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思いがけぬ再会

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 カァン、カァン、カァン、カァン――

 踏切の警報機の音が、規則的に鳴っている。むせ返るような暑さと、耳をつんざく蝉の大合唱。八月上旬、私は四年振りに生まれ故郷へと帰っていた。日本一人口の少ない、鳥取県へ。

 額の汗をハンカチで拭いていると、サコッシュに入れていたスマホが振動する。電話は母からだった。

「……もしもし……今、踏切に引っかかってて。うん、分かった。それじゃ、また後で」

 通話を終了してスマホの画面をオフにすると、疲れ切った私の顔が映り込む。最近、仕事が忙しくてまともに寝ていなかった。だからすぐに帰ってこれなかったの。

 ――ごめんね、真也しんや

 私の心境とは裏腹に、どこまでも澄み渡る青空を仰ごうとした瞬間、四両編成の列車が駆け抜けてゆく。轟音と共に熱風が吹き荒れ、ラフィア素材の帽子を手で押さえた。と、信じられない光景に私は目を見開く。

「……真也?」

 妖怪の描かれた列車の窓際に、彼が座っていたのだ。別れた当時の中学三年生――十五歳の姿をして。
 
(まさか、ね……だって彼は)

 ――真也は交通事故で先日、亡くなったのだから。

 ♢♢♢

千穂ちほちゃん、わざわざありがとうね」
「いえ、すぐに来られなくてすみません」

 彼のお母さんが、私を出迎えてくれた。
 鳥取へは何度か帰郷していたが、彼のお母さんと会うのは実に十二年振りだ。かつてふっくらとしていた顔はやつれて皺やシミが目立ち、実際の年齢よりも老けて見えた。
 
「お線香、あげてやってちょうだいな」
「……はい」

 閉じられた仏壇のそばに置かれた、真新しい骨壷。そこに彼の遺影が飾られている。
 初めて目にする大人になった彼の顔立ちは優しげで、でも意志の強そうな顔立ちをして、じっとこちらに視線を投げかけているようだ。

「とてもいい写真でしょう? 先月、久しぶりに花回廊はなかいろうへ行った時に撮ったものなの」
「……そうなんですね」

 まさかその二週間後、居眠り運転の大型トラックに追突されて帰らぬ人になってしまうなんて。
 
「お父さんを早くに亡くして自分がしっかりしなきゃと思ったんでしょうね。大学にも行かないで高校を卒業したらすぐ地元の整備工場へ就職して」

 彼のお母さんは、遺影を見つめながら話し続ける。
 
「結婚を考えている人がいたのだけれど、四月に別れてしまってね。しばらく塞ぎ込んでいたのよ」
「……そうだったんですね」

 私も四年間付き合っていた人とこの春、別れていた。お互い違う道を歩んでいるのに、そういうところは同じだなんて。もし彼が生きていたら昔みたいに笑い合えたのかも、と考えて首を振る。
 
 別れたのは私のせい。今さら合わせる顔なんてない。そもそも、二度と会うことは叶わないのだから。

 午後の湿った風に吹かれ、縁側に吊るされた風鈴が哀しげにチリン、と鳴った。

 ♢♢♢

「お帰りなさい、千穂」
「……ただいま」

 四年振りの実家は特に変わっていなかった。家具の配置も、棚の上に置かれた大小様々な写真立てもそのままだ。一つだけ違うとすれば、甥と姪の写真が増えていることだろう。
 ニ歳離れた妹は短大卒業後すぐに結婚して二児の母となり、現在は鳥取市に住んでいる。

