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婚約者のお迎え

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(うーん、ギリギリかな。でも大丈夫。間に合うはず)

電車に揺られて、真美は自宅の最寄り駅に向かう。

早く早くと思いながらようやく到着し、ホームの階段を駆け上がって改札を出た。 

(よし、5分前!ギリギリセーフね)

走れば2分で着くはずだと、真美は鞄を肩にかけて走り出す。

すると会社支給のスマートフォンから着信音が聞こえてきた。

今は無理、と無視していると、一旦切れてからまたかかってくる。

もしかして!と、真美は慌てて鞄から取り出した。

(やっぱり!課長からだ)

走りながら電話に出る。

「もしもし」
『あ、望月?五十嵐だ。今どこ?』
「保育園まであと少しのところです」

はあはあと息を切らしながら答えると、すまなそうな声がした。

『悪いな、望月。お迎えに代わりに行ってもらうことは保育園に電話で伝えておいた。名前の確認の為に、先生に保険証か免許証見せてもらえるか?』
「あ、はい。分かりました。今は、そういうの、厳しいん、ですよね」

走りながらだと息が苦しくて、途切れ途切れになってしまう。

『そうなんだ。身元確認が取れない人には引き渡せないとかで。それで、重ねがさね申し訳ないんだけど、俺の婚約者が迎えに行くってことになってるから』

は?!と、真美は思わず立ち止まる。

「婚約者?!って、誰ですか?」
『だから、望月のこと。すまん。赤の他人には引き渡せませんって言われて、つい』
「はあ、そういうことなら」
『悪い。じゃあ俺、打ち合わせに戻るな。あとでまた連絡する』
「はい、かしこまりました」

電話を切ると、真美はまた走り出した。

「遅くなってすみません!岳くんのお迎えに来ました望月と申します」

保育園のインターフォンを鳴らしてそう言うと「はーい、どうぞ」と声がして、カチャッとロックが解除される。

今どきのセキュリティーってすごいな、と感心しながら、真美は門を開けて中に入った。

チャイルドロックのついたドアを開けると、広いエントランスホールでポツンと先生と一緒に座っている岳がいた。

「岳くん!ごめんね、遅くなって」
「べつにいいよ。じゅん、しごとなんだろ?」
「あ、うん。そうなの」

令和の4歳児って、みんなこんなに大人びた口調なの?と苦笑いを浮かべていると、岳は隣にいる先生に口を開いた。

「じゅんのかのじょ。まみ」

ふがっ?!と真美は不意打ちを食らって変な声を出す。

「あ、望月 真美さんですね?五十嵐さんからお電話ありました。申し訳ないのですが、お名前が確認出来るものを見せていただけますか?」
「はい」

先生に言われて、真美は財布から運転免許証を取り出した。

「ありがとうございます。確認いたしました。それでは、岳くんをよろしくお願いします」
「はい、お世話になりました。岳くん、行こうか。忘れ物はない?」

手を繋ぐと、岳は真美を見上げる。

「まみ。わすれものは、わすれたからわすれものだぞ?いまおもいだしたら、わすれものじゃない」
「ほえー、なんて名言。どこで習ったの?」
「ママがいつもいってる」
「そうなんだ!ママ、頭いいねー」

岳が靴を履き替えるのを見守り、最後に二人で先生を振り返った。

「先生、ありがとうございました」
「せんせい、またね」

「はい、岳くんをよろしくお願いします。がっくん、また明日ね!」

真美は岳と手を繋いで保育園をあとにした。

「ねえ、どこいくの?」

歩き始めると、岳が真美を見上げて聞く。

「ん?私のうち。そこで課長を待とうね」
「かちょー?って、だれ?」
「えっと、だから、岳くんの叔父さんだよ」
「じゅんのこと?まみ、じゅんってよばないの?」
「うん。だって上司だもん。私よりえらい人なの」
「かのじょなのに?」

