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子守歌
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透明だった世界に、色彩と音が添えられる。
咲き乱れる色とりどりの花、青々と生い茂る草木。
小鳥は囀り、動物や幻獣たちが気持ちよさそうに微睡んでいる。
「これは……?」
「ここから新しい世界を創るのよ」
未玖が微笑んだ。
聖母のように。女神のように。
フギンとムニンが彼女の肩から離れた。
「ダニール、最後にひとつだけお願いがあるの」
正確に言えば未玖は言葉を発していない。
精神感応でやり取りをする。
「あなたの子どもが欲しい。ううん、あなたが欲しい」
宇宙と意識を共有、一体化した未玖は心身ともに成長し、ダニールよりも背が高くなっていた。
見つめ合い、どちらからともなく唇を重ねる二人。
その様子にヨクサルの胸が微かに痛む。
ダニールに対して。未玖に対して。
「……ああ、ダニール、愛してる」
ダニールの首に腕を回す未玖が、ヨクサルの方を振り向く。
何となく気まずくなり、彼は俯いた。
「ヨクサルもこちらへ来てってダニールが言ってるわ」
「……はい」
未玖だけが死者の声を聞けるのだ。
ヨクサルは少しばかり迷ってから、二人へ近づく。
「わっ!」
ダニールに、未玖に抱きしめられ慌てふためく。
しかしダニールは既に死んでいるため、触れられないはずだ。母親の天馬のように。
「ダニールは特別なの。魂だけど魂じゃないから」
「どういうことですか……?」
ヨクサルは首を傾げた。
「本来なら地獄へ行くはずだったけれど、地獄は地球とともに無くなってしまった。だから行く場所がないまま宇宙を彷徨っていたの」
「なぜブラックホールの中に……?」
「居心地が良かったからですって。静かで他の誰にも干渉されない空間だものね」
確かに落ち着く場所ではある。
けれど一人きりでずっと居るには、あまりにも寂しい場所でもある。
「父様……」
「そろそろお別れの時間よ」
「嫌です! 父様……!」
「大丈夫、ダニールはずっと私たちのそばにいるわ」
「……っ!」
ダニールに口づけをされ、ヨクサルは目を閉じた。
甘美で蕩けるようなひと時。
そっと唇が離される。
すぐ近くで感じるダニールの口元が動いた。
(――ヨクサル、愛している)
「父様……! 僕もずっとずっと愛しています……!」
涙で視界が霞む。
同時にダニールの姿も揺れるように薄くなっていく。
「父様!!」
最期に見たダニールの顔は、安らかで美しかった。
小さな光となり、未玖の手の中に導かれる。
「――ありがとう、ダニール。さようなら」
未玖はダニールの魂を宇宙へと還した。
暖かな風に乗り、鳥たちとどこまでも自由に飛んで行く。
「さあ、ふたりも主人の元へお行きなさい」
フギンとムニンは天高く飛び立った。
ふたりの帰りを今かと心配する古き神も、ようやく安心して眠りにつくことができるだろう。
未玖は胸の前で手を組み、歌を歌い始める。
聞いたことのない言語だ。
「この言葉はね、新しい世界の言語なの」
「新しい世界の……?」
「ええ、誰も悲しませたり傷つけたりしない言葉」
両手を広げ、清らかな歌声を響かせる。
小鳥たちが未玖の肩に留まり、一緒に囀る。
優しい音色は子守歌のようだ。
大地が芽吹き、木々が見る見るうちに育っていく。
やがてひとつの大樹となった。
「この樹は世界樹。新たな世界の中心となるの」
世界樹と呼ばれる大樹に九つの世界が生まれた。
そのどれもが等しく生命を育み、肥沃な土壌によって草木が果実や木の実、草の実を溢れんばかりに付ける。
世界樹は成長を続け、宇宙全体に根を張った。
一角獣、人魚、天馬に似た種族が創造される。
彼等は幻獣の持つ凶暴で残酷な面を無くした、似て非なる新しい存在だ。
けれど、その中に不死鳥の姿はない。
「不死鳥は不死身であるから不死鳥なの。だから彼等を救うには永遠の眠りにつかせなければならない」
「それじゃあ、僕も――」
不安そうに未玖を見上げるヨクサル。
「心配しないで。ヨクサルは純粋な不死鳥じゃない。あなたは不死鳥でも天馬でもない、特別な存在。ダニールのようにね」
「父様のように……?」
「だってダニールの半分は私の中にいるのだから」
「未玖さん、まさか……」
未玖は愛しそうに下腹部を撫でた。