「真也君にお線香、あげてきた?」
「……うん」

 遺影写真の笑顔が頭をよぎり、重苦しい気持ちになってしまう。耐えきれなくなった私は荷物を壁際に置くと、部屋を出て玄関に向かった。

「……ちょっと散歩に行ってくる」
「そう、あまり遅くならないようにね。もうすぐお父さんも帰ってくるはずだから」

 ♢♢♢

 夕方になってもまだ蒸し暑く、少し動いただけでじっとりと汗ばんだ。帰宅を急ぐ車や自転車、スーツ姿の会社員らしき人々が無表情で行き交っている。この時間特有の雰囲気に、ただ歩いているだけの私も急かされる気分になってしまう。

「……駄菓子屋さん、やめたんだ」

 自宅から歩いて十分くらいの場所にあった、おばあちゃんが一人で切り盛りしていた小さな駄菓子屋。閉められたシャッターに張り紙がしてある。

『四月三十日をもって閉店いたしました』

 子どもの頃からお小遣いを握りしめて、友達とよく買いに来ていた思い出の場所。中学生になり、彼と付き合い始めてからもたまに訪れていた。
 
 私がいなくなってから少しずつ、色々な事が変わっていく。ずっと同じ、なんて事はこの世に存在しない。

「……この道」

 駄菓子屋から向かって左側に人一人がやっと通れる道があり、天照大御神アマテラスオオミカミの御子を祭る神社に繋がっている。この辺りに住む子ども達の間では有名な、の抜け道。
 

 この道は逢魔時に通ったらいけん
 もし通れば、魔物に連れて行かれるぞ


 本気で信じて子どもの頃は夕方、どんなに急いでいても絶対に避けていた道。確かに狭いから昼間でも薄暗く、建物の壁には蔦が這っている。いかにも何か出てきそうな情景に、私は年甲斐もなく身を縮こませながら、勾配のある細道を進んでゆく。

 不意にドン、ドドン、と太鼓の音が響いてきた。

 ――神社からだろうか。

 ドン、ドドン、ドドドン、とだんだん音が大きくなって最後にドドドドドンッ! と爆ぜるように響いたかと思うと、辺りはしんと静まり返った。

 あれだけうるさかった蝉もピタリと鳴き止み、膨張して今にも落ちてきそうな太陽が山の裾野に姿を隠して、宵闇が訪れる。私は早く道を抜けようと駆け出して小石につまずき、体勢を崩してしまう。
 
 ――っ!!

 咄嗟に両手を前に出したが、間に合わない。衝撃に備えようと、本能的に目を閉じたその時――

「――大丈夫?」

 誰かに体を支えられ、私は転ばずに済んだ。吹き出した汗が鼻筋を伝って、地面にポタリと落ちる。

「あ、ありがとうございま――」
 
 私は顔を上げ、絶句した。そこに立っていたのは中学生の――十五歳の姿をしただったから。

「……どう、して?」

 彼は――真也は優しく微笑みながら私の手を取ると走り出す。その手はとても冷たくて、でもとても温かいようで。

「――急がないと遅れてしまう」
「……え?」

 朱色の鳥居をくぐり、階段を上ると境内に辿り着いた。両脇に並んだ石灯籠が暗闇をうっすらと照らして面妖な空気が揺蕩たゆたい、本殿のすぐ近くに一対で向き合う狛犬が、神々しくも頑健な目つきで私達を見下ろしている。

