上 下
45 / 54

予感

しおりを挟む
 未玖とヨクサルは上空から、暗澹あんたんたる気持ちで荒廃した大地を見下ろしていた。
 愛するクロが知性を失い、忌むべき幻獣と化してしまったことに嘆き悲しみ、ヨクサルの背中に顔をうずめる。

「ああ、クロ……」
「未玖さん……」

 追い打ちをかけるようにダニールまでいなくなり、どうしていいのか分からず寒空の中、身を寄せ合う。

(父様は雷神の元へ行かれましたが、なぜ僕たちに別れを告げたのでしょうか?)

 幼いヨクサルにとって、神とはどういう性質を持っているのか分かりかねていた。
 ダニールの確固たる決意も、純真な二人には考えが及ばない。

「……ごめんね、ヨクサル。赤ちゃんがいるのに」
「いえ、元気に動いているので平気です」

 未玖が涙を拭きながら顔を上げる。
 ヨクサルはお腹に悪魔の子を宿していた。

(ご主人様……)

 地獄で巡り合った悪魔、ジョシュアとの子ども。
 暴力的な行為ばかりだったが、今でも彼のことを深く愛している。
 最期に彼が見せた安らかな笑顔を、ヨクサルは永遠に忘れないだろう。

(何があってもこの子を守ると誓います。だから……どうか天国から見守っていてください)

 我が子であるクロの変容に哀しむ未玖の気持ちに同情し、己の無力さに打ちひしがれそうになる。
 だが母性に目覚めたヨクサルは、以前よりも心持ちが逞しくなっていた。

(僕が未玖さんを支えなければいけません)

 父親のダニールに言われた通り、どんなに寒くとも地上へは降りずにいようと決める。
 しかしそれが意味するのは、ヨルムンガンドとクロの死闘をただ傍観するしかない、という事だ。
 
(クロさんを助けたいけれど、僕一人の力では……)

「きゃあっ!!」

 思念していると強風に煽られた。
 ヨクサルは燃える翼を懸命に羽ばたかせる。

「未玖さん、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫よ。ありがとう」

 未玖は振り落とされまいと、ヨクサルのか細い背中にしがみ付く。
 ダニールの血を引くのに、ダニールとはどこか違う背中。
 彼が不死鳥では珍しい天馬ペガサスとの混血だからだろうか。
 
(ダニール、早く帰ってきて――)

 祈るように呟き、目を閉じる。
 弱々しい炎に優しく包まれ、未玖は束の間、不安から解放された。

 ♢♢♢

 幻獣フェンリルに跨るダニールは大槌を左手に持ち、地獄で戦うヨルムンガンドとクロを止めるために向かっていた。

 雷神に手懐けられていただけあって、迫り来る稲妻をフェンリルは跳ねるように避け、雷雲の中を駆けて行く。

 やがて雷雲を抜けると、鈍色の空が荒れ果てた地上を陰々と覆っていた。
 吹雪を燃える翼で溶かし、フェンリルの視界を遮らないようにする。

(未玖とヨクサルは無事だろうか)

 聞き分けのいいヨクサルだ。
 自分の言い付けを守り、上空で留まっているだろう。

 ダニールは二人が生き残ってくれることを強く願う。
 その為には一刻も早く、ヨルムンガンドとクロを倒さなければ。
 
(すまない、未玖。クロを助けるにはこの方法しかないのだ)

 ダニールは大槌の柄を握りしめた。
 右腕はフェンリルに噛み切られたため、欠損している。
 不死身であっても欠損した部位を再生するには一度、死ぬ必要があった。

(死ぬ時の痛みは、数え切れないほど経験しても慣れるものではない)

 地獄で何千年も悪魔に仕えていた際、気まぐれに嬲り殺されたり残虐極まりない拷問の末に命を落としていた。
 また自ら生んだ悪魔の子に無理やり犯され、内臓破裂で死亡したりと惨たらしい有様だった。

(ヨクサルにあんな思いをさせないために――)

 不死鳥も悪魔になると知った今、ダニールは複雑な心境だ。
 未玖の赦しを得ていなければ、自分もイーサンやファロムのように悪魔となっていたかもしれない。
 
 本来、不死鳥は仲間をとても大切にする。
 イーサンは少し変わっていたが、いつも他の不死鳥を気遣っていた。
 双子の弟であるファロムとは長い間会っていなかったが、離別前と変わらず愛していた。

