13 / 57
第二章・辺境伯夫人へ
12・今すぐあなたの妻にして*
しおりを挟む なにか、とてつもなく冷えた物が首筋に触れた感触がして飛び起きる。首に手を当てながら辺りを見渡したシュウは、目を見開いて後ずさった。
「おはよう、シュウ」
そこには、予想通り優しげな微笑みを浮かべた親友と恋人を兼任している男がいた。夜を過ごした後、夜警に行ったはずだというのに。一体いつ帰ってきたのか、すでにベッドの中に熱が戻っている。
「相変わらずのお寝坊さんだな、お前は」
シュウの髪を一撫でして、柔らかくもない頬にキスを……なにをしているんだコイツは、と眉間に皺が寄った。
「お前は人が寝てる間になにしてんだ」
「キスマークの一つや二つ、つけてやろうかと」
まあ、つかなかったが……と残念そうに唇に手を当てる親友に頭がキリキリと痛む。
「俺は肌が焼けているし厚いだろ。つきにくいのは当たり前だ」
そう言うと、シルベリアは笑みを浮かべた。
「だったらシュウ、お前が俺につけてみないか?」
俺の肌なら白いからすぐにつくだろう? と言ってくるシルベリアに、シュウは心底呆れ果てた。開いた口が塞がらない。
「何でお前はそう朝っぱらから濃いんだよ……!」
「ん? まあ、俺も男だからな」
わははと笑うシルベリアに、これだからお貴族様はと言いながらベッドを出た。昨夜すっかり脱がされてしまった服を拾い上げて洗濯カゴに放り入れておく。
歯磨きをしながら歩いていき、新聞受けに刺さっている束を引き抜く。その瞬間ぴゅうと隙間から入ってきた風に身をすくめた。
いくら部屋を温めていたとしても、外から入ってきては意味がない。適当にクローゼットから出した服を着て、シルベリアの背中に身を預ける。
ごく僅かにシルベリアの方が高いが、ほとんど同じ体温に背丈。こうしてくっついていると馴染んで、溶け合いそうになる。
エディスだとこうはいかない。アイツは体温が低いからと考えながら新聞を開いたシュウは、
「……なんだこれ」
愕然として呟いた。
その日、イーザックに選んでもらった書庫の魔法書を読み耽っていたエディスは、突然の訪問者を告げるチャイムの音に起き上がる。
どこでも好きな本を読んでくれていいと許可を得たエディスは、来る日も来る日も魔法書を周りに積み上げてはイーザックやレウと議論を繰り返している。
そこにやって来たのがシルベリアと知ると、昨年カーグラック大学院で発表された文献について意見を聞こうと嬉々として彼を出迎えた。
「レイヴェンたちが……!?」
だが、彼が持ってきた新聞の一面の見出しを見た途端、今の今まで浮かべていた花のような笑顔はどこに捨てたのかというしかめっ面へと変えてしまう。
そこに書かれていた罪状は、殺人未遂――城に戻ってきたキシウと口論になり、激昂した彼女がティーセットを薙ぎ倒して廊下にいた兵士から剣を奪って追いかけてきたのだという。
「姫じゃなくなっても命を狙われるのか!」
憤り、拳を膝に叩きつけるシルベリアに、一同は同意を示した。
「十中八九、あのクズ女の嘘だろ」
これでレイアーラが国庫を無駄に浪費させる悪女であれば出てこなかった反応だろう。だが、彼女は献身的に各地の孤児院や修道院を通っており、災害があれば直接向かって人々の手を取り励ましの言葉を掛けた。それは積極的に情報を集めていないエディスの耳にさえ入ってきていた。
慈悲深く慎ましい彼女が、華美な装束を纏うことはない。宝石ではなく花や職人のレースで身を飾る彼女独自のスタイルは女性の圧倒的な支持を得ており、今年の社交界の一大ブームにさえなっているというのが、イーザックの見識だった。
「いやぁ~……これは、これは」とイーザックが言葉を詰まらせる。
「ブラッド家は一手を打ってくるでしょうねぇ」
その通りで、翌日の新聞にはハイデが皇太子エドワードとして名乗り出たと書かれてあった。
それを握り締めてきたシュウが「あれは俺の兄だ、地毛は俺と同じ緑だ」と髪を引っ張りながら言うのを聞き、やはりと目を伏せる。
ハイデは自分の兄などではなかった。エドワードを捜して監視下に置こうとしていたか、母親であるキシウを追っていたかのどちらかだろう。
落胆はしない。奴の目的など分かりきっていたからだ。最初から怪しかった。けれど「人の屑」くらいは言ってもいいだろう。兄の皮膚を、声を顔に貼りつけて、他人に誘いかけていたなんて考えるだに怖気が走る。
だが、ふと顔を上げると凍り付いた顔の一同と目が合い、エディスは「ごめん」と口にした。
イーザックが持ち出した酒を呑んだシュウは、それはもう酔っ払った。一緒に呑んでいたレウが言うには北部の酒は度数が強いかららしい。
エディスがいるならと、戦闘科に移動になったシルベリアは酔った素振りもなく呼び出しに応じていった。
宛がわれたソファーにシュウを促し、自分もその隣に座る。だが、なにを聞いても話そうとしないので、エディスはふーっと長く息を吐いた。
彼にしては珍しい行動だが、余程父か兄とそりが合わないのか、呑まないとやっていられないのだろう。