「――こっちへ」

 彼が振り向くと、制服から石鹸の良い香りが微かに漂ってきた。懐かしい匂いに、瞳が大きく揺れる。

 ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン、ギギギギギィィ……。

 本来なら聞こえるはずのない音に、私は驚愕した。

「……妖怪列車?」

 本殿の裏にある竹藪の奥で、よく見慣れた列車が止まっていたのだ。竹の節間ふしかんが蛍のように淡く儚い光を放っている。

「――良かった、間に合って」

 屈託のない笑顔に思わずドキリとしてしまう。そのまま手を引かれ、列車に乗り込んだ。
 
「――車掌さん、切符です」

 車掌さんは帽子を目深に被っているため、顔がよく見えない。彼が二人分の切符を差し出すと、車掌さんは切れ込みを入れて立ち去って行った。私達の他に乗客はいないようだ。
 
 竹藪の中に止まっていたのは四両編成の、地元のみならず全国的にも有名な妖怪が描かれた列車だった。でもデザインは何年か前にリニューアルされて、今は違う絵柄のはず。

 この列車は私達が中学生の頃に走っていたものとよく似ている。ただし内装はもっと昔の――大正時代くらいのものに感じられた。

「――ここに座ろう」
「……うん」

 窓際の座席に彼と向かい合う形で腰を下ろすと、私はシンプルなパンツスタイルではなく、中学校のセーラー服姿になっていた。窓ガラスに映る顔も、今よりずっと若々しい。
 
 汽笛を鳴らしながら、ゆっくりと列車が走り出す。外の景色が神社から、住み慣れた市街地へと変わってゆく。
 
 小さな駄菓子屋、彼と出会った小学校、よく遊んだ公園、地元の古いデパート、大好きな図書館に美術館、ハイキングのできる城山しろやま、父が解説員をしているプラネタリウム――そして彼と付き合い始め、別れた中学校。

 どれも今とは違う、遠い記憶の中の外観をしている。それはまるで走馬灯のようで――
 
「……ねえ、真也はどうしてここにいるの?」
「――千穂に会うためだよ」
「……私に?」
「――ちゃんと挨拶をしていなかったから」
「……何の?」
「――別れの挨拶を」

 彼の言葉に、私は息を呑む。





 中学三年生の二月十四日。付き合って初めてのバレンタインに、私は手作りのチョコレートを渡そうと学校に持ってきていた。
 そして放課後、クラスの違う彼を廊下で待つため教室を出た時、見知らぬ女子生徒が彼へ何かを渡すのを目撃した。
 
「ねえ、私と付き合ってるの、みんな知ってるよね?」

 私は怒りと嫉妬で、彼に詰め寄る。

「ああ、知ってるよ」
「じゃあ、なんで他の女の子からプレゼントを受け取るの?」
「これ?」
 
 彼は可愛らしくラッピングされた贈り物に視線を落とすと、首を傾げた。その振る舞いに苛立ち、声を荒げる。
 
「真也のバカ! もう知らないっ!」
「え、おいっ、千穂!」

 結局、彼にチョコレートを渡せないまま私は帰宅した。
 次の日、あの贈り物は部活の後輩達からだと知ったのだが、高校入試や卒業式の練習などで忙しく、謝る機会を逃したまま卒業の日を迎えてしまう。

「千穂」
「真也?」

 厳かな卒業式が終わり、外でクラスの集合写真を撮ったりする中、彼の方から話しかけてきてくれた。
 
「バレンタインの時はごめんな、誤解させてしまって」
「……!」

 違う。悪いのは私の方なのに。
 
「こっちこそ、ひどいこと言ってごめんね……」
「高校は別だけどさ、また俺ら――」
「……真也には私よりもっといい人がいるよ」
「――そっか、分かった。千穂も元気でな」

 彼は優しく、でも悲しそうに微笑むと背を向けて立ち去った。これが生きている彼の姿を見た最後だった。





「……あの時のこと、ずっと後悔していたの。意地を張らずにすぐ謝っておけば良かったって」
「――俺もさ、入試で忙しいのを言い訳に千穂に話しかけなかったことを後悔してたんだ」
「……そうだったの? 私、てっきり真也に嫌われたかと思ってた」
「――まさか。俺はずっと千穂のことを忘れられなかった」

 彼の言葉に胸の奥が熱くなる。顔が火照り、思わず俯いた。
 すると膝の上で、鞄を抱きしめているのに気づく。これは中学生の時に使っていた鞄――中身を覗くとあの日、渡しそびれたチョコレートが入っていた。

