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七夕
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エマは約一万km離れた地区から取り寄せた大きく立派な笹竹に、折り鶴や紙衣などを飾り付けていた。
その中には願いごとの書かれた短冊もあって、七夕のために用意された笹竹を色鮮やかに演出する。
一般的な家庭はホログラム映像によって映し出された笹竹に、これまたホログラム映像の簡易的な飾り付けをするのだが、統治者であるワーグナー家は大切な一人娘のエマのためならば金に糸目をつけなかった。
高価な紙製品に、高価な筆記用具。
もちろん青々とした笹竹も、最高級のものだ。
「ねえ、ユーリ。どうして短冊は五色なの?」
エマの飾り付けを手伝っていたユーリは、なるべく簡潔に説明した。
「五色は古代中国の『五行説』という自然哲学からきています。万物のすべてを構成すると考えられた五つの元素に、それぞれ色を当てはめたものです。赤は火を、黒または紫は水を、青は木を、白は金を、黄は土を。ただ日本では黒は縁起が悪いとして、高貴な色である紫が用いられるようになりました」
「そうだったのね。昔はこの辺りの地区で七夕行事は行われていなかったのでしょう?」
エマが吹き流しにそっと触れると、シャララと涼しげな音を立てた。
「はい。七夕の起源は中国で、大昔から広くアジア圏で祝されていました。二十一世紀以降、地球の人口が爆発的に増え、他国へ移住したアジア圏の人々によって世界中に広まったのです」
「今ではシリウスでも七夕祭りが開催されているのよね」
エマは雲一つない、澄み切った青空を窓越しに見上げた。
人工知能と融合した頭脳によって、完璧にコントロールされた天候。
今夜も晴れの予報だった。
「織姫と彦星、今年もちゃんと会えそうね」
「そうでございますね」
まだ恋を知らないエマだったが、年頃の少女らしくロマンチックな七夕伝説に胸をときめかせる。
七月七日は織姫と彦星が一年に一度だけ会える、特別な日。
(いつか私も織姫のように、心の底から愛する人と出会えるのかしら?)
七夕の舞台は、壮大で神秘的な天の川銀河。
その正体は二千から四千の恒星が含まれる棒渦巻銀河とされ、局所銀河群に属している。
天の川銀河からもっとも近い銀河はおおいぬ座矮小銀河で、太陽系から約二万五千光年の距離にあった。
(一番近い恒星がおおいぬ座のシリウスよね)
こと座のα星ベガが織姫で、わし座α星アルタイルが彦星。
夜空の暗い場所では、二つの星の間に天の川が横たわった様子を観察することができる。
さらに二つの星の上にある、はくちょう座α星デネブの三星を結んでできる『夏の大三角』は、とりわけエマのお気に入りだった。
(ユーリの解説、分かりやすくて耳に心地良いから大好きだわ)
純粋な気持ちで、エマはそう思う。
何でも知っている自立型機械のユーリ。
エマが訊ねれば、ちょっと甘く優しい声で教えてくれる。
(まあ、短冊が一枚だけ残ってるじゃない)
エマはユーリの瞳と同じ青色をした短冊を手に取ると、淑やかでありながら溌剌とした様子で彼に渡した。
「せっかくだし、ユーリも何か願いごとを書いてみない?」
「願いごと、でございますか?」
ユーリは人間の動作を真似て、首を傾げた。
自立型機械に願いごとという概念は存在しない。
主人である人間の命令に従い、あらゆる脅威から主人を守ることが彼らの存在理由だった。
ユーリはほんの少しばかり、押し黙る。
しかし、すぐに微笑をたたえると右手にペンを持ち、綺麗な文字をスラスラと綴った。
「書けたら空いているところに飾ってちょうだい」
「はい」
網飾りのすぐ隣に、ユーリは短冊を吊るした。
「やったわ! これで今年の七夕飾りの完成ね」
「何かお飲み物をお持ちいたしましょうか?」
「ええ、ダージリンをお願いするわ」
「かしこまりました」
ユーリは規則正しい足取りで部屋を出て行く。
一人残ったエマは、飾り付けの済んだ笹竹を満足そうに見つめた。
(ユーリは何をお願いしたのかしら? ううん、人の願いごとを覗くのはよしておきましょう)
ユーリのことを擬人化しているエマは、自身と彼を織姫と彦星に見立てる。
星空の神である天帝の娘で機織りの名人だった織姫は、牛飼いの彦星と恋に落ちて結婚した。
だが結婚後、働き者だった二人は仕事をしなくなり、それに怒った天帝は二人を天の川の両岸に引き離したが、悲しみに暮れる織姫を不憫に思った天帝は、年に一度だけ二人を会わせるように計らった――というのが七夕伝説のあらすじだ。
「ふふ、今年も愛するあなたに会えて幸せよ、ユーリ」
忘れない歌を歌うように、独りごつエマ。
マホガニー色の瞳は恋色に潤んで、星々が煌めく夢の世界で一夜限りの逢瀬を疑似体験していた。
「――なんて言ったら、ユーリはどう答えてくれるのかしら」
くすくす笑うと、エマはいつもの調子に戻った。
何の気なしに笹竹を眺めていたら、ユーリが飾り付けた短冊が目に映る。
青い短冊には微笑ましい、けれど自立型機械の彼らを愛おしいと感じてしまう願いごとが書かれてあり、エマはしなやかに口角を上げた。
「お待たせいたしました」
ユーリが銀製のトレイに白磁のティーカップを載せ、部屋へと入って来た。
ティーカップからは白い湯気が立ち上る。
ウバ、キーマンとともに、世界三大紅茶として数えられるダージリン。
夏摘みのもので、爽やかなマスカットフレーバーの香りが鼻腔をくすぐる。
(やっぱりユーリの淹れてくれる紅茶は格別ね)
もしユーリが彦星になっても、勤勉な彼は決して仕事を投げ出したりはしないだろう。
エマはそんなユーリがとても誇らしかった。
「ねえ、ユーリ。地区の七夕祭りに行った後、一緒に天体観測をしてほしいの」
「では、羽織るものと温かな飲み物をご用意いたします」
今夜の星空は、いつも以上に美しく見えるに違いない。
そう確信すると、エマは慈愛のこもった眼差しをユーリに向けた。
その中には願いごとの書かれた短冊もあって、七夕のために用意された笹竹を色鮮やかに演出する。
一般的な家庭はホログラム映像によって映し出された笹竹に、これまたホログラム映像の簡易的な飾り付けをするのだが、統治者であるワーグナー家は大切な一人娘のエマのためならば金に糸目をつけなかった。
高価な紙製品に、高価な筆記用具。
もちろん青々とした笹竹も、最高級のものだ。
「ねえ、ユーリ。どうして短冊は五色なの?」
エマの飾り付けを手伝っていたユーリは、なるべく簡潔に説明した。
「五色は古代中国の『五行説』という自然哲学からきています。万物のすべてを構成すると考えられた五つの元素に、それぞれ色を当てはめたものです。赤は火を、黒または紫は水を、青は木を、白は金を、黄は土を。ただ日本では黒は縁起が悪いとして、高貴な色である紫が用いられるようになりました」
「そうだったのね。昔はこの辺りの地区で七夕行事は行われていなかったのでしょう?」
エマが吹き流しにそっと触れると、シャララと涼しげな音を立てた。
「はい。七夕の起源は中国で、大昔から広くアジア圏で祝されていました。二十一世紀以降、地球の人口が爆発的に増え、他国へ移住したアジア圏の人々によって世界中に広まったのです」
「今ではシリウスでも七夕祭りが開催されているのよね」
エマは雲一つない、澄み切った青空を窓越しに見上げた。
人工知能と融合した頭脳によって、完璧にコントロールされた天候。
今夜も晴れの予報だった。
「織姫と彦星、今年もちゃんと会えそうね」
「そうでございますね」
まだ恋を知らないエマだったが、年頃の少女らしくロマンチックな七夕伝説に胸をときめかせる。
七月七日は織姫と彦星が一年に一度だけ会える、特別な日。
(いつか私も織姫のように、心の底から愛する人と出会えるのかしら?)