「ちょっと待ってろ」
ポンポンとシュウの背中を叩いてから部屋を出ていく。自由に出入りをしていいと許可をもらっている厨房から必要な物を取って引き返す。
「ほら、飲め」
白く丸みを帯びた、取っ手のないカップを相手の手に握らせる。
「酒じゃなくて悪い……けど、甘くしといたから」
ごくりと喉を鳴らし、一口飲んだ青年は苦笑した。
「甘めとも言わねえよ」
それを聞き、エディスは少しだけ顔を安堵で綻ばせる。飲み終わった後、受け取ったカップを目の前のテーブルに置く。
「もう、今日は寝ろよ。シルベリアじゃなくて悪いけど、代わりに俺がいてやるからさ」
相手が頷いたのを見、エディスはカップと一緒に持ってきていた毛布を手に取った。
「ほら、来いよ」
苦笑して膝をポンポンと叩くと、シュウは遠慮なく膝に頭を乗せ、目を閉じた。
「おやすみ」と言うのに同じ言葉を返し、シュウの肩まで毛布を掛ける。それから、会議が終わったシルベリアが迎えに来るまでの間、頭を撫で、膝を貸していた。
「本当に、能力者ってのは厄介だな」
まるで運命の相手みたいに大事にするとレウに言われたエディスは首を傾げた。
だが、睡魔の囁きに敗北を喫していたエディスは「そうかもな……」と呟いて瞼を閉じた。ベッドにはレウが運んでくれるだろうと、信じて。
「おはよう、シュウ」
そこには、予想通り優しげな微笑みを浮かべた親友と恋人を兼任している男がいた。夜を過ごした後、夜警に行ったはずだというのに。一体いつ帰ってきたのか、すでにベッドの中に熱が戻っている。
「相変わらずのお寝坊さんだな、お前は」
シュウの髪を一撫でして、柔らかくもない頬にキスを……なにをしているんだコイツは、と眉間に皺が寄った。
「お前は人が寝てる間になにしてんだ」
「キスマークの一つや二つ、つけてやろうかと」
まあ、つかなかったが……と残念そうに唇に手を当てる親友に頭がキリキリと痛む。
「俺は肌が焼けているし厚いだろ。つきにくいのは当たり前だ」
そう言うと、シルベリアは笑みを浮かべた。
「だったらシュウ、お前が俺につけてみないか?」
俺の肌なら白いからすぐにつくだろう? と言ってくるシルベリアに、シュウは心底呆れ果てた。開いた口が塞がらない。
「何でお前はそう朝っぱらから濃いんだよ……!」
「ん? まあ、俺も男だからな」
わははと笑うシルベリアに、これだからお貴族様はと言いながらベッドを出た。昨夜すっかり脱がされてしまった服を拾い上げて洗濯カゴに放り入れておく。
歯磨きをしながら歩いていき、新聞受けに刺さっている束を引き抜く。その瞬間ぴゅうと隙間から入ってきた風に身をすくめた。
いくら部屋を温めていたとしても、外から入ってきては意味がない。適当にクローゼットから出した服を着て、シルベリアの背中に身を預ける。
ごく僅かにシルベリアの方が高いが、ほとんど同じ体温に背丈。こうしてくっついていると馴染んで、溶け合いそうになる。
エディスだとこうはいかない。アイツは体温が低いからと考えながら新聞を開いたシュウは、
「……なんだこれ」
愕然として呟いた。
その日、イーザックに選んでもらった書庫の魔法書を読み耽っていたエディスは、突然の訪問者を告げるチャイムの音に起き上がる。
どこでも好きな本を読んでくれていいと許可を得たエディスは、来る日も来る日も魔法書を周りに積み上げてはイーザックやレウと議論を繰り返している。
そこにやって来たのがシルベリアと知ると、昨年カーグラック大学院で発表された文献について意見を聞こうと嬉々として彼を出迎えた。
「レイヴェンたちが……!?」
だが、彼が持ってきた新聞の一面の見出しを見た途端、今の今まで浮かべていた花のような笑顔はどこに捨てたのかというしかめっ面へと変えてしまう。
そこに書かれていた罪状は、殺人未遂――城に戻ってきたキシウと口論になり、激昂した彼女がティーセットを薙ぎ倒して廊下にいた兵士から剣を奪って追いかけてきたのだという。
「姫じゃなくなっても命を狙われるのか!」
憤り、拳を膝に叩きつけるシルベリアに、一同は同意を示した。
「十中八九、あのクズ女の嘘だろ」
これでレイアーラが国庫を無駄に浪費させる悪女であれば出てこなかった反応だろう。だが、彼女は献身的に各地の孤児院や修道院を通っており、災害があれば直接向かって人々の手を取り励ましの言葉を掛けた。それは積極的に情報を集めていないエディスの耳にさえ入ってきていた。
慈悲深く慎ましい彼女が、華美な装束を纏うことはない。宝石ではなく花や職人のレースで身を飾る彼女独自のスタイルは女性の圧倒的な支持を得ており、今年の社交界の一大ブームにさえなっているというのが、イーザックの見識だった。
「いやぁ~……これは、これは」とイーザックが言葉を詰まらせる。
「ブラッド家は一手を打ってくるでしょうねぇ」
その通りで、翌日の新聞にはハイデが皇太子エドワードとして名乗り出たと書かれてあった。
それを握り締めてきたシュウが「あれは俺の兄だ、地毛は俺と同じ緑だ」と髪を引っ張りながら言うのを聞き、やはりと目を伏せる。