「ここにダニールの子どもが――ダニールがいるの」
目を閉じ、再び歌を歌い始める。
子守歌とは違う、切なく慈愛に満ちた旋律。
それはいつの日か、ダニールと奏でたあの曲だ。
不死鳥たちの魂が迷うことなく、宇宙へと上がって行く。
「ああ、皆さん……」
仲間との別れにヨクサルは涙を零す。
不死鳥は生きている限り、不死身であり続ける運命を否応なしに課せられる。
生きている限り、亡き悪魔に支配されたままでいる。
だからこれでいい。これでいいのだ。
真の魂の解放を、ヨクサルは静かに見届けた。
♢♢♢
世界樹が成長を続ける中、未玖とヨクサルは産気づく。
難産を心配されていたヨクサルだが、愛する者たちの加護により安産であった。響き渡る元気な産声。
同じ時間に生んだ子どもの名前を未玖はダニール、ヨクサルはジョシュアと名づける。
ダニールは不死鳥と人間と神の血を、ジョシュアは悪魔と不死鳥と天馬の血を引いていた。
これだけ血が薄まれば、それぞれの持つ凶暴かつ残忍な面も表に出ることはないだろう。
もし発現したら、摘んでしまえばいい。
彼女は何度でもやり直せるのだから。
「愛しているわ、ダニール」
「愛しています、ジョシュア」
その後、二人の間にたくさんの子どもが生まれた。
敢えて創造しなかった人間が、新たな種族として繁栄していく。
今度は争ったり殺し合うことのないようにと願い、未玖は人間たちの営みを天からヨクサルとともに見守った。
二人の想いが通じたのか、人間たちは同族を大切に扱い、他の種族とも非常に友好的だった。
ダニールは人間たちの神となり、ジョシュアはかつて忌むべき幻獣とされた者たちの神となる。
世界樹を取り巻く二匹の大蛇は互いを思い遣り、あらゆる脅威から皆を守っていた。
今も尚、世界樹は成長しており、膨張する宇宙の彼方へと、宇宙の深淵へと枝と根を伸ばしていく。
遙か遠くの宇宙で瞬く星々は、不死鳥たちの生まれ変わりだ。
いずれあの恒星を巡る星からも、生命が誕生するだろう。
不死鳥は歪んだ世界を救わない。
だが新たな世界を救うことはできるのだ。
平和で調和の取れた、皆が幸せなこの世界なら。
自分たちを創造した神として、全ての種族から厚く信仰される未玖とヨクサルは、来るべき日を心待ちにしていた。
不死鳥が新たな種族として生まれる日を。
(了)
咲き乱れる色とりどりの花、青々と生い茂る草木。
小鳥は囀り、動物や幻獣たちが気持ちよさそうに微睡んでいる。
「これは……?」
「ここから新しい世界を創るのよ」
未玖が微笑んだ。
聖母のように。女神のように。
フギンとムニンが彼女の肩から離れた。
「ダニール、最後にひとつだけお願いがあるの」
正確に言えば未玖は言葉を発していない。
精神感応でやり取りをする。
「あなたの子どもが欲しい。ううん、あなたが欲しい」
宇宙と意識を共有、一体化した未玖は心身ともに成長し、ダニールよりも背が高くなっていた。
見つめ合い、どちらからともなく唇を重ねる二人。
その様子にヨクサルの胸が微かに痛む。
ダニールに対して。未玖に対して。
「……ああ、ダニール、愛してる」
ダニールの首に腕を回す未玖が、ヨクサルの方を振り向く。
何となく気まずくなり、彼は俯いた。
「ヨクサルもこちらへ来てってダニールが言ってるわ」
「……はい」
未玖だけが死者の声を聞けるのだ。
ヨクサルは少しばかり迷ってから、二人へ近づく。
「わっ!」
ダニールに、未玖に抱きしめられ慌てふためく。
しかしダニールは既に死んでいるため、触れられないはずだ。母親の天馬のように。
「ダニールは特別なの。魂だけど魂じゃないから」
「どういうことですか……?」
ヨクサルは首を傾げた。
「本来なら地獄へ行くはずだったけれど、地獄は地球とともに無くなってしまった。だから行く場所がないまま宇宙を彷徨っていたの」
「なぜブラックホールの中に……?」
「居心地が良かったからですって。静かで他の誰にも干渉されない空間だものね」
確かに落ち着く場所ではある。
けれど一人きりでずっと居るには、あまりにも寂しい場所でもある。
「父様……」
「そろそろお別れの時間よ」
「嫌です! 父様……!」
「大丈夫、ダニールはずっと私たちのそばにいるわ」
「……っ!」
ダニールに口づけをされ、ヨクサルは目を閉じた。
甘美で蕩けるようなひと時。
そっと唇が離される。
すぐ近くで感じるダニールの口元が動いた。
(――ヨクサル、愛している)