(この世に悪魔さえ存在しなければ――いや、悪魔に魂を売り渡した僕たちがいけなかったのだ)

 自問自答していると時期に、大きくひび割れた大地から地獄の様子を窺うことができた。
 二匹の大蛇が本能の赴くままに、互いの息の根を止めようと巨体を絡ませ合い、鋭い牙で皮膚を食い千切り、瘴気を吐き出している。

「グルルルル……」

 ヨルムンガンドの姿を認めたフェンリルが、低い唸り声を上げた。

「君も兄弟と会うのは随分と久しぶりじゃないのかい?」

 フェンリルの柔らかな背中をそっと撫でる。
 幻獣同士、言葉を交わさずとも分かり合うことができた。

 ダニールもフェンリルも長兄だ。
 種族は違えど、弟や妹を想う気持ちは同じであった。

「世界を救うために、これから君の弟を倒さなければならない。僕を殺したければこの場で噛み殺せばいいのだよ」
 
 フェンリルは返事をしない。
 ひたすら凍空いてぞらを走り抜ける。

を討ったら、僕たちも共に逝こう」

 最早この世界に幻獣は必要ないのだ。
 雷神との契約で心臓を捧げるダニールは、長い苦しみからようやく逃れられると安堵し、切ない笑みを微かに浮かべた。
 
「――唸れ、大槌」

 左手に持った大槌が赤い炎を纏う。
 同時にダニールとフェンリルの体が巨大化する。
 
「……ダニール?」

 遠くで何かが変わる気配を察知した未玖が、辺りを見渡した。
 嫌な予感がする。とてつもなく嫌な予感が。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

百合系サキュバス達に一目惚れされた

釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。 文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。 そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。 工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。 むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。 “特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。 工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。 兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。 工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。 スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。 二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。 零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。 かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。 ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

三つ子池の人魚

凛音@りんね
ホラー
小野悠介は父親の仕事の都合で、T県の三崎町へと引っ越してきた。 新居となる家のエアコンの調子が悪く、不動産会社へ連絡をするも業務を委託している会社が繁忙期の為、こちらに来れるのが一番早くて六日後になるという。 夏休み中の悠介は、涼める場所を探して町を散策することにした。だが町唯一の公共施設である図書館は八月下旬まで改修工事で閉館中。 仕方がないので山手を歩いていると、古びた木製の看板を見つける。どうやらこの先に池があるようだ。  好奇心と涼を求め、悠介は看板の指し示す道を進んで行くがーー。 現代の田舎を舞台にした、妖しくも美しいダークホラーです。

青い祈り

速水静香
キャラ文芸
 私は、真っ白な部屋で目覚めた。  自分が誰なのか、なぜここにいるのか、まるで何も思い出せない。  ただ、鏡に映る青い髪の少女――。  それが私だということだけは確かな事実だった。

後拾遺七絃灌頂血脉──秋聲黎明の巻──

国香
キャラ文芸
これは小説ではない。物語である。 平安時代。 雅びで勇ましく、美しくおぞましい物語。 宿命の恋。 陰謀、呪い、戦、愛憎。 幻の楽器・七絃琴(古琴)。 秘曲『広陵散』に誓う復讐。 運命によって、何があっても生きなければならない、それが宿命でもある人々。決して死ぬことが許されない男…… 平安時代の雅と呪、貴族と武士の、楽器をめぐる物語。 ───────────── 『七絃灌頂血脉──琴の琴ものがたり』番外編 麗しい公達・周雅は元服したばかりの十五歳の少年。それでも、すでに琴の名手として名高い。 初めて妹弟子の演奏を耳にしたその日、いつもは鬼のように厳しい師匠が珍しくやさしくて…… 不思議な幻想に誘われる周雅の、雅びで切ない琴の説話。 彼の前に現れた不思議な幻は、楚漢戦争の頃?殷の後継国? 本編『七絃灌頂血脉──琴の琴ものがたり』の名琴・秋声をめぐる過去の物語。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...