不死鳥は歪んだ世界を救わない

凛音@りんね

文字の大きさ
上 下
47 / 54

眠り

しおりを挟む
 赤々と燃える大槌が、二匹の大蛇を叩きつける。
 ぐしゃり、と嫌な音がして胴体の一部が潰れた。

「クロ!!」

 未玖が悲痛な叫び声を上げ、両手で口元を押さえる。
 
「なぜ父様が……?」

 ヨクサルも突然の出来事に動揺を隠せなかった。
 繊細で儚い美しさを誇っていたダニールの容姿は見る影もなく、どこまでも雄々しく気迫に満ちている。
 
 ヨルムンガンドとクロはまだ生きていた。
 裂けた腹部から内臓が露出し、ぬらぬらと光っている。
 二匹は互いにダニールとフェンリルの姿を認めると、瞼のない瞳でめ付けた。
 
「ガルルルルルルルッ!!」

 フェンリルが獰猛な牙を覗かせ、重傷を負った弟であるヨルムンガンドの首元に噛み付き、食い千切ろうとする。
 決して怒りや憎しみからではない。
 同じ血を分け、赤子の頃から忌むべき幻獣として蔑まれる彼を救いたかったのだ。

 だがヨルムンガンドは知る由もない。

 数世紀振りに再会した、愛する兄より向けられた明確な殺意に憤り、低く唸りながら反撃に出る。
 ヨルムンガンドは地球を取り巻くほどの大きな尻尾で、フェンリルの後頭部を強かに打ちつけた。
 赤い血が迸る。
 フェンリルはヨルムンガンドから口を放し、頭を振った。

「翔べ、フェンリル」

 ダニールの掛け声とともに、フェンリルが宙へと跳ねた。
 逃すまいとヨルムンガンドも跳躍し、フェンリルの右前足に鋭い牙を立てる。
 クロも同様に内臓を引きずりながら、ダニールの左足に食らいつく。
 二匹の攻撃にそれぞれの足が千切れ、凄まじい音を立てて地上へと落下した。

「――ともすまない」

 ダニールは一瞬だけ憐憫の表情を浮かべるが、すぐに冷徹な顔へ戻ると再び大槌を振り下ろす。
 今度は尻尾を潰され、二匹は瘴気を吐き出しながら呻く。

「お願い、もうやめて……」

 未玖は懇願するように呟き、ゆるゆると首を横に振った。
 彼女を背中に乗せているヨクサルも信じられないといった様子で、眼前で繰り広げられる悪夢のような光景を傍観していた。

(なぜ父様が巨人になり、未玖さんの子どもであるクロさんを殺そうとしているのですか……?)

 気高く優しかった父。
 目一杯の愛情を注いでくれた父。
 自分を女性性へと目覚めさせ、悦びを教えてくれた父。
 
『愛しているよ――ヨクサル。どうか幸せになっておくれ』

 耳元で囁かれた言葉が脳裏をよぎる。
 不意にダニールの温もりが恋しくなり、ヨクサルは瑠璃色の瞳を潤ませた。

(僕が泣いてる場合ではありません……)

 すぐに目を擦り、じっと前を見据える。
 お腹の子を守ると愛するジョシュアに誓ったではないか。
 未玖を支えるとダニールと自分自身に誓ったではないか。
 
(ご主人様……どうか見守っていてください)

 ヨクサルは燃える翼を羽ばたかせ、戦いの場から距離を置いた。
 吹雪の中に広がる地上はどこまでも赤く、荒廃している。
 生き物の気配は無い。
 おそらく地獄にいた悪魔や悪魔の子も皆、命を落としているだろう。

 ヨルムンガンドとクロは尚も生きていた。
 大槌が纏う炎に皮膚を焼かれ、もはや瀕死の状態だ。
 
「ダニール、私の大切なクロを殺さないで……」

 未玖の目から涙が溢れる。
 しかしその声がダニールに届くことはない。

 ダニールは三度みたび)、大槌をヨルムンガンドとクロへ叩きつける。
 ついに頭部を潰されてしばらくの間、反射的に鈍く蠢いていたが、やがて巨体を血の海に横たわらせ、二匹の大蛇は絶命した。
 衝撃で津波が起こり、大地を飲み込む。

「いやああああああああああ!! クロ……クロ!!」

 泣き叫びながら、未玖がヨクサルの背中から飛び降りようとする。

「落ち着いてください、未玖さん!」
「離して! クロ! ねえ、クロったら!!」

 未玖は完全に理性を失い、静止しようとするヨクサルの腕に爪を立てた。
 白い肌に鮮血がじわりと滲む。

っ……!」
 
 このままでは未玖が危ない。
 ヨクサルが未玖を気絶させようと手に力を込めたその時、厚い雲に覆われし太陽が姿を消した。
 何の前触れもなく訪れた暗闇に、未玖は正気を取り戻す。
 