ハイデは自分の兄などではなかった。エドワードを捜して監視下に置こうとしていたか、母親であるキシウを追っていたかのどちらかだろう。
落胆はしない。奴の目的など分かりきっていたからだ。最初から怪しかった。けれど「人の屑」くらいは言ってもいいだろう。兄の皮膚を、声を顔に貼りつけて、他人に誘いかけていたなんて考えるだに怖気が走る。
だが、ふと顔を上げると凍り付いた顔の一同と目が合い、エディスは「ごめん」と口にした。
イーザックが持ち出した酒を呑んだシュウは、それはもう酔っ払った。一緒に呑んでいたレウが言うには北部の酒は度数が強いかららしい。
エディスがいるならと、戦闘科に移動になったシルベリアは酔った素振りもなく呼び出しに応じていった。
宛がわれたソファーにシュウを促し、自分もその隣に座る。だが、なにを聞いても話そうとしないので、エディスはふーっと長く息を吐いた。
彼にしては珍しい行動だが、余程父か兄とそりが合わないのか、呑まないとやっていられないのだろう。
「ちょっと待ってろ」
ポンポンとシュウの背中を叩いてから部屋を出ていく。自由に出入りをしていいと許可をもらっている厨房から必要な物を取って引き返す。
「ほら、飲め」
白く丸みを帯びた、取っ手のないカップを相手の手に握らせる。
「酒じゃなくて悪い……けど、甘くしといたから」
ごくりと喉を鳴らし、一口飲んだ青年は苦笑した。
「甘めとも言わねえよ」
それを聞き、エディスは少しだけ顔を安堵で綻ばせる。飲み終わった後、受け取ったカップを目の前のテーブルに置く。
「もう、今日は寝ろよ。シルベリアじゃなくて悪いけど、代わりに俺がいてやるからさ」
相手が頷いたのを見、エディスはカップと一緒に持ってきていた毛布を手に取った。
「ほら、来いよ」
苦笑して膝をポンポンと叩くと、シュウは遠慮なく膝に頭を乗せ、目を閉じた。
「おやすみ」と言うのに同じ言葉を返し、シュウの肩まで毛布を掛ける。それから、会議が終わったシルベリアが迎えに来るまでの間、頭を撫で、膝を貸していた。
「本当に、能力者ってのは厄介だな」
まるで運命の相手みたいに大事にするとレウに言われたエディスは首を傾げた。
だが、睡魔の囁きに敗北を喫していたエディスは「そうかもな……」と呟いて瞼を閉じた。ベッドにはレウが運んでくれるだろうと、信じて。
87
お気に入りに追加
1,500
あなたにおすすめの小説
愛されない皇妃~最強の母になります!~
椿蛍
ファンタジー
愛されない皇妃『ユリアナ』
やがて、皇帝に愛される寵妃『クリスティナ』にすべてを奪われる運命にある。
夫も子どもも――そして、皇妃の地位。
最後は嫉妬に狂いクリスティナを殺そうとした罪によって処刑されてしまう。
けれど、そこからが問題だ。
皇帝一家は人々を虐げ、『悪逆皇帝一家』と呼ばれるようになる。
そして、最後は大魔女に悪い皇帝一家が討伐されて終わるのだけど……
皇帝一家を倒した大魔女。
大魔女の私が、皇妃になるなんて、どういうこと!?
※表紙は作成者様からお借りしてます。
※他サイト様に掲載しております。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【短編】旦那様、2年後に消えますので、その日まで恩返しをさせてください
あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
「二年後には消えますので、ベネディック様。どうかその日まで、いつかの恩返しをさせてください」
「恩? 私と君は初対面だったはず」
「そうかもしれませんが、そうではないのかもしれません」
「意味がわからない──が、これでアルフの、弟の奇病も治るのならいいだろう」
奇病を癒すため魔法都市、最後の薬師フェリーネはベネディック・バルテルスと契約結婚を持ちかける。
彼女の目的は遺産目当てや、玉の輿ではなく──?
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。
役に立たないから出ていけ?
わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます!
さようなら!
5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話
甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。
王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。
その時、王子の元に一通の手紙が届いた。
そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。
王子は絶望感に苛まれ後悔をする。
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる