不死鳥は歪んだ世界を救わない

凛音@りんね

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禁断の果実

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 未玖はダニールの背中に乗り、空から地上を見下ろしていた。
 進化して急激に伸びた髪の毛が風に揺れる。

「地面が波打ってる……」


 ああ、これは――地震だ。


 ちょうど未玖が産まれた年に起こった、あの大地震が頭をよぎる。
 テレビで生中継を見ていた母親が恐怖のあまり、世界が終わったようだったと震災の日を迎える度に話してくれた。

「でもね、お腹にいる未玖のことは何があっても守ろうと心から思ったの」
「えー! お姉ちゃんばっかりずるい! ねぇママ、僕のことは?」
「もちろん桃李も同じに決まってるじゃない」

(――ねぇ、ママ。今、私は不死鳥のダニールと世界の終わりを見ている。悪に選ばれし乙女以外の人たちは、一人残らず殺された世界を)

 ほんの数日前まで、こんな事態になるなど夢にも思っていなかった。
 来年から中学生だからと、制服の採寸に行ったばかりだった。

(――もうピンク色の使い古したランドセルも、憧れのまっさらなセーラー服も着ることはないんだ)

 瞳が潤んで視界が霞む。
 すると首に巻きついていた蛇のクロが、涙を拭くように頭部を目元に擦り付けてきた。

「……ありがとう、クロ」

 クロは大きな瞳で未玖を見つめながらこくりと頷く。

「収まったようだし、そろそろ降りよう」

 ダニールは返事を待たずにさっさと地上へ降り立った。
 未玖は落とされないよう、必死に背中の燃える翼にしがみつく。

「随分と長い地震だったね。だけどおかげで邪魔な人間のを一掃する事ができたよ」

 まるで天使のように笑う、悪魔の使いである不死鳥フェニックスのダニール。

 昨日までの未玖なら怒りと嫌悪感でダニールを刺し殺してやりたいと感じていたのに、今は悲しみはあれどそうは思わなくなっていた。


 まるで心の中に大きく静かな湖が佇んでいるような。
 湖面は凪いでおり、水鏡のようだ。


 あるいは宇宙のようにどこまでも無限に広がり、目を閉じれば記憶を共有することができそうな――


「未玖、お腹は空いたかい?」
「あ……うん」
「それじゃ、これをお食べ」

 そう言いダニールがさっと取り出したのは、真っ赤な林檎だった。
 血が滴るように赤い色をしている。


 ――でも、一体どこから?


「これは禁断の果実さ。大丈夫、進化を始めた未玖なら無垢を失うことはない」

(禁断の果実……前にどこかで聞いたことがある。でも何だっけ、よく思い出せない)

「人間が残した話が全て正しいとは限らない。神話だって都合のいいように解釈しているに過ぎないのさ」

 ダニールは林檎に軽く唇を当てると、未玖に手渡した。


 ――見た目よりもずっと重い。


 生まれたての赤ん坊の頭のような林檎を、未玖はまじまじと見つめる。
 林檎は嫌いじゃなかったけど、こんなに美味しそうだと感じるのはなぜだろう?

 未玖は我慢できずに齧りついた。
 クロがじっとその様子を窺っている。

「どうだい? 悪の果実の味は」
「……美味しい」

 普段食べていた林檎よりも水分が多く、皮で歯茎を痛めたのか口内に鉄の味が広がった。

 口元から果汁と血の混じった唾液が滴り落ちる。
 けれど未玖は構わずに、無我夢中で林檎を食べた。

「おめでとう、未玖。これで君は正式に僕のとなった」

 ダニールが満ち足りた様子で微笑んだが、未玖は林檎が芯だけになっても食べようとかぶりつく。

「そんなに慌てなくともたくさんあるから、ほら」

 どこからともなく新しい林檎を取り出し、ダニールが一口齧ってみせる。

「未玖、一緒に食べようじゃないか」

 いつの間にか未玖もダニールも裸になっていた。
 膨らみかけの胸と陰部が晒され、未玖は恥じらうように手で隠そうとする。

「あれ……」

 その時、未玖は下半身に違和感を覚えた。

(下着もナプキンもつけていないのに平気だ。生理の時はいつも重くて経血も多いのに……)

「高次元の存在となる資格を得た者は、より快適で合理的な体へと進化する。つまり生理とやらは存在しなくなったのさ」
「え……でも、それじゃ子どもは――」
「命を宿したいと思えばいつでもできるようになる。今はまだその時ではないけれどね。ただし処女懐胎だけはありえない」

 ダニールは目を細めながら笑む。

(そっか、もう生理に悩まされることはないんだ)

 未玖は嬉しくなり、顔を綻ばせる。
 どこからかクロが葉っぱを二枚、口に咥えて持ってきてくれた。
 一枚は未玖に、もう一枚はダニールに。

「生まれたままの姿が一番美しいのだけれど、ここばかりは隠さなくてはね」

 葉っぱを受け取ったダニールが、陰部に葉っぱを当てようとする。
 そこには男性の象徴がなかった。

「これかい?」

 未玖の視線に気づいたダニールが微笑する。

「不死鳥には性別がない。あるいは両性具有である」

 ああ、だから彼等は中性的なのだと未玖は一人で納得する。


 少年とも少女とも見分けのつかない不死鳥――


「そんなことより、ほら、早くこちらにおいで」

 ダニールが手に持つ林檎はひときわ赤かった。
 未玖はたまらなくなり、胸を隠すのも忘れて齧りつく。

「未玖、ここはきちんと隠さないと」

 いたずらっぽく笑うダニールの指が、未玖の陰部に触れた。
 初めての刺激にびくんっ、と体が跳ねる。

「うん、未玖は真の乙女のようだね」

 途中まで入れていた指を抜くと、満足そうに笑いながら指を舐めた。
 そして葉っぱで未玖の陰部を隠す。

「僕らが乙女を娶るのは、単純に子どもを産むのが面倒だからさ。だが主人である悪魔を相手にそんな物言いをしようものなら、即座に首を切り落とされるだけだ。まあ、死にはしないのだけれどね」

 ダニールはおかしそうにククッと笑う。

「僕も何度か悪魔の子どもを身籠ったことがあるが、あれは決して気分の良いものじゃないね。そもそも悪魔と交わること自体が大変な苦痛を伴う。それに比べて乙女相手の気持ちの良さと言ったら天と地の差だ」

 ダニールの説明を聞くのも忘れて、未玖は林檎を食べ続けていた。
 勢いのあまりダニールの手を噛んでしまい、白く華奢な指から真っ赤な血が滲み出る。

「あっ、ごめんなさい――」
「気にしなくても大丈夫さ。翼の炎で燃やせばすぐに治るから」

 それを聞いた未玖は安心して、ダニールの指を舐めた。

 人間よりも濃厚な鉄の味が口いっぱいに広がり、未玖は悦びを感じながら残りの林檎をダニールと貪り合う。

 そんな二人の様子を二羽のワタリガラスが頭上から観察していたが、すぐにどこかへ飛び去った。
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