太陽の向こう側

しのはらかぐや

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1章 結成

20.讃美歌

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ネオンの光が途切れた暗いツェントルムの西の端に、場違いなソプラノが響き渡る。

「God be with you till we meet again…」

美しい歌声以外の音は途絶え、空気は張り詰めた糸のようにひどく強張っていた。

「By his counsels guide,uphold you…」

微かに砂利を踏む音が雑音として混じる。
誰かが生唾を飲み込んだ。

「With his sheep securely fold you…」

いやらしく温かく、生臭い瘴気が立ち込める。
地響きよりも低く唸る声が闇の中から聞こえた。

「花火は打ったけど変化なし…しゃあないな。タスク、いけるか」

「あぁ…」

その小さな体躯のどこから発声されているのか、目も覚めるような美しい讃美歌がおぞましい気配と絡みむつむ様子はどこか官能的でありそこ知れぬ恐ろしさもあった。
闇の中のものはにじり寄るように歌う聖女への距離を詰める。
普段よりもさらに伏した目には睫毛が細く影を落とし、少女のような外見には似合わない大人びた色を醸し出していた。

「莉音…」

「大丈夫や、俺らが失敗せんかったら莉音も何もない」

闇の中で背を正し歌う莉音の後ろでタスクとアルアスルは息を殺し気配を消してレンガに隠れて潜んでいた。
今日中にモンスターが出て魔法陣が見つかるように神に頼んでおいてくれとアルアスルが茶化したばかりに、莉音は西の端に着いて何もなかったとわかるとガウを降りて主への讃美歌を歌い始めてしまった。
気が済むまで付き合ってやろうと笑ったタスクの口を塞ぎ、ガウをタスクの収納空間へと送ったアルアスルが気配を殺したのは莉音が歌い出してほんのすぐのことだった。

「え?なに…?」

急に仲間の気配が感じ取れなくなった莉音は頼りのガウも見つけられず何も見えずに戸惑う。

「莉音、モンスターや。俺らがええと言うまでその場で歌い続けろ。絶対助けたるから、なんでもええし歌っといてくれ」

「わ…わかった」

アルアスルに言われるがまま莉音は歌い続けている。
目にはっきりとした光があればそんなことはできなかっただろう。
莉音の眼前の闇にいる獣は、引きちぎった肉片をでたらめにくっつけておおきく膨らませたとしか形容ができない、目はない口裂けの犬の死体のようなものである。
赤黒く濁った色の歯はひとつひとつが莉音よりも大きい。

「…あれは見たことある。朱華とかいう国の古いモンスターや。目は見えてなくて、音に反応して獲物を喰らうものやったはず」

アルアスルは小声でタスクに囁きかける。
タスクは一瞬嫌そうに顔を顰めたが、文句を言うことはせず小さなため息をこぼした。

「莉音は囮か」

「さっき、こいつは莉音の歌に反応して来よったんや。花火の大音量で気が逸れへんのやったら莉音はもうロックオンされてて逃げられへん」

アルアスルの冷たい口調にタスクは物言いたげだ。

「もうすぐ出る…出てすぐ、お前の武器全部であれの周囲と手足刺して拘束してくれ」

「……わかってる、わかってるけど、お前はなぁ」

莉音の歌声がこもりだした。鼻先まで迫った闇に音が吸われているかのようだ。
もしかすると、おぞましい気配に喉が雁字搦がんじがらめにされたか、肌で感じる恐怖で竦んでしまったのかもしれない。
同族ということもあってか、タスクは莉音が哀れだった。

「そういうところが美点やってわかってるんやけど、俺はそういう…」

小声で投げかけられる小言を聞いてか聞かずか、アルアスルは鋭い目でただ汚い獣を見つめていた。

「Till we meet…till,we…meet…God be with…you…」

莉音の耳朶に獣の息遣いが響く。
気丈に響いていた歌声は微かに震え、胸の前で組んだ手には遠目でもわかるほど力が入っていた。
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