うぐっと真美は言葉に詰まる。

「そ、そうなの。色んなカップルがいるのよー。あはは」

乾いた笑いでごまかしながら、歩いて5分ほどのマンションに帰って来た。

「ただいまー。岳くん、ここが私の部屋だよ。どうぞ上がって」
「おじゃまします」
「おっ、ちゃんとご挨拶出来るんだね。えらいね」
「こんなの、ふつうだよ」

岳はしれっとしながら靴を脱ぎ、きちんと揃えてから部屋に上がる。

「岳くん、洗面所はここね。あ、待って。ステップあるから」

真美は折りたたんでしまっていた踏み台を開いて、岳の前に置いた。

ステップの上で小さな手を伸ばしてゴシゴシ洗う岳に、真美は思わずふふっと笑う。

「なんだよ?」
「ううん。なんか可愛いなーと思って」
「こどもあつかいするなよ」
「あはは!うん、分かった。大人扱いするね」

二人でうがい手洗いを済ませると、岳に麦茶を入れてから真美はキッチンに立つ。

「岳くん、マカロニグラタン好き?」
「うん!すき」
「ふふっ、じゃあすぐに作るね」

真美は早速マカロニを茹でながら、もう一つの鍋にバターや小麦粉、牛乳を入れてホワイトソースを作る。

「岳くん、ツナとコーンとソーセージ好き?」
「だいすき!」
「あはは!いいねー。じゃあたくさん入れちゃおう。手伝ってくれる?」
「うん」

真美はフリーザーからスイートコーンの袋を取り出し、岳の前のローテーブルに小皿と一緒に置いた。

「好きな分だけ、このお皿に入れてね」
「わかった」

袋を手にした岳は、つめたっ!と目を丸くする。

その様子が可愛くてたまらず、真美は思わず目を細めた。

グラタンが焼き上がり、スープやサラダもテーブルに並べたところで、潤から電話がかかってきた。

「はい、もしもし」
『望月、ごめん!すっかり遅くなった』
「いいえ。無事にお迎えに行って、今私のうちにいます。これから晩ご飯を食べるところなんですけど、岳くんって食べ物のアレルギーありますか?」
『いや、ないよ。ごめんな、色々と。本当に助かった、ありがとう。これからそっちに迎えに行ってもいい?』
「分かりました。住所をメッセージで送りますね。ゆっくりいらしてください」
『ああ、ありがとう』

通話を終えると住所をメッセージで送り、真美は岳に笑いかける。

「潤おじさん、これからここに来るって。食べながら待とうか」
「うん!いただきます」
「いただきます」

取り皿に少し移して冷ましたグラタンを、岳は大きな口でパクッと頬張る。

「おいしい!」
「ほんとに?良かったー」
「まみ、いいおよめさんになれるよ」
「そう?嬉しい!」
「うん。じゅんもよろこぶよ」
「あー、それはどうかな?」

苦笑いでごまかしつつ、二人で楽しく食べる夕食に、真美は新鮮な楽しさを感じていた。

「誰かとおしゃべりしながら食べるっていいね」
「え?じゅんとはたべないの?」
「あ、まあ、そうね。ここには来たことないかな?」
「そうなんだ。おれ、ゆずちゃんちいったことあるぜ?」
「おおー、がっくんかっこいい!」

気取った口調のドヤ顔の岳のセリフがツボにはまり、真美は笑いが止まらない。

「がっくん、モテるでしょ?」
「どうかな?」
「絶対モテるよー。だって潤おじさんと同じで、アイドルみたいに顔が整ってるもん」
「おとこはかおじゃないぜ、まみ」
「あはは!うん、確かに。がっくん分かってるねー」

夕食をぺろりと平らげた岳は、真美が食器を洗っている間にウトウトし始めた。

「がっくん、寝てていいよ」
「ん、だいじょうぶ」
「いいから。ほら、ベッドに入って」

布団をめくって促すと、岳は小さな足を踏ん張ってベッドに登り、コロンと横になる。

そのままスーッと眠りに落ちていった。



しばらくするとピンポンとインターフォンが鳴り、真美は受話器を上げる。

「はい」
「五十嵐だ。悪い、遅くなって」

息を切らしながらすまなそうに潤が詫びる。

「大丈夫です。今、開けますね」

玄関を開けると、急いで来たのだろう、潤は肩で息をしながら切羽詰まった表情をしていた。

いつもは綺麗に整った髪型も無造作に乱れている。

「ゆっくりで大丈夫だったのに。がっくん、今よく寝てるんです」
「え、そうなのか?ごめん、図々しく」
「とんでもない。課長、どうぞ入ってください」
「ああ、お邪魔します」

潤は靴を脱いで静かに部屋に上がると、ベッドに近づき岳の様子をうかがう。

「ほんとだ、よく寝てる。ごめん、こいつ色々と生意気な口きいただろ?」
「全然そんなことないですよ。とってもいい子です」
「そう?なんか俺、どうやってしつけとかしたらいいのか分からなくて。もっとビシッと叱った方がいいのかな」

小さく呟く潤に、真美は少し考えてから口を開いた。

「課長。がっくんは、すごくすごくがんばってるいい子です。叱るだなんて、とんでもない」

え?と、潤は怪訝そうに真美を振り返る。

「がっくん、私が保育園にお迎えに行った時、先生と二人でポツンと広いホールに座ってました。きっとお友達が次々と帰って行くのを見送りながら、寂しくてたまらなかったと思います。それでなくても、今はママと離れて暮らしてるんですし」

そう言って真美は、あどけない岳の寝顔を優しく見つめた。

「それに、昨日ほんの少し会っただけの私の手を、ギュッと握ってくれました。まだ4歳ですよ?こんなに小さな身体で、毎日を一生懸命に生きてるんです。叱ることなんて、何一つありません」