「……受け取って、もらえますか?」

 私は震える手で差し出した。恥ずかしさと切なさで、胸が張り裂けそうになる。

「――ありがとう。すごく嬉しいよ」

 彼はチョコレートを受け取ってくれた。

「……真也、私」

 視線を上げると、彼がはにかむように笑っていた。十二年越しの願いが叶い、涙で視界が滲む。

「――千穂」

 彼の顔が近づいたかと思うと、互いの唇がそっと触れ合った。

「……っ!」
「――大好きだよ」
「……私も真也のことが大好き」

 いつの間にか車輪の走行音がしなくなっていた。涙を拭いながら窓の外を見遣ると、列車は地面でなく夜空を走っている。目の前に広がるのは伯耆ほうき富士――大山だいせんだ。
 
「――いつか千穂と天空リフトに乗りたいって思ってたんだ」
「……私も真也と夜景を見に行きたいなって思ってたの」

 眼下には弓ヶ浜ゆみがはま半島が弓形ゆみなりにカーブして、島根半島まで続いている。左側は中海なかうみ、右側は日本海に挟まれた特殊な地形。
 人口の少ない街でもこんなに素敵な景色が見られることを、私は改めて知った。

「……すごく綺麗」
「――そうだね。ベタ踏み坂もあんなに光って見える」
「……都会で知り合った友達にね、「千穂は自転車で通ったことがあるの?」って聞かれ――」
 
 はしゃぎながら彼の方を振り向き、私は言葉を失う。彼は下半身が透け、今にも消えそうになっていた。
 
「――そろそろ時間のようだ」
「……いや! 私、真也と離れたくない」
 
 抱きつこうとして、両腕が彼の体をすり抜ける。
 
「――千穂、良い人と幸せに。さよなら」
「……真也!」

 汽笛を鳴らしながら、列車が地上へと降下してゆく。
 同時にひとつの彗星が、満天の星空できらりと瞬いた。

 ♢♢♢

「――穂、千穂」
「……ん」
「いい加減に起きなさい。晩ご飯できたわよ」

 目を開けると、リビングのソファで横になっていた。

「……あれ、私、列車に乗って空を飛んで大山まで行ってたのに」
「もう、夢でも見てたのね」

 母がくすりと笑う。
 前より目尻の皺が増えているが、とても幸せそうだ。

「……お父さんは?」
「今夜は城山で星空の解説をするから、遅くなるらしいの」
「……城山で?」
「ええ。なんでも最近発見された彗星が見られるからって言ってたわね」
「……すいせい?」

 彼と別れる間際、流れ星のようなものが見えた気がする。

 そう、あの彗星はきっと――

「私も城山まで見に行ってくる」
「今から? 別にいいけど気をつけなさいよ」
「うん、大丈夫。自転車借りるね」

 外に出ると夜空を見上げた。でも街中は明るすぎて観察には適さない。私は自転車を漕ぎ、城山を目指す。
 およそ二十分ほどで到着したが、ハイキング道なので夜は視界が悪い。懐中電灯を右手に持ち、慎重に石造りの階段を上がってゆく。
 
「はぁ、はぁ」

 久しぶりに登るが案外、都会の方が歩く機会が多いからかさほど苦ではなかった。昼間なら十五分ほどで登れるが、夜だともう少し時間がかかる。
 やがて山頂に到着した。

「この彗星はですね――」

 楽しそうに解説する父の声が聞こえてくる。

「なんと先日、発見されたばかりなんですよ」

 十数名の観客が耳を傾けながら夜空を見上げたり、一眼レフで写真撮影をしていた。少し離れた場所で、私も同じように手を伸ばせば届きそうな満天の星空を眺める。

 ああ、やっぱり――この彗星は真也だ。

「ありがとう、真也……会いに来てくれて、願いを叶えてくれて。良い人と幸せになるって約束する。だから――」

 私の声に応えるように、彗星が一際明るく瞬いた。
 その眺望に心が震え、涙と笑顔が同時に溢れる。


(了)

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