「父様……! 僕もずっとずっと愛しています……!」
涙で視界が霞む。
同時にダニールの姿も揺れるように薄くなっていく。
「父様!!」
最期に見たダニールの顔は、安らかで美しかった。
小さな光となり、未玖の手の中に導かれる。
「――ありがとう、ダニール。さようなら」
未玖はダニールの魂を宇宙へと還した。
暖かな風に乗り、鳥たちとどこまでも自由に飛んで行く。
「さあ、ふたりも主人の元へお行きなさい」
フギンとムニンは天高く飛び立った。
ふたりの帰りを今かと心配する古き神も、ようやく安心して眠りにつくことができるだろう。
未玖は胸の前で手を組み、歌を歌い始める。
聞いたことのない言語だ。
「この言葉はね、新しい世界の言語なの」
「新しい世界の……?」
「ええ、誰も悲しませたり傷つけたりしない言葉」
両手を広げ、清らかな歌声を響かせる。
小鳥たちが未玖の肩に留まり、一緒に囀る。
優しい音色は子守歌のようだ。
大地が芽吹き、木々が見る見るうちに育っていく。
やがてひとつの大樹となった。
「この樹は世界樹。新たな世界の中心となるの」
世界樹と呼ばれる大樹に九つの世界が生まれた。
そのどれもが等しく生命を育み、肥沃な土壌によって草木が果実や木の実、草の実を溢れんばかりに付ける。
世界樹は成長を続け、宇宙全体に根を張った。
一角獣、人魚、天馬に似た種族が創造される。
彼等は幻獣の持つ凶暴で残酷な面を無くした、似て非なる新しい存在だ。
けれど、その中に不死鳥の姿はない。
「不死鳥は不死身であるから不死鳥なの。だから彼等を救うには永遠の眠りにつかせなければならない」
「それじゃあ、僕も――」
不安そうに未玖を見上げるヨクサル。
「心配しないで。ヨクサルは純粋な不死鳥じゃない。あなたは不死鳥でも天馬でもない、特別な存在。ダニールのようにね」
「父様のように……?」
「だってダニールの半分は私の中にいるのだから」
「未玖さん、まさか……」
未玖は愛しそうに下腹部を撫でた。
「ここにダニールの子どもが――ダニールがいるの」
目を閉じ、再び歌を歌い始める。
子守歌とは違う、切なく慈愛に満ちた旋律。
それはいつの日か、ダニールと奏でたあの曲だ。
不死鳥たちの魂が迷うことなく、宇宙へと上がって行く。
「ああ、皆さん……」
仲間との別れにヨクサルは涙を零す。
不死鳥は生きている限り、不死身であり続ける運命を否応なしに課せられる。
生きている限り、亡き悪魔に支配されたままでいる。
だからこれでいい。これでいいのだ。
真の魂の解放を、ヨクサルは静かに見届けた。
♢♢♢
世界樹が成長を続ける中、未玖とヨクサルは産気づく。
難産を心配されていたヨクサルだが、愛する者たちの加護により安産であった。響き渡る元気な産声。
同じ時間に生んだ子どもの名前を未玖はダニール、ヨクサルはジョシュアと名づける。
ダニールは不死鳥と人間と神の血を、ジョシュアは悪魔と不死鳥と天馬の血を引いていた。
これだけ血が薄まれば、それぞれの持つ凶暴かつ残忍な面も表に出ることはないだろう。
もし発現したら、摘んでしまえばいい。
彼女は何度でもやり直せるのだから。
「愛しているわ、ダニール」
「愛しています、ジョシュア」
その後、二人の間にたくさんの子どもが生まれた。
敢えて創造しなかった人間が、新たな種族として繁栄していく。
今度は争ったり殺し合うことのないようにと願い、未玖は人間たちの営みを天からヨクサルとともに見守った。
二人の想いが通じたのか、人間たちは同族を大切に扱い、他の種族とも非常に友好的だった。
ダニールは人間たちの神となり、ジョシュアはかつて忌むべき幻獣とされた者たちの神となる。
世界樹を取り巻く二匹の大蛇は互いを思い遣り、あらゆる脅威から皆を守っていた。
今も尚、世界樹は成長しており、膨張する宇宙の彼方へと、宇宙の深淵へと枝と根を伸ばしていく。
遙か遠くの宇宙で瞬く星々は、不死鳥たちの生まれ変わりだ。
いずれあの恒星を巡る星からも、生命が誕生するだろう。
不死鳥は歪んだ世界を救わない。
だが新たな世界を救うことはできるのだ。
平和で調和の取れた、皆が幸せなこの世界なら。
自分たちを創造した神として、全ての種族から厚く信仰される未玖とヨクサルは、来るべき日を心待ちにしていた。
不死鳥が新たな種族として生まれる日を。
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