食べたらだめです!」
慌てて手を伸ばす美怜に、え?と成瀬は顔を上げた。
「え?って、ええ?!熱くないですか?」
「うん」
「本当に?!」
怪訝そうにしながら再びラザニアを口にした美怜は、「あっつ!」とまた目を見開いて涙を浮かべる。
もう限界だとばかりに、成瀬は声を上げて笑い出した。
「あはは!君、本当に面白いね」
「はいー?どこがですか?」
「だって、朝は階段を踏み外して派手に滑り落ちてきたのに、仕事となれば大口の契約をサラッと取って。かと思えば子どもみたいに、熱いラザニアに驚いて涙目になるし。一人何役?ってくらい、色んなキャラになるんだね」
はあ…と、美怜は気の抜けた返事をする。
「そういうことなら、私もあなたの意外な一面を垣間見たような気がします。クールで大人な方だなって思ってたのに、急に楽しそうに笑顔になって…」
そこまで言うと言葉を止めて、美怜はおずおずと視線を上げた。
「あの…」
「なに?」
「えーっと、私の名前って、覚えていらっしゃい…ますか?」
「もちろん。営業マンは一度で顔と名前を覚えなきゃやってられないからね。結城さんでしょ?」
「はい、そうです。さすがですね」
そう言って気まずそうにうつむく美怜に、成瀬は、そういうことかと頷く。
「つまり、俺の名前は覚えてないってこと?」
すると美怜はハッとしたように顔を上げて、ふるふると首を横に振る。
「ち、違いますよ。そんな失礼なこと、まさか…」
「じゃあ、俺の名前は?」
「あ、えーっと、本日から本社に異動になった…」
「うん。なに?」
「ですから、その…。ええい、後藤さん!」
「誰だよ?!後藤って。しかもなんか、一か八かみたいに言ったな?」
美怜はぶんぶん首を振り続ける。
「いえいえ、違いますよ。あっ、そう!私達のチーム、普段はファーストネームで呼び合ってるんです。あなたのファーストネームはまだうかがってなかったですよね?もしよろしければ教えてください。うふふ」
笑顔でごまかす美怜に、成瀬は思い切り眉根を寄せた。
「さすがは営業マン顔負けの接客をするだけあるな。一筋縄ではいかない、諦めの悪さ。負けず嫌いの頑固者か?」
「あら、そんな。滅相もない。おほほほ!ちなみにわたくしは、美怜と申します。それで?あなた様のファーストネームは?」
「やれやれ。降参だ」
「あ、コウさん?」
「は?違うってば」
小さくため息をついてから、成瀬は負けを認めたようにボソッと呟く。
「隼斗だ」
「隼斗さん?わー、かっこいい!素敵なお名前ですね、隼斗さん」
「どうだか…。そんなにわざとらしく持ち上げなくていい」
「本心ですよ。イメージぴったり!ね?隼斗さん」
成瀬が脱力して肩を落とすと、美怜は満面の笑みでラザニアを頬張る。
「はー、幸せ。美味しいですよね、ここのラザニア。ね?隼斗さん」
「はいはい、猫舌さん」
「美怜です。それに私、猫舌じゃないですよ?ほら、普通に食べられます」
「それはラザニアが冷めたからだ」
「あ、なるほど!」
成瀬はまたもや、ガックリと肩を落とした。
本日の日替わりランチのボードがまだ店頭にあるのを見て、美怜は嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。
(案内中の時とは別人だな)
成瀬がじっと真顔で美怜の顔を見ていると、美怜はキョトンと目を丸くする。
「あの、もしかしてラザニアお好きではないですか?でしたら他のメニューもありますし、別のお店でも…」
「え?…あ、いや。そんなことはない。ラザニアにするよ」