望月……と、潤は言葉に詰まる。

真美は岳の頭をそっとなでると、思い出したように潤を見上げた。

「課長、夕食まだですよね?すぐに用意します。よかったら召し上がってください」

キッチンに向かう真美に、え、いや、と潤はためらう。

「がっくんが混ぜ混ぜしてくれたんですよ。ツナとコーンとソーセージのマカロニグラタン。課長のは、チーズとパン粉たくさん載せて焼きますね」

真美は手早く準備してグラタン皿をオーブンに入れ、サラダやスープをローテーブルに並べた。

「望月、ごめんな。なんか俺、迷惑かけっぱなしで。お迎えだけじゃなく、夕食まで……」
「ですから、全然そんなことないですって。がっくんとおしゃべりしながら食べるの、本当に楽しかったです。あ、グラタン熱いので気をつけてくださいね」

焼き上がったグラタンもテーブルに置くと、潤は、いただきますと手を合わせた。

「うん、美味しい!このグラタン、ほんとに手作り?」
「そうですよ。たまに赤ワインを入れたボロネーゼでペンネグラタンを作ったりもするんですけど、今日はがっくん用にホワイトソースのマカロニグラタンにしました」
「へえー、ボロネーゼの方も食べてみたいな。って、あ……。悪い、つい余計なことを」

顔をしかめる潤に、真美は、ふふっと笑いかける。

「課長、今日は私に謝ってばっかりですよ?」
「いや、だって……」
「こんなにタジタジになる課長、珍しい!オフィスではいつもキリッとしてるのに」
「うん、まあ。仕事だとやることがはっきりしてるから身が入るんだけど、普段は俺、結構ボーッとしてるんだ」
「そうなんですか?なんだか意外」

知らない一面が見られた気がして、真美はなんだか嬉しくなる。

それにこんなに打ち解けて話をするのも初めてだった。

「それにしても、課長の今日の打ち合わせ、長かったですね」
「ああ、そうなんだよ」

思い出したように、潤はしかめっ面になる。

「新規のクライアントとは言え、まさかあんなに長引くとは。二人いたうちの若い方の社員が、どうやらプログラマーでもあるらしくてな。ものすごい突っ込んだ話をされたんだ」
「そうなんですね?それなら課長が担当してくださって本当に良かったです。プログラマーの質問に、私なんて全くお答え出来ませんから」
「いや、それならそれで、一旦持ち帰って後日ご連絡しますって言えるだろ?けど、なまじ俺が答えるもんだから、どんどん話が膨らんじゃってさ。岳のお迎えの時間は迫ってるし、気が気じゃなかったよ。ここはもう正直に保育園のお迎えがって話して、今日のところは切り上げさせてもらおうと思ってた。そこにちょうど望月が来てくれたんだよ。本当に助かった」
「そうでしたか。お役に立てて良かったです。あ、今コーヒー淹れますね」

潤が食事を終えたのを見て、真美はキッチンに立ち、コーヒーを二人分淹れる。

ごちそうさま、と言いながら、潤が食器を運んで来た。

「すみません。その辺に置いておいてください」
「いや、迷惑でなければ食器洗いくらいさせてくれ」

そう言って潤は、慣れた手つきで洗い始める。

「課長、いい旦那様になれますね」
「そんな大げさな。これくらい誰でもやるだろ?単にひとり暮らしが長いだけだ。それに俺、結婚願望なくてな」
「そうなんですか?!それは大変」
「は?!何、大変って?」
「課長ラブの女子社員にとっては、爆弾発言ですよ」

すると潤は半泣きの顔になる。

「なんだよ、それ。またラブかよ。世の中、なんとかラブが蔓延し過ぎだ」
「ん?何の愚痴ですか?」
「いい。気にするな。コーヒー持ってく」
「あ、はい。ありがとうございます」

ローテーブルに戻ってコーヒーを飲みながら、潤はベッドで寝ている岳に目をやった。

「ほんとによく寝てるな。そろそろ起こして帰らないと」
「課長、よろしければタクシー呼びましょうか?がっくん、このまま寝かせてあげた方がいいかも」
「そうだな。ここから3駅とは言え、電車で帰るのも厳しいだろうし」
「ええ、そうですよ。今、手配しますね。チャイルドシート付きのタクシー呼びます」
「ありがとう」

15分後にタクシーが到着し、潤は寝ている岳を抱き上げた。

真美は潤や岳の荷物をまとめて持ち、エントランスまで見送りに出る。

「望月、今日は本当にありがとう。助かったよ」

岳をチャイルドシートに寝かせると、荷物を受け取った潤が改めて真美と向き合った。

「いいえ。私も楽しかったです。がっくんにもそう伝えてください」
「ああ、分かった」
「それと、課長」
「ん?」
「もしまた……、何か私にお手伝い出来ることがあったら、その時は遠慮なくお知らせください」

すると潤は一瞬驚いたように目を見開いてから、ふっと頬を緩めて微笑む。
 
「ありがとう!」

会社では決して見せない表情。
初めて見る潤の屈託のない笑顔に、真美はなんとも言えない胸のざわめきを感じていた。
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