七夕の舞台は、壮大で神秘的な天の川銀河。
その正体は二千から四千の恒星が含まれる棒渦巻銀河とされ、局所銀河群に属している。
天の川銀河からもっとも近い銀河はおおいぬ座矮小銀河で、太陽系から約二万五千光年の距離にあった。
(一番近い恒星がおおいぬ座のシリウスよね)
こと座のα星ベガが織姫で、わし座α星アルタイルが彦星。
夜空の暗い場所では、二つの星の間に天の川が横たわった様子を観察することができる。
さらに二つの星の上にある、はくちょう座α星デネブの三星を結んでできる『夏の大三角』は、とりわけエマのお気に入りだった。
(ユーリの解説、分かりやすくて耳に心地良いから大好きだわ)
純粋な気持ちで、エマはそう思う。
何でも知っている自立型機械のユーリ。
エマが訊ねれば、ちょっと甘く優しい声で教えてくれる。
(まあ、短冊が一枚だけ残ってるじゃない)
エマはユーリの瞳と同じ青色をした短冊を手に取ると、淑やかでありながら溌剌とした様子で彼に渡した。
「せっかくだし、ユーリも何か願いごとを書いてみない?」
「願いごと、でございますか?」
ユーリは人間の動作を真似て、首を傾げた。
自立型機械に願いごとという概念は存在しない。
主人である人間の命令に従い、あらゆる脅威から主人を守ることが彼らの存在理由だった。
ユーリはほんの少しばかり、押し黙る。
しかし、すぐに微笑をたたえると右手にペンを持ち、綺麗な文字をスラスラと綴った。
「書けたら空いているところに飾ってちょうだい」
「はい」
網飾りのすぐ隣に、ユーリは短冊を吊るした。
「やったわ! これで今年の七夕飾りの完成ね」
「何かお飲み物をお持ちいたしましょうか?」
「ええ、ダージリンをお願いするわ」
「かしこまりました」
ユーリは規則正しい足取りで部屋を出て行く。
一人残ったエマは、飾り付けの済んだ笹竹を満足そうに見つめた。
(ユーリは何をお願いしたのかしら? ううん、人の願いごとを覗くのはよしておきましょう)
ユーリのことを擬人化しているエマは、自身と彼を織姫と彦星に見立てる。
星空の神である天帝の娘で機織りの名人だった織姫は、牛飼いの彦星と恋に落ちて結婚した。
だが結婚後、働き者だった二人は仕事をしなくなり、それに怒った天帝は二人を天の川の両岸に引き離したが、悲しみに暮れる織姫を不憫に思った天帝は、年に一度だけ二人を会わせるように計らった――というのが七夕伝説のあらすじだ。
「ふふ、今年も愛するあなたに会えて幸せよ、ユーリ」
忘れない歌を歌うように、独りごつエマ。
マホガニー色の瞳は恋色に潤んで、星々が煌めく夢の世界で一夜限りの逢瀬を疑似体験していた。
「――なんて言ったら、ユーリはどう答えてくれるのかしら」
くすくす笑うと、エマはいつもの調子に戻った。
何の気なしに笹竹を眺めていたら、ユーリが飾り付けた短冊が目に映る。
青い短冊には微笑ましい、けれど自立型機械の彼らを愛おしいと感じてしまう願いごとが書かれてあり、エマはしなやかに口角を上げた。
「お待たせいたしました」
ユーリが銀製のトレイに白磁のティーカップを載せ、部屋へと入って来た。
ティーカップからは白い湯気が立ち上る。
ウバ、キーマンとともに、世界三大紅茶として数えられるダージリン。
夏摘みのもので、爽やかなマスカットフレーバーの香りが鼻腔をくすぐる。
(やっぱりユーリの淹れてくれる紅茶は格別ね)
もしユーリが彦星になっても、勤勉な彼は決して仕事を投げ出したりはしないだろう。
エマはそんなユーリがとても誇らしかった。
「ねえ、ユーリ。地区の七夕祭りに行った後、一緒に天体観測をしてほしいの」
「では、羽織るものと温かな飲み物をご用意いたします」
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