「そうですか、良かったです。ここのラザニア、絶品ですよ」
「そうか」
ようやく店内に入ると、ちょうど空いたテラス席に案内される。
八月の下旬でまだ気温は高いが、大きなパラソルのおかげで日差しは強くない。
「食事の前にちょっと飲んでもいいですか?」
メニューを見ていた美怜に尋ねられ、成瀬は、えっ?と驚く。
「昼間から飲むの?」
「はい。…あ!違いますよ?お酒じゃないです。レモネードスカッシュが飲みたくて」
「あ、そうか。そうだよな、すまん」
「いえ。私こそ、紛らわしい言い方をしてすみません」
思わず身を縮こまらせてから、オーダーを取りに来たスタッフに注文する。
「えっと、ラザニアを二つとレモネードスカッシュを…」
そういうと美怜は成瀬に視線を向けた。
「あの、何か飲まれますか?」
「ああ、そうだな。では同じものを」
「はい。じゃあ、レモネードスカッシュも二つお願いします」
かしこまりました、とスタッフが去ると、美怜はグラスの水をひと口飲んでから顔を上げた。
「あの、少しお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、どうぞ」
「はい。ミュージアムには初めていらしたということでしたが、率直にいかがでしたでしょうか?何か改善点がありましたらご教授いただきたいのですが」
真剣に話し始めた美怜に、成瀬は驚く。
「いや、そんなことは何も思い浮かばなかった。ただ圧倒されてしまって。うちの社にあんな部署があるとは知らなくて、私の方こそ勉強させてもらった」
「そうでしたか。一般のお客様の中にはリピーターの方もいらして、予約もお陰様で毎回満席なのですが、意外と社内では知られていないのが現状です。営業の卓…、あ、富樫さんはよくお客様との商談に利用してくれるのですが、他の社員の方はほとんどいらっしゃいません。ですので、改善が必要かなとチームメンバーで話しているんです。コンテンツを入れ替えるのは容易ではないので、何かイベントを企画するとか、私達のご案内も改善できるところはしていきたいと」
成瀬はますます美怜の言葉に舌を巻いた。
「いや、その。恥ずかしながら、私もこのミュージアムの意義を正しく理解していなかった。だが今日見学させてもらって、感銘を受けたよ。私が営業だった時は、常にどうすれば契約が取れるかを考えていて、先方にも契約に関する話ばかりしていた。今日の君の案内は、まさに目から鱗だったよ。君の言葉に納得して、先方も、この会社なら信用できると感じてもらえたんだと思う」
「本当ですか?」
「ああ。これでも営業には六年いたんだ。たかが六年では、私の言葉を信じてもらえないかもしれないが」
「いえ、とんでもない。まだ入社して二年ちょっとの私からすれば、大先輩でいらっしゃいます」
二年?!と、成瀬は目を見張る。
「君、まだこの会社に入ってから二年しか経ってないの?」
「はい。新卒で二年前の四月に入社しましたので、正確には今、二年と四ヶ月です」
「ってことは、君、まだ二十四歳ってこと?」
「はい。今年で二十五になります」
そんなに若くてあの商談を?と、成瀬はもはや呆然とする。
(あんなに堂々と臆することなく、自分よりもはるかに年上の相手から契約をもらう営業ぶり。いや、もしかして営業をかけたという感覚ではないのかもしれない。それにしてもこんな大口の契約を、営業部でもない二十四歳の女の子がいとも簡単に取るなんて…)
ジェネレーションギャップなのか、カルチャーショックなのか?