「――君の子どもたちが太陽と月を飲み込んだようだね、フェンリル」

 返り血を浴びて全身真っ赤なダニールは微笑み、フェンリルの頭を愛しそうに撫でた。
 彼らと共に旅立つ時が来たのだ。
 雷鳴が轟き、暗闇の中を無数の稲妻が駆け抜ける。
 
「心配しなくとも僕は逃げも隠れもしませんよ」

 いつもの飄々とした口調とは裏腹の、全てを悟ったような顔。
 雷神が大槌を貸した見返りとして、ダニールの心臓を貰うために姿を現した。
 巨人化したダニールと同じ程の体躯と圧倒的な威厳に、未玖もヨクサルも言葉を失う。

『息を吐くように嘘をつくのがお前たち不死鳥フェニックスである』
「なるほど、崇高な神が仰るのですからきっとそうなのでしょう」

 左手に持っていた大槌が消失した。
 雷神は冷淡な目つきで、ダニールとフェンリルを見下ろす。

『大槌の力を貸してやったというのに何という有様だ』
 
 嘲笑する響きを隠そうともせず、雷神は大槌を懐にしまう。
 ダニールは左足を、フェンリルは右前足を欠損していた。
 全身を炎に包まれていたため、失血死せずに済んだのだ。
 
『スコルとハティも目覚め、新たなる終末ラグナロクが始まった。間もなく天から星々が降り注ぎ、この世界は終わるだろう』

 雷神も自身が滅びることを知っている。
 古き神々が待つ世界へ行く運命さだめである、と。
 
 ひときわ大きな雷鳴が響くと同時に、雷神はダニールの心臓を掴むと躊躇うことなく抉り出す。
 ようやく死を迎えられる喜びに、ダニールは静かに涙を流した。
 遠くの空で佇んでいる未玖とヨクサルとお腹の子の幸せを祈りながら目を閉じ、永遠の眠りにつく。

 忌むべき幻獣たちと共に。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

求不得苦 -ぐふとくく-

こあら
キャラ文芸
看護師として働く主人公は小さな頃から幽霊の姿が見える体質 毎日懸命に仕事をする中、ある意識不明の少女と出会い不思議なビジョンを見る 少女が見せるビジョンを読み取り解読していく 少女の伝えたい想いとは…

時守家の秘密

景綱
キャラ文芸
時守家には代々伝わる秘密があるらしい。 その秘密を知ることができるのは後継者ただひとり。 必ずしも親から子へ引き継がれるわけではない。能力ある者に引き継がれていく。 その引き継がれていく秘密とは、いったいなんなのか。 『時歪(ときひずみ)の時計』というものにどうやら時守家の秘密が隠されているらしいが……。 そこには物の怪の影もあるとかないとか。 謎多き時守家の行く末はいかに。 引き継ぐ者の名は、時守彰俊。霊感の強い者。 毒舌付喪神と二重人格の座敷童子猫も。 *エブリスタで書いたいくつかの短編を改稿して連作短編としたものです。 (座敷童子猫が登場するのですが、このキャラをエブリスタで投稿した時と変えています。基本的な内容は変わりありませんが結構加筆修正していますのでよろしくお願いします) お楽しみください。

貧乏神の嫁入り

石田空
キャラ文芸
先祖が貧乏神のせいで、どれだけ事業を起こしても失敗ばかりしている中村家。 この年もめでたく御店を売りに出すことになり、長屋生活が終わらないと嘆いているいろりの元に、一発逆転の縁談の話が舞い込んだ。 風水師として名を馳せる鎮目家に、ぜひともと呼ばれたのだ。 貧乏神の末裔だけど受け入れてもらえるかしらと思いながらウキウキで嫁入りしたら……鎮目家の虚弱体質な跡取りのもとに嫁入りしろという。 貧乏神なのに、虚弱体質な旦那様の元に嫁いで大丈夫? いろりと桃矢のおかしなおかしな夫婦愛。 *カクヨム、エブリスタにも掲載中。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

髪を切った俺が芸能界デビューした結果がコチラです。

昼寝部
キャラ文芸
 妹の策略で『読者モデル』の表紙を飾った主人公が、昔諦めた夢を叶えるため、髪を切って芸能界で頑張るお話。

処理中です...