とにかく成瀬は、運ばれてきたレモネードスカッシュを飲んで「美味しい!」と笑顔を浮かべる美怜を、まじまじと見つめていた。
***
「お待たせしました。日替わりランチのラザニアでございます。熱いのでお気をつけください」
「はい、ありがとうございます。わあ、美味しそう!」
目の前に置かれたラザニアに、美怜は目を輝かせる。
いただきます!と手を合わせてからフォークを入れ、真剣な表情で、ふうふうと冷まして口に運ぶ。
「んー、美味しい!…って、熱っ!」
うっとりしたかと思うと急に眉をハの字に下げて涙目になる美怜に、成瀬は思わず吹き出しそうになった。
うつむいて肩を震わせながら笑いをこらえる成瀬に、美怜は、ん?と首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「いや、ごめん。あまりに表情がコロコロ変わるから、ついていけなくて」
はっ?!と美怜が素っ頓狂な声を出すと、成瀬は咳払いしてから真顔を作った。
「すまない。気にしないでくれ」
そう言うと、いただきますとラザニアを食べ始める。
「あっ!そんなに一気に食べたらだめです!」
慌てて手を伸ばす美怜に、え?と成瀬は顔を上げた。
「え?って、ええ?!熱くないですか?」
「うん」
「本当に?!」
怪訝そうにしながら再びラザニアを口にした美怜は、「あっつ!」とまた目を見開いて涙を浮かべる。
もう限界だとばかりに、成瀬は声を上げて笑い出した。
「あはは!君、本当に面白いね」
「はいー?どこがですか?」
「だって、朝は階段を踏み外して派手に滑り落ちてきたのに、仕事となれば大口の契約をサラッと取って。かと思えば子どもみたいに、熱いラザニアに驚いて涙目になるし。一人何役?ってくらい、色んなキャラになるんだね」
はあ…と、美怜は気の抜けた返事をする。
「そういうことなら、私もあなたの意外な一面を垣間見たような気がします。クールで大人な方だなって思ってたのに、急に楽しそうに笑顔になって…」
そこまで言うと言葉を止めて、美怜はおずおずと視線を上げた。
「あの…」
「なに?」
「えーっと、私の名前って、覚えていらっしゃい…ますか?」
「もちろん。営業マンは一度で顔と名前を覚えなきゃやってられないからね。結城さんでしょ?」
「はい、そうです。さすがですね」
そう言って気まずそうにうつむく美怜に、成瀬は、そういうことかと頷く。
「つまり、俺の名前は覚えてないってこと?」
すると美怜はハッとしたように顔を上げて、ふるふると首を横に振る。
「ち、違いますよ。そんな失礼なこと、まさか…」
「じゃあ、俺の名前は?」
「あ、えーっと、本日から本社に異動になった…」
「うん。なに?」
「ですから、その…。ええい、後藤さん!」
「誰だよ?!後藤って。しかもなんか、一か八かみたいに言ったな?」
美怜はぶんぶん首を振り続ける。
「いえいえ、違いますよ。あっ、そう!私達のチーム、普段はファーストネームで呼び合ってるんです。あなたのファーストネームはまだうかがってなかったですよね?もしよろしければ教えてください。うふふ」
笑顔でごまかす美怜に、成瀬は思い切り眉根を寄せた。
「さすがは営業マン顔負けの接客をするだけあるな。一筋縄ではいかない、諦めの悪さ。負けず嫌いの頑固者か?」
「あら、そんな。滅相もない。おほほほ!ちなみにわたくしは、美怜と申します。それで?あなた様のファーストネームは?」
「やれやれ。降参だ」
「あ、コウさん?」
「は?違うってば」
小さくため息をついてから、成瀬は負けを認めたようにボソッと呟く。
「隼斗だ」
「隼斗さん?わー、かっこいい!素敵なお名前ですね、隼斗さん」
「どうだか…。そんなにわざとらしく持ち上げなくていい」
「本心ですよ。イメージぴったり!ね?隼斗さん」
成瀬が脱力して肩を落とすと、美怜は満面の笑みでラザニアを頬張る。
「はー、幸せ。美味しいですよね、ここのラザニア。ね?隼斗さん」
「はいはい、猫舌さん」
「美怜です。それに私、猫舌じゃないですよ?ほら、普通に食べられます」
「それはラザニアが冷めたからだ」
「あ、なるほど!」
成瀬はまたもや、ガックリと肩を落とした。
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